中村哲医師、アフガニスタンで銃撃され死亡 現地で井戸を建設
アフガニスタンで長年、現地住民の生活環境の改善に尽くした日本人医師の中村哲さん(73)が4日、現地で銃撃され死亡した。
当局者らによると、中村さんはこの日朝、アフガニスタン東部ジャララバードを車で移動していたところ銃撃を受けたという。灌漑(かんがい)用水事業の進行を確認していたとされる。
AFP通信が当局者の話として伝えたところでは、中村さんは右胸付近を撃たれた。ジャララバード空港から首都カブール近郊の病院に運ばれる途中、死亡が確認された。
中村さんのほか、5人のアフガニスタン人も死亡した。ナンガルハル州知事の報道官によると、うち3人は警備員で、1人は運転手、もう1人は同僚だという。
犯行声明は出ていない。襲撃の狙いも不明。
ロイター通信は、地元議員の話として、犯人たちは逃げたと伝えた。
現場写真では、白色のピックアップトラックのフロントガラスに、少なくとも3発の銃弾の痕が残っているのが確認できる。
10月には名誉市民の称号
中村さんは、アフガニスタンで井戸の建設などに取り組む非政府組織(NGO)「ペシャワール会」を率いていた。
長年の人道支援が評価され、10月にはアフガニスタン政府から、名誉市民の称号が贈られていた。
安倍晋三首相は4日、記者団に「本当にショックだ。ご冥福をお祈りしたい」と語った。
一方、カブールの米国大使館は、「支援者は標的ではない」として、今回の襲撃を非難した。
ただ、今回のような襲撃はアフガニスタンではよく起きている。
先週も、同国の国連機関で働いていた米国人が、国連の車両を狙った爆破に巻き込まれて死亡した。
BBCのまとめでは、アフガニスタンでは今年8月、毎日平均74人が殺害されていた。男性、女性、それに子どもも含まれていた。
ペシャワール会では2008年、農業支援スタッフの伊藤和也さん(31)が武装集団に拉致され、現地運転手と共に遺体で見つかった。
アジアのノーベル賞に輝く
中村さんは1946年、福岡市生まれ。日本で医師となった。1984年にパキスタンへ移り、ハンセン病患者の治療に当たった。
2年後にはアフガニスタンへ渡り、ナンガルハル州に最初の診療所を開設。また、非政府組織(NGO)「ピース・ジャパン・メディカルサービス」(PMS)を設立した。
PMSは一時、アフガニスタン国内10カ所に診療所を開設し、ハンセン病患者や難民を救援していた。
中村さんはまた、清潔な水がなくコレラなどの感染症に苦しむ人々のため、井戸や灌漑(かんがい)設備の設置にも力を入れた。
2003年には、アジアのノーベル賞とも呼ばれるマグサイサイ賞を受賞した。
2014年に日系英字メディア「ジャパン・タイムズ」の取材に応じた中村さんは、安全を確保するために毎日、異なるルートで仕事に出かけていると話していた。
一方で、安全対策として最善なのは「誰とでも友人になること」だと語った。
「敵を作らないようにしています。(中略)たとえ信念がないと思われようと、最も良いのは誰とでも友人になることです。私がここで頼りにできるのは人間だけですから」
「そしてこれが、銃を持ち歩くよりも効果的なんです」
続々と哀悼の声
アフガニスタンでは、多くの人が中村さんの死を悼んでいる。
駐アフガニスタン・オランダ大使のエルンスト・ヌーマン氏は、中村さん殺害は「無分別な行為」だと述べると共に、中村さんは「アフガニスタンの平和と発展」に命を捧げていたと話した。
また、アフガニスタンのセディク・セディッキ大統領報道官もツイッターで、「(中村さんは)アフガニスタン国民の生活を変えることに一生を捧げた」と哀悼の意を表した。
あるツイッターユーザーは、「彼は日本からはるばるアフガニスタンにやってきて、貧しい人々に飲み水と農業用水をくれた」と語った。
「きょう、アフガニスタンは真の英雄、真の奉職者を失った。彼はアフガニスタンの弱い立場の人々の治療に人生を捧げた」という投稿もあった。