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iTunesくたばれ!
Terre Thaemlitz
 
- interview by佐々木敦


In ヒアホン (Japan), Vol.1, 2009.03.03.

 


注:テーリが日本語でがんばって答えた…

ディープ・ハウスのDJ/トラックメイカーにして、実験的なエレクトロ・アコースティックの作曲家であるテーリ・テムリッツが、とんでもないリリースを発表した。その名も『売れ残り品アーカイブ』(DEAD STOCK ARCHIVE)は、DVD-ROM2枚に、彼がこれまで何らかの形でリリースした全ての音源(別名儀やコラボレーションを含む)のmp3オーディオ・データと、アートワーク、テキスト、更に全ビデオのmp4ファイル等々を詰め込んだもので、なんと全723曲、62時間49分4秒のサウンドが収録されている。音楽の歴史は長けれど、こんなことをやってのけたのはテーリが最初(で恐らく最後?)だろう。このニュースを知った時、最初は当然驚き、次いでオイオイと叫びつつ思わず笑い、最後にはしたたかに感動して、如何にもテーリ・テムリッツらしいと思った。そしてこの余りにも前代未聞の暴挙(笑)について、どうしても本人に話を聞いてみたくなったのだった。

――『売れ残り品アーカイブ』にはとにかく驚愕しました。どうしてこんなモノを出そうと思ったの?

「何年か前から、今の時代のmp3の世界で自分の音楽をどうするべきなのか?ということを考えていたのだけど、iTunesとか大きなディストリビューターが契約無しで、私のアルバムを売って、その自分の曲を消させるのに何年間もかかったから、もうダウンロードのことが嫌になった。私は自分の人生ではあまりダウンロードをしない。例えば私はレコードを買うとき、タワーレコードよりも、他の小さな店にいくでしょ、そしてmp3の世界でも、iTunesから買うことは一度も無かった。mp3のファイルフォーマットはデジタルディストリビューションとかダウンロードじゃないもっと違う別の使い方があるということを何か探したいなと思って。もう一度iTunesに前の契約無しで売られていたアルバムを今度契約有りで売るようなことはしたくない。または意味が無いでしょ。ほとんどの人はiTunesで私のアルバムを探さないでしょう?、私の音楽はそういうふうにみんなにアピールできるようなものではなくて、オタク的なものね、でもそれで結構だと思う」

――じゃあ最初のきっかけとしては、偶然、知らないうちに自分のアルバムがネットで売られているのを知ったことから始まったということ?

「私はいろんなディストリビューターにメールを送って、またはそのディストリビューターが使ってる契約関係の弁護士の事務所に手紙を送って、でも全然お返事が来なかった。どうすればよいかわかならないくらい返事が来なかった。それに、こういう音楽なので私のCDのセールスは凄く少ない。なので弁護士を雇って対応することもできない。5年間くらいiTunesで売られてたけどそれはたいしたお金にはならないでしょ、そのお金のために私はたくさんのお金を払って弁護士を雇いたくはないでしょ。それにもちろんiTunesは私の音楽なんて興味はなくて、ただデータベースを広げて、ただコンテンツを増やしたいだけでしょ?別に私じゃなくても誰でもいいね。それにこういった問題は、私だけじゃなくて、たくさんの人に同じようなケースがあると思う。Mille Plateauxのたくさんのレーベルメイトにも同じような問題があった。それで自分のものをどうするか色々考えてこうなりました。Bob Ostertagを知っていますか?彼は自分のカタログを全部無料でダウンロードできるようにしました、。彼のホームページから全部無料でダウンロードすることができる。ビット・レートはちょっと低いかもしれないけど、ちゃんと全部の作品がある。それを私もしたいけど、それをすると自分のホームページ維持の為のお金もかかるから、ちょっと無理になりました。そして、コレ(『売れ残り品アーカイブ』)を作ったけど、買うことはできるけど、たぶんほとんど人はコレを買わないことがわかってるでしょ?でもこういうこともあるみたいな感じでやりました」

――わかります。結果よりも、こういうことをするってこと自体が重要なんでしょ?

「そう!」

――Mille Plateauxみたいにレーベルが無くなっちゃうと、権利がどこかにいってしまったりする。、そしてそれがまた他の人に売られたり、更に売られたりっていうことが起きてるっていうことだよね

「もちろんMille Plateauxは凄い難しい複雑なケースだけど。私は私の作品をmp3にして配信する契約を誰ともしなかった、でも、一回潰れたら次の人がそれを買って、全部のバック・カタログを契約無しで、デジタルディストリビューションにアップロードして、それからすごい問題になりました。2003年から。で、それからもいろいろなオーナーがあって、新しいオーナーは前のオーナーに文句するけど実際には“チェイン”しているみたいにみんながまた悪いことするから、もう疲れた」

――なんと!日本でもよくありそうなことですね。音楽の世界の問題だけじゃなくても。アヒム(・ゼパンスキー=Achim Szepanski, Mille Plateauxの創設者)はどうしているんですか?

「アヒムのことはもう忘れる方がいいと思う。Mille Plateauxは2003年で死んだ、と考える方がいいと思う。ほんとにさようなら」

――それはこの後、Mille Plateauxっていうレーベルがでてきたとしてもそれは違うっていうこと?

「気にしないほうがいいと思う。アヒムがオーナーで、次はStreubel、で次が Bernd Lennartz(ベルンド・レナーツ)。もともと彼(ベルンド)は私の友達で、私がMille Plateauxに入ったときに実務を全部やってた人。BerndはStreubelの後にもう一度買って、結構時々いいアルバムを出していた。Edith Progueとか、それはピアノとデジタルノイズのやつ。でも私の考えでは意味が無いと思う、Mille Plateauxは2003年から静かに無くなるのが良かったと思う。でもそのあとはもう一度潰れそうになって、次の人に売って、トータルリコールのオンライン・ディストリビューターのオーナーが買って、そしてもう一度Streubelのものになった。でもそれをバレないようにがんばるけど、Berndさんが悪者みたいなプロパガンダを書くけど。もう本当に意味が無い」

――そういうようなこともあり、今回のリリースに繋がっていると

「または、BitTorrent(ファイル共有ソフト)とかで、誰かのディスコグラフィーをダウンロードすると、本当は2,3曲が欲しいのに、20アルバムとかダウンロードしなくちゃだめでしょ?でもそれを全然聴かないでしょ?フィル・コリンズの40枚のアルバムを持っているけど、1曲だけが聴きたいとかね。その感じの時代になりましたでしょ。それで、私のこの作品(『売れ残り品アーカイブ』)も、無駄な気分をさせる、また…して欲しくはないけど…誰かがコレをiTunesと同じように不法にアップロードしたら時間がかかりすぎるね、多すぎて、逆にありすぎるとダウンロードの世界では邪魔になるでしょ。だから、次に出る今度のアルバムは31時間のピアノ・ソロ。1ファイル4GBの。4GBのmp3ファイルをリリースする。DVD-ROMでね。タイトルは“Meditation on Wage Labor and the Death of the Album”今の時代、mp3の世界ではアルバムフォーマットは無くなったでしょ、つまり今までのヴィニールは36分、CD80分までっていう制限が。アルバムの長さとライブとかパフォーマンスの長さも微妙に関係あった。でも今はmp3の世界はそれは無くなった。一曲ずつのダウンロードのために作るし、またはディスクが満タンになるまで作るしそのあいだしかない、だから満タンの4GBまでの録音をした」

――そういう“無駄であるがゆえに意味がある” “無駄だからこそカウンターになる”というのを、実際にやるのは凄い大変だったんじゃないですか?、この『売れ残りアーカイブ』を作るのに、どれくらい時間がかかったのですか?

「2年間(笑)、私のホームページのネクスト・リリースには、たぶん2006年くらいからのっていたと思う。最初は半分くらいまで224kpbsでやっていた、でも、“うーんやっぱり音が悪いなー”と思って、もう一度最初からやり直して。または他の関連したアーティストからオッケーをもらったり、法律的に微妙なものだから。何年間もかかった」

――データはほとんどは自分のハード・ディスクにあったの?

「ほとんどあったけど、昔のDATテープとかフォーマットがコンピュータに直接は入らないものもあったから、ちょっと困りました、一回コンピュータにいれて、それを曲ごとに切って、aiffからmp3にした。また、いろんなアーティスト名で出しているから、どうやってそれをグルーピングするかとか、オーガナイゼーションを決めるのは、すごい難しかった。あとはイメージをどうするかとか、最終的に全部のイメージは私の売れ残ったCDのダンボール箱の写真を入れた」



――テーリの今までの曲が全部入るということは最初の時点で決めていたの?

「それは最初から決めていた」

――最初にそう決めた時点でだいぶハードルを上げてるよね(笑)

「それだから自分でもちょっと困った(笑)。コレをリリースして本当に良かったのか今でも判らない(笑)、ほんとにはダメなことだと思う。でもやっちゃった。それしかないなーと思った。自分のことを壊すのも必要と思うね。私はいつもレーベルとかディストリビューターを批判する。もちろん私自身のことも批判する、私のアイデンティティのこととかいろいろ。自分のすることで困るのも必要。今までも私のオンラインセールスは少ないけど、でもコレをリリースしたらこれからは何も売れないでしょ。でもこの時代だからしょうがない、他の人が私を騙す前に、自分で、自分を騙す。それが一番いいでしょ?自分がバカなのだからそのことで人を怒らなくて済むでしょ。自分自身がやったことだから」

――テーリはクリエイティブコモンズやコピーレフトについてはどう思う?

「去年のクリエイティブコモンズの<iSummit08>は札幌でやってたでしょ、そこで私はそのテーマで講義しました。そのテキストは私のホームページに日本語であがっている(http://www.comatonse.com/writings/ccjpisummit08.html)。私はそんなにクリエイティブコモンズが好きじゃない、あとはそのコピーレフトのことも。2006年と07年の“The Laurence Rassel Show”というプロジェクトで、Laurence Rasselと私がコピーレフトのことも批判した。コピーレフトはコピーライトと同じように、アーティストの権利から始まるから、それも微妙と思う。インディヴィジュアルな権利は、同じようなインフォーメーションの問題になると思う。または、例えば日本で言えばJASRACとか、アメリカはBMIとASCAP、ヨーロッパはGEMAとかそういった会社は…、例えばドイツでCDをつくったら、CD一枚ずつにつきいくらかのお金をGEMAに払う必要がある。でもコピーレフトだったら、パブリッシャーに登録していなかったら、GEMAにお金を払っても、そのお金はアーティストまでいかないでしょ。だからアーティストもワンコースで私は全部クリエイティブコモンズ、私は全部JASRACってことじゃなくて、サンプル入りのものはJASRACに入るとか。どんな方法でも全部は最後にはトラブルになると思う。“トラブル無しで考えましょう”のことは、最後には嘘のことと思う。それは別の騙すことと思う。もっとなんかメチャメチャな社会の直せないような問題を見せるが良いと思う。“正しく”は無い。」

――コマトンズは自分のレーベルだからいいけど、他のレーベルからリリースされているものの権利関係はどうなっているの?

「例えば最近Mule MusiqからDJ Sprinklesのアルバムをリリースして、それはちゃんと契約的で、iTunesやインターネットからダウンロードが出来ます。または、ちゃんと契約はサインしなかったけど、ミュールからココに入れるオッケーをもらっています。こんな微妙な感じのリリースが一番面白いと思います。そうやってダウンロードもできるけど、コレを買うとヴィニールだけでしかリリースされてないものもデジタルで聴けるとか。または別の…、例えば、私はKuniyukiさんの曲をリミックしてそれはMuleがボツにしたけど、それもココに入れてとか。そんな感じでなんでも私に関係あるものを全部ココに入れてがんばった」

――そんな感じで…62時間、723曲。テーリのコンポーザーとしての歴史を全部足してみたら62時間だったと!

「ちょっと足りないと思った」

――いやいや十分でしょう(笑)

「15年間とかそれを考えると…もちろん普通に全部聴くことは出来ないけど。わたしはこれまで色々やってきたけど、これだけ?な気分になった。または、このアーカイブには、未来のアップデートのために、別のディスクを入れる場所を作った。本当にするかは判らないけど、今のプランでは何年間かでアップデートする。次のアルバムは4GBの2枚のディスクだから、2ディスクも増えるでしょ。たぶん毎三、五年がいい。私はたいてい一年に1枚アルバムをリリースするから、毎アルバムごとにアップデートすることになるから、毎年ごとにはアップデートしたくない。いつもこういうDVD-ROMでリリースすると、本物のリリースに意味が無いでしょ。私はまだ本物のリリースに興味がある。パッケージデザインとかテキストとか。その感じのことをまだやりたい。いつもこの感じでただディスクで出すとかその感じにはあんまり興味が無い。これはアーカイブの為な感じで、その気分を守りたい」

_______

――テーリはコンポーザーとして、エレクトロアコースティック、ハウスミュージックっていう二つの顔を持っていて、その二つはパラレルになっていて、どっちもずっとあるよね。この二つを両方やってる人ってあんまり居ないと思うんだけど、テーリの中でこの二つはどう結びついてるの?

「子供の頃から電気音楽をコレクションしていてが、ほとんどがニューウエーブとテクノポップとか、たぶん私はそういうテクノポップ…ゲイリー・ニューマンとかYMOとかは微妙にディスコと言いたいけどディスコじゃ無いとか、な気分で、たぶん私の音楽もハウスはディスコだけどディスコじゃないみたいな。エレクトロアコースティックの部分は、技術的な部分はニューウエーブのことから勉強した。私は全然才能が無いから、楽器もできないし。私のプロジェクトで全部みせたいことは、私の音楽は心からじゃないということ、もちろんたくさんの人はそう感じるだろうけど。それ以外では、正しい音を順番に聴かせると、あなたはそのジャンルの本気の気分になりますよ、な感じで作る。私は音楽家じゃなくて、音楽コレクターだから。その感じで、例えば私はずっとライブが嫌いだった、例えば、コンサートには絶対行きたくない、コンサートはいつもつまらない、意味が無いと思う。私はちゃんとスタジオで大事に作った録音を、家でCDで聴きたいな人。それから、私は音楽を作り始めたとき、自分のライブのことを考えなかった。私の最初のリリースはコマトンズからで、めちゃくちゃなピアノのハウストラックで、メチャメチャにしすぎて天才に聴こえるギャグで作った。私のリリースのほとんどはそのギャグから作った。もちろんまじめな部分はあるけどそれは音楽の部分じゃなくて、テーマの部分。なんて質問か忘れたけど、そんな感じ」

――ライブが嫌いっていうのはわかりますよ、音楽をやったり聴いたりする楽しみの一つで生で演奏しているのが観たいとか、“リアルな感じ”っていうのがよく言われる。でもテーリはまったくそんなものには興味が無くて、CDなりレコードなり、レコーディングされているものを聴くっていうことが出発点なわけだよね。ライブも、コンピュータが出てきてから、実際は何をやってるのかわからないけど、リアルタイムでマニュピレートしているようなイメージがあるじゃないですか?、でもそれはナンセンスだっていうことでしょ?

「そう、それだから私はラップトップじゃなくてipodからライブするのがいいと思う、その方が判りやすいでしょ?ただプレイするっていう」

――しかも本当は同じことかも知れないんだもんね

「同じ、ぜったい同じよ。ほんとにそう。でも日本は他の国よりヨーロッパより、ライブをすることへのプレッシャーがある、それはレコードセールスだけでは生きてゆくことができないから。ライブするとか、またはDJするとか、それがお金のために必要ね。でもやっぱりオーガナイザーとかそういう感じの人は、考え方はまだちょっと古い。例えばDJ Sprinklesのアルバムをだして、Muleはリリースパーティがしたいといって。私はDJ Sprinklesの名前で出しているんだから、DJするのがいいと思うけど、もちろん。DJ Sprinklesがホントにステージでライブするっていうのをお願いされて、でも私はできないと言って自分のリリースパーティをキャンセルされた」

――テーリはDJだったらいんだよね?

「そう、DJ Sprinklesの名前だから。それには私もトラブル(の元)をつくっていて、一年前に超スペシャルケースで、河崎さん(mule musiqのオーナー)のイベントために一回ライブ的なライブをやって、このビジネスでは一回やったら次もやるのが当たり前な感じ。ここは日本だから、日本語が足りないとか、説明ができないから、私はときどきちょっと日本では怠け者になると思う。ヨーロッパではそのことでもっとがんばるけど、説明ができるから。例えば私は普通にライブすれば、最初に音楽じゃなくて急に講義をするとか、その感じでお客さんに音楽をあげないようにいじめるとか。でも日本語では自分の言いたいことがちゃんと言えないから、そうするのは難しいから、それでちょっと怠け者になる。DJの方にいくのはその感じ。それも言語の問題で、ある。ハードなファンは私の言いたいことが判るけど、ほとんどの人は私をただのハウスDJだと思う、“あーいいなー、超スピリチュアルだなー”みたいな、でもそれは私の言いたいこととはちがうでしょ、でもたいていの人はそう思うでしょ、それは音楽の世界では正しいリアクション。でもそれは私のしたいことじゃないね、それは私の反対したい、批判したいことね」

――さっきDJ Sprinklesっていう名前が出てきましたが、このアルバム(『Midtown 120 Blues』)はすごく好きなアルバムで、しかも本当にテーリらしい作品だなと思うのは、一曲目から、ステートメントをずっと読んでいて、そのあと曲が始まるっていう。『Midtown 120 Blues』のイントロに書いてあることは本当に面白い。“ハウスミュージックは音というより情況(シチュエーション)です”っていう、これはテーリのハウスミュージックに対する見方を表しているよね

「私がDJしていたときは、80年代の最後とか、ハウスはジャンル的にそんなに決まってないことでしょ?ハウスという言葉は、ただの店ですね、クラブとか。そしてハウスミュージックは、その店にあるレコード、それはディスコとか、ロックでもジャズでもなんでも、その店にあるレコードだったらそれはハウスレコード、でその店は、ニューヨークのナイトクラブとか、その店にピッタリのコレクションがあったから、もちろんその場所の音の雰囲気がハウスの雰囲気になって、色々な音楽家がそのハウスという味で音楽を作っていって、例えばブレイズとかが、その雰囲気で曲を作っていって、もっとハウスがジャンル的に決まった。でも本当はもともとはハウスは、その店のレコードってだけで、ジャンルは関係ない、味はあるけど、ジャンルは関係ない、私はまだその考え方がある。私のDJのときでも、ほとんどがディープハウスだけど、急にサイケデリック・カントリーとかも入っている。でもまたは、このCDの一つのポイントは、反スピリチュアルでも、まだこの音ができるよ、スピリチュアルとか心とかアーティストとかクリエイティブとか、その感じの話は要らないよ、をこのアルバムで見せたい。だからこのアルバムの一曲めの最後で、私の声が終わったら、すごい普通に“This is the way we rock the house”みたいな感じですごいストレートな曲が始まって、それは私の考え方からでもこういう音ができるよっていうのを言いたい、メッセージね」



――さっきスピリチュアルっていったけど、音楽ってそういう風に、理屈では説明できないものみたいに言われがちだけれど、理詰めでやってもこういう曲は出来るっていうのがテーリの言いたいことだよね。

「私ももちろん説明ができない気分っていうのはわかる。でも、説明ができないのと、説明が無いのは絶対違う。説明ができないのは言葉が足りないとか経験が足りないとかインベスティゲーションが足りないとかアナリシスが足りないとかそれだけのことだと思う。わたしはマルクス主義者な感じな人で、スピリチュアルなことには全く興味がない。スピリチュアルな世界に生きてるでしょ?ほとんどの人は。ちゃんと自分のポジション、そのスピリチュアルという社会の中に生きているから、自分の反スピリチュアルのポジションを考える必要がある。K-S.H.Eで『ルーツではなくルート』を作ったけどそれも同じようなテーマで、例えば私は白人で、日本で黒人の心のイメージの音楽をプレイして、本当にルーツとは何のことでしょう?自分のハウスルーツはなんでしょう?のことを考えて。みんなハウスミュージックを聴くとき、黒人の心からみたいなことを考えるでしょ。でも『ルーツではなくルート』のほとんどのパーカッションのサンプルはブルースとかジャズじゃなくて、白人のカントリー音楽からきて、でもコンテクストを変えたら黒人の音楽を聴くよ。私はアメリカの田舎から来て、お母さんは趣味的でフォーク音楽を聴いていたとか、そんな感じのカントリー音楽の関係がある私の人生は。でもやっぱりアメリカは色々な差別があるから、偏見とかいろいろ、白人と黒人の世界はほとんどまだ別れている。オバマは大統領だけど、まだほとんどわかれてるよ。黒人のブルースという音楽と白人のカントリーという音楽は殆ど同じもの。でもそれは差別があるから世界が分かれている。違うイメージがある。でも私は白人だからじゃあハウス音楽をカントリーのサンプルから作ったらどうになるかなーと思ってそのアルバムを作って。そうするとでもやっぱり黒人的な音が出た」

――それはまさにルーツじゃなくルートだね!

「多くの人はナチュラルな事が好きと言うけど、私たちは全然ナチュラルな生き物じゃない。もちろん私たちがバイオロジカルな生き物だっていうことはわかるけど。社会の中でその感じの話は意味にならないから。もっと私たちの関係を見ましょう、考えましょう、聴きましょうって感じ」

――たとえばハウスだったら、一曲のトラックを誰かが聴いたとして、“これぞハウスだ”みたいな音楽の背後にあるアイデンティティみたいなことをつい考えるんだけど、その人は本当は実際には何を聴いているのか?ってことだよね、その人が素で思っていることと、その人が或るコンテクストの中でその曲を理解しているってことの区別がちゃんとついていないっていうことだよね。でもたいていの音楽ファンはそういう風にして音楽を聴いているわけで、でもそこで、君はこう聴いているつもりかもしれないけど、本当はこういうことなんだよ、っていうことを教えたいっていうのがテーリがハウスでやっていることなわけだ。

「そう。そうです」

――テーリは、例えばDJ SprinklesならDJ Sprinklesで、テーリ・テムリッツならテーリ・テムリッツでっていうふうにして、名義によって音楽を分けていますか?

「テーリ・テムリッツはエレクトロアコースティック…Mille Plateaux的な味でその名前を使っている。DJ Sprinklesとか他の名前ではもっとハウスとか別の名前を使う。でもエレクトロアコースティックの音楽で、テーリ・テムリッツという名前を使うのは、もっと本人のことじゃなくて、エレクトロ・アコースティックはまじめなアーティストのイメージがあるから、ちょっとギャグのために自分の名前にする、自分の名前にするとまじめに見えるけど、それもほんとにギャグ」

――それはアーティストとしてのイメージってことだけじゃなくて、そもそも一人の人間がいろんなパーソナリティをもってるっていうことだよね。

「ホントは細野晴臣さんのコピー(まね)で、細野さんはいろいろなバンドをやって、または色々なジャンルをやって、もちろん細野さんと私の考え方は反対だと思うけど、彼は凄いスピリチュアルだし。でもやり方はなんか似てると思う。似てると言いたいね。彼は大先輩なのでそんなことを言うのは失礼かもしれないけど、でもそれを言いたい。彼のオマージュみたいな感じで私はやって。でも私は神様を批判するみたいな気分も必要と思う。一番好きなことには一番厳しく批判するのは西洋の考えね、日本はちょっと違う、その逆ね。わたしはいつもそのアプローチをする。みんなは音楽を聴くと仲間になる気分になるね、仲間になるためにクラブへ行くとかね、でも私の経験はクラブへ行っても一人で踊って、一人で聴いて、一人で帰って、さびしいな気分になるね。それはそうしたくてそうなってるのではなくて、誰かと一緒に踊るといいなーと思ったけど、だれもそうしてくれないとかそんな気分ねー。または、ミズーリ州とミネソタ州で、私の周りでテクノポップを聴いていたのは私だけね、他の人はロックとかポップスばっかり、たまたま私がロックを聴いていたら“むかつく”と殴られて、暴力をもらってとか、またはよくみんなは私のことをオカマといって、いじめられたから、そうすると反対になるように、そういう人たちはみんなロックを聴いていたから、私はロックを、ギターを許さない。ギター無しのレコードだけを買いますみたいな感じで、だから、テクノポップとかYMOとか聴くようになりましたよ、もちろん音も好きだけど」

――ロックの持っているマッチョな感じが嫌だっていうことだよね

「そう。超マッチョね。ロックが好きな人たちから私は色々な問題をもらったから、絶対にその仲間になりたくない。で、いつも寂しいな感じで電気音楽を聴いて、例えば、ミズーリの田舎で、私の車で、私の車は1960年製のフォード・ファルコンという車で、アメリカで最初のミニ。でもその車はすっごいボロボロで、サビがいっぱいあるし、前の左のフェンダーは無くなって、凄いボロボロの車で、天井の布は切れてて、風が入ってくるとパラシュートみたいになるね、その車で、ラジオもないから、80年代のヒップホップ的なラジカセを後ろのシートに載せて、YMOをフル・ボリュームで出して、私は頭はモヒカンみたいで、服は女性の服で、田舎の道で一人運転して音楽を聴いている。そのイメージ。子供だから、まだ若かったから、そういう感じの経験が多かったから、大人になったら、音楽から仲間になることは私の人生に関係がない。そしてその毒が私の音楽全部に入っている」

――そんなテーリだけど、一緒にコラボレイトできる人がもちろん何人かはいて、そのうちの一つが、ツァイトクラッツァーだよね、前から曲を一緒にやったりしているわけじゃないですか?で今回コレ(『Zeitkratzer & Terre Thaemlitz / Electronics』)が出たわけだけど、ツァイトクラッツァーとの一連のコラボレーションについて説明をお願いします

「コラボレーションは私には凄い難しい、普通のアーティストと比べるとその人はすぐ私のことを嫌になる。ほとんどのアーティストは音楽のために作るとか、テーマがあっても、最終的には楽しんでやりたいとか、またはその人たちはほとんど楽器とかができる。私はほとんど楽器ができないから、その人たちとスタジオに入ると私は音楽家じゃないが急にわかる、誰でも。それに考え方もタレントとかやり方も全部違うから、難しいね。でも、ツァイトクラッツァーは最初のコラボは2001年かな、ベルリンで私は三日間そのグループと一緒に。それは彼らが私の曲をカヴァーして、私がもっとこうした方かいいよというようなコメントをした、またはミキシングボードで、私が最初のマスタリングで、コラボレーションして、ツァイトクラッツァーは9人とか10人とかそんな感じで、結構メンバーの多いグループで、最初は困るなーと思って、でも、そんなにたくさんの人だからエゴが無くなるね、普通のコラボだと私と相手と2人きりだから。それは2人の間のテンションが増えそうかな。でも何人もいるから、またはほとんど音楽家的で、チューバとかチェロをやっている人は、“私はどうすればいいの?教えて”みたいな感じでエゴ無しで。超楽だった、ちゃんと良いコラボが出来たなと思った」

――テーリのハウスの曲を彼らがアンサンブルで出来るようにアレンジしたってことだよね?、ライヴで一緒にやったりもしてしたんだよね?

「1,2曲は一緒だった、それはちょっと色々なライブから録音して。いつもツァイトクラッツァーが私のダンス曲だけをカヴァーするのは、それをさせたのは私のちょっとギャグね。彼らは普通はもっとエレクトロアコースティックな音楽をライブする。それは超ハード・コンピューター音楽が急にアコースティックになる。そして、ツァイトクラッツァーの曲はリズムが少ない、あんまりリズムにならない。でも私は、それじゃなくて、もし私の音楽をカヴァーするならば、絶対ダンス音楽をカヴァーしないとダメねって契約的な部分がある」

――ただ単にエレクトロ・アコースティックの曲を生楽器でカヴァーするんじゃ面白くないってことだよね

「だから私はツァイトクラッツァーの普通のコースをお邪魔するように、わたしはそれをさせたかった」

――でもそれはすごい成功しているよね。

「うん、なんか時々面白いよ」

――こんな大人数でハウスが演奏されるのってあまり聴いたことがないなって

「反対に、ツァイトクラッツァーも私に反対のことをさせて、一曲は私もちゃんと声を出して、ピアノも弾いた。それも超ハズカシイ、私はその曲を聴くことができないネ、恥ずかしすぎて。でも面白いのは私を知らない人は、たぶん普通の音楽を聴くように聴くと思うけど。ツァイトクラッツァーから、あなたは音楽家といわないけど、ちゃんと音楽家らしくしなさいとかって、ツァイトクラッツァーは凄くユーモアがある。私たちは全然違う世界だけど、その理解が出来る。たぶん他のプロジェクト…灰野敬二のプロジェクトとか、カールステン・ニコライのプロジェクトと違うものになったと思う」

――「electronics」ってタイトルで3枚同時に出たんだけど、全部違う。非常に面白い企画だと思いました

「ツァイトクラッツァーは凄く面白い。でもちゃんとヨーロッパの音楽大学から出て、物凄くトレーニングされている、トップのレインホルド・フリーデルさんは、ありえないぐらいピアノが上手い。でもギャップがある。それが凄く面白い」



――そのギャップを面白く処理できる関係ってことだよね

「私が作ることが出来ないもの、普通はツァイトクラッツァーがしないものをやるっていうね。例えば、“Yesterday's Heroes”というバンドプロジェクトをHACOさんと一緒にやって、普通HACOさんと私はテクノポップを作らないけど急にそのプロジェクトではテクノポップをやった、私は(コラボ相手に)いつもなんか変なことをさせる」

――他にテーリが仲の良い人達で、SND、マークフェルとマットスティールがいるけど、マークがヨーク大学でやっているプロジェクトの一環でさっき言っていたピアノソロを録音したんだよね?

「ヨーク大学に、大きなコンピュータ音楽のリサーチ・センターがある、そのトップはTony Myattさん、マークはヨーク大学の職員じゃないけど、フリーランスで、3年間のプロジェクトを始めて、そのタイトルは“new aesthetics in computer music”。テーマは、大学と関係ないコンピュータ音楽家はどうやって生きているか、どうやって音楽を作っているか。大学のアカデミックなコンピュータ音楽家は、ほとんどその世界に入ったままで、その枠から出ないでしょ?、そしてその人たちは私みたいな人を見ると、どうやってこの人は生きてるとか、わからないから、まあ私もわかんないけど(笑)。その人たちはアカデミアな音楽の世界の外の、コンピュータ音楽家達にやり方とかを聞きたかった」

――ヨーク大学ではレクチャーとレコーディングをしたのですか?

「2週間くらいいて、内容は本当にフリーで、2回スタッフとビデオでインタビューがあって、でもあとはスタジオスペースみたいなところで、それはそのアーティストが今までにやっていたことを継続してやってもいいし、このために新しいもの作ってもいいし、そこに素敵なFAZIOLIという凄い高いピアノがあったから、私は絶対それで遊びたいなーって思って、全然なにをやるか決めていなかったけど、そこに行ったら急にプロジェクトが決まって、その31時間のピアノソロを作った。でもそういうことをやっても大丈夫だし、なにをしてもいいみたいな感じで。それに普通、大学でそういうことをやると、大学はそれをリリースしたいとか色々何かが必要あるけど、このプロジェクトは何も要らない、何か作ったらちゃんと100%アーティストのモノになる。凄いイイ。マークはちゃんとそれを事前に大学と話し合って決めてこういうプロジェクトを作った。普通は、スタッフとソフトウエアを勉強するとか何か作るとかするけど、私のケースはアコースティックばっかりで、スタッフの手伝うことは、ソフトのプログラミングだとかじゃなくて、どうやって長い録音を一つのmp3ファイルをコンプレスするかとか、これは簡単なようだけど、ちょっと意外と難しかったね。今はわかるからできるけど。4GB以上のファイルだと、ほとんどのコンピュータはそのファイルを開くことが出来ないから、FAT32ファイルシステムの問題で。で4GBになって。だからスタッフは音楽のことじゃなくてmp3ファイルファーマットの手伝いをした、でもそれもスタッフが喜んだ、そんなこと普段しないから」

――というかそんなこと考えもしないもんね普通。テーリのピアノはインプロヴィゼーションで演奏したの?

「31時間もあるから、なんでもいいインプロヴィゼーションじゃなくて、曲のスケールを考えて、ちゃんと聴けるようなアンビエントのゆっくりの曲にした。それは実は、一回、東京のブレッツでライブでやって、31時間は無理だから、ライブでのルールは、81分以上が必要、それはCDに入り切らない長さだから」

――31時間もどうやって録音したの?

「それは4時間から6時間ずつ録音して、そのファイルを繋げて一つのファイルにした。結構辛かった。でも面白かった」

――それはちゃんとコンポーズして、譜面とかもあったの?

「書いてはないけど、でもちゃんとある。私はピアノができないから左手だけの変なやり方で、ちゃんと聴くと複雑に、二つの手に聴こえるけど、一つの手が二つのキーグループの間に動く、でも毎回置いた時の手の重さの違いから、色々な音符、トーンがでるから複雑に聴こえる。その一番面白かったことは、この組織のトップのTony Myattは凄いピアノうまい人、彼が私の曲を弾くのを見て、真似しようとがんばったけど、全然出来なかった。彼が“なにしてんのーわかんなーい”って(笑)」



――経験とテクニックが邪魔をするんですね(笑)。ところで、SNDの新譜は聴きました?

「うん、それはraster-notonからのやつね、聴いたよ。DVDも出したよねLINEから。私がそのピアノ曲の録音してた時に、ちょうどマークはそのDVD制作をしていて最後のときだった。マークも反スピリチュアルのメッセージあるね。例えば、そのDVDもあんなにミニマルなものだったら、普通の人はメディテーションとか禅とかを考えるけど、彼はそれには興味が無い。彼は音に興味がある。彼は私と同じように、矛盾で遊ぶ、彼は私みたいにはっきりとは言わないけど。彼はメッセージの反対の人だけど、やっぱりなんでもメッセージになるから。彼と私はいつもそのことで話す、全然違うアプローチの仕方だから。そのDVDには、テキストがあってちょっとだけ説明してあるけど、そのテキストはマークは直接は書いてないね、別のスタッフが説明した。何も書かないと絶対普通のメディテーションになるから、何か入れなさいってことでそうなった」

――そういう反スピリチュアルとか、アンチ・メディテーションっていうのは、性格的な部分と理屈の部分があると思うんだけど、例えば、ジョン・ケージのことをテーリは過去に幾つか書いたり喋ったりしているけど、ケージの一種の哲学をどう受け止めるかっていうこと、禅からスピリチュアルな方向に行ってしまうラインと、そうじゃないラインがあって、ケージ自身もその両方があったかなと思うから余計話がややこしくなるんだけど、そういうようなこととも繋がってくるよね

「もちろん人間は誰でも矛盾的なことを言うけど、でも彼はほとんどまじめに禅のことが好きだろうけど。私は大学生だったころ絵を勉強した、美大生のころ。でもどうして私がもっと音楽に興味があるのは、例えばヴィジュアルアートの世界で、アーティストのこととかクリエイティブのことはよく批判したけど、まだその世界は何も変わっていないでしょ、100年以上ハードな批判があったけど、まだアートはそのまま。自分のバカの中で生きてるな感じで。私はそれを批判したかったけど、アートより音楽はもっとバカだなーと思って、音楽は社会的でアートよりもっと広いものでしょ、アートより音楽は普通にみんなが聴く、普通の人は音楽を聴くとアートよりスピリチュアルなこととか自分のアイデンティティのこととか、の気分を聴くから、感じるから、音楽の世界でその感じのことを批判するのは、もっと難しいことだけど、もっと必要なことと思った。それで音楽になった」

――エステティックスの背後にはいろんなソーシャルな関係があるから、そっちの部分を切り離して、この作品は凄い、とかって言うことには、どこかナンセンスな感じがするっていうのはありますよね。でもどうしても音楽が好きな人って、ビジネス的なことや、背景にある社会的なコンテクストについてはアレルギーがある人が多いよね。でもそういう人たちにも真実を教えてあげるっていう事をやりたいってことですよね。

「うん。音楽はすっごいビジネス的なことでしょ?、でもそれを普通の人は感じない、感じさせないようにできている。それはおかしいと思う。ショック。社会を批判したいって思ったときに、色々なメディアを考えるけど、音楽は一番(音楽の後ろの)社会過程を感じしない、イメージはするけど、社会のすることを感じしないメディアだと思うから、それを壊すことができたらすばらしいと思う。アルバムの一枚一枚で、ときどきそれを壊すことが出来たらいいなと思う。また、社会は音楽はこういうものだよというけど、私のどういうふうに音楽を聴くかというのと、社会がこう聴きなさいっていうのと違うから。サラリーマンは会社へ行くけどそれは会社が好きなことだからじゃなくて、それはただ普通の生き方。みんなの普通のすることの中に、自分の反社会のこと批判的なことをもっとクリアで感じる、それに興味があるね。例えば、私のアイデンティティーはトランスジェンダーとかクイアとかいろいろあるけど、最近、私は女装をするけど、ぜんぜんいいイメージにならないから、ほとんど男装をする。私の頭の中では男装をするのも女装をするのも同じくらいおかしいこと。でも普通の人が私を見ると、男装すると普通と思って、女装をすると“その男は女の格好をしてておかしい”と感じる。私はどっちもおかしいと思うけど。私は最近、5年くらい前から、女性のメークを止めて、チンコを持ってるの人で男装をする。チンコ持ちのトランスジェンダーは男装する人生で生きているのは、何の批判的な意味がありますか?とかな矛盾がある。私はニューハーフにならないから、トランスジェンダーの世界でどんなオプションがある?あんまりないでしょ。または普通の社会でもあんまりないでしょ。普通にもし私はマーケットに行けば、まあ普通に私が住んでる上作延で私はドレスを着てどうでもいいなことが出来るけど、または、例えば入国管理局のときで、ドレスを着ているといろんな問題がおきそうとか。人生を考えると、矛盾的で難しい。アイデンティティはこない感じで社会を見たいね。そしてそんな感じでメチャメチャで音楽も作る。ハウスを作って、エレクトロアコースティックも作って、ピアノのソロも作って、でもやっぱり、ハウスだけど何か違うとか、エレクトロアコースティックだけど何か変なテキストもCDと一緒に入ってとか、ピアノソロだけどピアノが出来ないとかね」

――そいうったすべてのことが、この『売れ残り品アーカイブ』に繋がると思うのだけれど、これのリリースはどういう形になるの?

「それはコマトンズのホームページからだけにする(リリース済み)、値段は25000円。大学とかライブラリーは倍の値段になる…いじめる為(笑)」

――これがリリースされたら、テーリ・テムリッツというアーティストがこんなことをやった、こんなアーカイブを作ってしまった、ってことに色々なレスポンスが出てくると思います。すごく楽しみですね!