バラを背負った美男美女とばけねこポケモンが主人公たちの行く手を阻む。1997年に放送開始したアニメ『ポケットモンスター』に登場する悪役、ロケット団のムサシ、コジロウ、ニャースは不思議な存在だ。
「なんだかんだと聞かれたら」「答えてあげるが世の情け」と長い口上を語り、いつだって報われないまま、最終的に「ヤな感じー!」とふっ飛ばされる。
声の主、林原めぐみ、三木眞一郎、犬山イヌコの3名は、役柄のまま、ロケット団のようだ。女、男、ポケモン。彼らを目の前に「男女の友情は成立するのか?」なんて質問は野暮だ。各々異なる属性を持つ彼らは、何度痛い目を見ても立ち上がる。
悪役なのにどこか憎めない人間味溢れる彼らを、演じる3人はどう見ているのだろうか。
ロケット団のほんとうの立ち位置
ムサシ、コジロウ、ニャースの3人組はアニメオリジナルのキャラクターだ。ゲームに登場するロケット団とは違い、バラを背負っても引けをとらない華やかさがあり、個性が立っている。
「ロケット団って不思議な存在で、敵役なのに1クールに1回ぐらい各々の過去を深掘りする回があるんですよ。ムサシの過去なんて、当時のシリーズ構成の首藤さんが、私自身が看護学校に行ってた事とだぶらせて看護婦エピソード入れ込んだそうですよ」(林原)
ムサシは極貧の幼少期を過ごした後、アイドルを目指したり看護学校に通ったりした過去を持つ。コジロウは大富豪の御曹司だったものの、友達がおらず、ポケモンのガーディだけを心の拠り所とする孤独な少年だった。
中でも人気なのはニャースの回だ。一目惚れしたメスのニャース・マドンニャに認められるため、2本足で歩く訓練をし、言葉を話せるようになる。満を持してマドンニャに披露すると、「人間の言葉を話すニャースなんて気持ち悪い」と一蹴される。
苦労の多い背景を知ると、ますますロケット団の謎が深まる。悪の組織に所属し、ボスに忠誠を誓う悪役なはずなのに。
「ポケットモンスター」シリーズ構成の脚本家・首藤剛志は、ロケット団の3人を「ちょっとだけ何の因果か、どこかの線が外れていて正当な生き方からずれてしまった」存在としている。
番組の役柄上、悪役だから、手持ちのポケモンもろくなのが回ってこない。かわいいのや、かっこいいポケモンは、みんな主役たちが持っている。「ろくなポケモン」がいないから、「ろくなポケモン」の悲しさも分かる。自意識は強いが、本来は気のいい奴らなのである
彼らはいつも失敗するが、それは単に運が悪いだけ。いつも自分の立場に誇りを持ち、決して同情される存在に成り下がらない。「ヤな感じ〜!」と言い放つが、決して「負けた」とは言わない。
この退場文句は林原の提案を三木と犬山が賛成して生まれたアドリブだった。
「悲鳴とともに飛ばされるだけだと痛々しい。そういう提案があってもいいんじゃない?と」(三木)
こんな逸話がある。首藤のコラムによると、放送開始直後の打ち上げで、林原、三木、犬山3人が揃って「なんだかんだと聞かれたら〜」から始まる前口上を「この台詞、長いけど、絶対、はやらせてみせます」と宣言したそうだ。
単なる脇役にとどまらない。強い愛が声優側にもあった。
なぜ、ロケット団の3人は白いコスチュームを着ているのか?
「ニャーたちは正義の悪であって、悪の悪ではないのニャ」
ニャースはいう。ロケット団には、別れの描写も多い。
長年パートナーとして連れ添った、アーボックとマタドガスは密猟者に捉えられた仲間を助けさせるために手放した。ムサシは大事に育てたドクケイルの恋を成就させるために「あたしの分まで思いっきり恋して、幸せになんのよっ!!」と送り、コジロウはサボネアに自分よりも優れたトレーナーの元で強くなって欲しいと望み、身を引いた。
ポケモンのことを思って選んだ、別れだった。
悪の組織にいながら、「ロケット団は中身は優しさ、思いやりでつながっている」と三木は言う。
林原が印象に残っているのは、2005年に公開された『劇場版ポケットモンスター アドバンスジェネレーション ミュウと波導の勇者 ルカリオ』でのコジロウだと語る。
コジロウが襲われた際に「チリーン! お前だけでも!」と持っているポケモンをかばう。
「普通、ポケモンは戦わせる存在なのに、身を挺して守るなんてね」と林原が笑う。三木は「コジロウは、ポケモンへの愛情が深い」と返す。
「ニャーたちは正義の悪であって、悪の悪ではないのニャ」
この台詞がすべてだと3人は口を揃えて言う。
「言ってることとやってることは矛盾しているようですけど、ロケット団の中では一貫しているんです」(犬山)
正義の悪。身に纏うコスチュームの白さは、それを体現する。他の団員のような黒い衣装は着ない。
「黒いロケット団にならない理由が、きっとどこかにあるんです。朱に交わっても赤くならない。黒い方に行けば、野宿をしなくて済むし楽でしょう。でも、それを望んでいない。このどうしようもない現状でボスに貢献したいという共通認識が3人をつないでいるのかと」(林原)
「彼らはロケット団本部がポケモンを傷つけると、ひどいことしやがって!と怒る。ポケモンをモノではなく、ちゃんと生き物として認識していて愛しているんですよね。なまじ一緒にいるしね」(三木)
ここで光るのはニャースだ。ポケモンと人間の通訳を担当したり、ロボットを作ったり、ドーナツ屋を切り盛りしている。
犬山は「“ニャーもポケモンだったのニャ”って思い出す程度には、自分がポケモンであることを忘れてるんですよ。2人に対等な人間として扱ってもらってるから」と話す。
ニャースは他のポケモンとは違い、モンスターボールに入らない。2人の“ポケモン”ではなく、“仲間”なのだ。
「仲のいい人がたまたま女と男だったってすれば、友情は成立する。ロケット団なんて、男・女・ポケモンだからね。仲よくなった相手が、どれも違った生き物だった」(三木)
実は、アニメポケットモンスターの長い歴史の中で、一時期ロケット団がシリアス化したときがある。ドジでお人好しな彼らが「悪役」に徹したのだ。
林原、三木、犬山の3人は「修行のような時期だった」と振り返る。「最初から、冷たい役だったら別ですが、心の交流を描くのが難しくて……」と言う。心あってのロケット団なのだ。修行を経た今は、かつてより深い絆で結ばれている。
TVアニメ「ポケットモンスター サン&ムーン」で7月21日に放映される「ムサシVSコジロウ!愛と真実のバトルフィールド!!」では、放送開始22年目にしてはじめてムサシとコジロウがバトルすることになった。
林原は「なんでコジロウと戦うの?」と台本を読んだ時に思ったそうだ。勝気なムサシと安寧を願うコジロウ。共に戦ってきた彼らの関係性が、またひとつ変わりそうだ。
ロケット団が示す「共存」の意味
ロケット団なのに黒い服を着ない2人。ポケモンなのにモンスターボールに入らないニャース。3人とも朱に交わっても赤くならない。各々が強い自意識を持っている。
アニメシリーズには「自己を見失うな」というメッセージも込められている。
「自己存在」と「共存」。一見すると、水と油のように見える。共存には「自己犠牲」が含まれているように感じられるからだ。しかし、ロケット団の体現する「共存」は違う。
彼らの生みの親、首藤はこのような願いも込めている。
自分と違うものがあるから、自分が他の存在と違う事が分かると思うのである。自分だけしかいない世界だと、自己存在はなく、そこにあるのは、何でも自分の思いどおりになるという全能感か、逆に自分しかいない荒野にたたずんでいるような、自分が無に等しい虚無感に陥ってしまう気がする。
つまり、自己存在を感じるためには、自分とは違う存在が必要なのである。
自己存在を意識するためには、違う存在も認めなければならない。
それを、僕は「共存」と呼びたかったのである。
ロケット団の3人には使命がある。
悪の組織にいながら、時にはサトシたちと休戦協定を結んだり、助けもする。一般的な常識とはズレているかもしれないが、自分たちなりのポリシーを全うする。
彼らは単なる脇役ではない。愛と真実の悪を貫くラブリーチャーミーな敵役として今日もサトシの行く手を阻む。