高校1年のころ、外に出られなくなった。特に昼間がつらかった。「同い年の人がガヤガヤと通り過ぎるのがダメで」
パソコンが好きだった。キーを叩いていれば、すべてを忘れられた。「お前のために、パソコンクラブ、作るから」。担任はそう言ってくれたけど、学校は辞めてしまった。
3年間、ひきこもった。悩んだ。大検に合格したが、大学には入れなかった。家庭の事情で追い詰められ、サラリーマンになり、ネットで出会った女子高生と恋をし、結婚して子どももできた。
家族と一緒につつましく暮らしていければいいと、SOHOで合資会社を立ち上げた。知らず知らず、時代の波に乗っていた。1人でやるつもりだった会社は、売上高8億5000万円、従業員72人のネット企業「paperboy&co.」(ペーパーボーイアンドコー)に成長する。
「まさか社長になるとは」――振り返ると、自分でも驚く。家入一真、27歳。饒舌ではない。照れ屋で、カメラを向けると困ったように視線を泳がせる。いわゆる“IT社長”には間違いないが、ギラギラした前のめりな若者を想像していたとしたら、当ては外れる。
社長より、クリエイターのイメージがしっくりくる。絶妙なセンスで、クスリと笑えるコンテンツを作るのがうまい。例えば、西城秀樹が還暦を迎えるまでをカウントダウンする「秀樹、カンレキ」のブログティッカーや、「2ちゃんねる」で大評判になった、中国の人型ロボ「先行者」のジョークサイトなど、彼の作る1つ1つが、ネット上で話題をさらう。
何かを作りたい、誰かに見てもらいたい――それが原点。引きこもっていたころから、作り続けていた。
1978年12月。福岡県で、運送業の父と、パートの母の間に、3人兄妹の長男として生まれた。ファミコンとミニ四駆と絵が好きで、休み時間は4コマ漫画ばかり書いていた、普通の小学生だった。
中学2年のころ、クラスのリーダー格だった友人とささいなけんかをし、それ以来、友達がいなくなった。「人と話すときの距離感とか、分からなくて」。高校でも1人きり。学校が辛かった。半年もたたず辞めてしまった。
PCにのめりこんだ。高校の入学祝いに買ってもらったPC-9801 FXで、ワープロソフトで外字を作ったり、文字に網かけして遊んだ。パソコン通信「NIFTY-Serve」で見知らぬ大人との会話にハマり、ダイアルアップで毎晩つないでいたら、10万円もの請求書が来て親に叱られたこともあった。
C言語を本で学び、プログラムを組んだ。初めて作った作品は「ドットで描いた気持ち悪い顔が、血を吐きながらどアップになるスクリーンセイバー」で、当時は冊子体だった「Vector」に収録された。アクションゲームも作ったし、フリーソフトで遊んだりもした。ファイナルファンタジーの作曲家・植松伸夫さんにあこがれて、MIDI音楽も作った。
1日中PCに向かっていれば、すべてを忘れられた。でも、分かっていた。このままではいけないと。
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