「抱きしめる日を夢に見る」 ロシアの10代が政治に異を唱えて収監されるまで
(CNN) 冷え込んだ11月の朝、イリーナ・トゥルビナさんは複数のバッグいっぱいに食べ物を詰め込む。大きめのシャワージェル2本と、かさばるトイレットペーパーのパックを2個、爪切り、小説1冊、地図帳1冊も持ち物に加え、過酷な2日間の旅に出発する。バッグと書籍類は16歳の息子、アルセニーさんのためだ。これが収監前の彼の姿を目にする最後のチャンスかもしれない。この後彼は年少者向けの流刑地に送られ、5年間服役する。
アルセニー・トゥルビンさんは、複数の人権団体からロシアで最年少の政治犯の一人と目されている。テロの罪で有罪となり、6月に量刑を言い渡された。ウクライナのために戦う志願兵で構成される準軍事組織「自由ロシア軍団」に加入した罪に問われた。アルセニーさんは組織に連絡を取ったことは認めたが、加入については否定。母親は一貫して息子の無実を訴えている。
ロシアの独立系人権擁護団体OVDインフォによると、2009年以降同国では、アルセニーさんを含めて少なくとも35人の未成年が政治的動機に基づく罪で刑事責任を問われている。そのうち23件は、ロシアがウクライナに全面侵攻を開始した22年以降に手続きが始まった。
トゥルビナさんはオリョール州の小さな町リブ二に暮らす。モスクワからは480キロほど南にあり、長旅を経て同市郊外の公判前勾留施設へと2週間おきに通ってきた。施設への訪問は月2回に規制されているからだ。何時間も待たされた後、トゥルビナさんは格子の入ったガラスの仕切り越しに息子と面会する。会話は電話を通じてのみ。手を握ったり、体に触れたりするのは固く禁じられている。
収監中のアルセニーさんは現状について「とても困難、危機的」だと母親に訴えている/Irina Turbina
「最後に息子を抱きしめたのは6月20日だった。評決が下った日だ」。CNNとの電話インタビューで、トゥルビナさんはそう語った。「息子は私を抱きしめて泣いた。すると看守がすぐに現れて、彼を連れ去った」
初めて尋問されてから1年後の今年8月、アルセニーさんは16歳の誕生日を鉄格子の中で迎えた。
「お願いだから、あらゆる手を尽くして釈放されるようにして欲しい」。アルセニーさんは手紙で母親にそう懇願した。先月の上告審の前に書かれたこの手紙をCNNは共有している。ストレスに伴う食欲減退で、アルセニーさんの体重は15キロ落ちた。他の収容者から暴行を受けたとして、現在は別の監房に移されている。アルセニーさんが母親に伝えたところによれば、状況は「とても困難、危機的」だという。
トゥルビナさんはこの手紙を受け取った時、涙をこらえることが出来なかった。「泣いてしまったのは、既に手は尽くしていることが自分で分かっているから」「でもそれでは足りない。制度を変えることは出来ないことも理解している」(トゥルビナさん)
禁錮5年の刑の撤回を求めたアルセニーさんの申し立ては退けられた。翌日、トゥルビナさんは再度面会に訪れた。自分の強さや、困難を克服する力を見せて、アルセニーさんが破滅的な裁定に対処するのを助けるつもりでいた。
「アルセニーに『あなたをとても誇りに思う』と伝えた」。そうトゥルビナさんは振り返る。「あなたは実際には有罪宣告をした人たちよりも強い」「なぜならあなたには自分の意見や立場を表明する権利があるから。あの人たちはただ、しなくてはならないことをするだけ」。トゥルビナさんはアルセニーさんにそう告げた。
トゥルビナさんの一人息子は、10代向けの矯正施設に移ることになっているが、当面は第5勾留センターに残る。
「息子を思うと恐怖を覚える」
トゥルビナさんは、どうしてこんなことになったのか今なお理解に苦しんでいる。「彼はただの子ども。幼い時から人と違うところがあった」。トゥルビナさんによるとアルセニーさんは「本と勉強が大好き」で、14歳から早くも政治への関心を示していた。「何事も徹底的に調べる」ことを好み、学校やオンラインでも臆することなく自分の気持ちを伝え、善悪を判断する場面でも物怖(お)じしなかった。
昨年4月、アルセニーさんはロシア国外を拠点とする独立系テレビ局「ドーシチ」が放送する朝の生番組に電話で出演。プーチン大統領に対する失望を吐露し、学校で国家によるプロパガンダが行われている状況を批判した。「人権が侵害されている」とも訴えた。
そして「ロシアの日」に当たる6月12日、トゥルビナさんによるとアルセニーさんは地元でたった一人の抗議活動を行い、ビラを印刷。ビラには「私はプーチンに反対」、「政治犯に自由を」といった反政府的なスローガンが書かれていたという。トゥルビナさんは全力でやめさせようとしたが、それはこうした行動から生じる事態を恐れてのことだった。
「息子は『母さん、心配しないで。法律には違反していない』と言った」。トゥルビナさんは振り返る。二人とも当局に目をつけられると言い聞かせたが、アルセニーさんは信じなかったという。
8月29日未明、連邦保安局(FSB)から数人の当局者が来て、母子の自宅のドアをノックした。彼らは家宅捜索し、タブレットやラップトップ、携帯電話といった私物を持ち去った。
アルセニーさんは9月に自宅軟禁状態に置かれたが、通学の権利は認められた。23年秋、金融監視機関が公式リスト上でアルセニーさんを「テロリスト並びに過激主義者」と認定した。そして今夏、6月20日に量刑が言い渡された。
トゥルビナさんは、矯正システムが息子にもたらすであろう苦難に深い懸念を抱く。CNNの取材に対し「息子を思うと恐怖を覚える」と打ち明け、「どうやってこの年月を過ごすのか、本人のどこかが壊れてしまうのではないかと心配だ。刑期を終えるまで強くいられると信じたい。尊厳を持ってこの試練を乗り越えるだろうと。でも結局のところ息子はまだほんの子どもだ。もしどこかの時点で、何らかの状況によって息子が壊れてしまったらどうなるだろう?」と問いかけた。
アルセニーさんの事例は特異なものではない。ロシアの法律は最も若くて14歳までの子どもに対し、テロ行為や反逆罪といった重大な罪での訴追を認めている。同国のウクライナ侵攻以降、若年層に対する広範な訴追が増加していると、人権団体「メモリアル人権センター」で政治犯の支援プログラムを統括するセルゲイ・ダビディス氏は指摘する。
これはロシア政府による反体制派の弾圧が広範囲に激化している実態を反映する。激化そのものは戦前に始まったものの、22年2月からはその流れに拍車がかかっている。その後、少なくとも2万70人が戦争に反対する見解を理由に拘束された。「軍の信頼を傷つけた」とする告発は、9369件記録されている。具体的にはソーシャルメディアへの投稿やウクライナ国旗の入った衣服を身に着けるといった行動が関連する。OVDインフォの広報担当者、ドミトリー・アニシモフ氏が明らかにした。
OVDインフォやメモリアルなどの独立系監視団体によると、子どもの両親や保護者も嫌がらせや恣意(しい)的逮捕の標的になっている。子どもたちの監督権を失うと脅迫を受ける場合さえあるという。
ロシア政府は、国内における政治囚の存在を一貫して否定。全ての収監は法令違反に基づくものだと主張するが、人権団体は別の見方を示唆している。
「ただの統計値ではない」
ロシアとドイツの二重国籍を持つケビン・リックさん(19)は、現代のロシアで体制に反対することの代償を嫌と言うほど理解している。ウクライナでの戦争が始まって1年後、17歳の時に逮捕され、流刑地での禁錮4年の刑を言い渡された。現代ロシア史上、国家反逆罪で有罪になった最年少の被告だった。
検察はリックさんが外国の諜報(ちょうほう)機関と共有する目的で軍関係の事物の写真を撮影したと訴えた。リックさんはこの主張を否定している。
収監中は独房に入れられ、身体的な虐待と陰惨な刑務所の環境に耐えなくてはならなかったという。「当時のことは、もちろん傷として残っている」と語るリックさんは、今も心的外傷後ストレス障害(PTSD)に悩まされていることを認める。
ロシア当局はこうした訴えに公には反応していない。連邦刑執行庁もCNNのコメント要請に応じなかった。CNNは10代が暴力と虐待を受けているとの告発に絡んでコメントを求めた。
今年8月、独ボンで反汚職団体主催の記者会見に臨むケビン・リックさん/Christoph Reichwein/dpa/AP
リックさんは今年8月に釈放された。ロシアと米国をはじめとする西側諸国の間で行われた大規模な囚人交換の一環だった。冷戦以来最も大々的に実施された囚人交換だったが、釈放された囚人はロシアの刑務所に捕らえられている全政治犯の2%に満たない。
OVDインフォによると、ロシアでは少なくとも2942人が政治的な理由で刑事訴追されている。現在拘束中なのは1402人。この中には公判を待っている人もいれば、裁判所が命じた強制措置を受けている人もいる。
ドイツで家族と再会したリックさんは今、政治犯のために活動している。先月にはベルリンで抗議デモに参加。反体制派指導者の故アレクセイ・ナワリヌイ氏の妻、ユリア・ナワルナヤ氏やロシアを脱出した他の反体制派指導者と並んで街頭を練り歩いた。
リックさんの主張によれば、ロシアには反戦の立場を取ることで迫害されている人々がさらにたくさんいる。その中には10代の若者も含まれているという。
「彼らはただの統計値ではない」「ロシアの一部であり、ロシアの未来の一翼を担っている。この特性を政府によって奪われてはならない」(リックさん)
ロシアの若者に向けた演説で、リックさんは徴兵への抵抗を強く呼び掛けた。「彼らがあなたを軍隊に入れようとしても行ってはいけない。これは私見だが、刑務所に行く方がウクライナで殺人マシーンになるよりましだ」。
11月7日、ビデオを通じて自身の上告審に出廷するアルセニー・トゥルビンさん/Irina Turbina
拘束の状況は成人よりも10代の方が多少は寛大になりそうなものだが、実際の過酷さは若者向けの流刑地が上回る場合もある。これは若い受刑者の間で無秩序かつ暴力的な環境が生まれるためだと、メモリアルのダビディス氏は指摘する。
若者が国家による訴追の対象となるのは彼らが政府当局を比較的恐れず、政治宣伝にも比較的影響されず、不公平と感じることに対してより反発する傾向にあるためだと、ダビディス氏は認識している。
ロシアの独立系メディアがこれまでアルセニーさんの事例を詳細に報じている一方、国営メディアにそうした動きはない。恐らく裁判の大半が非公開で行われているためだろう。
「残念ながら我々は通常裁判にアクセスできず、その詳細に触れられない」とダビディス氏。国は未成年が絡むことだとして、プライバシーの懸念に言及するという。
恐怖と教化を駆使して支配を維持してきた同国の歴史に目を向ける専門家もいる。米ニューヨーク大学の国際関係担当教授で、かつてのソ連の指導者ニキータ・フルシチョフのひ孫に当たるニーナ・フルシチョワ氏もその一人だ。
ロシア国家が国民の見解を形成する試みは、幼少期から始まるとフルシチョワ氏は指摘する。「彼らは幼い時分から思考するので、適切な方法で洗脳すれば、16歳になる頃には『素晴らしい。プーチン氏は偉大だ』と口にするようになる」
アレクセイ・モスカリョフさんの12歳の娘マーシャさんが描いたこの絵が、学校当局の目を引いた/Memorial in English
子どもが描いた反戦の絵で刑務所に
子どもの年齢が低すぎてロシアの法律で訴追できない場合には、親が矢面に立つこともある。起業家でシングルファーザーのアレクセイ・モスカリョフさんはこのケースに当てはまる。2年近い禁錮刑を言い渡された理由は、ソーシャルメディア上で「ロシア軍の信頼を傷つけた」からだった。
起訴される直前、当時12歳の娘のマーシャさんが反戦の絵を描いていた。ロシアのウクライナ侵攻から2カ月が過ぎた22年4月のことだ。絵の中に描かれたロシア国旗には「戦争にノーを」の文字が、ウクライナ国旗には「ウクライナに栄光を」の文字がそれぞれ記されていた。1人の女性が自身の子どもをロシアから発射されたミサイルから守る様子も描かれている。この絵は学校当局の目を引いた。モスカリョフさんは当初罰金を科され、その後戦争を批判した自身のネット投稿を理由に収監された。その間、マーシャさんは一時的に児童養護施設に入れられた。
今年10月に釈放された時、モスカリョフさんは刑務所からやつれた姿で現れた。身に着けた囚人服の生地は薄く、色あせていた。動画には涙ぐむ娘を抱きしめるモスカリョフさんの姿が映っている。
10月15日、刑務所から釈放され、娘のマーシャさんを抱き寄せるアレクセイ・モスカリョフさん(右)/OVD-Info
「刑務所の状況は、言葉で言い表せない。拷問部屋以外の何物でもなかった」。過酷な経験を振り返り、モスカリョフさんはそう語った。閉じ込められた狭い監房では、他の囚人や下水道からやってくるネズミと一緒になる時もあった。極寒の中、1日16時間立ったまま過ごさなくてはならなかった。
ロシアの刑務所の過酷な環境は、囚人たちから良心を奪う。前出のナワリヌイ氏のように命を落とす人もいる。
16歳の息子が尊敬してやまないこの反体制派指導者の運命を振り返りつつ、トゥルビナさんは必死で想像を巡らせる。これからどんな暗い未来がアルセニーさんに訪れるのだろうか。
ナワリヌイ氏の運命を繰り返してほしくない、そうなったら生き延びるのは不可能だろうと、声を震わせながらトゥルビナさんは言った。それから一呼吸置いて、落ち着きを取り戻した。
まだ子どもである息子は何らかの保護を受けられるだろうと、トゥルビナさんは期待を寄せる。そして現時点でのメッセージをアルセニーさんに送った。「私たちは現実に起きていることを受け入れる必要がある。それでも希望は捨てずに、戦い続けなくてはならない」