所有の概念を変える
セルシスはアニメーションやイラスト、漫画制作アプリケーションの開発や電子書籍ソリューションの提供を行なう会社で、特に「RETAS!PRO」はアニメーション制作現場で、「CLIP STUDIO PAINT」は多くのクリエーターに利用され、世界で圧倒的シェアを誇る。
いわゆる紙の本やアニメDVDといった物理的な媒体に向けたコンテンツをつくるためのツールであるこれらのソフトウェアは、クリエイターのクリエイティビティと強く結びつき、その創作活動にはなくてはならないツールであり、彼ら/彼女らを支える“基盤”だといえる。
そんな「RETAS!PRO」登場から約30年、「CLIP STUDIO PAINT」の登場から約10年がたったいま、彼らは新たな挑戦をしようとしている。セルシスの100%子会社である「&DC3」が、ブロックチェーン技術を用いたコンテンツ流通サービスに対する“新しい基盤”となるソリューション「DC3」をリリースするのだ。
&DC3代表取締役社長の神林孝尚はDC3の特徴を次のように説明する。
「DC3は、あらゆるデジタルデータを“モノ”のように扱うことができるWeb3の基盤ソリューションです。あくまでも“基盤”であるため、DC3が直接サービスやストアのようなものを運営したり、コンテンツを販売するようなものではありません。
DC3のモジュールを現在稼働しているコンテンツ配信サービスに組み込むことで、配信型サービスの資産やシステムを生かしながら、Web3時代に向けた新しいコンテンツ流通サービスへ容易にシフトすることができます」
DC3はプラットフォームを運営して新たなサービスを展開するというWeb2.0的な中央集権型のビジネスではなく、あくまでも事業者が展開する配信サービスに、ブロックチェーン技術を使ったDC3が+αの付加価値をつけるものだ。
これまでプラットフォームに依存していたコンテンツデータは保有者に帰属し、マスターコンテンツの保有者に収益が還元され、編集された履歴の残る個体であるコンテンツが流通布されていく。
コンテンツは「複製」されるのではなく「製造」されるというのがDC3の特徴だ。
Web3時代の“モノ”としてのコンテンツの価値とは何か。DC3は「デジタルデータをもつ」という概念をどう変えるのか。DC3をより深く探っていく。
Web3時代に生まれた背景
ブロックチェーン、NFTという単語が飛び交い、ビジネス契機を模索する企業が多い昨今、なぜ&DC3は基盤ソリューションをつくることになったのか。DC3開発ディレクターの高橋雅道はセルシスのデジタルコンテンツにかかわる歴史を振り返りながらDC3の開発背景を語る。
「アニメーション制作ソフト『RETAS!PRO』は1993年、漫画制作ソフト『ComicStudio』は2001年に発売されました。そして03年にはデジタルで制作された漫画はそのままデジタル配信できると考え、世界初のモバイル漫画配信ソリューションを提供開始しました。当時は紙が主流だったので『気軽に漫画にアクセスしてもらい、紙の漫画の市場を補完できれば』くらいに考えていましたが、ご存じの通り、紙よりも電子書籍のほうが市場規模大きいのが現状です」
出版科学研究所の22年上半期のデータによると、電子出版市場は電子コミックが2,097億円(前年同期比10.2%増)と、紙の書籍が年々減少しているなかで、電子書籍は増加し続けている。高橋は次のように続ける。
「本当に気に入った作家や作品を、愛蔵本として手元に保有したくても、そもそもデジタル配信でしか読めない作品も加速度的に増えています。本に限らず、コンテンツの価値はエモーショナルな感情を湧き起こすことにあります。この感情は必然的に、コンテンツを身近に置いておきたいという所有欲を呼び起こします。デジタルのメリットを損なうことなく、デジタルの便利さと引き換えに生じてしまったさまざまな課題を解消したい。それがDC3を開発した動機です。モバイル漫画配信ソリューションを最初に提供し、市場を開拓したセルシスの責任でもあると思っています」
DC3の起点は4年ほど前から。それまでは「CLIP STUDIO PAINT」で絵を描く個人ユーザーに向け、街や建物、自分の展示室があるようなメタバース的なサービスを検討したが、時期尚早だと判断。次に「CLIP STUDIO PAINT」ユーザーが、自分の作品をモノとして頒布できるサービスを検討、開発し、21年にβ版「CLIP STUDIO WALL」をリリースした。
「これらの研究開発の過程で、NFT、メタバース、Web3などの新しい時代のうねりを感じました。自社だけのサービスではなく、これまで培った要素技術を、さまざまな事業者のコンテンツビジネス全体の下支えをするソリューションとして活用いただくDC3の構想が生まれました」
DC3で何ができるのか
具体的にDC3ができることは、以下だ。
- デジタルコンテンツを「モノ」のように扱える。
- マスターコンテンツ保有者が流通数(製造数)をコントロールし、希少価値を高めることができる。
- マスターコンテンツ保有者は製造したコンテンツが流通するごとに収益分配を得られる。
- 保有コンテンツを私的利用の範囲で、加工・編集できる。マスターコンテンツ登録時に編集・加工の可否をコンテンツに設定できる。
- コンテンツは保有者に帰属するため、サービス間や2次流通できる。貸与も可能となる。2次流通や貸与を制限することもできる。
- サービスを横断して保有するコンテンツをマイルームで管理できる。
- コンテンツに3D外形が設定されており、メタバース空間での活用ができる。
- 個別のコンテンツの再生数などのプロパティをマスターコンテンツで集約できる。
ユーザーにとって何ができるのかを神林に尋ねると「デジタルコンテンツを、唯一無二のモノとして扱えるということは、現実世界のモノと同じ特性をもつことになる」と言う。
「コンテンツが流通するごとに収益が権利者に支払われ、貸し借りもできます。著者がサインをしたら世界にひとつしかない唯一無二の個体となり、製造数を設定できるので希少性も担保できます。かつマスターコンテンツ自体も流通することができる。現実のモノのようにデジタルコンテンツでもこうした希少価値をベースにしたオークションのようなサービスやサイン入りの限定品などができるようになります」
コンテンツをモノとして扱う方法は比較的シンプルだ。デジタルデータを、マスターコンテンツとして登録。登録時には対応するプレイヤーを選ぶ。プレイヤーはコンテンツの中身を閲覧するもので、事業者が提供するDC3に準拠したプレイヤーと、初期にDC3が提供するプレイヤーもある。
もろもろ決めたらコンテンツを製造する。製造されたコンテンツは一つひとつが識別されたモノとして取り扱うことができる。カット&ペーストが可能だからスクラップブックなどもできるし、「CLIP STUDIO PAINT」を利用し、描画したり、彩色したりもできる。加工・編集により、コンテンツに付加価値が生じ、希少性も上がるだろう。そして必ず3Dのサムネイルをもつことも特徴的だ。
「現実世界でも目に見える“形”があるように、3Dのサムネイルがあることで、視覚的に保有を表現することができます。これによりマイルームにコレクションを展示することができますし、メタバース空間でのコンテンツの活用につながります」
輸送の「箱」を提供する
高橋は基盤として機能するDC3のイメージを「輸送の“箱”と考えるとわかりやすい」と言う。
「DC3はモノの流通に関する機能だけをもっています。配送会社の人は、モノが入った段ボール箱を運びますが、箱の中に何が入っているのかはわかりませんよね。DC3はこれと同じように、コンテンツが行ったり来たりする“仕組み”だけをつくっています。そもそもDC3はフォーマットという概念ではなく、プレイヤーと1対1で対応したモノをDC3という箱に詰めて運搬するだけ。EPUBでも、MP4でも、今後生まれてくるまったく未知のデータであったとしても、もちろんコンテンツの中身を閲覧するためのプレイヤーさえあればですが、どこへでも動かせます」
DC3世界には「commonDC3」と呼ばれる、DC3の特徴であるサービスをまたがったコンテンツの取り扱いを実現するための最小限の機能を集めた機能群が存在する。各企業のサービスに組み込まれたDC3モジュールは、適時「commonDC3」と連携することにより、DC3基盤全体の安全性・信頼性を担保する。コンテンツに関するトランザクションはブロックチェーンにより管理され、データ改ざんを防止しながら、コンテンツの唯一無二性を担保する。
箱を配送する仕組みは、従来のコンテンツ配信サービスにモジュールを提供し組み込むことで既存のシステムを生かしていくものだ。このモジュールはAPIとデータベースとデータストレージの一群を、独立した機能群として立て、既存のWebサービスとcommonDC3の機能群のあいだでAPI通信を行ない、コンテンツを流通させる。
さらに高橋はDC3の特徴を次のように言う。
「基本的に組み込み型ソリューションは提供元の状況に大きく依存しています。一方DC3は、サービスがDC3に依存せず、独立してサービス運営ができます。その点が組み込み型のソリューションとしては特徴的だと思います」
既存のビジネスとのバランス
例えば「A」という動画サービスで購入したものと、「B」というサービスで購入したものをサービス間で移動させる場合、マイルームを通して行なうことができる。どこかのお店で買ったコンテンツをデジタル上のフリマサービスに移動し、そこで個人売買する、といったことも可能だ。
コンテンツのサービス間移動はこれまでのコンテンツサービスではなかなか実現できないことだった。ひとつのサービスが閉鎖されたら、そのサービスは利用できなくなってしまう。電子書籍サイトで買った大量の本も、そのサービスが終了すればすべて閲覧できなくなってしまうのだ。これはあくまでもサーバー上にある大量の本のデータにアクセスし「閲覧」する権利をもっているだけで、個人は電子書籍を所有していないことになる。
DC3であれば、モノとして一つひとつユーザーが保有することになる一方で、既存のプラットフォームがユーザーを囲い込むビジネスモデルにはマッチしない。どうサービスを拡げていくのか。神林は次のように展望を語る。
「Web3の世界では、より個人の裁量が増すと考えています。しかしそれは既存のビジネスモデルに支障をきたす可能性があります。そういう意味でバランスを取って『コンテンツにできる/できない』という設定ができるようにしています。
世の中に合わせて企業も変化していくでしょうし、WEB3のサービスが当たり前になると、ユーザーもそういうサービスを選ぶようになるかもしれません。緩やかですが、変わっていくでしょう」
DC3とNFTの違い
DC3はNFTマーケットプレイスではない。DC3はあくまでブロックチェーンを採用した基盤ソリューションで、さまざまな事業者がDC3を利用してWeb3コンテンツの流通サービスを行なうことができる。
ではDC3で扱うコンテンツのいちばんの特徴は何か。高橋は「『マスターコンテンツ』という概念があること」と指摘する。
高橋が言う「マスターコンテンツ」とは、いわゆる“金型”だ。コンテンツ素材をDC3に登録することでコンテンツの製造が可能となる。マスターコンテンツ作成時にはタイトルなどはもちろん、製造できる個数や、加工が可能かどうかなどのコンテンツのプロパティをあらかじめ決めることができる。
こうして生まれた“金型”のマスターコンテンツから製造されたコンテンツは「個体」であると高橋は強調する。
「紙の本は100冊刷られたとして、その100冊はどこで誰が買い、どう流通され読まれたかはわかりません。ブロックチェーンなら改ざんの防止と唯一無二性の担保は技術としてはありますが、DC3にはコンテンツ自体がどんな履歴や歴史をたどったのかというプロパティが含まれます」
例えばEPUBの本であれば、マスターコンテンツから製造されたコンテンツに栞を挟んだりマーカーを引けばそれぞれが独自のプロパティをもつ個体となる。コンテンツに対して行なった加工情報がプロパティとして残るため、出版社がサイン本を100冊つくるとなれば、100通りの唯一無二の個体が存在する。
神林は「NFTとDC3は排他的な関係ではありません。他のNFTマーケット等との連携も検討しています」と言う。DC3のコンテンツを閉じたものにしないという想いがある。
デジタルに「愛着」を付与する
現状は既存のサービスのなかに組み込まれるB to Bのサービスが予定されているが、将来的にB to Cもありえるのかを高橋に尋ねると「DC3は企業が運営サービスの“下支え”をする基盤です。つまりその企業のサービスがB to Cに提供されることになると思います。エンドユーザーはそれを使ったサービスを見ても、DC3というものは意識することはありません」と答えた。
あくまでもDC3は企業のサービスを下支えする基盤。これはセルシスのソフトウェアがクリエイターを支えてきた構図に似ている。神林に今後の展開を訊くと次のように答えた。
「ダウンロード形式でもストリーミングでも、サブスクでも、PCでもスマホでも、環境やデバイスは変わったとしてもコンテンツの価値はその中身や内容です。
コンテンツは作者の思いや労力の結晶で、Web3になろうがどんな世の中になろうが、コンテンツを生み出す作家や、それを届ける企業という意味では、役割、マインドも含めて変わらない部分があると思います。ただ、現在の刹那的なコンテンツの大量消費は徐々に見直されてくると思います」
大量消費のなかで、モノは個性を失い均一化されていく。そんないまだからこそモノのよさを見直す必要がある。高橋もまた同様だ。
「モノに対する愛着はアナログな時代には確かにあり、デジタルでも愛着がある作品はあると思いますが、失われつつある。これは問題だと思っています。歴史的な大火で焼け残った本は読めなくても価値がある。なぜかというとその本が通ってきた歴史が積み重なっているからです。これは現状のデジタルコンテンツにはできないことです。いま、レコードプレイヤーが再びはやっていますが、針を置いて音楽が流れるという最初から最後までの体験に価値がある。そこには“愛着”があるのだと思います」
DC3という未来の箱に入れることで、デジタルのよさ、物体としてのよさの両方を享受できる。漫画やイラストだけではなく、音楽や動画、チケットやクーポンなど、あらゆるデータでの活用が期待できるDC3は、Web3時代に向けた新しいコンテンツ流通サービスを実現するとともに、人間がモノへ向けていた「愛着」をデジタルコンテンツに付与することになるはずだ。