この数年、北日本文学賞全体のレベルが高くなってきたと去年の選評で書いたのだが、ことしは去年よりもさらによくなって、岡本佳奈さんの「月と鱧」に至ってはプロの作家でもこれだけの短編を書ける人は少ないだろうと驚いてしまった。
派遣社員として働く若い女性のなんでもない日常であり、面白くもなんともない筆致で、まあつまりは貧乏くさい小説なのに活気がある。毎月の暮らしに頭を悩ます日々であるだろうに、その活気が生み出す明るいリズムに読み手もいつのまにか乗っていって、わたしも真面目に明るく生きていこうという気持ちに引き込むのだ。
なんだこんな小説のどこがいい、と言う人は、これを超えるものを書いてみるがいい。誰もが簡単に書けそうで、どうにも追い越すどころか追いつくこともできない手練(てだ)れで計算された文体と構造によって生み出されていることがわかるであろう。
つくしさんの「子供を売る男」は初めての時代小説で、江戸時代には子供をさらってきて売るという商売をしている輩は珍しくなかったであろうと納得させるし、文章の安定感もあるが、最後がいかんともしがたく「予定調和」となってしまっている。こういうストーリーだと、予定調和にならざるを得ないので、どうかそうならないでくれと思いながら読み終えて、少しがっかりした。しかし、力のある書き手であることは間違いなくて選奨として選んだ。
すずきあさこさんの「ちび丸の背中」は、おずおずとマジックリアリズムの手法を取り入れて、斬新な世界に挑戦したが、その挑み方に遠慮、もしくはこわごわにといった筆遣いが感じられて、時間軸のずれが希薄になってしまったと思う。過去の自分のあとをついていくもうひとりの自分を書くときは、失敗なんか恐れずに、徹底的に絵空事にしてしまうほうがいい。ガルシア・マルケスのあの尻のまくり方から学ぶがいい。しかし、あれも真似(まね)たくても出来ない世界なので、たいていはよくあるSFもどきに仕上がってしまう。この「ちび丸の背中」がいい例であるが、筆力は買わざるを得ないので選奨とした。
谷原悠さんの「オーバーザロード」は長い年月にも始まりがあったという感慨を抱かせて、味のある短編になっている。東北の震災が下敷きとなっているが、あれほどの被害の大きさはちょっとやそっとでは人々の胸から消えないものなので、フィクションの部分とそうでない部分とは曖昧にするわけにはいかない。そこのところを谷原さんがもっと意識の底に置いておけば、寺の跡取りの主人公の進むしかなかった道をもっと深く描けただろう。
中村勇弥さんの「師匠」も面白い素材だった。この師と弟子はどうなっていくのかと思いながら読んだが、終わりのところで師匠が別の人に変わっている。なんだその程度の師弟だったのかとがっかりした。
牧野靖枝さんの「雪が降る前に」は数年前にしょっちゅう北日本文学賞の候補となった作品のどれかが今回の候補作としてどこかで混ざってしまったのかと疑うような短編だった。よくある普通の小説だという意味である。