「2浪筑波→プロ野球」今は医者を目指す彼の半生 元横浜DeNAベイスターズ寺田光輝さんに聞いた

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筑波大学に進学してからの寺田さんは、朝9時から15時半まで授業を受けたあと、16時から20時半まで練習をする生活を続けます。三重大よりもさらにレベルが高い環境に驚きながらも、人が成長するためには環境がとても大切であることにも気づけたそうです。

「自分よりはるかにレベルが高い集団に入って、自分の上限が引き延ばされた感じがします。いくらやってもダメだと思ったこともありましたが、どうやったら周囲に追いつけるかを考えました。

自分で決めた1日のノルマをやり切ることに重きを置いて、PDCAサイクルを回すことを意識しました。筋力を鍛えたり、技術を鍛えたり、フィールディングをよくしたり……投球をする際の配球や打者の心理なども、いろいろと考えましたね。その積み重ねで実力を底上げできたのも、浪人時代の経験が生きているのだと思います」

1年生のときは135キロだった球速が、試行錯誤の日々のおかげで4年生では142キロまで伸ばせた寺田さん。とはいえ、チームで7番手投手くらいだったこともあり、自分にプロ野球選手は無理だと思い、就職活動をして地元の企業から内定をもらいます。

ついにプロ野球選手に

しかし、助監督に進路報告をしたときに「考え直せ」と言ってもらえたことで、自分の中でもまだ野球をやりきれてないと気づいた寺田さん。内定を辞退して、プロ野球独立リーグ・石川ミリオンスターズに入団しました。

ここで寺田さんは、プロからの目に止まる成績を残します。チームに大学のときと同じくらいすごい選手がいたことで、球速で争うことをやめる決断をして、変則サイドスローに投法を変えたことがきっかけで、寺田さんは活躍できるようになりました。

そして、石川ミリオンスターズ在籍2年目の2017年に、横浜DeNAベイスターズから指名され、プロ野球選手になるという夢をかなえました。

しかし、プロ野球選手になってからの生活は、今までにも増して「まったく歯が立たない」という感覚があったようです。

2年目を迎えた2019年には「確実に今年が最後だ」と思っていたそうですが、その中でもプロとしてのプライドを持ち、使命感や責任感を抱えて日々努力を重ねました。結果としてこの年で引退を決意しますが、悔いなく野球生活を終えることができました。

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