9月後半、サンフランシスコに拠点を置くデザインスタジオであるLoveFrom関連のニュースが相次いだ。ジョナサン・アイブとマーク・ニューソンが創業した同社はロゴを刷新し、『New York Times』で大々的にとり上げられた。さらにはモンクレールとのアウターウェアのコラボ製品も発表した。
しかし、いちばん驚くべきだったのは、LoveFromがOpenAI創業者のサム・アルトマンと協力して、まだ名前も付けられていない人工知能(AI)デバイスを秘密裏に開発していることが確認されたことだ。このプロジェクトには、ローレン・パウエル・ジョブズのEmerson Collectiveや、アイブ自身も投資家として関わっている。そして、すべてが慎重に進められている。
アップルの元チーフデザインオフィサー(CDO)であったアイブの細部へのこだわりは、ときに皮肉られるほど徹底したものだ。アイブはこの5年間、ボタンにこだわり、衣服の留め具に関する5巻にわたる歴史書をつくった。広く一般に利用されることを想定した「ヒューマンAIインターフェイス」をつくるという、倫理的な問題と野心のバランスをとる大役にアイブが選ばれるのは、自然なことのようにも思える。
公表されている情報は少ないが、プロジェクトの目標は少しずつ明らかになってきている。LoveFromは「AIを使い、iPhoneほど社会生活の邪魔にならないコンピューティング体験を提供する製品」を設計している。デバイスの形状や発売時期はまだ未定だ。しかし、製品の説明は論理的に考えると、ChatGPTやDall-Eを利用できる一般消費者向けの製品であることを示している。そしてこれは、先日発表されたばかりのAI技術である「Apple Intelligence」と競合する可能性がある。Apple Intelligenceは、Siriに指示を出したり、最新型のスマートフォン「iPhone 16」のカメラを使って視覚的な情報を入力できたりする機能に対応している。
こうした製品の展開に否定的な人もいる。「わたしにとってスマートフォンに搭載されたAI、特にソーシャルメディアで使われているAIは、何十年も消費者から搾取してきた同じビジネスモデルを継続させる残念な技術です」と、工業デザイナーでFuseprojectの創業者であるイヴ・ベアールは話す。「AIを日常的なコミュニケーションやソーシャルメディアに活用するとり組みは、変わり映えしません。アテンション・エコノミーでしか役に立たず、社会に貢献していないのですから」
LoveFromが手がけるAI製品
LoveFromとOpenAIの協力に関する大きな謎は、彼らが開発中の未来のデバイスの形態だ。この製品は、Humaneの「Ai Pin」や「rabbit r1」のような単独の特化型デバイスになるのだろうか。それとも、複数のデバイスが連携する総合的なシステムとなるのだろうか。この点について、LoveFromに問い合わせたが、同社は回答を控えている。
これと関連し、製品の一部またはすべての機能をデバイス内で実行する処理能力をもつのか、それともクラウドに依存するのかという問題がある。工業デザインとUIデザインの決定が、セキュリティやプライバシーのあり方を左右する可能性がある。さらにアイブが設計上考えるべきもうひとつの問題は、主要なデバイスにそもそもディスプレイを搭載するのかどうか、そしてそれがどのように見た目に影響するかという点である。
『Financial Times』が昨年9月に公開した記事は、事情に詳しい複数の匿名の情報源の話を引用している。これによると、LoveFromはOpenAIとの提携によって「画面への依存度を減らした」コンピューターとの新しい関わり方を創出する余地を見出し、多くの異なるアイデアを検討していると伝えていた。『New York Times』の記者トリップ・ミックルはLoveFromの本社を訪れた際、製品あるいは製品群の「初期アイデア」を示す紙や段ボール箱がオフィス内で運ばれているのを目撃している。
これを読んで、「アンビエントコンピューティング」「ユビキタスコンピューティング」、さらには(聞き飽きた)「モノのインターネット(IoT)」という言葉を連想するかもしれない。またこの話かと思うかもしれないが、失望する必要はないだろう。「特定の人のニーズを解決する」AI搭載デバイスの例として、Embodiedのコンパニオンロボット「Moxie」やElliQの高齢者向けのケアロボット、Happiest Babyの新生児用かご型電動ベッドなどをFuseprojectのべアールは挙げている。ただし、これらの製品のデザインにベアールが関わった点には留意したい。
「体験をスマートフォンではなく、製品そのものの物理的な部分に直接組み込むように設計しています。こうすることで、すべての操作を個人のデバイスに頼る必要がなくなります。製品は社会生活の邪魔にならず、その使用体験はより魔法のように感じられます」とベアールは話す。
ジョナサン・アイブは先日、デザインの長老的存在としてふさわしい役割を担った。ロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールで開催された卒業式典で、ロイヤル・カレッジ・オブ・アートとインペリアル・カレッジ・ロンドンの卒業生に学位を授与したのである。
両大学による共同プログラム「Innovation Design Engineering」の責任者であるスティーブン・グリーンは、過去10年の間に見られたポストスマートフォン、ポストディスプレイの試みを統合し、新しい方法で具現化するのにアイブは最適な人物だと指摘している。具体的には、音声エージェント(これを単独ではなく、ほかの要素と組み合わせて使用すべきだとグリーンは考えている)やウェアラブル端末、位置情報の精度を高めるBluetoothのビーコン、信号処理、嗅覚センサー(これについては、世間は受け入れる準備が整っていないかもしれないが)などのことだ。
「歴史的に見れば、それこそがスティーブ・ジョブズ時代のアップルの魅力でした」とグリーンは話す。「突き詰めると、技術面で先見の明をもつマーケティングの天才がデザインリーダーシップを発揮し、すばらしいチームと投資家を惹きつけ実現したことです。もちろん、ジョナサン・アイブは革新的な成果を生み出すために必要な重要な要素の多くを備えています。さらに、そうした要素を結集させる影響力も持ち合わせています。多くの先端技術や可能性はすでに手の届く範囲にあり、画期的なイノベーションの実現が期待されるのです」
「AI版iPhone」のような製品
LoveFromの新製品の噂や報道では当初、「AI版iPhone」という言葉が使われていた。人々が日常的に最先端の技術を使えるようにすることで、圧倒的に成功するデバイスをつくることが、LoveFromには期待されているのだ。
LoveFromとOpenAIが手がけ、新たな時代をかたちづくることになるシステムの主な要素は、iPhoneとは対照的なものである可能性が高い。社会生活を妨げたり画面に依存したりすることにまつわる説明は、アイブがこれまでスマートフォンやソーシャルメディア中毒に対する過去の曖昧なコメントの内容とも一致している。
アイブは、自身の子どもたちが画面と接する時間を制限していると公言している。2018年に開催された「WIRED25 Summit」で、現代人は「つながりすぎているのではないか」というアナ・ウィンターの質問に対し、アイブはこう答えていた。「イノベーションはその性質上、それがもたらす結果をすべて予測することはできません。わたしの経験上、イノベーションは予想外の結果を生み出します。それにはすばらしいものもあれば、そうでないものもありました」
Daylightの創業者であるアンジャン・カッタも、スマートフォンを使う習慣やサンフランシスコ文化からの脱却を目指している。同社のタブレット端末「DC-1」は、従来の流れに逆らい、60fpsの紙のようなディスプレイを採用している。
ブルーライトや画面のちらつき、依存を引き起こす通知など、現在の消費者向け技術における有害な要素は人々の病気を悪化させ、不安を増長させる可能性があると、カッタは語る。「目の疲れや概日リズムの乱れ、注意欠如・多動症(ADHD)の症状の悪化、不安やうつなどのメンタルヘルスの問題を含め、現代的な技術の最大の欠点を直接経験してきました」とカッタは話す。「だからこそわたしは、人の時間と体力を奪わないコンピューティングデバイスを開発する動きを全面的に支持しています」とカッタは話す。
消費者向け技術が引き起こした混乱
人間と機械の相互作用におけるパラダイムシフトは、アイブにとって過去20年間、消費者向け技術が引き起こした混乱を、より社会的なアイデアを用いて正す機会になるのだろうか。アイブがこの混乱に部分的に貢献したことは事実である。
「ジョナサン・アイブが罪を償おうとしているとは思えません」と、戦略デザインエージェンシーSeymourpowellのクリエイティブテクノロジー部門の副ディレクター、クレイグ・バンヤンは話す。「デバイスの工業デザインが、ソーシャルメディアの有害な文化を生み出したわけでも、無限にスクロールする習慣を助長したわけでも、匿名のユーザーにヘイトを広める力を与えたわけでもありません」
とはいえ、いまわたしたちはスマートフォンの誕生時に似た「転換点」に近づいているのかもしれない。AIを搭載したシステムが、ユーザーに意識的な操作や同意を求めることなく、音声で操作できたり、周囲の環境に合った通知を提供したり、文脈に基づいて適切に反応したりする機能をもつようになる可能性をバンヤンは指摘している。
ジョナサン・アイブが人類の「デジタル救世主」となるかどうかにかかわらず、彼は「人間の相互作用のリズムと自然に組み込まれる技術」に関心をもっている。アイブの同僚でフォーサイト部門のディレクター、マリエル・ブラウンは、生成AIの目指すべきモデルとしてフランスの「サヴォワフェール」の概念を提唱している。「社会的な状況に円滑に対応できる能力が、現在の仮想アシスタントの価値を大きく高める可能性があります」とブラウンは話す。「これは自律性や自由意志の問題ともつながっています。これらのシステムは、利便性と個人の主体性の間の微妙なバランスを保つ責任を負うことになるので、非常に重要な問題なのです」
AIがどのように擬人化され、現実世界に実装されるかという議論において、スパイク・ジョーンズの映画『her/世界でひとつの彼女』を参考にする必然性は薄れている(ただし、AIシステムは、美しくつくり込まれた製品や日常で気にならないアクセサリーに組み込まれる可能性はあるだろう)。わたしたちはLoveFromの本社のビジョンボードに、A24による最近のドラマ「サニー」がとり上げられることを期待している。この作品の舞台となっている近未来の京都では家庭用ロボット「HomeBot」が一般的な存在となっている。
劇中に登場するアシスタントロボットは、番組の統括責任者であるケイティ・ロビンスの要望に基づいてWētā Workshopが制作したものだが、最も印象的な点は日常生活に溶け込むディスプレイに依存しないコンピューター技術だ。ラシダ・ジョーンズ演じるスージーたちは、レトロで未来的な携帯型の「電話」を操作する。この電話の設計は非常に優れており、スマートイヤフォンの充電ケースとしても機能する。このイヤフォンはリアルタイムの翻訳機能や、画像と動画をすぐに自宅の巨大なプロジェクターに転送する機能をもつ。
スマートフォンの見た目は1960年代の日本のライター、紙のような電子ディスプレイは障子を参考にしたものだ。すべてが非常に洗練されており、たとえばHumaneのレーザープロジェクターよりも、イヤフォンの充電機能といった細部が後々大きな違いをもたらすかもしれない。
LoveFromによるこれまでの製品
手がかりを探すためにLoveFromの過去の製品を振り返ったところ、モジュール方式とサステナビリティがこれまでの作品に共通する2つの要素のようであった。最近発表されたモンクレールのフィールドジャケット、ダウンジャケット、パーカー、ポンチョのコレクションにも当てはまる。
2,000ドル(約28万円)以上するジャケットは1枚の生地からつくられ、モジュール式のインナーとアウターをつなぐために、2つのパーツで構成される磁石付きのアルミニウム、スチール、真鍮のボタンが使われている。また、LoveFromはフェラーリの車内デザインにApple Watchのようなデジタルな“雰囲気”を加えることを求められていた。LoveFromのチームはフェラーリのレーシングカーとスポーツカーの伝統に基づいたハンドルのプロトタイプも設計し、フェラーリのオーナーであるアニェッリ家に提案している。
アイブとニューソンのチームは、5年にわたり高級ブランドとのコラボ製品の開発にとり組んできた(これには無償で手がけた限定版のレコードプレイヤー「Linn Sondek LP-12」のデザインも含まれる)。まるでジャズミュージシャンが、別のジャズミュージシャンを称賛しているような状況である。
アイブの執拗なまでのこだわりは、LoveFromが長い時間をかけてつくり上げたセリフ体のフォント(バスカービル書体をベースにしたもの)、チャールズ3世の戴冠式のエンブレム、そしてサンフランシスコのLoveFrom本社を中心に進められた建築プロジェクトにも反映されている。
LoveFromがアップルの仕事をどれほど引き受けているかは不明だが、アップルは同社の最初の顧客であると言われている。駐車場を都市景観や緑地に変えることに数千万ドルを投じたり、都市不動産に関する財務のアドバイスを無視したり、名高いプロジェクトを無償で引き受けたりする。これらは正しく自由を手に入れた人物の行動だ。
アップル並みの人材、資本、野心
アイブはアップルの社員を多く引き抜いている。Apple Watchの開発にかかわるためにアップルに迎え入れられた著名な工業デザイナーのマーク・ニューソンだけでなく、エヴァンズ・ハンキーとタン・タンも引き抜いた。ハンキーは、アイブが2019年にアップルを去った後に同社の工業デザイン担当副社長を務めた。タンはクパチーノでiPhoneおよびApple Watchの製品デザイン担当副社長だった。その2人がいまは、密かにAIデバイスの開発を進めるスタートアップで働いている。
アイブとニューソンは研究所や学術機関に見られるような自由な研究と開発手法に根ざす文化をLoveFromで築いたようだと、インペリアル・カレッジ・ロンドンのスティーブン・グリーンは指摘している。「アイブの父親はデザインと技術の教師で、アイブ自身、実際的なハンズオンの手法で周囲の物理的な世界に触れて育ったという話をとても気に入っています」とグリーンは語る。「だから、ジョナサン・アイブは常にハードウェアに関連した人物として語られます。そして人間には精神運動面の潜在的な能力が多く備わっています。つまり、触覚と感覚の関係性や手を動かしたときの脳の反応と処理に関する能力です」
この手法は、AIハードウェアの責任ある開発において重要な役割を果たす可能性があるとグリーンは話す。「わたしたちが、この潜在能力を解放するためにしていることのひとつは、製品開発プロセスの非常に早い段階で、簡易的なプロトタイプをすばやくつくって検証することです」と説明する。「これにより、(自律型インターフェイスに)「オズの魔法使い技法(ウィザード法)」を用いたりロールプレイをしたりと、ケンブリッジ大学の会議室でAI倫理について悩む学者たちには決してできない方法で、さまざまなアイデアを実際に試すことができるのです」
アイブは『New York Times』に対して、これまでに約10名のスタッフを自身の会社のために雇ったと語っている。また、LinkedInを調べたところ、LoveFromで働いていると考えられる人物が数名見つかった。例えば、アップルでUIデザイン部門の責任者を務め、LoveFromのセリフ体のフォント開発に関わったデザイナーのクリス・ウィルソン、デザイナーおよびヒューマンインターフェイスのデザイナーとして15年以上アップルに在籍したCCワン・シ・ワン、Apple Watchのデザインマネージャーを9年間務めたケビン・ウィル・チェン、さらにアップルの元インターフェイスおよび工業デザイナーのビオッツ・ナテラ・オラルデ、ジョン・ゴメス、ジョー・ラックストン、Google Nestの元ユーザーインターフェイスデザイナーのマイク・マタスなどだ(加えて、アップルの経営オペレーション、タレント開発、製造、コミュニケーション部門から引き抜かれた社員もいる)。
こうして見ると、LoveFromはアップルの水準を満たす人材を擁しており、資金面でもアップルの水準に限りなく近づいているように見える。同社は今年末までに10億ドルの資金調達を目指しているのだ。さらにサム・アルトマンが関与したことで、アップル並みの野心を抱くようにもなった。
コンピューターを根底から再考
「AIはすべてを加速させるものです」とDaylightのアンジャン・カッタは言う。「現代のコンピューターにAIを投入すると刺激や中毒性が10倍になり、人々をゾンビに変えます。コンピューターのあり方は根幹から腐っており、AIはそれをわたしたちの精神に深刻なダメージを与えるものに変える可能性があります」
「しかし、コンピューターを根底から再考し、目的にぴったりと合わせたかたちでAIを組み込めば、コンピューティングは人間性を損なうものではなく、むしろ高める道具として再び価値をもつかもしれません」とカッタは話す。「アイブが単にAIを導入するのではなく、コンピューターの根本的なあり方を見直し、より人間的なコンピューターをつくる手段として考えていることに期待しています」
アップルのスタッフは皆、製品にまつわるストーリーを語ることを忘れない。ジョナサン・アイブとLoveFromがインタビューを通じて伝えようとしている物語には思いやり、職人技、責任感といった要素が散りばめられている(モンクレールの製品発表、伝統的なブランドとのコラボレーション、LoveFromのマスコットであるクマのモンゴメリーのアニメーション、さらにはボタンに関する本を含む)。これは、テクノロジー業界の典型的な人物像への洗練された反抗の精神を表すものでもある。こうした稀有な性質が、顧客から年間2億ドルの報酬を受けとるために必要なものなのだ。
LoveFromのこうした基本理念は、今後数年間のOpenAIのあり方を方向づけたり、かたちづけたりする上で、かなり有用になるかもしれない。ただしそれは、“壊しながらでも速く進む”ことと、“真摯で綿密な推敲作業”が共存できた場合に限られるだろう。
(Originally published on wired.com. Translated by Nozomi Okuma, edited by Mamiko Nakano)
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雑誌『WIRED』日本版 VOL.54
「The Regenerative City」
今後、都市への人口集中はますます進み、2050年には、世界人口の約70%が都市で暮らしていると予想されている。「都市の未来」を考えることは、つまり「わたしたちの暮らしの未来」を考えることと同義なのだ。だからこそ、都市が直面する課題──気候変動に伴う災害の激甚化や文化の喪失、貧困や格差──に「いまこそ」向き合う必要がある。そして、課題に立ち向かうために重要なのが、自然本来の生成力を生かして都市を再生する「リジェネラティブ」 の視点だと『WIRED』日本版は考える。「100年に一度」とも称される大規模再開発が進む東京で、次代の「リジェネラティブ・シティ」の姿を描き出す、総力特集! 詳細はこちら。