これからの50年を考えるとき、世界をかたちづくるテクノロジーをひとつ挙げるなら、それは人工知能(AI)にほかならない。機械学習がコンピューターによる自己学習を可能にし、医療診断から自律走行車に至るまで、さまざまなブレイクスルーが生まれている。同時に、多くの不安が生じているのも事実だ。誰がこのテクノロジーをコントロールするのか? 人間の仕事は奪われてしまうのか? 危険はないのか?
オバマ大統領は、これらの懸念に真摯に対応しようとしている。そして、彼がこの話題について最も話したい相手が誰かというと、それは起業家でありMITメディアラボ所長の伊藤穰一(通称Joi)だった。そこでわれわれは、ホワイトハウスでの2人の対談を設定し、AIにまつわる希望と恐怖について訊ねることにした。それから「スター・トレック」についても、ひとつだけ短い質問をさせてもらった。
──スコット・ダディッチ(『WIRED』US版編集長)
左から、伊藤穰一、スコット・ダディッチ、バラク・オバマ。会談は2016年8月24日、「ルーズベルト・ルーム」と呼ばれるホワイトハウスの会議室にて行われた。
スコット・ダディッチ(SD) 本日はありがとうございます。大統領、今日はここまでどんな1日ですか?
バラク・オバマ(BO) 忙しいね。働いてるよ。なにせ、ちょっとした国際危機がちらほらあるからね。
SD SFの世界の話だと思っていたら、すっかりわたしたちの現実を変えてしまうものになっている人工知能(AI)の話題を中心に、今日はお話できたらと思っていますが、AIの時代の本格的な到来を実感したのは、いつでしたか?
BO わたしの見るところ、本当はすでに生活のあらゆる場所に入り込んでいたのに、われわれがなかなかそれに気づかなかったということだろうね。それというのもわれわれのAI観がポップカルチャーの影響を強く受けてきたからで、『WIRED』の読者ならば馴染みある話だと思うけど、これは、汎用AIと専用AIの区別ということなんだ。
人間はこれまでに
たくさんの
いい仕事をしてきた。
これからも長い時間をかけて
同じように
取り組んでいけばいい。
SFで描かれるのはもっぱら前者。人間よりも賢くなったコンピューターが、人間なんてさして役に立たないと考えるようになり、われわれはコンピューターに飼いならされてぶくぶく太っていくか、もしくは『マトリックス』の世界のなかで生きるはめになる。
ところが、ホワイトハウスのサイエンスアドヴァイザーの話などから察するに、そんな世界が訪れるのはまだまだ先のことだ。ただ、そうした未来を思うことに意義があるのは、それが想像力を養い、選択や自由意思といった問題について思考を深めてくれるからで、それはアルゴリズムとコンピューターを用いて極めて複雑なタスクを処理する専用AIを使っていくうえでも必要なものとなる。
実際、専用AIは、医療から交通、電力供給まで生活のあらゆる面で目にするようになっているけれど、それによって、生産性や効率は格段に上がるとされている。それを正しく扱うことができれば、専用AIは、莫大な富と機会とを生み出す。けれども、そこにはダウンサイドもあって、AIはある種の職業を消滅させてしまうかもしれないといったことについて、注意深く考えなくてはならない。それは格差を広げるかもしれないし、賃金を下げるかもしれない。
伊藤穰一(JI) これをいうとムッとするMITの学生もいると思うんですが、AI技術の基礎たるコンピューターサイエンスの担い手が、圧倒的に男性が多数で、その大半が白人、しかも、「人よりも機械と話しているほうが楽」といった連中だということを、わたしは懸念しているんです。彼らの多くは、SFに登場するような汎用AIをつくれたら、政治や社会といった泥臭い問題を心配しないで済むようになると考えがちです。機械が自分たちの代わりに解決してくれるだろう、と。
BO たしかに。
JI けれども、彼らはそこにある困難を過小評価しています。わたしは、2016年はAIが単なるコンピューターサイエンス上の問題であることを超えた年だと思うんです。つまり、AIがいかに振る舞うかを知ることが、あらゆる人にとって重要になったということです。MITメディアラボでは、「拡張知能」という言葉を使っているんですが、それは、わたしたちはどうすれば社会的価値というものをAIに実装できるのか、という問題を明らかにしたいがためなんです。
拡張知能
人間の知性を拡張するために機械学習を用いること。
BO 以前一緒にランチをしたとき、Joiは自律走行車の例を挙げてくれた。テクノロジーはすでにここにある。膨大な判断を瞬時にこなせて、結果として交通事故死を劇的に減らし、交通網を効率化し、地球温暖化の原因である炭素排出の問題を解決できる、そういうマシンが、すでに手元にある。
けれども、Joiがエレガントに指摘した通り、問題は、そのクルマにいったいどんな価値判断を埋め込むのかという点にある。それを決定するためには、数え切れないほどの決断をしなくてはならない。
古典的な命題としては、クルマが歩行者をはねそうになったとき、ドライヴァーはハンドルを切れば避けられるけれど、壁にぶつかって自分が死ぬかもしれない、といったものがある。これは倫理的な命題だが、それをいったい誰が決定すべきものなのか。
JI このいわゆるトロッコ問題について調査した際、ほとんどの人が、より多くの人を救えるなら運転手と乗客が犠牲になっても構わないという考え方を支持しましたが、そんな自律走行車なら絶対に買わないとも言ってました(笑)。
トロッコ問題
「ある人を助けるためにほかの人を犠牲にしてもいいか?」という思考実験。MITメディアラボは2016年、自律走行車のlose-loseのケース(歩行者を守るために乗客は死ぬべきか、乗客を守るために歩行者が死ぬべきか)におけるAIの振る舞いを調べた。
SD こうした倫理の問題において、政府はどんな役割を果たすべきなのでしょう?
BO AIが勃興するなかでの規制については、テクノロジーの黎明期には何千もの花を咲かせるべき、というのが私の考えだ。その際、政府は研究内容についてはあまり関与せず、予算については大きくサポートし、同時に基礎研究と応用研究との対話をうながしていくべきだ。
その後、テクノロジーが次第に成熟して、それが既存の社会的枠組みと相容れなくなってきたとき、問題はより複雑になる。そうなったときに政府はもうちょっと関与を増やすことになるだろう。それは既存の枠組みに押し込めるべく規制するということではなく、規制があくまでも、さまざまな価値観の反映としてあるようにするという意味での関与だ。テクノロジーが特定の人々や集団に不利益をもたらすものであってはいけないからね。
JI 「ニューロダイヴァーシティ・ムーヴメント」についてお聞きになったことがあるかどうかはわかりませんが、テンプル・グランディンはこの問題をよく語っています。彼女によると、モーツァルトとアインシュタインとニコラ・テスラがもし現代に生きていたなら、彼らはみな自閉症と診断されていただろう、と。
BO アスペルガーとかね。
JI まさに。で、もし自閉症を完全に治癒して、それが世界からなくなって、誰もが「ニューロノーマル」になったとしたら、MITの学生たちはいまと全然違っているでしょう。
自閉症に限らず、より広義のダイヴァーシティの問題でもそうなんですが、市場原理に決定を委ねてしまうときに、得てして問題は起きるんです。アインシュタインのようになってほしいと自分の子どもに願うのは極端だとしても、「普通の子どもに育ってほしい」と考えることは、それ自体で、社会的利益を最大化することを阻害してしまいます。
BO それは、AIを語るうえで格闘しなければならないさらに大きな問題につながる。人を人たらしめているのはわれわれの欠点だ。突然変異や外れ値や欠陥があるからこそアートや発明といったものがある。違うかな?
完璧なシステムがあったとしたらそれはどんなものか。おそらくスタティックなはずだ。人間を人間たらしめるのは何か、われわれを生かしているのは何か。ダイナミックであることや驚きだ。そう考えると、驚きを排除してすべてが精緻に間違いなく動くことは、いつ、どのような状況においてであれば望ましいのか、という問題になる。
テンプル・グランディン
1947生まれの米国の動物学者。コロラド州立大学教授。自閉症を抱える彼女は、「世界は変わった考え方をする頭脳を必要としている」との考えを訴えている。
SD 政府、民間産業、学術界。AI研究の中心となるべきなのはどこでしょう? 中心があるとして、ですが。
JI MITはきっと、MITこそが中心だと言うでしょうね(笑)。歴史的にみれば、かつての中心は政府からの援助を受けたアカデミアだったかと思います。いまは、ほとんどの10億ドルクラスの研究所はビジネスのなかにあります。
BO そうした研究所に出資している連中、例えばラリー・ペイジなんかと話すと、「こっちはユニコーンを追いかけてるのに、役人が出てきてものごとをスローダウンされてたまるか」って、当然、みんな思っている。とはいえ、この間テクノロジーが直面している問題は、むしろ、社会全体として基礎研究への関与が縮小しているということだ。社会全体として取り組めば大きな課題を解決できる、そういう自信が失われつつあるのは、イデオロギーとレトリックに要因がある。
テクノロジーによる偉大なる達成を表すのに、50年を経たいまでも使われるのは「ムーンショット」の語だ。1960年代当時、宇宙計画にはGDPの0.5%が費やされていたと誰かが教えてくれたんだけど、大した額ではないように聞こえて、実際現在の価値に換算してみると、AIに年間800億ドル(約9兆円)を投じているに等しい。ところが、実際にいまそこに投じられているのは10億にも満たない。
コンピューターサイエンス上の
問題であることを
超えた年だと思うんです。
AIがいかに振る舞うかを
知ることが、
あらゆる人にとって
重要になったということです。
AIへの投資が今後増えていくことは間違いない。ただ、この画期的なテクノロジーに多様性のあるコミュニティの価値を反映させたいとするなら、政府の資金的な関与は不可欠だ。政府がそれをしなかったとしたら、Joiが語ったような、テクノロジーにどのような価値観を組み込むべきかといった問題は、適切に議論されるどころか、最悪、ないものとされてしまうだろう。
SD 大統領は非常に興味深い違いを指摘されています。Joiもよくそれについて書いています。つまり、周縁で起こるイノヴェイションと、宇宙計画のようなイノヴェイションの違いです。どちらかに偏ることのないイノヴェイションを起こすためにはどうすればいいのでしょうか?
BO 強調しておきたいのは、政府が出資して収集されたデータだからといって、政府がそれを囲い込んだり、軍にそれが手渡されるわけではないということだ。
具体的な例を挙げると、精密医療の分野で、国民全体から膨大なヒトゲノム・データベースを収集するプロジェクトがある。政府は、同じようなプロジェクトをやっているスタンフォード大学やハーヴァード大学に出資する代わりに、誰もがアクセスできる遺伝子データベースをつくった。つまり共通の価値観、共通の方法によってデータベースが使われ、特定のグループだけが、それをマネタイズしないようしなくてはならない。
SD 一方でリスクもあります。イーロン・マスクやニック・ボストロムなどは、AIのポテンシャルがわたしたちの理解の範疇を超えてしまうことを懸念しています。これから先、自分の身だけでなく人類全体を守るために、こうした懸案についてはどう考えればいいのでしょうか?
ニック・ボストロム
1973年生まれのスウェーデン人哲学者。オックスフォード大学教授。AIによる危険性に警鐘を鳴らす人物。
BO 何が最も差し迫った懸案事項かを考えてみると、専用AIが解決しうる問題のなかにそれはあって、われわれはまずそこに注力すべきだ。展開の読めない複雑な囲碁をプレイできるコンピューターを手にした者であれば、ニューヨーク証券取引所で自分の利益を最大化するためのアルゴリズムをつくるのは時間の問題だ。それを最初に実現した個人もしくは組織が、株式市場を崩壊させるのはわけもないし、クラッシュさせないまでも、金融市場の信頼性に疑問を投げかけることはたやすい。
それから、「核兵器を制御するコードに侵入して、ミサイルを発射する方法を見つけよ」との指示を受けたアルゴリズムだってできるだろう。ひとつのタスクに特化した、自己学習ができる効果的なアルゴリズムが生まれる。これは脅威といっていい。
となると、国家安全保障チームへのわたしからの指示は、機械が人類を乗っ取るかもしれないなんて心配はしなくていい、むしろ、非国家的で敵対的な誰かによるシステム内への侵入を心配しろ、ということになるわけだが、これは現状のサイバーセキュリティーの仕事と基本大差ない。ただし侵入を行う連中がさらに賢くなる以上、政府も、もっと賢く対応しなくてはならない。
JI おっしゃる通りですね。ただ、ひとつだけ喚起しておきたいのは、今後10年で汎用AIが実現する可能性が非常に高いと考えている人々がいるということです。もっとも、そのためにはまだ10や20のブレイクスルーが必要だろうと思いますが、いずれにせよ、それがいつ実現するのか、目を凝らしておくべきでしょうね。
BO 電源コードの近くに誰かを立たせておくよ(笑)。それが起きそうになったら、コードを引っこ抜いて電源を止めないと。
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JI 大事なのは、AIをよいことのために使おうとしているコミュニティやリーダーを見つけ、どのように彼らを支援するかですね。
BO セキュリティーや防衛について考えるとき、昔から鎧や壁をイメージするのが一般的だ。だが最近、医療について知っていくなかで、ウイルスや抗体といったものについてますます考えるようになっている。サイバーセキュリティーが困難であるのは、相手が迫り来る戦車の大軍ではなく、むしろバカでかいシステムに入り込んだ1匹のイモ虫だからだ。われわれはセキュリティーに対する考えを変えなくてはならないし、セクシーには見えなくとも、いずれ何にも増して重要となるようなものに投資しなくてはならない。
常日頃感じている懸念は、例えばパンデミックのような事態だ。空気感染する致死性のインフルエンザを水際で防ぐような壁をつくることはできない。代わりに必要なのは、何かが発生したら素早くトリガーが引かれ、より素早くワクチンをつくるためのプロトコルや仕組みが一気に作動する公衆衛生システムを世界中に構築することだ。こうした公衆衛生モデルをサイバーセキュリティーに当てはめて考えていけば、AIの脅威についても自ずと役立つ考えが出てくるだろう。
JI マイクロバイオームというものを見てみると、非常に面白いことがわかります。多くの研究者が語るには、悪玉菌を退治するには、滅菌するのではなく、善玉菌を投入して悪い菌と戦わせるというやり方、つまり戦略があるんです。
BO まさに。とはいえ、サニーとボーには舐められないようにしてるよ。彼らが散歩中に、何を口にくわえているかを見たら、そりゃ勘弁、ってなるからね(笑)。
JI 「クリーン」という言葉をいま一度考え直すべきなのでしょう。それはサイバーセキュリティーや国家安全保障についても当てはまります。完全な秩序をつくること、あらゆる病原菌を排除することはできないのです。
サニーとボー
オバマ家のペット。「ファースト・ドッグ」とも呼ばれる。
SD それが新たな軍備競争を生じさせるリスクもありますか?
BO 疑いようもなくサイバーセキュリティー、とりわけAIに関する国際規範、プロトコル、検証メカニズムの開発は、まだまだ幼年期にある。こうした一連の問題が実に興味深いのは、もはや攻撃と防御の境界線があいまいになっているという点だ。とくに政府への不信がこれだけ高まっていると、その境界を見極めることはなおさら難しい。世界中の国々が米国に巨大なサイバーパワーがあるとみている現在だからこそ、われわれはこう語るべきだ。「あなたたちが攻撃しなければ、わたしたちも攻撃しない」
難しいのは、最も如才ない国家、すなわちロシア、中国、イランなどが、必ずしもわたしたちと同じ価値観や規範を共有していないということだが、こうした問題は、自国のためにも国際的な問題として訴えなければならない。
JI 対話ということについていえば、いまほどそれが求められている時代はないと思います。情報や技術をオープンシェアリングしていくことに資金とエネルギーが投入されれば、よりよい変化が生まれます。それは一国だけでは実現できません。わたしたちは国際社会に生きています。
勇気をもって
ハードワークをすれば、
どんな問題でも解決できる。
こうした精神を
失うことは、
人間であることの
本質を失うことを意味する。
BO Joiの言う通りだし、だからこそ、このことに関心のあるすべての人と話し合ってきた。そのなかで、まだ十分議論できておらず、いずれちゃんと考えなくてはならないことのひとつは、こうしたことを経済的な観点から見るということだ。なぜなら、多くの人が心配しているのは、シンギュラリティではなく「自分の仕事は機械に取られてしまうのか」だからだ。
基本的に、わたしは楽観的なほうで、歴史的に見ても人間は新しいテクノロジーが出てくるたびにそれを吸収し、新たな仕事をつくり出し、適応し、その結果生活は向上してきた。ただし、AIをはじめとしたテクノロジーが広汎に応用されると、状況はこれまでと違ってくるかもしれない。高いスキルをもつ連中は、このなかでうまく泳いでいくだろう。自分の才能をレヴァレッジし、マシンをうまく使いながら自分の影響力や売り上げ、商品、サーヴィスを拡張していける。
その一方で低賃金・低スキルの人々があぶれていく。仕事がなくならなかったとしても、給料は低く抑えられる。こうした変化をうまく乗り越えていくためには、このテクノロジーをどう運用するのか、社会全体での議論が欠かせない。
経済がインクルーシヴなものであることをどう担保するのか? 実際、生産性はかつてないほどに高いのにその恩恵がほんの一部のトップにしかいきわたらないいまのような事態をどう回避するのか? すべての人がきちんと収入を得ることができるようにするにはどうすべきなのか? そのような社会において、アートや文化、あるいは老人を支援することは、どういう意味をもつのか? 社会は新しいテクノロジーを受け入れるために順応しなければならないが、経済モデルもテクノロジーの変化に適応しなければならない。
JI どの仕事が消滅しうるかについていえば、実は人々が直感的に考えるものと実際とは異なっています。例えば医療というものに特化した、診断が非常に得意なコンピューターがあったとして、消滅する可能性が高いのは、看護師や薬剤師といった比較的賃金の低い人々ではなく、むしろ医師かもしれません。案外、弁護士や監査役などハイレヴェルな職業のほうが消滅する可能性が高い。一方で、サーヴィス業やアートといった、コンピューターが得意ではない職業の多くは消えないのです。
ユニヴァーサル・ベーシックインカムについて大統領がどうお考えかわかりませんが、人々の仕事が奪われていくにつれて、ほかの社会モデルに目を向けるべきだという考えも出てくるでしょう。つまり、アカデミアやアートのような、お金を仕事の直接の目的としないようなモデルです。お金がないのにどうやって知識やスキルを身につければいいのかと思うかもしれません。でも、アカデミアの世界には、お金などなくても賢い人はたくさんいます。
ユニヴァーサル・ベーシックインカム
政府によって、すべての国民に生活をするための最低限の金額が支給される制度。
BO 社会のルールをリデザインするというのは、まさにそういう意味においてだ。ベーシックインカムが正しいモデルかどうか、幅広い人々に受け入れられるのかという議論は、今後10〜20年間は続いていくだろう。また、AIに取って代わられる仕事は、スキルが求められないサーヴィス業だけではないというのもその通りで、高いスキルが必要な仕事であっても、コンピューターができるものなら消滅する可能性がある。
AIの実装が進み、社会が潜在的に豊かになるにつれて、生産と分配の間の関係、仕事量と生産量の相関は間違いなく弱まっていく。なぜならコンピューターが多くの仕事を担うことになるからで、その結果、何にいくらを支払うのが適正かという判断は、より難しくなる。
例えば教師という仕事は本当にハードで、コンピューターがこなすのは極めて難しいにもかかわらず、彼らの賃金は不当なまでに低い。つまり、わたしたちは、何を価値とするか、ともに暮らす共同体として誰にお金を払いたいかということを考え直さなくてはならなくなる。教師、看護師、介護士、主婦や主夫、アーティストなど、価値ある仕事をしているにもかかわらず十分な対価が払われていない人々について、きちんと話し合うべきなんだ。
SD 政府が現在直面している大きな課題を解決するために、どんなテクノロジーに注目していますか?
BO 政府がよりカスタマー・フレンドリーになるべくやらなきゃいけないことはいっぱいあって、少なくとも税金の申告が、宅配ピザの注文や航空券の購入と同じぐらい簡単になるようにしなくてはならないだろうね。人々に投票を促したり、ビッグデータを使いやすいように公開したり、申請書をもっとシンプルにオンラインで処理できるようにしたりするなど、連邦政府、州政府、地方自治体が「21世紀の行政」を行うためにはやらなければいけないことは、山ほどある。
連邦政府と民間企業で働く人々の能力に大差はないと思うけれど、テクノロジーとなると雲泥の差だ。初めてホワイトハウスに入ったとき、情報管理センターである「シチュエーションルーム」なんて、映画『マイノリティ・リポート』でトム・クルーズが働いてるような場所に違いないと想像していたのに、まったくそんなものじゃなかった(笑)。 映画には、政府が地球の裏側のテロリストを追いかけるためにあらゆる情報をディスプレイに映しているような場面があるけれど、実際にはそんなものは存在しない。明らかな資金不足で、しかも設計はデタラメ。
テクノロジーに対する期待という意味では、人類が気候変動にきちんと決着をつけることができ、温暖化にブレーキをかけて、海面が1.8m上昇するのを防ぐことができたなら、人類はあらゆる問題を解決できるだろうと思っている。楽観的なんだ。人間はこれまでにたくさんのいい仕事をしてきた。これからも長い時間をかけて同じように取り組んでいけばいい。
このインタヴューが掲載される号(『WIRED』US版2016年11月号)は「フロンティア」特集だ。最後に言っておきたいのは、わたしがいまでも宇宙が大好きだということ、そして来るべき宇宙旅行時代の開拓は、わたしたちがまだまだ十分に投資ができていない分野だということだ。かつては政府によって大きな投資が行われていた宇宙開発は、いまでは素晴らしいアイデアをもつヴェンチャーが担うようになっている。
宇宙飛行について考えるときに、いまだにアポロ時代と変わらない方法で宇宙に行くことを想像してしまうけれど、あの時代からすでに50年が経っているんだから──ダイリチウムの結晶が実在するかどうかはわからないにせよ──そろそろ人類は、新たなるブレイクスルーを手にしてもいいころだと思う。
ダイリチウム
「スター・トレック」に登場する架空の物質。宇宙船がワープする際に使用される。
SD 大統領は「スター・トレック」のファンですよね。テクノロジーがユートピアをもたらすだろうという考えにインスパイアされた作品でしたが、「スター・トレック」は、大統領の未来へのヴィジョンにどのような影響を与えているのでしょうか?
BO 「スター・トレック」がたまらなく好きな子どもだったよ。いつ見ても楽しかった。番組が長続きしたのは、この番組が実際はテクノロジーを扱ったものではなかったからだ。「スター・トレック」は、価値と人のつながりの物語なんだ。だから、安っぽい陳腐な特撮も気にならなかった。彼らがたどり着いたのが、張りぼての岩だらけの星だったとしてもね(笑)。「スター・トレック」が本当に扱っているのは人間らしさ、問題を解決できると信じることについてなんだよ。
最近、映画で同じ精神でつくられた作品といえば『The Martian』(邦題『オデッセイ』)だろうね。複雑で入り組んだプロットが重要なんじゃなくて、そこに多様な人々が集まり、ともに問題を解決するために取り組む姿を描いているのが重要なんだ。クリエイティヴィティと勇気をもってハードワークをすれば、問題を解決できる。どんな困難に直面しても「自分たちなら解決できる」という精神こそが、アメリカの愛すべきところであって、それこそが、いまだにアメリカが世界中から人々を引きつけてやまない理由だ。
科学というものの価値も、同じように「なんとかなる」という精神のなかにある。やってみよう、うまくいかなければその理由を見つけて、もう一度挑戦しよう。失敗は喜べ。それは解決しようとしている問題の暗号を解読する方法を教えてくれる。こうした精神を失うことは、アメリカの本質、そして人間であることの本質を失うことを意味する。
JI 本当にそう思います。わたしも「スター・トレック」の楽観主義が大好きです。それと同時に、惑星連邦の人々やクルーたちが驚くほど多様で、悪役も根っからの悪者ではなく、単に間違った方向に導かれただけなのだと、わたしは思っています。
BO 「スター・トレック」は、ほかの優れたストーリーと同じように、人は誰しも複雑な存在であることを教えてくれる。誰しも自分のなかに少しのスポックと、少しのカークと(笑)、少しのスコッティ、それから、おそらくほんのちょっとのクリンゴンを抱えているものだ。違うかい? 問題を解決するというのはつまりそういうことなんだ。障壁や違いを越えて、ともに働くことだよ。
それと、謙虚さがもたらす良心への信頼、ということもある。それこそが、最高のアートや最高の科学に見出せるひとつの真実だ。わたしたちは、このような素晴らしいマインドをもっているんだからそれを生かすべきだ。とはいえ、人類はその真実の表面をこすっているだけにすぎないので、調子に乗ってはいけない。まだまだ知らないことはたくさんあるんだ、と常に自分に言い聞かせていないといけないんだ。
PHOTOGRAPHS BY by CHRISTOPHER ANDERSON @ MAGNUM PHOTOS
ILLUSTRATIONS BY by JOE MCKENDRY
TEXT BY by SCOTT DADICH
TRANSLATION BY by TAIZO HORIKOMI