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日本人の論理構造 (講談社現代新書 258) 新書 – 1971/8/16


どうせ、せめて、さすが、しみじみ・・・。
これらのことばが、どのような文化の中に生まれ、私たちをどのように性格づけてきたのか?
長年アメリカで日本語や日本文学を教え続けてきた著者が、身近なことばから日本人独特の心理を探りだしたユニークな文化論。
いまこそ読まれるべき名著の復刊。

商品の説明

著者について

(いたさか げん)
1922年、中国南京に生まれる。
東京大学文学部卒業。成城大学、ケンブリッジ大学、ハーバード大学講師などを経て、創価女子短期大学副学長。著書に日本古典文学大系、『西鶴集・上』(共著・岩波書店)、『日本語横丁』(至文堂選書)、講談社現代新書に『考える技術・書く技術』などがある。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 講談社 (1971/8/16)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1971/8/16
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 新書 ‏ : ‎ 197ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4061156586
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4061156586
  • 寸法 ‏ : ‎ 10.9 x 1 x 17.4 cm

カスタマーレビュー

星5つ中4つ
11グローバルレーティング

この商品をレビュー

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上位レビュー、対象国: 日本

  • 2017年5月14日に日本でレビュー済み
    Amazonで購入
    物凄く面白い。
    日本文化というより、日本語文化のユニークさが、考察論述されていて、見事である。
    目次が、「第一章 芥川のことばじゃないが」、「第二章 なまじ」、「第三章 いっそ・どうせ」・・・だから、たまらんではないか!
    後半はチト難しくて、また読んでみようと思う。
    とにかく、日本論の傑作である。
    2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
    レポート
  • 2017年6月19日に日本でレビュー済み
    Amazonで購入
    著者の人柄が偲べて発想を新たにできた。古い本なのに現代にも十分通ずる
    2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
    レポート
  • 2015年2月22日に日本でレビュー済み
    Amazonで購入
    コメントどうり。値段も安く満足。
    古い本絶版本も探せるので助かります。
    1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
    レポート
  • 2020年10月8日に日本でレビュー済み
    書店には時折立ち寄るものである。こういう両署に出会うことができる。あなたは笑いのうちに、含まれた真摯な考察と人類への温かい信頼とまなざしを取り戻すであろう。大笑いしていて、巻末に至るや、この書物の内容は、「国文学 解釈と鑑賞」に発表されたものだと知り、愕然とされることであろう。一読するべし。5点にすると、他の良書とのバランスが維持できないので、あえて。
    1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
    レポート
  • 2010年2月11日に日本でレビュー済み
     「なまじ」「いっそ」「どうせ」「せめて」「さすが」「しみじみ」・・・我々が普段よく使うが、いざその意味を問われたときに、なかなか答えにくい、日本人の文化や感情に深く根ざした表現がある。本書はこれらの表現を単に「翻訳不可能」などと切り捨てるのではなく、その背後にある日本的文化伝統を明らかにしようとする大胆な試みである。
     ともすれば、なんとなくおもしろおかしいだけの茶飲み話におわってしまう危険性のあるテーマだが、豊富な事例と緻密な考察で一つ一つクリアし、日本的論理や感覚を明らかにしていく。そしてただ単に「日本特殊論」で片付けるのでもなく、人類全体の普遍性についても視野を広げた、大変意欲的かつ地に足のついた考察にしあがっている。
    7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
    レポート
  • 2022年12月9日に日本でレビュー済み
    Amazonで購入
    この本を福澤一吉さんの『新版 議論のレッスン』(NHK出版)が引用していました。「やはり」の説明です。板坂さんは福澤さんの解釈より本質を捉えていると感じたので図書館で借りて読みました。他の章も読み、これは手元に置いておきたいと感じ、一度読んだのにも関わらず注文しました。

    日本語に特有な表現に関する本は多数出ています。しかしいずれも、私の感覚ではですが、底の浅い議論に感じます。よくあるのが、日本人の精神はこれこれだと独自に仮定し、その仮定から演繹してみせ、読者を説得しようとするものです。しかし、そもそも演繹ができるように仮定したのですから、その仮定から演繹できるのは当たり前です。しかし読者も著者もそれが何かの証明かのように考えている本が多数あります。

    この本はそのような循環論法ではなく理系の人にも理解しやすい論理的な説明をしています。一番興味深かったのは「れる」「られる」の自発の説明です。たとえば日本語学の本に頻出する「以上の事実から・・・と考えられる」です。これは外国人に理解が難しい。いや、日本人でも理系の人に聞くとほぼ全員が「可能」や「受動」の意味だと答えます。実は私も可能か受動だと思っていました。板坂さんの回答は「自発」です。つまり、そう考えようとしなくても考えてしまうのです。自発の典型的な例は「昔のことが偲ばれる」などです。偲ぶ意志がないのに勝手に偲ばれてしまうのです。

    日本語学の本や論文に「と考えられる」が頻出しますが、他に良く使われる言葉に「論証」があります。これを「何某先生が論証した」だの「私が論証した」だのです。単語の用例から意味を論証できません。仮説を立てるだけです。たとえば助動詞の「た」は過去の事象を表わす文に現れるので、「過去を表わす」と仮説を立てます。これは仮説であって演繹ではありません。その仮説ですべての用例が説明できるなら、その仮説は棄却されません。有力な対抗馬が現れるまで有力な説と看做されます。ところが、国語学では「と仮定することで説明できる」と書かず、「と考えられる」と書いてしまうのです。これは自発です。著者は意図的に何かをしようとしたわけではありません。勝手に考えられてしまうので論証であると著者たちや査読者たちは考えるようです。

    この本は「日本人の論理構造」ですが、「日本の文系研究者の間違った論理構造」についても学べます。読んでいて著者の板坂元さんの頭の良さを感じます。ぜひとも復刊してほしい本です。