「だいたい暇な日が多い。午後くらいがちょうど良いです」と聞き、平日の昼過ぎに足を運んだ。倉庫のようなシェアハウスで生活するphaさん。9年前に仕事を辞めてから、定職には就いていないという。
玄関はなく、入り口のすぐそばにコタツが置かれている。「どうぞ」。足を入れ、今の暮らしについて聞いた。同居人は2人。一緒に食事をすることもあるが、予定を合わせることはほとんどないという。テーブルの上には、飲みかけのペットボトルや使用済みの箸が残っている。
月収は10万円ほど。ブログや本の執筆などで生計を立てている。書くことは好きで、文章に関わる仕事はだいたい引き受ける。話を聞いているときも、ときどきノートに落書きをしていた。
京大在学中の就職活動はうまくいかなかった。あまり働きたくなかったというphaさんは卒業後、半年ほど経ってから「適当なところに就職した」
事務員として3年。暇そうじゃないかと思い就職してみたら、やっぱり暇。それでも仕事を続けるのは難しかった。「ずっと辞めたいなと、入った時から思っていた」
ブログには「『隕石でも落ちてきて会社が潰れればいいのに』とかそんなことばっかり考えていてしんどかった」とつづった。通うこと、会社にいることが耐えられなくなった。
辞めるきっかけはインターネットだった。「ネットがあれば、孤独にならないというか、知り合いは作れるし、いつになっても孤立せずに……というのが大きかった」
それから約9年。古本の転売、治験など、さまざまな「仕事」で食いつないだ。ふらふら生きている先輩がいると、教えてもらったりするんですよねとphaさん。どこで出会ったのか尋ねると、「ネットです」と答えた。
「ときどき猫が入ってくるんです」。部屋の隅には寝床のテント。周囲には衣類が散らかり、約4畳ほどのスペースに生活用品がほぼ全て置かれている。これからもっと物を減らしていくという。
決して豊かとはいえない暮らしだが、将来的な不安はないのか。「あんまりないですね」。50〜60歳になったことについても、なってから考えると話す。口調はおだやかだ。
今のところ生活に困ってはいないが、周囲には働いていない人、働けず生活に困っている人も多いという。生活保護を受けるケースもある。「みんなギリギリでやってて、生活保護を受けずにすむなら……という人がほとんど」と言う。
回復したり、仕事のメドがついたら抜ける人も多いが、中には生きづらさを抱え、死を選んだ知人もいる。「結構ね……しょっちゅう誰か死ぬなあという感覚はあります」。猫がにゃあと鳴き、コタツの天板で横になる。手を伸ばしてその頭を撫でる。
社会には、生きること自体が苦痛に感じる人もいると話す。それでも死にたくないから、生きていくしかない。
ベーシックインカムの理念は「あり」
Twitterのフォロワーから、猫のエサを差し入れとしてもらうこともある。インターネットのゆるいつながりが助けになる。「働けなくても、すごいダメでも、最低でも死なないぐらいのことはあってもいいんじゃないか」。ベーシックインカムには肯定的だ。セーフティネットは多いほうが良いと話す。
一方で、社会保障制度には予算が必要だ。財源維持のための具体的なアイデアはないとしながらも、「社会全体で負担する方向に行くしかない」と述べる。
今までの日本では、家族が病人や社会不適合者などの働かない / 働けない人たちの面倒をみていたと指摘。
「時代の変化につれ、家族というものの結びつきも昔より弱くなってきています」
実家が嫌いで家を出た。家にいたときのことは、あまり覚えていない。
普通の生き方と、そこから外れた生き方。「普通のところにいたほうが楽なんじゃないでしょうか」と彼は言う。「普通のところで生きていけないって人が仕方なく、別の生き方を探すってもんだと思う」
「普通」から外れた人の内面は分からないとphaさん。それでも、働きながらも死にたいと口にする人、働いている以外はずっと酒を飲んでいる人がいる。「そういう人でも、死んだら寂しい。なんとかギリギリ生きていけたらと思う」
「生きづらいと感じている人が読んで、楽になれたら……」と本を書く。あくまでも自分のためとしながらも、「参考になるのであれば」
普通に生きることも厳しいし、そこから外れることも別の厳しさがある。
「(普通に生きることが)ダメって人は、一定数は絶対に出るものなので、そういう人たちの生き方はもうちょっとあってもいいと思います」
phaさんは、うつむきがちにこうつぶやいた。「死ぬくらいだったら、なんでも生きてりゃいいと思うんです」
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