紀元前に起きたシンギュラリティからの「温故知新」:能楽師・安田登が世界最古のシュメール神話を上演するわけ

「人類は過去にもシンギュラリティを経験している」。能楽師・安田登によれば、文字の発明は人間と世界を大きく変えた。文字が登場した直後の物語であるシュメール神話『イナンナの冥界下り』を公演することで、安田は過去のシンギュラリティから未来へ備える術を学ぼうとしているという。安田から能を学ぶドミニク・チェンと酒井雄二との鼎談から、世界でも類をみない試みを紐解く。
紀元前に起きたシンギュラリティからの「温故知新」:能楽師・安田登が世界最古のシュメール神話を上演するわけ
能楽師・安田登(中央)を囲む、情報学研究者のドミニク・チェンとミュージシャン・酒井雄二。安田はドミニクと酒井の能の師匠。3人は能だけでなく、テクノロジーや未来について議論を交わすことも多いという。PHOTOGRAPH BY DAIZABURO NAGASHIMA

技術的特異点を意味する「シンギュラリティ」について議論するとき、われわれは意識せず、それを未来のものだと思い込んでいる。たしかに、シンギュラリティという言葉は、現在の延長線上にある高度に発達したテクノロジーによってもたらされる変化を想定して用いられるのが一般的だ。

しかし、2016年のWIRED CONFERENCE「FUTURE DAYS」で、能楽師・安田登は「人類は過去にもシンギュラリティを経験している」と語った。そしてその証左になるのが、文字が生まれた直後の文化、たとえば甲骨文字だと指摘した。

能楽師である安田は、2015年からシュメール神話『イナンナの冥界下り』を毎年公演している。世界最古の神話とされる『イナンナの冥界下り』を、シュメール語と能で演じるという試みだ。安田はこれにより、言葉の発明前後で人間、そして世界はどう変化したのかを明らかにしたいという。

2017年6月23日の公演に先駆け、『WIRED』日本版は安田から能を学ぶ情報学研究者のドミニク・チェンと、ヴォーカルグループ・ゴスペラーズの酒井雄二と安田の鼎談を実施。世界でも類をみない試みから、次のシンギュラリティを生き抜くヒントを探る。


「Human2.0」になれなかった孔子

ドミニク・チェン(以下、ドミニク) そもそも安田さんはなぜ、「シュメール語で書かれた物語を能で演じる」ということをしているのでしょうか。

安田登(以下、安田) わかりにくいですかね(笑)。

ドミニク わかりにくいですね(笑)。

安田 その話をする前に、前提になる『論語』の話をしてもいいですか。

ドミニク また予想外のものが出てきましたね(笑)。

安田 孔子の言行録である『論語』のなかで最も重要なテーマは「仁」です。しかし、実は、孔子は「自分ですら、『仁』に至っていない」というようなことを述べていました。そもそも、当時まだ「仁」という漢字がないのです。

酒井雄二(以下、酒井) すっかり、孔子は仁を体現している人なのだと思い込んでいました。

安田 孔子はもう少し先の人間を想像していたのではないでしょうか。『論語』は「ひとはそろそろ、いまの人間を超える新たな存在になるべきではないか」と提案しているように読める。そして孔子は、「人」と「二」から成る「仁」という新たな人間像を創出したのではないか、なんて話をしたら、ドミニクさんが言うんですよ。

ドミニク それはまるで「Human2.0」じゃないか、と。

一同 (笑)

ドミニク まさに「人」と「二」という漢字の組み合わせなので。

酒井 字面から。

ドミニク 字面もそうですが、仁についての孔子の説明を聞いていると、それを聞いて真っ先に思い浮かんだのがニーチェの「超人」の概念なんです。「人間のヴァージョンアップ」という意味と近しいことが言われている。

酒井 時代も地域も異なる孔子とニーチェが、人間のさらなる進化について考えていた、というのは興味深いですね。

ドミニク 最近だと、イーロン・マスクが「ニューラル・レース」の構想を発表しましたよね。脳内にコンピューターと通信できるモジュールを挿入して、人工知能に勝てる人間をつくる、という。

酒井 いよいよ『攻殻機動隊』や『マトリックス』の世界だ。

ドミニク レイ・カーツワイルはシンギュラリティについて、機械の知能が人間を超えると言いました。一方で、人間がどう変わるかということについては、彼はあまり言いません。そこで、イーロン・マスクは「ニューラル・レース」というヴィジョンを打ち出した。

安田 人工知能の進化に警鐘を鳴らし続けた、彼らしいヴィジョンではありますね。シンギュラリティに「リテラシーを高めて対抗する」というのはイマイチです。いっそ、人間が機械を取り込んでしまおう、という。

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安田登が持参した甲骨文字関係の蔵書。かつて安田は漢和辞書の編纂に携わっていたこともあるという。PHOTOGRAPH BY DAIZABURO NAGASHIMA

「身体の拡張」としての孔子の「礼」

酒井 孔子の時代には当然、コンピューターはなかったわけですが、どうやってHuman2.0を実現しようとしたのでしょうか。

安田 孔子は仁の前に「礼」と「知」が重要だと述べているんですね。これらがそろってHuman2.0である「仁」になるための準備が整うという。ここでいう「礼」とは、われわれにとってのロボットに近いものなんです。

ドミニク これはわからない。

安田 いま使っている礼は「広義の礼」で、これは六芸(りくげい)と呼ばれる6つの要素、「礼(神霊や人に意思を伝えること)」「楽(音楽を奏でること)」「射(弓を射ること)」「御(馬を操ること)」「書(文字を書くこと)」「数(数を数えること)」をひっくるめたものです。これらはすべて、身体の拡張ツールなんです。

ドミニク なるほど。自分の身体にできないことを、ほかのものにさせるということですね。

安田 そうです。いちばんわかりやすいのは「御」ですね。馬に乗ることで速く走れるわけで、馬は足という身体の拡張ツールだということができます。

ドミニク いまならまさに自動運転車だ。

安田 「射」ではさらに、「未来をシミュレートする」ことが必要になる。物を投げるときには、狙いを定めなくてはなりませんから。このとき、人間は物理的な拡張だけでなく、時間的な拡張もしているわけです。


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酒井 それでは、「楽」はどうでしょう。

安田 孔子は「礼に立ち、楽に成る」と述べています。楽を礼の最上位に位置づけているんですね。「書」や「数」などのほかの礼よりも簡単に、感情に働きかけることができるから。

酒井 言葉による伝達力を音楽が超えるということでしょうか。

安田 そうです。たとえば昔の戦争で、主従関係がある武士は礼でも動くでしょう。では、農民はどうか。おそらく、礼では動きません。しかし、気分を高揚させる音楽、軍歌のようなものでアジテーションすれば、より多くの人を参加させることができる。

ドミニク サッカーの応援なんかで感じているのと、同じ気分かもしれませんね。

安田 孔子は「国を変えるなら楽を変えろ」と述べているくらいなんです。

酒井 当時から音楽の重要性を指摘していたのですね。

安田 人間はこのように、身体を拡張させることによって、人や動物を動かすことができるようになって、自身の身体に余裕が生じ、いろいろなことができるようになったのです。

古代、「文字」は「脳の外在化」だった

安田 そして、礼と同じように孔子が重要視していた「知」ですが、これは現代人にとってのAIになります。しかし、この知というのは、一般的に考えられて「知識」とはまた別ものです。

酒井 どのように違うのですか。

安田 知とは、「脳を外在化」させた結果、生み出されたまったく新しい精神活動であり、脳を外在化するための装置が文字でした。シュメール語でいうと、たとえばこの楔形文字は「イナンナ女神の神殿を建設した」ということが書いてあるのですが。

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この文を全訳すると「女神イナンナのために、シュメールとアッカドの王、ウルの王、力強きウルナンムが彼女の神殿を建てた」となる。右の列の3段目が、「彼女の神殿」を指すという。

ドミニク 全然わかりません(笑)。

酒井 神殿だけかろうじて…。こうして神話が書き残されるわけですね。

安田 これは、自分がこの神殿を建設したんだぞ、ということを王が記録したものです。このような自分が関わったエピソード記憶を外部のメディアに移行することによって、人間の脳にも余裕ができた。では、脳はどう変わるかというと、「ロンドンのタクシードライヴァーとバスドライヴァーの違い」という喩えがわかりやすいかもしれません。

ドミニク 以前その話をお聞きしましたね。ロンドンのタクシードライヴァーは、ロンドンの街のすべての道を知悉している必要があるし、乗客のオーダーによって最短の道順を選択しないといけないから、脳がビジーな状態。一方、バスドライヴァーは毎日決められたコースを走っていればいい。

安田 すると、タクシードライヴァーはバスドライヴァーに比べて後部海馬が大きくなる。しかし、新しいことを覚えにくくなるという論文があります。古代人はまさにタクシードライヴァーだったわけです。それが、文字を使って記憶を外在化することによって、脳に余裕が生まれて、やがて「知」を手に入れた。それが孔子のいう「温故知新」です。

ドミニク ぼくは温故知新というと、「古きも新しいものも大事だよ」くらいのイメージだったのですが、どうやらそうではないらしいですね。

安田 はい。「温故」というのは既存の知識(故)を温める、という意味です。あるいは、既存の知識を、ぬか床に入れるといってもいいかもしれません。

実は見逃されがちなのですが、『論語』の原文には「温故」と「知新」の間に「而」という字が入っています。これは、時間の経過をあらわす文字ですが、巫女の頭髪の象形だという説もあるように、ただの時間ではなく、奥深くで見えないうちに何かが変化する魔術的時間、じっくり温める時間、あるいは発酵を待つ時間です。

すると「知新」が訪れる。「新」というのは「木」と「斧」から成る漢字で木の新たな切断面、ものごとのまったく新しい視点や方法を意味します。「知」という漢字は孔子の時代にはなくて、これは「至」という字でした。

ぬか床や鍋の中から、まったく新しい視点や方法が突如として現れる、それが「温故知新」であり、そのような精神作用が「知」なのです。人は、文字を使って記憶を外在化することによって、脳に余裕ができ、そして「知」が可能になり、さまざまな発見・発明を実現し、文明や文化を生みました。

ドミニク まったく新しいものを生み出す、「スクラップ・アンド・イノヴェイション」というイメージですね。

酒井 音楽にも通じますね。古い音楽をベースに、やがて新しいジャンルを創出するような。古いものを学ばないと浅く薄くなってしまい、新しいものをつくれない。

安田 いまではその「まったく新しいもの」がさまざまなテクノロジーに当たるのでしょう。たとえばiPhoneのなかに入っているさまざまなアプリはPCにも似たものはあるし、本やゲームなどにも似たものはある。でも、その機能の最重要部分だけを取り出して、あの小さな箱に閉じ込めるという発想は、まさに「温故知新」です。わたしは孔子の時代の知と礼というのは、「Human2.0」に到達するための、まさにシンギュラリティだったと思うんです。

ドミニク 確かに、いまのわたしたちの生活で当たり前に使われている言葉や道具、音楽などが発明される以前からすれば、現代社会はすでに最初のシンギュラリティを経験している、といえるかもしれませんね。

2010年の「TED×Seeds」に登壇した安田登は、夏目漱石の『夢十夜』を舞ったあと、能独自の「未来的」身体感覚について語り、観客の度肝を抜いた。

『イナンナの冥界下り』は「なぜ」を問わない

酒井 そろそろ、シュメール劇と能の関係に話を移しませんか(笑)。

安田 そうですね(笑)。わたしは世界を飛躍的に変えたのは、心という概念だったと思うのです。心という概念ができたことにより、社会はいまのかたちになった。しかし、心は言葉ができるまでは存在していませんでした。

酒井 では、心が生まれる前は、どんな世界だったのですか。

安田 そのヒントが、最古の言葉であるシュメール語で書かれた『イナンナの冥界下り』を演じることによって、見えてくると考えています。

この物語のあらすじは、こうです。イナンナはシュメール最強の女神。天と地を統治していたが、冥界だけは姉のエレシュキガルが統治していた。あるとき、イナンナは冥界に「耳を立て」、冥界に行くことに決める。イナンナは自分のもつ地位を捨て、霊力を象徴する7つの飾り(メ)を持つ。冥界にたどり着いたイナンナは、エレシュキガルのところに至るまでに7つの門を通り、ひとつ1つの飾り(メ)を剥ぎ取られる。

裸になったイナンナは冥界の裁判官の前に連れ出され、そこで「死のまなざし」を向けられると、「弱い肉」になってしまう。イナンナが帰ってこないことで、地上ではあらゆる生殖活動が止まるが、大神エンキより使わされた者により「命の草」と「命の水」を与えられ、イナンナは復活した…。

ドミニク すごい神話ですね。これを能でやるというのは、想像もつかない。これは、現代的な「心」が生まれる前の時代の死生観を反映しているのでしょうか。もしくは、心ができる前の死生観はいまとはまったく異なることを意味しているのでしょうか。

安田 『イナンナの冥界下り』は後世にも伝承されて、アッカド語では『イシュタルの冥界下り』になりましたが、伝承版では冥界の描写が暗い。一方、本家に冥界の描写というのは一切出てきません。「死」が「暗いもの」であるという意味づけは、心が生まれた後のものだと考えられます。

酒井 心の存在以前の物語なので、やはり現代人には理解しにくいですよね。特徴として、この物語は「なぜ」に一切答えない。なぜ冥界に降りたのか、なぜ復活したのか。キャラクターの個性も背景もないから、感情移入もしにくい。

ドミニク 安田さんは『イナンナの冥界下り』を能のフォーマットに落とし込んで演じていますが、日本語に翻訳したり、「なぜ」の部分やキャラクターの個性を補足したりはしていませんよね。

安田 そうですね。実際の上演では、イナンナとエレシュキガルはシュメール語で、彼女たちと対話する人たちは日本語ですることによってストーリーは伝わるようにしていますが、あえてわかりやすくしようとはしていません。わからないものを、わからないままに提示している、ということです。

ドミニク 当時のシュメール人と同じリアリティを味わえるわけですね。ちなみに、孔子は「ポスト・心の時代」の人物という理解でよろしいでしょうか。

安田 古代中国では「心」という文字が生まれたのが紀元前1000年頃なので、わたしは心が生まれたのもそのころだと推定しています。孔子は紀元前500年くらいの人なので、心ができてから少し経ったころの人ですね。心が生まれたことにより、人々は心により翻弄されました。孔子はその時代に、仁や知という概念で、心によって生じる苦しみをなんとかしようとしたのです。

酒井 そして、最初のシンギュラリティが起こり、いまの世界に急速に近づいた、ということですね。

安田登が現代語訳した『イナンナの冥界下り』〈ミシマ社〉。本年は、2017年6月23日に東京・渋谷での公演を予定している。詳細は公式サイトから。
安田登が現代語訳した『イナンナの冥界下り』〈ミシマ社〉。本年は、2017年6月23日に東京・渋谷での公演を予定している。詳細は公式サイトから。

ポスト「心の時代」に心はなくなる?

酒井 安田さんはなぜ、『イナンナの冥界下り』や孔子に注目しているのですか。

安田 『イナンナの冥界下り』から孔子の時代、つまりポスト心の時代になったばかりの混乱は、いま、次のシンギュラリティを迎えようとしている現代社会に近いという気がしているんです。

ドミニク なるほど。新しく生まれ、広がった概念により混乱が起きたというのは、いま、フィルターバブルやポストトゥルースといった問題で混乱する現代社会と似ています。そうだとすると、今度はどんな時代になるのでしょう。

安田 わたしは、いまの「心」を上書きする新しい概念が生まれてくるのではないかと思います。

酒井 それは、どうしてですか?

安田 心ができたばかりの神話や文学には、心以前の世界の記憶が残っています。その時代の神話には、たとえば「未来のことを考えない」、「話が突然飛ぶ」、「色が少ない」などといういくつかの特徴があります。これはわたしたちが夜見る「夢」の世界に似ているでしょう。

心以前の世界は、言葉によって生みだされた「心」によって上書きされ、夢の中に封じ込められたのだと思います。そして、文字の発明というシンギュラリティによって「心」が生まれたなら、ロボットやAIによって生まれる次のシンギュラリティは、まったく別の何かになるはずです。「知」という精神活動、すなわち「温故知新」はビッグデータによってAIでも可能になりつつあります。

ならば、脳や身体をさらに外在化したことによって生じる余裕によって生みだされるものは何か。それが「ポスト心」をつくるのではないかと思っています。そして、いま心を持て余したり、あるいは心によって苦しめられたりしている人の方が、その時代をつくることも十分に考えられます。

ドミニク 一般的に言われる「心」というのは意識のことですよね。人間の意識というのは、より大きな無意識の働きの一部として現れる表層的なレスポンスに過ぎない、という考え方もあります。これから目を向けるべきは、この無意識の方でしょう。

酒井 最近思うのは、音楽を聴きに来ているお客さんは、もちろん直感的に盛り上がってもいるとは思うのですが、その盛り上がり方に定型ができているフシもあるんです。カーテンコールはするべしとか、「立ち上がってノッていないといけない」という同調圧力とか。ライヴでは「こうしなければいけない」という知識によって、情報を受け取ることが難しくなっているのかもしれません。

ドミニク 人間は礼を身につけ、知と識をもつようになったけれども、結局それは、より複雑なものの削ぎ落としに過ぎないともいえそうです。

酒井 その意味では、『イナンナの冥界下り』は能ですからね。「古代シュメール語で書かれた物語を能で演じる」というのは、複雑なものを複雑なまま伝えるということでもありますよね。

安田 時代も、東西の距離も超越した今回の公演を観て、自分のなかに起きた変化があれば、それこそがシンギュラリティを経て、予測不可能になった次の時代を生きるヒントになるのではないでしょうか。

安田登|NOBORU YASUDA
1956年千葉県生まれ。大学時代に中国古代哲学を学び、その後漢和辞典の執筆に携わる。25歳のときに能を知り、鏑木岑男師に弟子入りする。能楽師として活躍しながら、『論語』『平家物語』『古事記』などを学ぶ寺子屋「遊学塾」を東京を中心に全国各地で開催する。2015年には、古代シュメール神話を能の身体性で語る「イナンナの冥界下り」を企画。シュメール語と日本語を交えた上演が話題になり、アーツカウンシル東京の助成を得て18年にはヨーロッパツアーが予定されている。

ドミニク・チェン|DOMINICK CHEN
1981年生まれ。カリフォルニア大学ロサンゼルス校卒業、東京大学大学院学際情報学博士課程修了。博士(学際情報学)。早稲田大学文化構想学部准教授。NPO法人コモンスフィア理事として日本におけるクリエイティブ・コモンズやオープンカルチャーの普及に務め、株式会社ディヴィデュアルの共同創業者として数々のサーヴィス・アプリの企画・開発・運営に携わる。趣味はテレビゲーム。現在「WIRED.jp」で「ドミニク チェンの醸され『発酵メディア』研究」連載中。

酒井雄二|YUJI SAKAI
1972年生まれ。早稲田大学第一文学部卒。ヴォーカルグループ「ゴスペラーズ」の一員として1994年にメジャーデビューを果たす。ヴォイスパーカッションや作詞・作曲を行う。昨年から、ドミニク・チェンとともに安田登のもとで能を学ぶ。趣味はテレビゲーム。


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TEXT BY SEIICHIRO KUCHIKI