ネットフリックスは現在、日本を含めた各地でオリジナルコンテンツの制作投資を加速している。
7月上旬、日本での制作体制を説明するために、記者を集めた「Netflix Studio Day」が開催された。
そこで得られた日本の制作責任者のコメントなどからは、グローバルのイメージが強い同社の「ローカル転換」と、グローバル基準の働き方へのアップデートが見えてきた。
進められる実写版「幽☆遊☆白書」撮影、セットやCGは「海外クオリティー」
ネットフリックスは2021年より東宝スタジオと提携している。
そこで現在撮影が進められているのが、2023年末公開予定の実写版『幽☆遊☆白書』(主演:北村匠海)だ。
今回、撮影が行われているセットが組まれたスタジオの取材が実現した。
しかし残念ながら、現場の写真などは一切ない。撮影も許可されず、公式写真の提供もないためだ。
キャストやストーリーに関する「ネタバレ」につながる情報は厳禁。取材は幾重にもセキュリティーを介した厳戒態勢で行われた。
見学したのは、東宝スタジオの第7・第8・第10スタジオ。どれも日本有数の大きさだ。
特に第7スタジオは、面積が957平方メートルで25mプールよりも大きく、高さも11.3メートルと、日本最大のものになる。
第7スタジオに設置されていたのは、洞窟を再現したセットだ。面積も高さも、ほぼいっぱいに使ってセットが組まれていた。
足元には木や砕けた岩のかけらなどが散らばり、実際の岩場にかなり近い。
だが、岩に見えるのはウレタンのかけら。床も多少弾力のあるウレタン製だ。
「本気でアクションをしても怪我をしないようにこうしてある」と、制作を担当するROBOTの森井輝(もりい あきら)プロデューサーは話す。
アクションシーンはここで撮影され、さらにロケで撮影した映像やCGが加えられ、実際のシーンになる。
「俳優の演技を中心に使うのですが、撮影後に、アクション俳優の顔をメインキャストのものにCGで入れ替えることもします。
ギリギリの『技のキレ』では、アクション俳優の方がすごい。地面の岩をウレタンにするのも、怪我を気にせず演技してもらうため。
最後のちょっとのリアリティで差が出てくる。過去、ここまでやったことはない」(森井氏)
では、この「高さ11メートルの25メートルプール大」のセットは、どのくらいの長さのシーンに使われるのだろうか?
「編集しないと正確なところはわからないですが、5分くらいじゃないでしょうか」(森井氏)
なんと。たったそれだけのために。
「このくらいのセットを、今回は3つつくって入れ替えながら撮影しています。
他にも2つスタジオを使っています。これだけぜいたくな環境は、日本だけだと難しいです」(森井氏)
森井氏の発言にも出てきたが、『幽☆遊☆白書』はCGなしには成り立たない作品だ。
そのCGを担当するのがスキャンラインVFX社。ドイツの会社で、アメリカ・カナダ・日本など多くの拠点を持つ業界大手だ。
近年は『ゴジラvsコング』『ブラック・ウィドウ』などのハリウッドの大作映画を多く手がけている。ネットフリックスは2021年秋に同社買収を発表している。
スキャンラインVFXでVFXスーパーバイザーを担当し、『幽☆遊☆白書』にも参加する坂口亮氏は、「『幽☆遊☆白書』は会社の中でもみんながやりたがった仕事」と話す。
「北米と日本スタイルの融合をありとあらゆるところでやっています。前例がないことなので、1つ1つが全部もう手探り。
日本のコンテンツを日本のクルーでつくって世界に負けないどころか、よりいい物を作る機会ってそうそうない」(坂口氏)
「ローカル顧客のため」に制作をシフト
ここまでの話から、「海外に向けてグローバルな資金でコンテンツをつくるということか」と感じたかもしれない。以前は確かにそうだった。
だが、ネットフリックスの考えも少し変わってきているようだ。
ネットフリックス・プロダクション部門 日本統括ディレクターの小沢禎二氏は次のように説明する。
「現在のネットフリックスでは『Local for Local』(地域のために地域で)が合言葉になっています。
『韓国に先に行かれているじゃないか』という話もよく言われますが、そこで海外を視点に、とはまったく思っていません。
日本特有のオリジナルの作品を作ればいいんです。日本のネットフリックス契約者の方々に楽しんでいただき、それが世界に羽ばたくことになればいい」(小沢氏)
一方で、「ただし、VFXなどの技術については世界基準」(小沢氏)ともいう。
ネットフリックスの持つコネクションや予算を活かせる分野でもあり、そもそも見劣りするものは世界で通用しづらい、という話でもあるのだろう。『幽☆遊☆白書』のセットやCGの話はそこにつながる。
一方、ネットフリックスの会員増加は停滞している。それは主に、アメリカなどの市場が踊り場に差しかかったためだ。
今後の成長は開拓途上の市場にある。日本はその1つであり、しかも番組制作能力が高い。
だからこそ、日本国内で評価されることは同社の会員増加にプラスであり、さらに「海外基準の質」も備えていることは、その先の海外ヒットにも重要なものとなる。
ハラスメント対策の講習も…「海外基準」徹底
さらにもう1点、海外基準になるのが、撮影現場での「働き方」だ。
映像業界の働き方の面では、現場の力関係やハラスメントの問題も多い。
ネットフリックスはこの点について、パワハラ・セクハラを起こさない体制づくりとして、「インティマシー・コーディネーター」と「リスペクトトレーニング」を導入し、解決を試みている。これは日本だけでなく、世界中で導入されているものだ。
インティマシー・コーディネーターとは、主に性的な接触・肌の露出のある作品において、出演者と制作側の間に立って交渉をまとめる仕事だ。
日本の数少ないインティマシー・コーディネーターであり、ネットフリックス作品では「彼女」「金魚妻」などの作品に参加した浅田智穂氏は、その役割を次のように説明する。
「脚本のト書きではクリアになっていないことが多い。監督に内容を聞くと、演者側は『そこまで想像していなかった、難しい』ということもあります。
そこで監督との間に入り、最終的な合意点を目指します。目的は、あくまでよい作品にすることです」(浅田氏)
もうひとつの「リスペクトトレーニング」は、チーム内でのパワハラ・セクハラを減らすためのものだ。
「ネットフリックスがどう解決しているのか、どんな行動がNGなのかを知りたい」という人も多いのではないだろうか。だが実際には、そういうリストがあるわけではない。
リスペクトトレーニングを担当する、ピースマインド社の田中秀憲氏は「行為の白黒をつけるのが目的ではない」という。
「重要なのは相手へのリスペクト。ケースバイケースで対処が必要です。
問題なさそうな場合でも、怒鳴ることで相手に恥かかせてしまうこともある。ちょっと止まって、行動にリスペクトのフィルターを通すことが大切です」(田中氏)
記者向けのイベントでも、出されたお題に対して周囲でディスカッションすることで「リスペクトのフィルター」をかける実体験が行われた。
「結論、結果はわからないものです。しかし、リスペクトのフィルターを通す体験をしてみることで、問題を早いうちに鎮火させられる可能性を上げられる。5%、10%減らせるようになることが大切」と田中氏は話す。
長時間労働をやめて「時間を人生のために」
日本の映像制作の現場は評判が良くない。
前述のように、パワハラやセクハラの問題もあるが、それだけでなく、現場を支えるスタッフが徹夜続きの長時間労働を強いられることも多いからだ。結果として、若いスタッフの定着率も良くない。
小沢氏は「以前は私も、長時間労働が当たり前だと思っていた」と振り返る。
だが、今は違う。
「私がネットフリックスで最初に手がけた作品でも『1日12時間までにしましょう』と決めました。
プロデューサー陣からは『ネットフリックスと違って、なんでこの現場は徹夜なんですか、と現場で言われたら対処できない、そんなの無理ですよ、小沢さん』と言われたんです。
ですが、とにかくやってみると、終わった時にすごく良かった。長時間労働の結果ギスギスしていた現場が変わり、良い影響が生まれました。例えば『今日はあと2カットしかやらないよ』と決めることで、集中力が出てくる」(小沢氏)
一方で「ネットフリックスが、その分たくさんの費用を払えるのか、というと、そうではないです」とも否定する。
撮影期間を倍にできるほど予算が出るわけではないようだ。
「いつ撮影が終わるかわかるようになることで、『終わったらどうしようか』と考える余裕が生まれます。
ですから我々は『できた時間を、人生を楽しむことに使ってください』と言っています」(小沢氏)
(文、撮影・西田宗千佳)