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Ignatieff, Michael

マイケル・イグナティエフ



◆1978 A Just Measure of Pain: The Penitentiary in the Industrial Revolution, Pantheon Books. ※COPY

◆1984 The Needs of Strangers, Chatto and Windus 1984 ; Penguin Books 1994 Vintage=1999 添谷育志・金田耕一訳,『ニーズ・オブ・ストレンジャーズ』,風行社,263+ivp. 2900 ※

◆1993 Blood and Belonging: Journeya into New Nationalism=19960325 幸田敦子訳,『民族はなぜ殺しあうのか──新ナショナリズム6つの旅』河出書房新社,363p. 3700 ※

◆1998 The Warrior's Honor: Ethnic War and the Modern Conscience=199910 真野 明裕訳,『仁義なき戦場──民族紛争と現代人の倫理』,毎日新聞社,238p. ISBN:4620313920 2100 [amazon][kinokuniya] ※
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◆1999 Isaiah Berlin: A Life, Owl Books=20040608 石塚 雅彦・藤田 雄二 訳,『アイザイア・バーリン』,みすず書房,335+52p.ISBN:4-622-07097-9 6300 [kinokuniya][BK1] ※

◆2000 Virtual Wars: Kosovo and Beyond, Chatto & Windus, London=20030318 金田 耕一・添谷 育志・高橋 和・中山 俊宏 訳,『ヴァーチャル・ウォー──戦争とヒューマニズムの間』,風行社,301+5p. 2700 ※

◆2003 Empire Lite: Nation-Building in Bosnia, Kosovo and Afganistan, Vintage, London=200312 中山 俊宏訳,『軽い帝国──ボスニア、コソボ、アフガニスタンにおける国家建設』,風行社,189+5p. ISBN:4-938662-66-3 1995 [amazon][kinokuniya] ※



■引用
 「政治におけるユートピア的伝統は、諸々のニーズは相互に矛盾し合うものではないと主張するだけではなく、おそらく、社会的な集合財によって充足されえないような人間のニーズなどおよそ存在しないとも主張するだろう。本書の目的のひとつは、このことが原理上、真であるかどうかを探究することなのだ。たとえば愛情は、人間のあらゆるニーズのなかでも最もやみがたく執拗なニーズである。けれどもわたしたちは、誰かを強制して無理やりに自分を愛させることなどできはしない。要するに、わたしたちは愛情を人権として要求することなどできないのだ。ところが、人と人、男と女とのあいだでの疎外が克服されるであろうような社会のビジョン――おそらくこの世に存在する最も根強い政治的ビジョン――は、他者の愛情が請求しさえすれば無償で自分のものになるであろうような、そういう社会を思い描いているのだ。」(Ignatieff 1984=1999: 29)

 「自分の権力について思い違いをしているリアは、まるで自分のニードは娘の愛情に対する法律だと信じ込んでいる。しかし、愛情とは贈与であって責務ではない。愛情が正義に反し恩知らずであるのは、それが命令にしたがって「口には出」されるようなものではないという点なのだ。これこそ、コーディリアが若者らしい独善でもって、そして幾分かは彼女自身の父親の片意地のせいで、かれに聞かせようとする真実なのだ。」(訳書p.57)
 「福祉国家が個人が担うべき家族への責務の遂行に対して与えたインパクトもまた両義的だった。たとえば、以前には家族のメンバーが遂行した介護(ルビ:ケア)機能をソーシャルワーカーの人びとが引き受ける場合、そこには利益と損失の双方が存在する。他人を頼りにしなければ生きていけない個々人は、もしかしたら公共施設においての方がよりよい介護を受けられるだろうし、家族のメンバーたち――とりわけ女性たち――は解放されて労働市場に参入するか、もしくはそれ以外のやり方で自分たちの時間を活用するようになるだろう。だが、公的介護を受けている身内の高齢者で、見舞いに訪れる人もないままに放置されている人びとの数がどれほどいるかを考えてみれば誰にでもわかるように、家族の責務感が損なわれるということもまた真実なのだ。より一般的に言えば、それは「役所の仕事」だと万人が信じるようになれば、見知らぬ他人たちのあいだの共同体の絆はおそらく弱体化することになるだろう。福祉国家が育んだ文化の逆説は、高齢者、病人、障害者の見舞いに訪れるのはソーシャルワーカーやそれに類した人たちだと、誰もが当然のことと決め込むようになった結果として、隣人たちは、ひとしく淋しく暮らしている者たちの世話をすることも自分たちの義務だとはおよそ思いもしなくなったということなのだ。福祉国家はつねに社会的結束と相互責任を強化してきたわけではない。それはさまざまな形の社会的孤立や無関心を促進してもきたのだ。「それは役所の仕事だ(It's the council's job)」という言い方は、新しいタイプの道徳的無関心を指(p.222)し示すものとして たしたちの用語集のなかに入り込んでいる。」(訳書p.222-223)

 「帰属することをめぐる不安は、実は、わたしたちには満たすことが望みえないような期待と相関しているように思われる。」(訳書p.225)

 「わたしたちが個々人としてまた社会として感じる、自由の諸欲求と帰属の諸欲求とのあいだでの葛藤をいかにして調和させるかという問いに対しては、原理上、正解などありはしない。わたしたちはこの問いに対してそれぞれ異なった答えを与えるだろう。そして、支持するに足るどんな政治も、わたしたちが与えるさまざまな答えによって自分自身の人生をかたち作る権利を尊重すべきなのだ。近代性が可能にする帰属は、この人格やあの家族への帰属、人生の特定の時期でこの集落、あの場所に帰属するというように、局所的(ルビ:ローカル)で特定的かつ束の間のものであらざるをえない。ただし、このことはより大規模な対象への献身(ルビ:コミットメント)を排除するものではない。こうした偶然的で局所的な帰属を保障するより広範な枠組みをわたしたちの社会と政治とが提供するならば、そのかぎりでわたしたちは社会と国家に対してより広範な忠誠心を立ち上げることができる。その忠誠心はけっして全身全霊を捧げ尽くすといったものではないだろうし、その帰属はけっして疎外を含まないまじりけなしのものでもありえない。だが、これとは違う純粋な帰属のあり方をあくまでも願望するのは、いかなる分裂もまったく知らない心と完全に調和した精神をもとめるような夢想家たちだけなのだ。」(訳書p.226)

UP:20041027 REV:1108, 20100920
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