[go: up one dir, main page]
More Web Proxy on the site http://driver.im/

生活保護受けられず54歳息子が86歳母を「介護殺人」…貧困で追い詰められた親子はどうすれば“救われた”のか【行政書士解説】

三木 ひとみ

三木 ひとみ

生活保護受けられず54歳息子が86歳母を「介護殺人」…貧困で追い詰められた親子はどうすれば“救われた”のか【行政書士解説】
母子が救われる手段はあったのか?(Luce/PIXTA)※写真はイメージ

「京都伏見介護殺人事件」をご存知でしょうか。2006(平成18)年2月1日、京都市伏見区の桂川河川敷で、54歳の男性・サダオさん(仮名)が認知症を患う母・サワエさん(仮名・86歳)の介護の負担と生活苦から心中を図り、サワエさんを殺害するという事件が起こりました。

事件の背景として、サダオさんが生活保護を受けようと福祉事務所へ3回相談に訪れたものの申請が認められず、精神的、経済的に追い詰められていったということが報じられました。

介護保険制度の限界・生活保護行政の硬直性・介護者の孤立といった社会問題を浮き彫りにしたこの事件は、以後も介護問題を考える上での重要な事例として扱われています。

今回は行政書士として、生活保護業務を取り扱う観点から、どうすればサダオさんとサワエさんを救うことができたのか、考えてみたいと思います。(行政書士・三木ひとみ)

裁判長が「生活保護行政のあり方」を批判

サダオさんは、認知症を患ったサワエさんを介護しながら工場で働いていましたが、サワエさんの症状が悪化し夜間に徘徊するなどしたため、介護と仕事の両立が困難になり、勤務先を退職。その後、介護との両立可能な仕事を探すも見つかりませんでした。

2005(平成17)年12月、失業給付が打ち切られ、いよいよ翌月分の家賃が払えなくなった2006(平成18)年1月31日、サダオさんはアパートを引き払い、サワエさんと心中することを決意します。翌朝2月1日、サダオさんは桂川の河川敷にてサワエさんを殺害し、自身も包丁で首を切って自殺を図ったものの一命を取り留めました。

翌2月2日にサダオさんは殺人の容疑で逮捕され、裁判では検察が懲役3年を求刑しました。

この事件は「地裁が泣いた介護殺人」として大きくメディアに取り上げられました。殺人事件ではあるものの、サダオさんへの同情的な論調が目立ちました。

京都地裁には刑の減軽を求める126人分の嘆願書が提出され、裁判所は「母親は、恨みなどを抱かず、厳罰も望んでいないと推察される。自力で更生し、母親の冥福を祈らせることが相当」と述べてサダオさんに懲役2年6か月・執行猶予3年という比較的寛容な判決を下しました。また、裁判長は下記のような「付言」を行っています。

京都地方裁判所(gamoth/PIXTA)

「本件で裁かれているのは被告人だけではなく、介護保険や生活保護行政のあり方も問われている。こうして事件に発展した以上は、どう対応すべきだったかを、行政の関係者は考えなおす余地がある」

三権分立原則の下で、裁判長が直接的な言い回しで行政を批判するのは異例のことでした。

行政窓口の対応ばかりを責めるのは酷?

本件については、よく「生活保護行政の硬直性」が指摘されます。たしかに、住居を失い所持金も底をついたサダオさんとサワエさんが生活保護を受給できなかったこと、行政が救うことができなかったことは、生活保護法の趣旨にてらし、明らかに誤った事態といわざるを得ません。

ただし、私は、実務を知る立場から、窓口の担当者の対応ばかりを責めるのは酷かもしれないと感じています。というのも、担当者の対応が必ずしも不適切だったとは断言できない可能性が考えられるからです。

2016年11月16日の「デイリー新潮」の記事によれば、サダオさんは①当初は退職前の休職期間中に生活保護の申請をしたが「休職」を理由に認められず、②退職後に生活保護の相談に行ったものの失業保険を理由に受け入れられなかった、とされています。

まず、①の点については「休職中」であることだけを理由に却下されたというのは考えにくいと思われます。

なぜなら、生活保護は、資産・収入(親族等からの支援も含む)がなければ基本的に受給できるものだからです。休職中の時点ではサダオさんにはまだ生活の糧となるお金が少しばかり残っていた可能性があります。

次に、②失業給付(失業保険)を理由に申請できなかった点も、決して不合理とまでは言い切れません。

生活保護の申請が通る条件として、資産・収入が一定以下であることというものがあります。わずかな期間といえども失業給付という定期的に入ってくる収入があり、それで最低限の生活が送れるならば、この時点で生活保護を受けることは困難です。

無理やり申請したとしても、審査の結果、却下される可能性も考えられる状況だったといえます。

したがって、福祉事務所がこの時点で申請を受け付けなかったこと自体は、適切だった可能性が考えられるのです。

生活保護申請をすべき「タイミング」とは

実は、客観的にみれば、サダオさん母子は生活保護を受けることができた可能性があります。

たとえば、預貯金や現金預金があることを理由に生活保護申請を却下された場合は、それらの資産がなくなったタイミングで、改めて申請する手段が考えられます。

失業給付を受給していることが原因で申請が通らないのであれば、失業給付の受給期間が終わってお金が尽きた時点で申請を行えば、審査に通る可能性があるのです(窓口の担当者がその点についてアドバイスをしていた可能性については、改めて後述します)。

サダオさんがサワエさんとの心中を覚悟したと考えられる時点は、資産が尽き、失業給付が切れ、いよいよ来月の家賃を支払えなくなったときでした。まさにそのタイミングこそが、生活保護受給の要件を満たした瞬間だったということです。

母親が施設に入所し、生活保護を受けてもらう選択肢も

実は、サダオさんと似たような状況にある人からの相談・手続の依頼はこれまでも多数ありました。

サダオさんのように、同居の家族に24時間付きっきりでの介護・看護が必要であるために働けないというケースはよくあります。

突然の交通事故で看護が必要になった息子の面倒を見ている母、障害を抱えた兄に付き添っている妹など。私は同じようなケースを相当数見てきました。決して特異な例ではありません。

このような場合の対処法としては、大きく分けて二つの方法が考えられます。

一つ目は、母子そろって同一世帯として生活保護を受給する方法です。

二つ目は、介護する側が肉体的・精神的に疲弊し、経済的にも苦しくなっている状態であれば、介護状態の母親に施設に入ってもらい、そこを居所として生活保護を申請、受給してもらうという選択肢を示します。

認知症に限らず、介護施設に入居した親のみが生活保護を受給するというケースはよくあります。介護施設に入所するその日に申請できますし、入所費用を支払えなければ入居日(申請日)からの日割の施設代を住宅扶助費等として支給してもらえます。

サダオさんも、失業保険が切れている状況であれば、この方法を選択し、仕事が見つかって最初の給料を受け取れるようになるまで、単身で生活保護を受給できた可能性があります。

保護が開始になれば、基本的に申請日に遡って医療費が無料になり、滞納していた税金や保険料の支払も基本的には免除されるので、日常生活にかかる費用以外にもかなり負担が軽くなります。

本人の努力にも、行政の窓口の対応にも「限界」がある

問題は、サダオさんがこれらの方法があることに気付いていなかったことです。

認知症で徘徊を続けるサワエさんの介護に追われ、減り続けるしかない預貯金の残高に絶望し、そしてその状況をどうにも改善できない焦燥感、一人でその現実を背負い続けるしかない状況の中で正常な判断をするのが困難だったことは想像に難くありません。

生活保護行政を担う側からすれば「今は失業給付があるので生活保護の申請をしても通りません、しかしそれがなくなったタイミングですぐさま、申請すれば大丈夫ですよ」などと案内することが難しいというのも仕方のない面があるのです。

なぜなら、ある条件をクリアしても、審査の過程の中で別の要因が発生し、そちらを理由として生活保護の申請が却下となることもあり得るからです。申請前の時点で「こうすれば申請は通りますよ」と説明しても仇になるケースもあるため、慎重にならざるを得ません。

あるいは、もしかしたら社会福祉事務所の担当者は、サダオさんが相談に来た際に一定の説明はしていたのかもしれません。しかし、追い詰められたサダオさんには、それを飲み込んで理解する余裕さえなかった可能性があります。

サダオさんは最後まで生活保護に頼らず…

その後のサダオさんのことについても記しておきます。裁判を終え執行猶予となったサダオさんは、滋賀県へと移り住みそこで一人で生活を始めます。しかし、60歳を超えてから仕事を失いました。

それでも、一度は金属加工の仕事を得ますが、加齢により視力が弱まっていたため手元作業が思うようにできず、その仕事も長続きしませんでした。

そして、サダオさんは2014(平成26)年8月1日に遺体で発見されます。遺留品のカバンには数百円の小銭、へその緒と「一緒に焼いてください」というメモ書きが入っていました。

収入が途絶えた状態で現金・預貯金がなくなれば生活保護の受給は可能でした。しかし、この頃にサダオさんが福祉を頼ろうとしたという情報は残されていません。かつて行政を頼ろうとしてどうにもならなかったことがトラウマになっていた可能性があります。

特筆すべきは、サダオさんが困窮状態での介護中も、そして最後に自死を遂げる直前も、家賃を滞納することなく支払っていたことです。

もし、収入が尽きた時点で生活保護を受けることができていれば、収入が継続し家賃も役所から支給(住宅扶助)され、おそらく、サダオさんは異なる選択肢をとることができていたことでしょう。

善意からの「励ましの言葉」が人をさらに追い詰めることも

行政書士である私からしてみれば「この場合だったらこうすればいい」「この状況であればここが問題です」といった分析、指摘が可能ですが、困窮状態にある当事者からすればそこまで情報を集めて冷静に行動することは難しいはずです。

滋賀県で職を失った頃、サダオさんに近しい人はとにかく「頑張れ、頑張れ」「老後のこと考えて出来るだけ働け、ちょっとでも貯めていかなあかんよ」などと声をかけて励ましていたと聞きます。

しかし、精神的にも限界を迎え、頼れるものもなくなった状況で投げかけられた「頑張れ」という言葉は、たとえそれが励ましや応援の気持ちからのものであっても、ただ追い詰めるだけの言葉となってしまうことがあります。

苦しんでいる人を助けたいと思った時、具体的な方法や改善策を示せない精神論、根性論は意味がありません。

サダオさんとサワエさんに真に必要だったのは、生活保護の制度の内容や具体的な受給要件に関する知識と理解でした。周囲の人々のうちたった一人でもいいから、生活保護に関する正確な知識・理解をもって具体的なアドバイスをしていれば、サダオさん母子は救われた可能性があります。もちろん、その意味では、行政の窓口の担当者の対応が十分でなかった可能性も否定できません。

だからこそ、私は、国民の命綱である生活保護に関して、正しい情報が必要な人に届くように、また、少しでも多くの人に知ってもらえるように、日々、情報発信を続けていきたいと考えています。

そして今、時折湧き起こる「生活保護バッシング」に代表されるように、人それぞれに事情があることをわきまえない粗暴な「自己責任論」「根性論」の蔓延に危惧を感じています。そのような風潮が排され、困った時は一人で悩まず当たり前に助けを求めていいのだということが、社会の共通認識として広まってほしいと、切に思います。

----------------------------

三木ひとみ

(行政書士法人ひとみ綜合法務事務所)

官公庁に提出した書類に係る許認可等に関する不服申立ての手続について代理権を持つ「特定行政書士」として、これまでに全国で1万件を超える生活保護申請サポートを行う。著書に「わたし生活保護を受けられますか(2024年改訂版)」(ペンコム)がある。

  • この記事は、公開日時点の情報や法律に基づいて執筆しております。

編集部からのお願い

情報提供をお待ちしております

この記事をシェア