「無知な受験生を囲い込む、悪魔のような制度」自治医大の修学金貸与制度巡り卒業生の医師が提訴
自治医科大学(以下、自治医大/栃木県下野市)の元学生で医師が、同大学の「修学金制度」が違憲・違法であるとして、5日同大学と愛知県に対し、債務の不存在確認と国家賠償請求の訴えを提起した。
同大学の修学金制度とは、入学に必要な資金や授業料などの資金を学生へ提供し、卒業後に一定期間、へき地等での勤務を求める制度。
A氏は大学から2660万円を貸与されたが、指定勤務先を退職したことで、一括返済を求められていた。これに対しA氏は、そのような請求の法的根拠となる契約の条項が憲法や法令に違反すると主張している。
同日、原告のA氏とその代理人らが都内で会見。代理人の伊藤建弁護士は「医師不足を解消するための制度そのものに反対するわけではないが、手段は適法でなければならない」と述べた。
学生に修学金貸与、1.5倍の期間勤務で返還免除
自治医大は旧自治省(現総務省)が主導し、全国の都道府県によって設立されたという経緯を持つ。
大学の運営費用は都道府県からの負担金が中心となっており、学生には修学金が貸与される。
修学金は、同大学を卒業後、直ちに、大学側が指定する公立病院等に医師として勤務し、その勤務期間が貸与を受けた期間の1.5倍に相当する期間に達した場合、返還が免除される仕組みだ。
大学側が勤務先を指定する際は、学生が入学試験を受けた都道府県の知事から意見を聞くこととなっており、卒業後の勤務先は大学、あるいは都道府県によって毎年変更される可能性があるという。
また、先述した期間内に、指定された病院での勤務を辞めた場合、修学金貸与契約上、その金額と損害金を一括で返済することが義務付けられている。
弟や母、妻子を扶養も…数百万円単位の年収差
訴状などによると、A氏は2015年4月、同大学に入学し2022年3月に卒業。卒業後は愛知県の職員兼知多厚生病院の研修医として勤務していた。
ところが、2022年12月にA氏の父が失職。A氏は零細の学習塾を経営する母や、就労困難な自閉症の弟、さらに妻子を養わなければならなくなった。
また、原告側の説明によると、一般的な医師の場合、研修を終えた後に年360万円程度のアルバイトをする場合がほとんどだという。
一方、A氏は地方公務員の地位を有していたことから、アルバイトが不可能であり、一般的な医師とくらべ相対的に収入が数百万円単位で少ない状態であった。
こうした事情から、A氏は毎年勤務先が変更される可能性のある指定公立病院等での勤務を継続することは収入面を踏まえても厳しいと考え、2023年5月23日、愛知県に対して2024年3月31日で退職する旨の退職届を提出した。
ところが愛知県側は同日、A氏に対し、退職届を提出するのであれば、臨床研修修了医師となるために不可欠な知多厚生病院での臨床研修は継続できなくなると説明。退職届の受理を拒否していた。
その後、2023年5月31日に、A氏は自治医大から、退職届を提出すれば、直ちに修学金の全額を返済する必要がある旨を伝えられ、自ら退職の意思表示を撤回した。
それにもかかわらず、愛知県は同年7月、A氏に対し、「A氏を同年8月31日で免職すること」「県から給与を支払うことはできないが、知多厚生病院での勤務は、臨床研修を修了するまで継続できること」を伝え、2023年8月31日で退職するよう迫ったという。
この退職について、原告側は「形式的には依願退職の形をとっているものの、実質的にはA氏を解雇したもの」と主張している。
「実は非常に大きな法的問題がある」
A氏が大学に在籍した期間は7年で、退職から1か月後、修学金2660万円と損害金1106万円の計3766万円を一括で返済するよう、大学側から請求されている。
代理人の伊藤弁護士は「一見すると、返すのは当然だと思われるかもしれないが、実は非常に大きな法的問題がある」と指摘。
指定された病院での勤務をやめた場合、修学金を直ちに一括返還しなければならないとする契約の定め自体について、次の理由から無効であると主張する。
「この問題の論点は3つあります。
まず1つ目は、病院を一方的に指定し、そこでの勤務を強制することは、居住・移転の自由(憲法22条1項)に違反するのではないかということです。
次に、労働基準法14条1項では、医師の場合、正社員以外は原則として、5年を超える期間拘束してはならないと定められています。ところが、A氏の場合は10年以上拘束されることが要求されました。
そして、最も重要なのは3つ目の論点です。
労働基準法16条では『使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない』と定められています。
つまり『退職する場合にはお金を払え』といった規定は禁じられており、今回のケースも同様ではないかと考えています」(伊藤弁護士)
「損害が生じることはないのに、お金を請求している」
また、損害金の問題についても以下のように違法であるとした。
「本件の制度では、損害金として年10%もの利息を支払わなければならないと定めており、われわれは消費者契約法に違反すると訴えています。
消費者契約法には、損害賠償の予定あるいは違約金について2つ定めがあります。9条1号では、平均的な損害を超える部分については無効と定めています。
自治医大の運営は都道府県の交付金により成り立っていますが、A氏が指定された病院での勤務をやめたところで、交付金がなくなることはありません。
つまり、損害が生じることはないのにお金を請求しているという点で、同法に違反するのではないでしょうか。
また、同法10条では『消費者の利益を一方的に害する条項は無効である』としています。
この点でも、民法では遅延損害金の法定利率を年3%と定めているのに対し(民法404条2項)、それを超える年10%の利息は、一方的に消費者の利益を害しているといえます」(伊藤弁護士)
「無知な受験生を囲い込む、悪魔のような制度」
また、この日会見に出席したA氏は、裁判の意義について次のように述べた。
「現在、自治医大と同様の制度は“地域枠”などの名称で、他大学の医学部にも転用されています。
これらの制度は、医師不足を解消するために導入されました。しかし、受験や入学の時に説明のなかったキャリア選択の制限などによって、私以外にも、多くの未来ある医師や医学生が人権侵害を受けています。
医師としてのキャリア選択は、決して高校生や受験生に想定できるようなものではありません。医学部受験という最大のプレッシャーの中にいる彼らにとっては、なおさらではないでしょうか。
一見もっともらしい制度ではありますが、無知な受験生を囲い込んで、卒業後、退職の自由を奪った上、不当な労働条件で使いたおす、まさに悪魔のような制度だと思っています。
裁判を通じて、この問題が広く社会に認知され、制度の改善が進むことを望みます」
なお、自治医大は本件について「訴状が届いておらず、原告の主張の詳細は把握できていない」としたうえで、弁護士JPニュース編集部の取材に対し以下のようにコメントしている。
「本事案については、これまで先方に対して再三にわたり、大学の姿勢と考え方を伝えて、修学資金の返還を求めてまいりました。そうした取組にもかかわらず、訴訟が提起されるに至ったことは、誠に遺憾であります。
本学における在学生に対する修学資金貸与に関して、卒業生である医師が一定の年限を出身都道府県における地域医療に従事することで返還を免除する仕組みは、地域医療を確保するために合理的かつ重要であり、関係法令に適合したものであると考えております。
本学としては、応訴の上、この制度の正当性について、必要な主張を尽くしてまいりたいです」
- この記事は、公開日時点の情報や法律に基づいて執筆しております。
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