富士山測候所勤務の職員に聞く 厳冬期の富士山はどんな山?
2020/02/23 05:26 ウェザーニュース
2月23日は今年から「天皇誕生日」になりましたが、語呂合わせで「富士山の日」(静岡県は2009年制定、山梨県は2011年制定)です。厳冬期の富士山はどんな山なのか、年間を通して富士山測候所に交代勤務していた元気象庁職員に話を聞きました。
冬は吹き荒れる暴風雪
かつて山頂にあった富士山測候所のレーダードーム
「暴風雪で登れず、太郎坊避難小屋で待機することもしばしばでした。雪上車もありましたが、雪が多いときは雪上車も登れない時もあります。山頂での勤務も、屋外では手すりを握って飛ばされないようにしたり、舞い上がる雪や濃い霧で視界が全くきかないこともありました」と佐藤政博さん(80歳)が富士山測候所時代を振り返ります。
佐藤さんは1976年4月から1987年3月の11年間、富士山測候所で山頂勤務していました。富士山測候所は1班5人体制で、3週間ごとに交代。全部で6班あり、1班は年4回勤務、通算で年に12週間を富士山頂で過ごすことになります。
滑落で遭難することも
殉職者の4人を弔うために建立された殉難碑
富士山測候所に行く日は、前夜、太郎坊にある避難小屋に泊まり、朝6時半に雪上車に乗って5.5合目付近で下車。そこから登り始め、昼前に7合8勺の避難小屋で昼食休憩。順調に行けば山頂には午後3時頃までに到着します。
「荒天が続く冬は、途中で断念して引き返したり、7合8勺の小屋で宿泊したり、交代が登ってくることができず、測候所に1週間留め置かれたこともあります。私自身が下山中に転倒して骨折し、1年にわたり測候所勤務に就けなかったことがあります」(佐藤さん)
冬の富士山は遭難する登山者が少なくない。富士山測候所に遭難の連絡が入り、佐藤さんたちが捜索して収容したこともあると言います。富士山測候所ができた1932(昭和7)年から約70年の間に測候所勤務の職員が滑落などで4人が殉職しています。いずれも冬のことでした。
今も残る富士山測候所
佐藤さんは山頂勤務を離れて10年後、1997年に富士山測候所長として御殿場基地事務所に戻ってきます。
「私の最後の大仕事は1999年の富士山レーダー運用停止でした。私の定年退官後の2004年に富士山測候所は無人化され、気象レーダーとドームも撤去されました。しかし、富士山測候所庁舎は今もあり、NPO法人『富士山測候所を活用する会』が借用して、毎年7〜8月に様々な研究観測活動を行っています」(佐藤さん)
富士山の日に、厳冬期に富士山頂で気象観測に従事していた人々に思いをはせてみませんか。