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倫理の起源 単行本 – 2019/4/20


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「善」とは何か
私たちは、ふつう、「道徳」あるいは「善」という理念のようなものがどこかに存在して、それに依拠してみずから生活の秩序を組み立てていると考え、また日々そのように振る舞っている。
しかし、では、その「道徳」あるいは「善」とは、どんな姿をとっており、それがいかなる理由によって根拠づけられるのか。
プラトン、カント、ニーチェ、J・S・ミル、和辻哲郎を超え、「倫理問題」の拠ってきたるところと、それが含む厄介さについて、徹底的に明らかにする。

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著者について

1947年、横浜市生まれ。
批評家、国士舘大学客員教授。
『日本の七大思想家』(幻冬舎)『13人の誤解された思想家』(PHP研究所)、『時の黙示』(學藝書林)、『大人への条件』(ちくま新書)、『日本語は哲学する言語である』(徳間書店)など著書多数。自身のブログ「ことばの闘い」においても、思想、哲学など幅広く批評活動を展開している。(https://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo)

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ ポット出版プラス (2019/4/20)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2019/4/20
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 480ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 486642009X
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4866420097

著者について

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小浜 逸郎
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上位レビュー、対象国: 日本

  • 2019年5月20日に日本でレビュー済み
     この書は「倫理“学”」ではなく、「倫理学批判」を目指すものだ。つまり、主に西洋哲学によって、とんでもなく遠いところ(「善のイデア」とか「道徳律」とか)へ祭り上げられた倫理の根拠を、より身近な、人と人との関わりの場へもどす試みである。
     例えば、良心。著者はその淵源を、子どもが親に叱られた時の恐怖に見いだす。幼児は、親に見捨てられては生きていけない、そのことは本能的に察知する。長じても、人は他人との関わりの中でしか生きていけない。そもそも、共同性以前に「個人」なるものはない。この単純な事実が、関わり合い=共同性をできるだけ良好に保とうとする心性を生む。それが即ち良心である。
     人間の「本性」の奥深くとか、天上のどこかに、良心や正義の元があるのかないのか、よくわからないが、何しろ、そんなふうに考える必要は全くない。ただ、自分をもっと大きな、特別な意味がある存在だと思いたがると、そして、人はけっこうそう思いたがるのだが、それだけでは足りないような気がしてしまうだけで。
     もっともである、と私も思う。とは言え、以上は「起源」、即ち出発点を明らかにしたもので、ここから生じる各種の倫理問題については、本書の最終章で文学作品を基に熱く論じられているが、容易に決着がつかない。それは当たり前であって、指摘したからといって批判にはならない。ただ、何かの参考にはなるかも知れないので、「共同性」に関して頭をよぎったこと記しておく。
     
     まとめると、人間にとって共同性が根源であることは自明だが、その共同性を保つために果たすべき役割が人間にはあって、それは必ずしも自明ではない。そこでいろいろなことが起きる。例えば、

    (1)人間が変わるように、共同性も時により、変化する。家庭という最小の共同体の中だけでも、子どもは成長するし、親は年老いる。
     年老いて介護が必要になった親を、自宅に置くべきか、施設に入れるべきか。入れようとしても施設が足りない、という話はよく聞いた。よりよい共同性を保つためには、このような状況は改善されるべきである。それはほとんど異論がないところだと思うが、仮に、経済的社会的にはどちらでも自由に選べる立場であったとしても、どちらがよいのか、容易にはわからない。
     いや、一般的客観的に「正しい」道など、原理的にないのだろう。ある家庭は、それぞれの固有の歴史を背負い、具体的な状況として存在するのだから。そこでは、あなた、あるいは(兄弟がいる場合には)あなたがたが、決断して実行し、それが明らかに悪い結果を招いたとしたら、「責任」を負わなければならない。そのとき我々は「共同体」の名において「個人」であることが鮮明に求められている、と否応なく自覚するであろう。
     ある決まった役割を果たしていさえすればいい、などということには決してならないのである。

    (2)共同体には様々なものがある。男女一対の仲から家庭、友人間のつきあい、地域共同体、経済共同体(企業)、そして国家。そして、それぞれの共同体から要請される役割が、矛盾拮抗する場合がある。国家を守るための戦争に駆り出されれば、家庭は放っておかねばならない、などがよく知られた、典型的なケースである。
     本書ではこれが一番詳細に論じられ、そこでも著者は普通人の感覚から、従来の傾向からの視線変更を求める。主に男たちの考えでは、規模が大きい共同体はそれだけ価値も高いとされ、例えば国家のために尽くすことは、家庭を守ることより明らかに立派なのだから、優先されるべきである、とされた。
     これは不当である。かえって国家のような巨大で、全体像はなかなかつかめないという意味で抽象的な共同体こそ、具体的な生活の場を保つこと、少なくとも過度な犠牲は要求しないこと、を第一に考えて営まれるべきだ、と著者は言う。これまたもっともである、と思う。
     しかし、逆に、家庭こそ重要であって、国家などどうでもいいとまで言えば(戦後日本ではわりあいとありふれた考え)、その家庭を保つことも難しくなる場合もあることも、きちんと指摘されている。そんなに簡単なものではないのだ。
     国家のようなバカでかいものはともかく、会社の都合と家庭の都合のどちらを優先させるべきか、などは、程度の差こそあれ、普通の人間が生きていく上で、いつかはぶつからざるを得ない問題であろう。思うに、ここでもまた、(1)のように、一般的客観的な解はないのである。従って、同じく、個々人で決断して実行するより他にしかたがない。
     以上、アポリアだけを述べたようだが、それを含めて、本書には我々の社会を多少ともよりよくしていく上で欠かせない思考へと導くものだと言える。現在のような出版状況の中で、このような本が書かれ、出版されたことは、まことに慶賀すべきことである。
    27人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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