古今東西、時代を問わず「学歴」は人の心をざわつかせる物差しだ。「学歴で人の価値は測れない」と多くの人が言うが、現実には有名大学に合格すること、あるいは子どもを有名大学に合格することが、社会において小さくない価値になっているからこそ、人は学歴を巡る価値観に揺れる。
中国は日本とは比べ物にならないほど学歴社会だ。著名企業は採用において公然と学歴フィルタリングで差別し、欧米や日本の有名大学・大学院は“箔”を求める中国人の受け皿にもなっている。
中国最大のIT企業、アリババの創業者であるジャック・マー(馬雲)氏が経営者の枠を超えて若者に支持されてきたのは、雑草そのものと言える生い立ち——彼は裕福でない家庭に育ち、二浪して無名の教育大学に進学した——と、いくつもの「無」を乗り越えて巨大な市場と企業をつくりあげてきた不屈の精神力、そして深い洞察を言語化し発信する能力ゆえだろう。
マー氏は2018年5月、母校である杭州師範大学の設立110周年式典に登壇し、教育大学で学んだ4年間と、その後の6年にわたる教師生活を振り返りながら、教師という職業の素晴らしさと、世間的には二流、三流と見なされる同大学で学ぶ意義について、後輩たちに語りかけた。その全文を紹介する。
来賓の皆さん、大学の先生、学生、そして卒業生の皆さん、こんにちは。今日は感謝を捧げる日です。母の日であり、かつ母校の創立記念日です。皆、お母さんに感謝していることでしょうが、私たちは母校と先生方にも十分感謝しましょう。いつも学校を訪れるのは特別な喜びです。ほかでは得られない感慨があります。まず、私たちの母校の110歳の誕生日を祝いましょう。
(私が卒業して)30年以上が経ち、杭州は大都市になりました。その間に、私と母校との距離は意外にも近くなりました。私の執務室は杭州師範大学から1、2キロの距離にあり、振り返って見れば、自分がどこから“生まれた”か思い出せます。自分が何者か、忘れることはありません。数日前の夜も杭州師範大学に来ました。実際、キャンパスにはよく来ています。夜はとても静かで、学びの雰囲気に満ちています。素晴らしい校風を感じ、まじめに勉強している女子学生を見て嬉しくなります。
私から見て、杭州師範大学は世界で最も良い大学です(拍手)。他に並ぶ存在はありません。他の大学でスピーチするとき、例えば北京大学、清華大学を卒業する学生には、私は「杭州師範大学のような何てことないように見える大学を、素晴らしい大学ときちんと評価しましょう」と言います。そして杭州師範大学出身の皆さんには、自分自身を高く評価してほしいです。
私たちには多くの、大きなチャンスがありますが、杭州師範大学が創造してきた独自の価値が十分に発揮できているとは言えません。私はこの大学で非常に楽しい4年間を過ごしました。人生で最も重要な青春の日々でした。この4年を決して忘れることはないでしょう。
企業のCEOは“最高教育責任者(Chief Education Officer)”だ
私が大学入試に3回挑んだのは皆さんご存じでしょう。2年続けて失敗し、3年目に何とか杭州師範大学に滑り込みました。杭州師範大学が私にこの機会をくれたことに感謝しています。大学は、私に最初の居場所を与えてくれました。なぜそれを失敗、あるいは挫折と言えるでしょうか。私はいつも「成功した失敗者」であり続けています。
杭州師範大学が私にくれた2つ目の素晴らしいもの、それは私を教師に育ててくれたことです。私はCEOをやったことも、どうやるかも学んだことがありません。私は教師を務めるように、CEOを務めてきました。私はCEOとはChief “Education” Officer、つまり、最高“教育”責任者だと考えています。だから私は杭州師範大学で学んだ教師としての仕事のやり方、そして実際に教師として経験したことを、事業でも活用しました。
教師は非常に素晴らしい職業で、最も偉大な職業です。教師の仕事の唯一の目標は、教え子をあなたより強く、あなたより良くすることです。すべてにおいて自分より優秀な人間に育ててください。自分の教え子が破産したり、事故を起こすことを望む教師はいません。私たちは皆、教え子が自分よりも物事に適切に対処できるようになることを望んでいます。
CEOがほかの人の思いを実現するために事を行わないなら、自分を助けることが従業員、顧客、パートナーの成功を助けることにつながりません。このような企業はきっと成功できないでしょう。アリババの幹部には教師出身者が多くいます。
教師は理想主義っぽいところがありますが、まさにこの理想主義がアリババを形成し、他の企業とは違う存在にしています。4年杭州師範大学で学び、6年教師をやりました。この10年が今の私をつくっています。教育大学の学生だったという記憶は、一生自分からなくならないでしょう。教師になれたことは、私にとって生涯最大の幸福です。
私は教師をやめたことはないと思っています。今はあまり時間がないですが、時間が取れれば喜んで大学に行き、いろいろと分かち合いたいです。私はおしゃべりと思われていますが、これも教師の職業病です。この職業病は誇りですが。
私はずっと、いつか学校に戻りたいと思っていました。教師という職業に就くために教師になるのではなく、未来のために教師になりたいです。何を言いたいかと言うと、私は教育が大きく変化すると、強く意識するようになりました。この機会を借りて、母校に提言をさせてください。新たに到来する技術革新の時代についての議論です。
AI社会では「知識」より「知恵」「体験」が重要
多くの人がいろいろなこと、とりわけ就職について心配しています。しかし、私たちが最も心配しなければならない最大の課題は、教育の変革です。
今後30年の技術革命は、社会改革の鍵となります。そして今、世界の一流大学は、未来の社会でどんな人材が求められるかを考えています。そうしないと、そこで教えている学生の多くが仕事にありつけないという厄介な事態になるからです。どの学校も自分たちの教育のあり方について考える必要があります。
これまでの社会は知識駆動型でしたが、これからは知恵と体験が重要になります。これまでは製造が中心でしたが、将来は創造が中心になります。これまでは標準化、大規模化を追求していましたが、これからはパーソナライズ化、差別化を追求するようになります。
これまで、私たちは人をロボットにしていましたが、これから、私たちはロボットを人にするかもしれない。ロボットは人より賢くて力が強く、休息を欲せず、怖がることも怒ることもありません。ただし、ロボットは人類が持つ知恵を永遠に手にできないでしょう。
データの時代、ロボットはさらにロボットらしく、人はさらに人間らしくなれます。人はロボットと競争するべきではありません。どちらがすごいか、どちらが速く走るか、どちらが知恵があるか。人はロボットと囲碁をするべきではありません。囲碁は人のために設計されたもので、人とロボットを比較するツールではありません。
だから私は、未来は知識の競争ではなく、創造力、想像力、知恵、体験の競争だと考えています。リーダーが担うべき責任の競争、そして自立した思考の競争でもあります。未来の教育は知識だけを重視してはいけません。
「教」と「育」は違います。「教」は知識で、「育」は文化です。「学」と「習」も2つの概念があります。「学」は知識、「習」は知識を試すことであり、挫折を経験することでもあります。“習”は一種の想像力であり、カルチャーです。挫折も想像力、カルチャーを育みます。「教」と「学」は知識の面から、「育」と「習」はカルチャーの面から教育を支えています。
ロボットはチップに過ぎず、人類には偉大な心と愛があります。未来と向き合う子どものIQ、EQ以外に、慈しむ心も育てないといけません。そうすることで、子どもたちがロボットに仕事を取られることも、変革の中で淘汰されることもなくなるでしょう。
未来の教育の使命は、高い点数を取れる子どもを育てることであるはずがありません。勉強ロボットを育てることでもありません。工場でモノをつくるように、子どもを育成してはいけません。私たちは子どもに能力を最大限に発揮させ、正真正銘の人間に育てなければなりません。
中国の教育に足りない「芸術」「スポーツ」
中国の教育は決してダメなわけではありませんが、問題があります。少なくとも巨大なポテンシャルがあります。私は全世界のさまざまな大学で、中国の学生に会いました。海外で学ぶ中国の大学生、高校生、中学生はそろって学業優秀でした。しかしスポーツや音楽、美術の分野では物足りない。往々にして、芸術とスポーツは子どもが満ち足りた幸せな人生を送るのに不可欠なものです。
アイデア、想像力は実際に体験して育てるものです。スポーツから寛容さ、チームワーク、責任を学び、失敗、挫折を体験し、衝突の中で問題を解決する術を学ばなければなりません。未来の社会は衝突が絶え間なく起こるでしょう。だから私は思うのです。この時代に考えるべき本質的なことは、どうやって子どもを満ち足りた幸福な人間にするかだと。
勉強ロボットにしてはいけません。未来の子どもはグローバル化の視座をもって問題に当たらないといけません。楽観的な態度で課題に取り組まないといけません。豊かな想像力があれば未来を拓くことができます。
同時に、私たちは子どもたちに自律と当事者意識、リーダーシップ、思考力をしっかり植えつけなければいけません。これらができれば、子どもたちは未来の新しい仕事に適応できるでしょう。ロボットに仕事を奪われ呆然とする日が来ることも、変革の中で残酷に淘汰されることもありません。
このような教育を通じて、中国と一人ひとりの人々は、技術革命という巨大な波の中を泳ぎ抜くことができます。
多様な人材を「一律加工」するのは国家資源の浪費
未来の教育の鍵は教師にあります。教師は本当の意味で崇高な尊敬される職業になります。最も優秀な人こそ教師をやるべきです。
中国は毎年2000万人前後の赤ちゃんが生まれます。これは中国の最もユニークな資源であり、世界最大の「鉱山」と言えます。自然のあらゆる鉱山の中で最も貴重な財産、最も投資価値がある資源の山です。
杭州には10万人の小学校教師がいます。彼らが子どもたちをどう教育するか、どのように育成するかが杭州の未来を決めるのです。子どもたちは私たちにとって最大の財産であり、この財産を本物の競争力とするには何をすべきか考えなければいけません。
過去40年、中国の資源は決して豊富とは言えませんでした。石炭、石油、天然ガスは多くありませんが、中国経済、中国社会は成長しました。教育が人間の脳という鉱脈を開発したからです。
教育が13億人の頭のスイッチを入れ、私たち13億人はようやく食べられるようになりました。毎年生まれる2000万人の赤ちゃんの素質は1人ひとり違います。勉強が得意な子、スポーツ、芸術の才が光る子、それぞれです。さまざまな種類の木をいっしょくたに加工場に放り込んで、同じ商品に仕上げるのは、国家資源の巨大な無駄遣いです。
今後、教育が国家間の競争において決定的な要素となるでしょう。教育大学で学ぶ学生たちは教育の重要なインフラですが、中国の教育の問題は成績が良くない人が教育大学に入ることです(訳者注:師範大学、教育大学は比較的偏差値が低く、入りやすいと考えられている)。
私は2浪して教育大学に引っ掛かりました。中国の中医学の質が良くないのも、一流大学に受からなかった人が中国医学を学ぶからではないでしょうか。
教師は命を賭けて人に影響を与えます。教師は人の人生において父母以外に最も影響力を持つ人です。教師が教室に入ると、40、50人の学生がいます。彼らの生命と未来はあなたの手にあるのです。
国家は最も優秀な学生を教育大学に入れるべきです。教師になりたいと熱望する学生を教師の職に就かせるべきです。そうすれば、教師は本当の意味で崇高な職業となり、社会で最も尊敬される最高の職業になるでしょう。
(教師を尊敬し教育を重んじる)「尊師重教」という言葉は紙の上ではなく1人ひとりの心に刻まれるべきです。また、現状では幼児教育、小学校、中学校にも向けられるべき教育資源が大学に集中していますが、それでは遅すぎると私は感じます。
未来の大学は専門家、差別化を進めるべき
杭州師範大学は今、最良の機会を迎えています。本当の意味で世界一流の教育大学になる機会です。未来の大学は全分野を十分にカバーすることは不可能になります。専門化、そして差別化を進め、独自性を発揮していかなければなりません。
これからの世界には一流の教師が必要になり、一流の教育大学が現れるでしょう。それは現在の教育大学とは違うものでしょう。110年前、浙江省の2級教員養成機関としてこの大学はスタートしました。初心を忘れることなく、戦略目標をしっかり固めましょう。
私は先日、イスラエルとヨルダンに行きました。両国の人口は世界の1%にも満たないですが、ノーベル賞受賞者の20%を輩出しています。ヨルダンの人口は1000万人ほどですが、教育の理念はとても進んでおり、彼らは未来を見据え、未来の教育をつくりだそうとしています。
同国と比べ、中国の教員養成教育は大きく遅れています。教員養成教育は改革を進めなければなりません。杭州師範大学には巨大なポテンシャルがあります。
私たちは未来から振り落とされず、他の学校に追随するのでもなく、未来の問題を解決しなければなりません。今日の問題を解決するのではなく、過去において1番を目指すのではなく、未来の1番を勝ち取るのです。そうすれば、杭州師範大学は真の一流校になれるでしょう(拍手)。
みなさんありがとうございます。私の心にある杭州師範大学は世界で最も素晴らしい大学です。ただし私には夢があります。私はここで学ぶすべての学生に、この大学が一番いい大学と心から思ってほしいのです。杭州師範大学が世界一流の教育大学になる可能性は、ノーベル賞や院士を出す可能性より、大きく高いはずです。
初心を忘れず、ブレずにやり続ければ、我が母校は中国、ひいては世界で最も素晴らしい教育大学になれると信じています。杭州師範大学の卒業証書は世界の教育界のパスポートになるでしょう。そのために、先生、学生の皆さんと共に努力し、共に奮闘し、世界に通用する教育大学をつくっていきたいです。
最後に、改めて、母校、先生、学生の皆さん、すべての人にお誕生日おめでとうと言いましょう。私たちの杭州師範大学。ご静聴ありがとうございました。
(2018年5月13日、杭州師範大学設立110周年記念式典より)
(翻訳/構成・浦上早苗、ジャック・マー写真・VCG/VCG via Getty Images、連載バナー画像デザイン・星野美緒)