音楽を作るには、お金が必要だ。しかし、時代の流れとともに、お金を払わずとも楽しめる手段も増えてきた。
極端に言えば、ミュージシャンは今までと同じやり方では、「創作」に必要な「お金」を生み出せない。
一方で岡崎体育は2月、ライブへの参加や購入したグッズなどの金額に応じてファンクラブの会員をランク分けする制度を発表して批判を浴びた。なぜかお金を稼ぐことにはネガティブなイメージがついてまわる。
お金のリテラシーが求められているのはファンなのか、それともミュージシャンか。
BuzzFeedは、本件について異を唱えたラッパーのSKY-HI、そして、インターネットに詳しい20歳のアーティスト・ぼくのりりっくのぼうよみに、今、「創作とお金」の間に何が起きているのか聞いた。
お金を稼ごうとすると「金の亡者」と言われる風潮
ーーSKY-HIさんは岡崎体育さんの件について、「(拝金主義だと批判する人は)お金そのものに対する考え方がおかしい」と自身のブログで書かれていました。今日は、改めて何を訴えたかったのか? そして、ぼくりりさんの若い視点からはどう映っているのか、についてうかがいたいと思います。
SKY-HI:単純にあのブログでは、日本古来の「お金は無駄遣いしちゃダメ」という考え方が、今の時代と適してないということを伝えたかった。
「音楽を買ったから1000円を失ってしまった」じゃなくて、「1000円を音楽に変えた、やったー!」みたいな。
お金は使い方によって何にでもなれる、という考えのほうがお金との距離感として絶対に幸せだなぁと。
SKY-HI:アメリカだとフランク・ザッパ(70年代~90年代にかけて活躍したミュージシャン)が音楽を続けるための条件として、「音楽以外で仕事する」ことを挙げていたりする。
音楽が「お金を稼ぐ手段」にはならないという前提にあって、ドラッグディール(薬物の売人)で大金持ちになってから音楽家としてのキャリアをスタートする人がいるくらいです。
彼らはその体験を音楽にして世の中を楽しませてるんだけど、曲やインタビューで、お金や資本、ビジネスに関する考え方をしっかりと伝えてる。
ちゃんとリスナーの意識を育てているんだよね。
そういう時代である中で、日本では音楽家がお金に向き合って発言した瞬間に、「金の亡者」だとか言われる風潮がちょっとヤバいと思ったの。
つまり俺は岡崎体育の件をうけて、前から思っていた「若い子のお金リテラシーのズレ」を感じた。
若い子は普通に「違法アプリで聴いてます」と言ってくる
ーー若い子のお金リテラシーのズレというのは?
SKY-HI:俺は理想としてはユーザーがフリーで安心して音楽を楽しめることにかっこよさを感じるから、極力、無料で提供したいと思ってる。
でも、そこにかっこよさを感じるのって、そもそもの「お金に対する理解」がないと無理だろうと思う。
若い子が普通に「違法アプリで聴いてます」って言ってたりするから、それって結構怖いと思って。
ーーSKY-HIさんに言ってくるんですか?
SKY-HI:言ってくる。
これ、記事に書くべきかどうかはちゃんと考えてほしいんだけど、ぶっちゃけそういう子に「違法アプリで聴くな」とは言ってないんですよ。
ただ、それを平気で普通に面と向かって言えるのは理解しがたいところ。
「オタクのパン屋さんのパンが好きなんで、万引きさせてもらってます。とてもおいしいです!」って言ってるようなもん。
使ってる子たちに悪いことをしているという意識がないんですよ。
だから「お金の教育」が必要だとはすごく思ってる。
むずかしいんだけどね。書いてほしいような書いてほしくないような。どっちとも言えないから。
テクノロジーのアップデートに理解が追いつかない
ーー教育でいうと、今の発言は書いた方がいいと思いました。
SKY-HI:教育なら「違法アプリで聴いちゃいけない」と言った方がわかりやすいかもしれないし、ちょっとむずかしい。
ぼくりり:わかる。すごくむずかしい話で。
なんか、3つの段階があると思うんですよね。
今の中高生にお金を払う感覚がないというか、お金を払うことがよくないとされている状態が第1フェーズ。
第2フェーズは対価としてお金をちゃんと払おう、という感覚だと思います。
でも、今は圧倒的に第1フェーズの人が多い中で、2を飛ばして3のフェーズに切り替わっていってる。
SKY-HI:3は一体なんなんだい?
ぼくりり:サブスクリプションだと思います。
定額を払うことでそこにある音楽を好きなだけ聴けるというフェーズ。Apple musicやSpotifyですね。
フェーズ3には、個別に対価を払うのではなく一括で購読するという意識があります。
ただ、本来、そこには「芸術には対価が支払われるべき」というフェーズ2の意識も存在しているはずなんです。
でも若い人からすると、個別に対価を払って聴くというフェーズ2を飛ばして、一気にフェーズ3の聴き放題のサービスが出てきてしまった。
Music FM(主にYouTubeの音楽データを再生するアプリ)も、若い子からすると「聴き放題」という意味ではサブスクリプションに近い感覚で使われてると思うんですね。
それを「聴いちゃいけない」ってなったら、じゃあYouTubeの動画を見るのはどうなの? って話にもなる。まぁダウンロードしているのが違法だっていうのは、理解しているんですが……。
若い子たちの理解が進んでいないのに、テクノロジーのアップデートがめちゃめちゃ起きていて、常識が塗り替えられている。
ちゃんとお金を払ってきた人と、そこを飛ばして無料に近い感覚が当然の環境で育った人じゃ見えているものが全然ちがうというか。
「漫画村」は道義とテクノロジーの問題
ーー今のお話って、いわゆる「漫画村問題」にもつながりますよね。
ぼくりり:漫画村はそうですね、道義、そしてテクノロジーの進化によるビジネスモデルの変化という2つのレイヤーがごちゃごちゃにされているのがむずかしいですね。
「お金をちゃんと払う」というフェーズを経て、次の段階へ進もうとしている人からすると、漫画村のほうがいろんな出版社の漫画が揃っているし、しかもUIも見やすい。
これは、もしかしたら「従来の漫画のビジネスモデルを転換していくべきなんじゃないか? 」とか、それが正しいかどうかは置いておいて、議論はできるはずじゃないですか。
でも、たとえばSNSで「漫画村の方が正しい」と言うと、「そんなのありえねーだろ! 万引きしといてなに言ってんだ!」みたいなことを言われる。
それは正しい。正しいんですけど、レイヤーがちがう話であって。
SKY-HI:1個飛んでる気がする。飛んじゃってるから話が通じないの。
漫画村はすごくヘイトしてるよ。
でも、「漫画村を使わないでください」「私たちは食べていけません」って良心だけに訴えるのは、この時代における戦い方として美しいかと言われるとちがうような気もする。
道義としてよくないのは当然だけど、一方的に「ダメだ!」っつーのもなんかちがう。
そもそも良心が育っていないような気がするから。
だとしたら、その段階には今の俺でもできることがあると思った。
「お金をちゃんと払う」というフェーズがあって、「お金は使い方によって何にでもなれる」ということに気づいてもらう。
まずは間の1個を埋めないと、多分うまくいかない。
InstagramのストーリーやTik Tokで俺の曲を使ってて、「それ著作権どうすんの?」ってなる。
でも、もしかしたら俺の曲を使って注目を浴びるかもしれないし、曲や俺のことも知ってもらえるから、別にいいじゃんって思うわけ。単純に機会損失。
ただ、厳密には著作権違反であるということを知っておくのは知として大事。よく言うじゃん。
「知らないことは恥ではないが、知ろうとしないことは罪である」って。
SKY-HIが他人の楽曲に歌詞を乗せた「0570-064-556」。自殺対策強化月間へ向けて作られた。
ーーぼくりりさんはどう思いますか?
ぼくりり:そういう意味では、僕はむしろ1人になりたいなって思うことがあります。
事務所やレコード会社と契約していると、その人たちの生活を背負わなければならないという制約があって。
ぼくりり:その制約があるから、僕は自分の責任を果たさないといけないけど、自分自身のことだけを考えれば、自分の曲はたくさん聴いてもらうことに最大の価値があると思っています。
だから、自分の曲をどう使われようが、違法アプリがどうだとかあんまり興味がなくて。
作られた曲は聴いてもらうことで初めて存在意義を持つ。
そういう意味では制約がない方が多分幸せなんだろうと思います。
ファンに、より幸せになってほしい
ーーお二人は、ファンにどんなことを伝えていきたいですか?
ぼくりり:SKY-HI氏は、彼の辿ってきた道のりや彼自身、生き様がファンのリテラシーだったり、意識改革という育成につながってるんじゃないかと勝手に思っています。
僕はブログやTwitterではたまにそういうことを言うんですが、「俺の音楽で、生き様で変えてやるぜ!」とまではいかない。
SKY-HI:本当ね、俺が勝手にリスナーのリテラシーに妙な責任を感じてしまっているだけなんだよね。
本来、別に背負わなくていいことでもあるんだけど。
でもなんか、ファンに、より幸せになってほしいと思う。
お金って「使うことも本当は幸せなんだよ」って、俺ができる音楽や言葉で伝えていきたい。
アメリカはショービジネスで政治や経済を動かしたり、人の意識を向上させてきて、その中心には音楽があった。たとえば、ビヨンセが女性の社会進出を推進していたりするわけで。
そんなアメリカを見て育ってきた身としては、日本の学力や経済、意識、自殺率増加とかの社会問題に何もできていないことに、音楽家として勝手に責任を感じてる。
すごく気持ちよくない。
SKY-HI:「J-POPは愛とか夢を歌ってずっとやってきたんだから、今のままでいいじゃん!」っていうんだったら、俺はそこにはいられない。
そこには本当の意味での愛も夢も感じないから。
日本人の琴線に触れるようなメロディですごくいい曲だ。
なおかつ、なんか前向きになった、なんか元気になった。そういう抽象的な曲はもちろん大事。
大事なんだけど、その次に今回の焦点だった「お金への理解」も含めた「意識の向上」につながるような具体的な道筋を作るのも大事。
お金のことだけなんかじゃないよ。
生き方、考え方、いろいろなことを教育しないといけない。
具体的なことを言って、行動して、時にファンの希望を叶えて。
それが本当の意味での愛や夢だと思う。
大風呂敷広げることになっても、俺は音楽を通してそういうことをやりたいし、そういう人間でありたい。
SKY-HIとぼくのりりっくのぼうよみが共演した「何様」という楽曲がある。
群れから外れたものに対し、魔女狩りのように一斉に攻撃する風潮に疑問を呈する曲だ。
叩かれたくなきゃハナから目立つな喋るなと仕向けた
叩く側に回れば勝ちって正義のバッジを付けた(SKY-HI)
どんな宗教よりも恐ろしいのは、少数派を潰す同調圧力という呪い。
自分がしていること、自分の意見は本当に正しいのか?
そんな悩みを抱えている人がいれば、きっと、この曲がヒントをくれるだろう。