未分化の細胞の“変身”を、ミリ秒単位で記録する──米研究者がつくった「4次元電子顕微鏡」の威力

発生生物学者が「人生において最も重要な瞬間」と呼ぶ「原腸形成」を、つぶさに記録できる画期的な顕微鏡が登場した。胚が組織や臓器へと分化していく様子を、高解像度でリアルタイム撮影する。成長の速いマウス胚の分裂など、これまで人の力では撮影できなかったものも捉える仕組みとは。
未分化の細胞の“変身”を、ミリ秒単位で記録する──米研究者がつくった「4次元電子顕微鏡」の威力
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完全なマウス胚が組織へと分化する様子を、世界で初めて個々の細胞単位でリアルタイム撮影した動画。研究チームは畳み込みニューラルネットワークを利用して、画像データから細胞分裂を自動検出した。動画のなかの色付きの点は分裂箇所を示している。VIDEO . MCDOLE ET AL./JANELIA RESEARCH CAMPUS/CELLCOURTESY K

完全なマウス胚が組織へと分化する様子を、世界で初めて個々の細胞単位でリアルタイム撮影した動画。研究チームは畳み込みニューラルネットワークを利用して、画像データから細胞分裂を自動検出した。動画のなかの色付きの点は分裂箇所を示している。VIDEO . MCDOLE ET AL./JANELIA RESEARCH CAMPUS/CELL

フィリップ・ケラーの研究室に設置された最新の顕微鏡は、少なくとも素人目には、とうてい顕微鏡とは思えないしろものだ。

絡み合ったコードが、金属製の台に設置された種々のパーツと上部の棚のポートとをつないでいる。その中心に、色付きのアクリル板でできた、いかにも重要そうな立方体が鎮座している。さらに、換気口でよく見られる伸縮自在の銀色のダクトが、とって付けたように本体から伸びている。

全体の印象はミステリアスで本格的でありながら、どこか滑稽だ。もし『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に登場する発明家のドクが、タイムマシン「デロリアン」の開発に忙しくなければ、代わりにこんなものをつくったかもしれない。

未分化の細胞の“変身”を、ミリ秒単位で記録する──米研究者がつくった「4次元電子顕微鏡」の威力
PHOTOGRAPH COURTESY K. MCDOLE ET AL./JANELIA RESEARCH CAMPUS/CELL

「この顕微鏡は本当に、何から何まで特殊です」と、ケラーは言う。彼はハワード・ヒューズ医学研究所(HHMI)のジャネリア・リサーチ・キャンパスに所属し、発生生物学と光物性物理学を専門に研究している。装置が特殊なのは、ほかのどの顕微鏡にもできないことを行えるよう設計されているからだ。

この顕微鏡を使えば、生きた哺乳類の胚の内部を覗き込み、未分化の細胞の塊が、脳や心臓といった生体組織や臓器のもとになる複雑な構造へと変化していく様子を、克明に記録することができる。

原腸形成のプロセスをつぶさに記録

この“変身”は、学術用語で「原腸形成」と呼ばれ、その重要性は広く認識されている。かつて発生生物学者のルイス・ウォルパートが、「人生において最も重要な瞬間は、誕生でも、結婚でも、死でもなく、原腸形成だ」と述べたほどだ。しかし、そのプロセスには謎が多い。

「わたしたちは原腸形成のプロセスを一つひとつの細胞レヴェルで観察し、その複雑な挙動を解明し、移動や分裂をつぶさに記録できるテクノロジーを生み出したかったのです」と、ケラーは言う。彼らは、学術誌『Cell』に2018年10月11日付けで掲載された論文で、この最新の4次元電子顕微鏡がどうやってそれを実現したかを説明している。

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この動画は、マウスの胚発生において、細胞の分裂と分化がいつ、どこで起きるかを示している。小さな細胞の塊が、組織や臓器から構成された秩序あるボディプランへと変化してゆくのがわかる。可視化にあたっては、同じくケラーらが独自に開発したソフトウェアを利用して、さまざまに異なった細胞の発生プロセスを記録し、再構築している。VIDEO . MCDOLE ET AL./JANELIA RESEARCH CAMPUS/CELLCOURTESY K

この動画は、マウスの胚発生において、細胞の分裂と分化がいつ、どこで起きるかを示している。小さな細胞の塊が、組織や臓器から構成された秩序あるボディプランへと変化してゆくのがわかる。可視化にあたっては、同じくケラーらが独自に開発したソフトウェアを利用して、さまざまに異なった細胞の発生プロセスを記録し、再構築している。VIDEO . MCDOLE ET AL./JANELIA RESEARCH CAMPUS/CELL

ケラーには、胚イメージング技術を開発した経験があった。彼の研究チームは10年前、史上初めてゼブラフィッシュの「デジタル胚」をつくりだした。2014年にはハエのデジタル胚を作成した。しかし、これらはどちらも胚が小さく透明なおかげで、比較的簡単にイメージングできる。

一方、哺乳類となると話は別だ。マウスの胚は、実験室の環境で生かしておくのが難しいうえ、発生中の組織は不透明だ。しかも、ハエや魚よりも成長が速い。マウスの場合、原腸形成と組織発生は、受精後6.5〜8.5日の間の48時間のうちに起きる。この間に胚の体積は200倍に成長し、形態が劇的に変化する。

人間には不可能な速さの撮影

変身を遂げる間ずっと胚に焦点を合わせておくのは、既存のどんな撮影装置と経験豊富な研究者をもってしても、解決不可能な課題だった。発生が速すぎるし、変化が大きすぎるのだ。

動画を作成するのに十分な数の高解像度画像を撮影するには、1分おきに数千もの精緻な計算と微妙な調整を行う必要があった。「生身の人間にはこの速さは不可能です」と、ケラーは言う。

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研究チームは新たな解析手法も開発し、「TARDIS」と名付けた。この方法は、複数の胚発生データを合成し、「平均胚」をつくるものだ。個々の胚発生のあいだの差異を定量化し、変異や異常のある胚の発達過程が通常とどう違うのかを分析することができる。VIDEO . MCDOLE ET AL./JANELIA RESEARCH CAMPUS/CELLCOURTESY K

研究チームは新たな解析手法も開発し、「TARDIS」と名付けた。この方法は、複数の胚発生データを合成し、「平均胚」をつくるものだ。個々の胚発生のあいだの差異を定量化し、変異や異常のある胚の発達過程が通常とどう違うのかを分析することができる。VIDEO . MCDOLE ET AL./JANELIA RESEARCH CAMPUS/CELL

そこで彼らは、計算と調整を自ら行う顕微鏡をデザインした。胚の大きさと位置を捕捉するようプログラムしたアルゴリズムが、2つのカメラと2つの光シートを制御する。この光シートが細い帯状のレーザー光を発し、サンプルの断面を照らす。胚そのものは、装置中央にある、例の重要そうなアクリルボックスの中に収められる。

アルゴリズムが光シートの位置を決め、同時にサンプルの変化や成長を記録することで、モーターが緻密に調整されて胚の空間配置を定める。これらはすべてミリ秒単位で行われる。その結果、20ミリ秒ごとに胚の写真が2枚ずつ新たに撮影されていく。

動画を見ての通り、そこには新たに形成された心臓の最初の拍動や、脳や脊髄のもとになる神経管の発生が見事に記録されている。研究チームは、100個の胚が発生する動画を作成し、新型顕微鏡の実力を示した。撮影した画像の数は、動画ひとつ当たり100万枚近くにのぼった。

2〜3年かかる研究を数時間で完了させる新ソフト

動画分析のため、ケラーのチームは新たなソフトウェアツールも開発した。ひとつ目は「統計的ヴェクトルフロー」と呼ばれるもので、受精後8.5日の胚の細胞一つひとつの発生過程をさかのぼり、元の位置を特定する。ケラーによれば、この作業を人の手で行えば2~3年はかかるが、スーパーコンピューターを使えば数時間で完了するという。

ふたつ目の「細胞分裂検出プログラム」はその名のとおり、細胞分裂の起きている箇所を自動で記録してくれる。3つ目のプログラムは、英国のテレビドラマ「ドクター・フー」に登場する時空移動装置にちなんで「TARDIS」と呼ばれている。

その役目は、時空間的に異なる4つの胚を合成して、ヴァーチャルな「平均マウス胚」を作成することだ。平均胚は、変異や異常のある胚の発生過程と比較する基準として役立つ。

マウス胚の心臓の拍動を、細胞単位の解像度でリアルタイム撮影した動画。VIDEO . MCDOLE ET AL.JANELIA RESEARCH CAMPUSCELL
マウス胚の心臓の拍動を、細胞単位の解像度でリアルタイム撮影した動画。VIDEO . MCDOLE ET AL./JANELIA RESEARCH CAMPUS/CELLCOURTESY K

マウス胚の心臓の拍動を、細胞単位の解像度でリアルタイム撮影した動画。VIDEO . MCDOLE ET AL./JANELIA RESEARCH CAMPUS/CELL

トロント小児病院の発生生物学者であるジャネット・ロサントは、「これまではスナップショットを撮ることしかできませんでした。けれども、今回のアプローチでは、生きた胚内部の細胞の挙動や発生を観察し、動的プロセスを記録できます」と語る。彼女も先端イメージング技術を利用した初期胚の研究を専門にしている。ただし、今回の研究には関わっていない。

ロサントをはじめ、何人かの研究者がすでにこの顕微鏡の利用を予約している。ケラーのチームは、HHMIジャネリア・リサーチ・キャンパスを通じ、装置を自由に共同利用できるようにしているのだ。

見た目は二の次で機能重視のつくりではあるが、この顕微鏡の開発には約50万ドル(約7,200万円)の費用がかかっている。しかも、開発には光物性分野の高度な専門知識が不可欠だった。

ほかの研究者たちもこの装置を使えるようにすることで、装置をゼロからつくり直したり大枚をはたいて購入したりすることなく、研究に専念できる。ちなみに、根っからのDIY派のために、ケラーのチームは設計図も公開している。


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TEXT BY ROBBIE GONZALEZ

TRANSLATION BY TOMOYUKI MATOBA/GALILEO