Appleは狂っている――こんな話を聞いた。
新しいiPhone? それともiMac? いや、狂っていると語られたのは「建築」だ。iOSや新型iPhoneで盛り上がっているが、実は先日の発表会で一番最初に紹介されたのが、ガラスの建物「スティーブ・ジョブズ・シアター」だった。
一歩足を踏み入れたときに思った。「ここは異常だ」と。
スティーブ・ジョブズの狂気が宿る「異常な空間」
先日、Appleの発表会が開かれたのが、スティーブ・ジョブズ・シアターだ。ここは、同社の新社屋Apple Parkにある劇場のような建物で、小高い丘の上にある。
入り口から草木が植えられた道を5分ほど歩く。ようやく姿をあらわすガラス張りの建造物は、郊外に降り立ったUFOのようだ。
高さ6m、直径50mほどのガラスの円柱は、自然光が映え、夕方になると珊瑚色に染まる。一方で美しい円を描くためには、1枚1枚のガラスの曲率を統一させなくてはならない。受注したガラス業者があまりの難題に頭を抱え、スケジュールに大幅な遅れが出たという噂もある。
この構造は、太陽の光を効率よく取り入れ、消費電力を抑える効果もあるそうだ。機能性は美しさを強くする。
「狂っている」と言わしめたのは、このガラスの空間に「柱」がない点にある。
設計事務所のフォスター・アンド・パートナーズによると、この円盤は「世界最大のメタリックカーボンナノファイバー製屋根で、自立するガラス建築としても世界最大級」だそうだ。
44枚のガラスだけが白く輝く円盤を支えているわけだが、どうすればそんな魔法は可能になるのか。
建築家に話を聞くと、「設計図を見ると、レンズ型の屋根を採用しているように見えます。これによって、大スパンを実現すること、ガラス面に水平反力を作用させないことが可能になるのでは」と答えた。
もっとも、レンズ型の円盤の重さは81t。大きさの割に軽量であることも忘れてはならない。
柱もなければ、配線もスプリンクラー管も「見えない」。ではどこに?
この異常な建物に入ると、美しい音楽が迎えてくれた。アンビエントからクラシックまでさまざまな作品が流れたが、不思議な感覚に陥った。
配線はどこにあるのだろう? 全く見えない。
どうやら答えは、「ガラスの中」にある。フォスター・アンド・パートナーズは、こう種明かしをしている。
「配管や配線は、44枚のガラスパネル間にあるシリコーンジョイント内にすべて組み込まれています」
写真に写る黒い縦線の中に、電力や音響が流れる管が「見えない形」で格納されている、ということになる。
ガラスの間に配線類を封じ込めてしまう力技は、狂信的な美しさへの渇望からだろう。Apple製品と同じ美学が建築にも宿る。
なおこの空間は、室内の空気を自然に入れ替えさせて適温を保つ自然換気システムを採用しているという。「新しい社屋は、完全に再生可能エネルギーだけで運営されます」とAppleは言う。
世界で初めてのエレベーター
設計事務所が自信を見せるのが、ガラス製のエレベーターだ。3つのヘリカルガイドレールに添いながら昇降し、目的地につくまでに171度回転する。これは世界初の技術だそうだ。
ガラスのエレベーターにも、燦々と日光が注ぐ。まるで水の中にいるようだった。
1000人収容の講堂と「隠された部屋」
今まで書いてきたガラスの部分は、スティーブ・ジョブズ・シアターのエントランスにすぎない。
この建物の中心部、発表会が開かれた劇場は地下にある。
階段(もしくはエレベーター)で地下に降りると、大きく口を開けた劇場が眼前に姿を現す。自然光が注ぐエントランスとは逆に、冷ややかな石壁は厳かな雰囲気を出す。
多くの記者たちが、ひとつの入り口に吸い込まれていく様は、その先に宝物でもあるかのように見えた。
中に入ると、大教室のような空間が広がった。ジョブズはこの新社屋をスタンフォード大学に見立てて作ったそうで、その名残を少なからず感じた。
キャメルのレザーで覆われたイスの下には、それぞれコンセントが付いており、聴衆への配慮もにじませる。実際Appleはこの劇場で、定期的に製品の発表会を開くことになるだろう。
さて、iPhoneの発表会が終わると、異変が起きていた。隠し部屋が目の前に出現していたのだ。
階段を降りる際に横手に見えていたシルバーの壁は、開閉するものだったのだ。その壁が開くと、実機を触るハンズオンルームが姿をあらわす、という仕組みのようだ。
このような「隠された」建築を採用した理由を、フォスター・アンド・パートナーズの会長、ノーマン・フォスター氏は茶目っ気たっぷりに述べる。
「スティーブが『この広いAppleの本社の中で"宝物"を探すような体験をしてほしい』と望んだのです」。
異常な建築は「技術自体は目新しさはない」。しかし、狂気の沙汰」
スティーブ・ジョブズ・シアターに似た構造の建築はすでに存在している。上の画像は、建築家・石上純也らが手掛けたものだ。Appleの建築と同様、大きなガラスが美しい弧を描く。
また、レンズ型の屋根形状も目新しくはない。
例えば、表参道にある岡本太郎記念館などは構造的には似ているそうだ。レンズ型の屋根だからこそ、上下面の反力がつり合い、柱スパンを大きく取りつつ、細い柱での自立が可能になる。
スティーブ・ジョブズ・シアターの建築自体の構造は、「飛び技をやっているわけではない」ということになる。
アイディア、素材、技術。すでにあるものを使って最高のものを作り出す。それがこの異常な空間だった。
技術も、アイディアも想像を超えるものでもない。それでもこの空間が「異質」なのは、すべてが力技だからだろう。
「目指すべきデザインのポリシーに到達するためのリスクやコストをすべて引き受けるために、狂ったほど丁寧な設計をしている」と建築家は解説する。
また一方で「このコストを考えると途方に暮れる」と漏らす建築関係者もいた。これを成せるのは、美しさへの狂信的な渇望からなのか。
この話は、きっとあなたも一度は聞いたことがあるし、知っているだろう。アイディアも技術も、たとえ既存ものであっても、高度に融合させることで、革新は起こせると。
ちょうど10周年を迎えたiPhoneがまさにそうなのだから。
CORRECTION
「レンズ型屋根」の作用に関して表現を加筆修正しました。