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世の中、もっとバグっていい。2人の異才・雨宮庸介と志人が八重洲の新たなアートスペース「BUG」で交感

東京駅八重洲口から徒歩3分の場所に、新たなアートセンターが9月20日にグランドオープンした。

「BUG」と名付けられたその場所で、このたび、異才同士が邂逅を果たす。美術作家の雨宮庸介と、ラッパーであり語り部、総じて声の表現者である志人。境界線など最初からなかったかのように、さまざまな表現領域を越境していく両者の顔合わせが、BUGのグランドオープンを飾る雨宮の個展『雨宮宮雨と以』のパフォーマンスイベントで実現するのだ。

CINRAでは、10月29日に開催される雨宮、志人、さらに梅田哲也を加えたパフォーマンスに先駆けて、雨宮と志人の対談を敢行。京都から東京駅に到着したばかりの志人に雨宮の展示とレクチャーパフォーマンスを鑑賞してもらったあと、じっくりと語り合ってもらった。取材中に発生した、志人による突発的なアンサーパフォーマンスもレポート。テーマはそれぞれの表現について、世界について、越境について、そして「バグ」について。対談は展示会場で行なわれ、おのずと公開取材の形式となった。

「スクリプト」をめぐって二人の表現者が交差する

東京駅八重洲口に直結するビルの1階に、「この世界に、バグを。」というステートメントを掲げるアートセンター「BUG」がオープンした。

運営は株式会社リクルートホールディングス。30年以上にわたりマネジメントしてきた銀座のギャラリー「クリエイションギャラリーG8」と「ガーディアン・ガーデン」の閉館に伴い、同社のアート支援事業を展開する新たなスペースとなる。その記念すべきこけら落としとして開催されているのが、雨宮庸介の個展『雨宮宮雨と以』だ。

雨宮は2000年に『第15回グラフィックアート「ひとつぼ展」』グランプリを受賞し、2011年に現公益財団法人江副記念リクルート財団の奨学金を得てオランダへ留学し、その後ドイツ・ベルリンを拠点に活動してきたアーティスト。よく知られているのは彼の代表作でもある溶けたリンゴの彫刻作品『Apple』のシリーズだが、それ以外にも絵画や映像、パフォーマンスを取り入れた領域横断的な作品を発表してきた。

BUGにはそうした雨宮の越境的な作品が散りばめられている。カフェが併設された天井の高い空間の一部に、過去作である映像作品や新作『原稿彫刻』のシリーズからなるインスタレーションを構成。また壁面には、ワークインプログレス(進行中)の作品として手鏡の彫刻が彫られつつある。また展示スペースに併設されたカフェ席では、雨宮の代表作である『Apple』シリーズの公開制作を行なう『果実彫刻の公開制作』も実施中だ。

何より本展で重要な位置を占めているのが、「人生最終作のための公開練習」と称した作家本人によるレクチャーパフォーマンスだ。レクチャーパフォーマンスとは、レクチャーを主体としたパフォーマンスの一形式である。

これらの作品群を通して浮かび上がってくるのは、作家の「スクリプト(原稿・言葉)」に対する強いこだわりだ。それは一風変わった展示名にも明らかで、個展のタイトル『雨宮宮雨と以』(あめみやきゅうとい)には、作家の苗字に続いて鏡文字で「宮雨(Q)」、そして「と以(問い)」という意味が埋め込まれている。

雨宮:「宮雨(Q)」や「と以(問い)」というのは、この不思議に満ちた世界を問い直すための言葉です。また僕自身、約1年前に日本に戻ってくるまでヨーロッパに10年近くいたので、これから日本で表現活動を展開させていくためにも日本語のタイトルをつけたいと考えました。

モチーフとしての言語ということで言えば、2年前に出会ってからすごく影響を受けているのが志人さんです。日本語をこんなにも深く掘り続けている人がいるのかと驚きました。

2000年代にヒップホップユニット「降神」のMCとしてシーンに登場した志人は、ラッパーとしてのみならず、「語り部」としても舞台芸術や古典芸能の分野にまでそのフィールドを拡張し、独自の日本語表現を探求してきた。地元は新宿区だが、9年ほど前から京都の山間部で暮らしを営んでいる。ひげを蓄えた風貌もあいまって、仙人のようなイメージがある。そんな唯一無二の表現者・志人が、本展の会期終盤となる10月29日にBUGでライブパフォーマンスを敢行するのだ。

雨宮と志人が出会ったのは、宮城県石巻市で開催された芸術祭『Reborn-Art Festival 2021-22』。東日本大震災10年の節目、参加作家として被災地を舞台に作品を制作するにあたって、テクストを物語るスタイルの表現を模索していた雨宮が、居ても立ってもいられずに声をかけたのが志人だった。

雨宮:以前から志人さんの表現は拝見していたんですが、映像インスタレーション『石巻13分』を完成させるためには、「言葉が旋律を持つ」ということについて日本で一番ちゃんと考えている人に話を聞くことが最後のピースだ、と僕が勝手に思い詰めて。もう志人さんに来てもらうしかないと、知り合い経由で連絡を取ったんです。それから5日後、すぐ石巻まで駆けつけてくれましたよね。

志人:突然のことではあったのですが、何かこう、呼ばれているような感じと言いますかね、「急ぎ行きます」とすぐに石巻へ飛んだのを覚えております。私は一体何をしに行ったらいいのだろうかと不明なまま。念のため、録音機材だけは持っていきました。

結果的に、そこで志人は雨宮のテクスト朗読のレコーディングに立ち会ったそうだが、おもしろいのは石巻で二人が通じ合うに至ったという、その特異なコミュニケーションだ。

雨宮:志人さんが来て最初に見てもらったのが、映像の素材ということで用意していたバケツ。山にあるシンボリックな鳥居の前に鉄板を敷いて、「まず見てください」と脚をつっこんだバケツをガチャガチャと鳴らしたんです。普通のコミュニケーションであれば考えられないような、変なスタートでした。

それから数日間一緒に石巻を回りながら過ごしたんですが、言葉と旋律にまつわる話を志人さんに語ってもらったり、フィールドレコーディングをしてみたり、車のなかで志人さんのフリースタイルラップが突然始まったり。僕の内部から言葉が堰を切って流れ出るような仕掛けを、ところどころで入れてくれました。

志人:私もいまもかなり鮮明に各シーンを思い出せます。いま歳になって親友と呼べる人はなかなかいませんが、一緒にいた数日間というのは、本当に親友のような心持ちで毎日を過ごすことができました。

パフォーマンスにパフォーマンスでアンサーを返す、異色のコミュニケーション

志人が見守るなか、いよいよ雨宮のレクチャーパフォーマンスが始まった。

ギャラリーに設置されたテーブルを前に雨宮が喋り出す。一般的なアーティストトークに近い語り口だ。まずはこのパフォーマンスのコンセプト説明がなされる。

雨宮:これは「人生最終作のための公開練習」です。2018年から始めました。最終作や絶筆の事を、白鳥が死に際に鳴く事になぞって、「スワンソング」と言います。

「人生最終作」というとずいぶん先のことに思えますが、ほかにも僕は2014年から開始した『1300年持ち歩かれた、なんでもない石』というプロジェクトを継続しています。これは小さな石を5年ごとに引き継ぎながら1300年間ただ持ち運び、西暦3314年に成立する長い長い行為の連なりです。だからか、自分の人生のことはとても短く感じてしまいます。

雨宮はレクチャーを続けながら手元の書画カメラを操作する。壁面には「彫刻」「身体」「スクリプト」という3つの単語が映し出された。

雨宮:「身体」にあたる僕のパフォーマンス、原稿彫刻などが体現する「彫刻」、そして言語や数字などの記号による「スクリプト」。この3つがフロアに同居し、ゆるやかに変化していくように今回の展覧会を設計しています。

そこから話題は雨宮が影響を受けたという、アメリカの小説家リチャード・パワーズが村上春樹の文学をニューロサイエンス(神経科学)を通じて読み解き、柴田元幸が翻訳した講演記録に関するテクストへと移行。さらにその解説の途中からシュルレアリスティックで幻想的な語りへと突入していく。

雨宮:手に持つ木端を眺めてから顔を上げると、小学校の同級生が350人、校庭をぐるぐるぐるぐる走っている。おかしいなと思って一番仲のよかった中島くんに追いついてわけを聞くと、熊に追われているというんです。……

こんな夢みたいに意味の判然としないセンテンスが、あくまでレクチャーの延長のように物語られていく。雨宮の身体がゆっくりと動き出し、ときおり「熊の蜂蜜の壺を奪ったのはお前だ!」などと声を荒げる。アーティストトークともポエトリーリーディングとも異なる独特の身振りだ。

さらにパフォーマティブな要素は加速していき、言葉に抑揚、いわゆるフローが乗り始める。ラップ的と言ってもいい。やがて「色鉛筆握り立ち尽くして髪結ぶ、僕なりの肯定の構えです」という文言がサビのようにリフレインされ、徐々に言葉が旋律を帯び「私たちのいいところ 3つ口にして 一思いに神経絞めしてください」と歌が歌われた末に、レクチャーパフォーマンスは終幕した。

これを受けて、志人は「私は途中から目を閉じて聴いていたのですが、それが正しい聴き方かもしれないと思えたようなパフォーマンスでした」と語る。さらに感想を問うと、志人はインタビュー開始当初から膝の上に載せていた紙の束を手に取った。

志人:私は今回、雨宮さんから石巻でいただいた『石巻13分』の台本を持ってきています。このプリントは大事に取っておこうと思ったので、裏紙に文章を書いておいたんです。そうしたら絶対に捨てないだろうと。

その文章は、雨宮さんとまた会うとも知らずに自分の部屋でただ単に書き留めたものです。ただ、それといまのパフォーマンスとが私のなかで通ずるようなところがありまして。なので、雨宮さんのレクチャーパフォーマンスに対する私の感想は、この裏紙の文章になるのかもしれません。つまり、感想がすでにあったというか……そこで、少しだけお時間よろしければ、いま読んでみようかなと思います。

志人により事前に書かれた裏紙のテクスト朗読が突如として始まった。紙には肉筆の文章が這うように連なっている。もちろんビートは鳴っていないが、声だけで強烈なグルーヴが生み出されていた。朗読か、ラップか、ポエトリーリーディングか。ただ志人のバースとしか言いようのない文言が、きわめて独創的なフローで紡がれていく。

志人:……触覚銀河で初めて光陰の尻尾に触れたのであるからして、自分という気分を、ある一定の時分に収め考え抜いたところで、やはり気分でしかなく、自分を知るには自分を中心として思考する概念から離れ、地球をも芯としておかず、主軸をややズラす逸脱から始まると言っても過言ではなかろう……

およそ10分にわたって途切れなく続いたあと、偶然か必然か、雨宮の映像作品から響いてくるバケツをガチャガチャと鳴らす音と呼応するように、志人の声量は大きく、力強くなっていく。

志人:……この限りなく限りある空紙の中で をどる 舞いが、躊躇なく をどり 続け、意味通らす文面からも疾うに逸脱する頃には、何の糸目もなく、文列に迷いなく重ね書きをし始め、やがて、まっさらが、無数の残像線により塗りつぶされて、まっくらになると、いよいよ落鳥の尾羽が面影という光の尻尾を束ねて、眼という機能を持さぬ盲いた音の世界へ迫り来るのだ。

そして、音をも疾うに亡くせば、はじめて空紙に 想ひ を彫っていたことに気付くだろう、それは木の精が、予め出会うことを夢に見ていた “道” だったのである。

分厚い樹皮へ卵管を刺し、開けたウロ穴の中、幼虫が “這った 道” である。

文を空紙に"書く"ということは、這うように道を 彫り進めていた のである。

つまり、どこをもって完成形とするのかは、書き手、否✔︎ 彫り手 が自己完結から幽離して、数歩引いた処より、何某かによって彫られた彫刻を眺めるというよりは観ずることで、既に自分の手中には収まらぬ、何者かによって宿命された彫刻を、何の前触れもなく、圧倒され、ぶちのめされ、文字通り茫然自失し立ち竦み、直立不動、シ、暗涙に咽び、初めて 氵(サンズイ)に 戻 る が 涙 と知るのである。つまり完成は、騒ぎ立てる歓声なしに、客観性の中、唖然として孤独内に湧き起こる声なき声、着床なき夢精で子を授かり受く、空紙をつんざく産声が、月を突き抜け、

我、空紙と表裏一体化し、ダレ カヘ 口づけして 言葉を失くし、薄い皮膜、分厚い カベ、 カベ 、 サケ !

そう叫ぶと共に志人の拳が裏紙を突き破った。クライマックスだ。

これがあらかじめ書かれていた雨宮のパフォーマンスへのアンサーだったというわけである。唐突に実現した二人のパフォーマンスを通じたコラボレーション。いや、コミュニケーションと呼んだほうが適切かもしれない。石巻で育んだ雨宮と志人の他に類のない意思疎通、その一端をまざまざと目撃することができたのだった。

芸術とは世界に満ちている「バグ」を可視化するための装置である

雨宮のレクチャーパフォーマンスも、志人の語りも、二人にとって越境的なアクションだとみなすことができる。広く知られた肩書きを便宜的に用いれば、雨宮は美術家であり、志人はラッパーだからだ。では、なぜ二人は美術家やラッパーという枠組みから踏み出してまで、異なる領域での表現を試行錯誤し続けているのだろう。

雨宮:うーん、そもそも僕には「専門」という考えがないんです。展覧会ごとに課題も状況も違うので、そのたびに作品のメディアも内容も変化します。

むしろ僕が重視しているのは「2度目のベルを鳴らす」ということ。例えば溶けたリンゴの彫刻を見た人が、1日後なのか半年後なのか50年後なのかはわかりませんが、生活のなかでリンゴを見たときに「あれ、リンゴってこんな形だったっけ?」「手って、屋根って、世界ってこんなものだっけ?」と、世界に対する認識がドミノエフェクト的にカタカタと変わるような経験をしてほしいんですよ。

多少露悪的に言えば「アナフィラキシーショック」のようなものです。蜂に1度刺され、2度目に刺されると人体に甚大な影響が出る。そんなエフェクトを僕は鑑賞者に与えたいんだと思います。

志人:私も「越境」については特に何も考えていませんね。私自身は京都に住んで生活や制作をしていますが、アーティストとしての「志人」という人格は居住地も持っていなければ、性別だって定まっていないかもしれない。その意味で肩書きは誰かからつけられるものだと思います。意識的にせよ無意識的にせよ、そこからはみ出してしまう人は常にいるわけですからね。

もちろん一貫したスタイルで表現を続けている方というのは、格好いいですし、羨ましくも思います。ただ私はどちらかといえば、変化していくことは誰が止められるものでもないので、そのたびに自分をさらけ出すことにしているんです。さらけ出す、裸ん坊になる、つまりいつまでも赤子みたいに「オギャー」と言っているということなのかな、と。

雨宮:僕も近いところがあります。新しい表現メディアにはいつも素人として対峙するので、怖くないわけがない。それこそ人前で喋るのも苦手だったんですが、今回の個展のようにパフォーマンスもやっているわけです。だから「オギャー」なんですよ(笑)。

なるほど、彼らの越境性とは、そのときどきで必然性のある表現を積み重ねてきたことが、自然とジャンル横断的な創作活動に結実していったということだったのだ。

最後に、このスペースに冠された「BUG」という言葉について、どういう印象を抱いているのか尋ねてみる。

志人:私は最初コンピューターのバグではなく、小さな虫という意味のバグだと思いました。その上で何がバグかはわからないところがあるんですが、例えば、自分でも予期せず起こることが日常には溢れていますよね。街のなかでもふと目にとまったり、自分だけが気になる場所があったり。ある人にとってはただ流れていくだけの風景でも、ある人にとってはものすごく気になってしまう……そういう感覚が近いのかもしれません。

あるいは、私たちが北斗七星と見なしている星座がありますよね。でもそれは、必ずしも「柄杓」のかたちをした結び方じゃなくてもいいと思うんです。北斗七星は地方によっては「船星」と呼ばれていたりしますし、星座には西洋のものだけではなく各地に土地に根ざした多種多様なものがあり、たとえば日本には「籠担ぎ星」や「相撲取り星」だってある。バグというものも、「あの星とこの星を結ばなくてもいいよね」というふうに、常識をうまくつながないでいてくれるもの、とでも言いますか。一般的な結び方とは違うつながりにこそ、不思議な電気信号が流れるような気がするんです。

雨宮:まず、僕はこの「BUG」というスペースを基本的に尊敬しています。例えばアーティストのキャリア支援。この場所では活動歴10年以下のアーティストを対象にした『BUG Art Award』を開催していくそうですね。価値が定まったアートだけを扱うのではなく、10代、20代の若いアーティストたちに期待して、ちゃんとした大人がちゃんとした予算を与えれば、バグなんて勝手に起こると僕は思っています。リクルートという大きな企業がそういう矜持を持ってアート支援を続けていることは、もっと評価されてもいいのではないでしょうか。

雨宮:そもそも何の手を加えなくても、この世界そのものがよく眼差したらバグだらけなんですよね。たとえばいまこの視界にも、私たちの視力では見えない無数の「バグ=虫」がいるはずです。それを可視化させることで、見る人を驚かせたり美しいと感じさせたり、場合によっては涙させたり……そういう装置に作品がなればいいなと僕は思ってるんですよ。

世界は元来、バグに満ちているが、私たちは日常を生きるなかでその違和感を見過ごしてしまう。アートや詩といった芸術表現は、そういった世界の潜在的なバグを社会に顕現させる役割を担っているのかもしれない。

イベント情報
雨宮庸介個展『雨宮宮雨と以』
2023年9月20日(水)〜10月30日(月)
会場:BUG
時間:11:00〜19:00
休館日:火曜
料金:入場無料
雨宮庸介個展「雨宮宮雨と以」関連イベント 志人×梅田哲也×雨宮庸介
2023年10月29日(日)
会場:BUG
時間:18:00〜
プロフィール
雨宮庸介 (あめみや ようすけ)

1975年茨城県生まれ。山梨県在住。第15回グラフィックアート『ひとつぼ展』グランプリ。現公益財団法人江副記念リクルート財団の奨学生として2011年に渡欧し、2013年Sandberg Institute(アムステルダム、オランダ)修了。2014年度文化庁新進芸術家海外研修員(アムステルダム、オランダ)。以降、ベルリンに拠点を構え、2022年に帰国。現在、日本を拠点に活動。 主な個展に『H&T. A,S&H. B&W. (Heel&Toe. Apple,Stone&Human. Black&White.)』SNOW Contemporary、東京(2021)、主なグループ展に『土とともに 美術にみる〈農〉の世界―ミレー、ゴッホ、浅井忠から現代のアーティストまで―』茨城県立近代美術館(2023)、『Reborn-Art Festival 2021-22』日和山公園 旧レストランかしま、石巻(2021)、『りんご宇宙―Apple Cycle/Cosmic Seed』弘前れんが倉庫美術館、青森(2021)など。

プロフィール
志人 (しびっと)

独自の日本語表現の探求により言葉に秘められた全く新しい可能性を示す。音楽制作のみならず、舞台芸術、古典芸能の語部やアーティストらと協働して分野を超えた活動を行なう。『京都国際舞台芸術祭2016』では松本雄吉(維新派・演出)内橋和久(音楽・演奏)『PORTAL』の舞台にて主演を担うほか、『音で観るダンス』(https://otodemiru.net/)では、音により視覚情報を補助する音声ガイドを担当(2018年)。『藝大プロジェクト2022 「藝大百鬼夜行」』では ストラヴィンスキー『兵士の物語』を川村亘平斎(影絵師)×志人(語部)×藝大生で公演。漢検・漢字博物館(漢字ミュージアム)で2020年に開催された企画展『カンジ・ムジカ』―春と愛と漢字に溺れる、音とアートの企画展―」では、言葉の起源を表現した空間演出を行なうなど、言葉と音の源流を遡上する芸術活動を行っている。2021年にセルフプロデュースアルバム『心眼銀河-SHINGANGINGA-』『視覚詩・触覚詩 心眼銀河 書契』を発表。



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