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全国障害者問題研究会
東日本大震災 救援本部
◆福島・新春のつどいに全国事務局、東北ブロック支部も結集しました 2016年1月30、31日
5年目となる1月末、福島支部「新春のつどい」が飯坂温泉で開催されました。
東日本大震災と原発事故から5年がたとうとしていますが「これからもいっしょにがんばっていきましょう!」の思いを共有するために、
全国からは荒川委員長、品川東日本救援本部長、薗部事務局長、圓尾次長、安藤、黒川全国事務局員が参加。
東北ブロックからは、青森、岩手支部のメンバーも参加しました。
荒川委員長のミニ講演、全国事務局メンバーによる「大喜利風トーク」。福島からは障害児教育、卒業後の学びの場、放課後デイのとりくみなど
4つの実践が報告されました。
夜は、飯坂温泉でもっとも古い鯖湖湯で暖まり、おいしい食事とお酒もあり交流会。
「全障研では、いつも良い刺激を受けて、新しい視点を見つけることができます。次の日からの活力につながっていきます!」の感想も寄せられました。
飯坂温泉の宿舎前で 荒川委員長のミニ講演 全国事務局のトークショウ
◆岩手・宮古で講演会開催しました 10月6日
2013年10月6日(日) 9:30~11:30、道の駅みなとオアシスみやこ「シートピアなあど」(宮古市臨港通)で
講師=小渕隆司(北海道教育大学釧路校) 「障害のある乳幼児の発達 ”子どもの発見”を手がかりに」を開催しました。
参加者は50名。たいへん充実したと好評でした。
前日には、午前中保護者のサークルで交流した後、三陸沿岸を大槌まで南下して、被災地を回り、
夜には岩手支部の交流会が行われました。
◆全障研編『ともに、つなげ、ひろげる ~東日本大震災と私たち』刊行しました!
貴重な記録をまとめるとともに、今後の課題を考えます。
全障研大会での重点報告(宮城、福島から)も圧巻。
宮城教育大学名誉教授の清水貞夫先生の2つの論文
岩手・宮城の被災地の学校教育と障害者 -東日本沿岸部大震災・学校教育・障害者-
双葉地区の児童生徒と障害者の避難と今後 -原発事故・学校教育・障害者・地域再生-
は、迫力の論文です。
○詳しくは http://www.nginet.or.jp/shuppan/2013/shinsai2013.html
◆被災地支援の学習会
○岩手・陸前高田市 「子育てがんばっぺ 講演とトーク」 参加者50名
日時 2012年9月8日(土) 13:30~16:30
会場 陸前高田市役所4号棟第4会議室
第一部講演 池添素(NPO福祉広場・全障研副委員長)
「子どもの発達・子育て・保育を考える」
第二部 「なんでもトーク=しゃべり場」
参加費 無料 全国障害者問題研究会岩手支部
○福島・福島市 学習会
日時 2012年9月9日(日) 9:15~12:00
場所 公立学校共済組合宿泊・保養施設「あづま荘」(福島市飯坂町中ノ内)
講師 奥住秀之(東京学芸大学・全障研常任全国委員)
「どうして?教えて?発達障害の理解」
参加費 無料 全国障害者問題研究会福島県支部
◆岩手県沿岸を訪問 丸ごと消えた町の復興・復旧とは 救援本部長代理・品川文雄
2011年11月19日、全障研岩手支部の情勢学習会に参加し仲間と交流会。話題の中心は震災。特別支援学校在籍者で死亡したのは、全県で5名。インフルエンザ休校などでたまたま家にいた子どもが犠牲になった。その一人Aさんは防災センターに避難したが、津波に飲み込まれた。そのセンターは津波を想定していなかった。学校にいた子どもは全員、無事。
みなさん口をそろえて言ったのが、リアルタイムで津波の映像を見ていないこと。沿岸部の深刻な状況は知ってはいたが、数日間は詳しくはわからなかった。停電でテレビは見られず、情報から遮断されていたからだ。ケータイが通じるようになり、全国の友人・知人からのお見舞いメールや電話で、自分たちの状況の大変さをわかったそうだ。
20日、遠野から大槌、釜石、大船渡、陸前高田を巡った。Aさんの住んでいた釜石市を訪ねる。Aさんの家は跡形もなく、運転してくれた小林支部事務局長のなじみの弁当屋さんもない。同行の千葉さんが子どもたちと遊んだ砂浜もなかった。校庭に瓦礫がうずたかく積まれた小学校と中学校があった。ここは、中学生が小学生の手を引き、必死の思いで高台へ避難したそうだ。
陸前高田市は、荒れ果てた平地が一面広がり、かなりの数の海水の沼があるのみ。数軒高いビルがあるが、荒れ果て辛うじて立っていた。北風が吹き荒れ、砂煙が舞い、壊れた防波堤に高い波が打ち寄せていた。
小林さんも千葉さんも、自分の思い出にある町が跡形もなく消えたことにショックを受けていた。町という形あるものがなくなるというだけでなく、それは町とそこに住む人々と共につくられた思い出~楽しいこと、悲しいこと…、彩り、香り…などすべてが壊されることであり、自分の人生のある一部が、無理やり欠落させられるということである。
町の復興・復旧とは、一人ひとりの思い出を集めた豊かなものでなくてはならないと思う。相当の知恵とエネルギー、資金が必要であろう。息の長い支援の必要性を感じた訪問だった。
瓦礫はうずたかく(釜石市内の小学校)
◆線量計で各地で計測をはじめました
支部から要請のあった線量計を13台各地(相馬3、福島3、郡山4、宮城1、茨城1、全国事務局1)に届けて計測をしています。
確保した線量計=DoseRAE2は、ガンマ線による個人の外部被ばくを管理するための機器です。
◆全国大会(大阪)で重点報告
7月30日、3000名をこえる参加があった全障研全国大会(大阪)全体会で、宮城支部事務局長の加々見さんが重点報告しました。
重点報告1=東日本大震災と障害者(全文)
◆仙台で東北ブロック集会を開催
7月3日、参加者は154名、福島、青森、岩手、山形からもかけつけ、たくさんの人たちとのつながりを感じた集会でした。
全障研副委員長の池添素、白石正久、中村尚子さんの3名が、「子育て」「発達保障」「障害者施策」の視点で講演しました。
震災のフリートークでは、宮城、岩手、福島のみなさんから、まさに切迫した状況が話されました。
特に見えない放射能の恐怖から、震災以来、子どもたちがほとんど屋外遊びもできず、肌も出せないという福島の状況は深刻です。
◆障害のある子どもが安心して避難できる場を 宮城・八反田史彦さんのインタビュー ●全文=PDF
障害のある人(児童)は、避難所で特別な困難を抱えることになりました。
自閉症の子どもは、環境の変化に対応できず大声を出す、いきなり走り出すなどパニック症状を起こしてしまい、家族は周囲に気を使って避難所を出ざるを得ませんでした。
医療的ケアの必要な子どもの家族は、医療機器の電源確保のため車の中で数日間過ごしたといいます。
一方、先生が自主的に避難所運営をした県内の支援学校へ避難した家族らは、いくらか安心して過ごせたようです。
最後まで残っていたのは、生徒の家族でした。しかし、避難所指定を受けていないため、当初は支援物資が届かなかったという問題もありました。
いまこそ「私たち抜きに私たちのことを決めないで」の精神にのっとり障害者の実態に即して、国連の障害者権利条約の批准に向けた国内法の整備をすすめるべきです。
◆岩手支部、宮古の支援学校の教え子らにお見舞
常任全国委員会は、会員、「みんなのねがい」読者などの被災や避難の状況、困っておられることを各支部と協力して把握し、全国からの救援募金(第二次分)を届けることにします。
岩手支部は鈴木支部長、小林事務局長らが関係者の被災状況を調べ、宮古の支援学校の会員の教え子で、住居が倒壊したり、家族が亡くなられたりしている26名の方にお見舞を届けています。また障害児学級のある学校にもお見舞いしています。
◆妹尾「みんなのねがい」編集長 宮城の読者会などに参加
5月20日、古川支援学校での読者会を終えた翌朝。
「まずは、女川の方を回って、最後にまた市内を回ろう」という八反田さんの提案で、石巻市内を突っ切って走る。遠くには、ドーム型の建物が見える」
「あれが、石ノ森章太郎記念館。全教が力を入れて瓦礫の処理をして 5月5日の子どもの日だけ開館したんだよね」(全教がんばってるんだ)と納得してしまった。
そして、女川方面へのトンネルをくぐる。車は渋滞している。トンネルから出ると景色が一変した。爆撃にあったような跡、戦場のような風景。建物が一面倒壊している。
倒壊してない建物もよく見ると一階部分は津波の影響からか何もない。瓦礫の山だ。瓦礫の山の中を通っている感じだ。
「今はないけれども、たくさんの遺体もそこらじゅうにあったんだよね」何気ない一言にビクッとする。
においや建物の圧迫感、空気の重さ・・・瓦礫が語りかける光景なのだ。そこにあった暮らし、いくつもの命、考えさせられた石巻・女川の訪問だった。。
▲学校の時計は津波が押し寄せた3時25分で止まっていた ▲避難していた鷲見支部長も仙台市内のアパートに戻った
◆「災害と障害者」をテーマに集中議論した推進会議
第32回制度改革推進会議は、5月23日に開催されました。被災地支援に全力のNGOと内閣府・推進室のコラボは熱気でした。
しかし、その場に予算を決済する厚労省など他省は不在。2度目の議論は、厚労省の出席のもと、ぜひ現地開催を希望したいものです。
●佐藤久夫委員が提出したJDの意見など
◆「みんなのねがい6月号」 緊急特集・ いま つながろう 東日本大震災
目次にリンクします
◆岩手・宮城・福島支部などを訪問 4.8-9
全障研の救援本部は、8日、9日、岩手、宮城、福島の支部長、事務局長とJDFみやぎ支援センターを訪ね、激励と意見交換をおこない、救援募金の第一次分を手渡しました
◆「みんなのねがい5月号」 「速報・東日本大震災」
目次にリンクしています
◆宮城・仙台市 なのはなホーム卒園式の笑顔
3月31日発行 「なのはな文集」表紙
なのはなは 小さな花々の あつまりです/光の中で ほほえんで 光の中で歌って/なのはなは 風車のように 咲いています
■清水貞夫さんからのメール 3.29
今日は、仙台市なのはなホームの卒園式に出席するために7時半に家をでました。前日に、まだ夜が明けない4時に起きてガソリンスタンドにならび8時30分にやっと整理券を入手してガソリンを自家用車にいれたのです。
そのため、ガソリンの心配はなく家を出たのですが、予想したとおり、国道は渋滞しすこしも進みません。30分ほどでなのはなホームに着くはずですが、着いたのは9時でした。
渋滞はガソリンスタンドが開くのを待つ自動車列が一車線をふさいでいるためです。加えて、各地の道路が、凸凹になっているのを改めて、知りました。
仙台・青葉城の石垣が崩れて通行止になっていました。仙台駅もめちゃくちゃと聞いていますが、そこには近寄りませんでした。
仙台市なのはなホームは、ガスが回復しないので、暖房が取れないときていたのですが、幸い天気がよく日中は暖かでした。しかし、夜は寒く、ガソリンとともに灯油の買い出しに時間を取られます。
話をもどして、なのはなの卒園式は、17名の子どもたちが1年から4年の保育を終えて、幼稚園や保育園に移行していきます。
式は順調に進み、恒例の食事会は中止でした。子どもたちは、全員が無事でなによりです。
なのはなホームの卒園式では、お母さん一人ひとりに卒園証書が渡されます。加々見園長が入園してきたときのお母さんを述べ、親・家族・子どもがどのように成長したか、そして、今後の希望を書いた卒園証書を渡すのです。お母さんはみんなが涙をながしていました。不自由ななかでの卒園式、やってよかったと思います。
◆岩手・宮古市 未確認の会員二人はそれぞれ無事
きょうされんの先遣隊で岩手入りしているきょうされん大阪支部雨田事務局長が、宮古地域の大津波被害で安否確認ができていなかった全障研会員のTさん、Sさんの二人の無事を確認しました。それぞれ地域の障害児を受け入れたり、支援学校で勤務しています。 3.29
◆福島・南相馬市 障害児学級から
■相馬からの報告 2011年3月27日 相馬サークル 加賀八重子
私は原発事故による屋内待避の指示が出ている南相馬市の小学校に勤務している。7万人いる市民がすでに2万人になっている状況。24日(木)学校の職員連絡網により、25日から教職員は出勤するようにとの連絡がある。子どもたちが避難先で学校に通学できるようにするための連絡をする。避難所にいる人たちには避難先の教育委員会からの説明もあったらしい。
4月から避難先の学校に入れようとすでに動いている人もいれば、子どもが環境の変化について行けないのではとか、いじめに遭うのではとか心配して消極的になっている人もいた。
また、自宅にとどまり屋内待避を続けている家庭もあった。南相馬市にとどまっている児童についての通学をどうするのかまだ方針が出ていない。
私は特別支援学級の担任なので通学先が決まれば子どもの状況について個別に引き継がなければと思っている。
こういう具体的な作業が進むにつれいよいよ子どもたちがばらばらになってしまう寂しさを実感している。速く元通りの教育活動をこの学校でしたいと思う。
もう一つの問題は教職員のこと。避難指示の地域から通勤している教職員はすでに11日の夜から自宅に戻れないでいる。地震や津波で自宅が全壊した教職員については義務免の措置がとられているので、この教職員に対しても同様の措置が必要なのではと考えている。
◆先遣隊 福島へ(郡山市・いわき市 3.23-24)
全障研圓尾次長は、きょうされんの小野浩、中村英治さんらに同行。
・郡山では、「原発がおさまらないと、落ち着いて復興できない」「きょうされんなどつながりのある人たちの安否確認はすすんでいるが、つながりが弱いところはよくわかりません」。
・いわきは、原発事故の不安、不信が大きく、救護も支援も遅れています。障害者は避難所では落ち着いて過ごすことができず、作業所を避難所にして職員は11日から一日も休まず対応していました。
・津波のあった現場に立つと言葉を失ってしまいます。 など伝えています。 ●先遣隊の写真はここをクリック
◆岩手・奥州市=地域で三世代で子どもたちと楽しむ
3月20日の日曜日に地域の集会場で、「被災地の人たちも寒いから」と、みんな防寒具姿で50人集まって、つどいをやりました。今年入学の子はお母さんと、1年~6年生まであわせて小学生26名。今回の地震はなんで起きたかなどもわかりやすく話して、家族や地域のおもやりが、立ち上がる力なのだよと語りかけた。そして、地元の「前沢」を知ってもらいたいと作った7作目の大型紙芝居を15分。「前沢カルタ」でもみんなで遊んだんさ。わかりやすい避難訓練も、消火訓練も小学生もしたんだよ。やっぱ、やってよかったよ。中止にしなくてよかったあ。 (鈴木秀悦岩手支部長からの電話)
◆福島・相馬市=地震と津波、原発の放射能漏れ。まさに三重苦の中で過ごしています
○加賀重哉福島支部長からの発信(TXT)
◆青森・八戸市=友だちとうれしさや喜びを感じられる学校でありたい
阪神大震災の経験から発信された、池添全障研副委員長の「子どもたちには、どうぞ遊びと笑いを」を読んで、はっと大事なことに気づきました。
確かに、震災後、目をおおう悲惨な映像が繰り返され、大人の深刻な話がずっと続いています。今日、学校では、久しぶりに雪遊びをしました。子どもたちがはしゃいで、ソリや追いかけっこに笑い声が響きました。
青森県では、断続的に雪が降り続いていますが、今、今を生きている子どもたち、青年たちに対して、こんな時だからこそ、友達とうれしさや喜びを感じあえる学校でありたいと思います。(ただし、ガソリン不足から、スクールバスも含めた送迎の見通しが立たず、来週早々から休校の予定です)一方で、支える大人たちは、深刻な状況の改善を具体的に考える必要があります。比較的激甚被害が限定的だった八戸でも、市内大手のスーパーの状態はご覧の通りです。(青森・阿部直俊事務局長)
◆宮城・仙台市=八反田史彦さんからの現地レポート(word)
◆池添素副委員長・らく相談室) 子どもへのケアを(word)
◆荒川智全国委員長のメッセージ 全国のみなさんへ(word)
◆全障研 東日本大震災救援本部を設置しました 2011年3月14日
○全国のみなさんへ(word添付)
本部長=荒川智全国委員長(茨城大学)/本部長代理=品川文雄前委員長(NPO法人発達保障研究センター理事長)
本部員=中村尚子副委員長(立正大学)、薗部英夫全国事務局長、圓尾博之事務局次長
活動=①被災地の全障研関係者、障害のある人や家族への救援、②安否含め情報の収集と共有化、③救援募金
口座名義=全国障害者問題研究会 郵便口座 00100-2-34600
他の金融機関からの振込 〇一九(ゼロイチキュウ)店 当座0034600 通信欄に「救援募金」と明記下さい。コンビニのATMからも振り込みできます。
◆関係団体の支援サイト
*政府が4月1日、閣議で名称を「東日本大震災」とすることを了解したため名称を統一しています。
○JDF(日本障害フォーラム)東日本大震災被災障害者総合支援本部
○きょうされん東日本大震災災害対策本部
○全日本ろうあ連盟 東日本大震災聴覚障害者救援中央本部
○障全協 「阪神淡路大震災」時に取り組んだ障害者支援
◆原発大事故 京都大学原子炉実験所助教・小出裕章さんによる情報
2016.3.11
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