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Carrel, Alexis
アレキシス・カレル
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last update:20160529
■履歴
外科医、生理学者。フランス生まれ。リヨン大学医学部卒。1900年、同大教授となる。 1904年、渡米し、ロックフェラー医学研究員となり、組織培養法の確立に貢献。血管縫合術および臓器移植方法の研究により、1912年度ノーベル生理医学賞を受賞。
■主著
『静脈および臓器の移植』、『胸部大動脈および心臓の手術』、『創傷の治療』、『人間――この未知なるもの』『ルルドへの手紙』など。
以上、桜沢如一訳 1979『人間――この未知なるもの』日本CI協会より
Carrel, Alexis 1935
L'homme, cet inconnu Plon
, Paris = 桜沢如一訳 1979『人間――この未知なるもの』日本CI協会(1938年訳)
人類を退化衰亡に陥れる現代文明――人間の真の再建こそ急務である。
人間の本性を解明し、剛毅不屈の精鋭を育成せよ!
ノーベル賞生理医学賞受賞のカレル博士が投じた世界的名著、新版刊行!
以上、裏表紙より
第八章 人間の再建
六
人間の選抜
文明人という大きな群集に一つの選択を加えることが必要である。自然淘汰がよほど以前から行われなくなっているのは、われわれの知っている通りである。 たくさんの低劣な人間が、衛生学と医術の努力に恵まれて長生きをし、その数が増加し、人間に有害な影響を与えたのである。 しかしそうかといって、精神病でも犯罪人でもない者を、劣弱な人間だからという理由で生殖を防止することはできない。 一腹の仔犬のうちの欠点のあるものを殺してしまうことはできるが、劣弱な子供をなきものにするわけには行かない。 そこで、劣弱者の不祥な大増加を防止する唯一の方策としては、優良な人間をどしどし発達させるべきである。劣質者の改善に向けられた努力は無効であることは明白になっている。 むしろ良質者の発達を助長する方がどれだけましだか分からないのである。 また、弱者・劣者に効果的な助けを与えるのも、強者・優良者をより強くすることによって初めて期すべきである。 大衆はいつでも、少数の優れた者の思想や発明や、彼らによって建設された機関や事業によって善益を受けるのである。 それ故、現在なされているように、心身の不平等を平均させようと努力するのでなしに、水準以上の人間を養成し称揚すべきで、強者を抑圧して弱者を持ち上げ、 こうして世界中に凡物ばかりをうようよさせるという危険な考えは放棄すべきものである。
そこで、子供の間から優秀な潜在能力をもっている者を捜し出し、彼らをできるだけ完全に発達させることが必要である。 こうして、国家へ世襲的でない真の貴族階級を得せしめねばならない。かような子供は社会のあらゆる層に見出せる。 ただ、優秀者は、両親が聡明である家庭に属している方が、そうでない家庭に属している場合よりもいっそう多い。 昔、アメリカの文明を築き上げた人々の子孫には、先祖の優良な性質を保有しているものが多かった。 ただし今では、一般的に見て、これらの性質が変質という形貌の下に隠れひそんでいる。この人間の変質は、間違った教育と惰弱生活と、責任感及び精神訓練の欠乏からきている。 そこで、たとえば富豪の子供らは、犯罪人の子供同様に、幼少の時から、彼らを堕落させるような環境から引き離さねばならない。 こうして家庭から遠ざけられると、そこで初めて彼らは、自分の遺伝性能力を発揮し得るようになるであろう。実際、今でもヨーロッパの貴族の家には非凡な気力をもった人物がある。 フランスにも、イギリスにも、ドイツにも、今なお、十字軍と、封建時代に覇業を成した貴族の子孫は非常に多くいる。 遺伝学の法則によると、彼らのあいだから、冒険的な剛勇果敢の人物が現われるべき可能性があるのである。 犯罪人の血統であっても、そこに非凡の想像力と剛胆と明智とが現われている限りは、社会改造のための進取的な精鋭部隊を編成するためには採用すべきである。 フランス革命やロシア革命の子孫も同様に利用さるべきものであろう。 犯罪性にいたっては、すでに知られているように、それが病的の精神低劣か、その他の精神ないし脳髄の欠陥かに結びついていないかぎり、決して遺伝するものでない。 他方ではまた、篤実で聡明で真面目で、職業に成功しないで失敗するか、またはつまらない位置にいてべんべんと一生を過ごした人々の子供にも、 まれには優秀な潜在能力を見出すことがある。 そうした能力は、何代も同じ小作地に住みふるしているような農家の中には一般的にいってまずない。 しかしまた、このような環境から、芸術家や詩人や探検家や聖徒などが飛び出すことも往々ある。 たとえば、卓越した者をたくさん出したので有名なニューヨークのある一家は、シャルルマーニュ帝の時代からナポレオン時代まで、 南部フランスのわずかな同じ田地を耕して来た農家の出である。
生物学的階級と社会的階級
優秀な体力と才能とは、かつてそれが現れたことのない家系に突如としてできることがある。「突然変異」は、動植物と同じく人間にもおこり得るのである。 われわれは無産者の家で、異常な発達をなし得るような子供を見出すことがある。しかし、こういうのはむしろまれなことである。 そこで実のところ、一国内の人民がいろいろの階級に分かれているのは、決して偶然の結果でもなければ社会契約の結果でもなく、一つの深い生物学的基因からきたことである。 すなわちこの階級的分立は個人の生理的・精神的特質にかかわっているのである。 アメリカ合衆国やフランスのような自由主義国では、過去において一々の個人が自分の力量次第で自由に地位を得、身分を高め得たのであり、 同様に今日無産者になっている者などは自分の身体ないし精神の遺伝的欠陥のためである。 また、農民の大部分は中世紀時代から自発的に耕地に踏みとどまってきたもので、これは彼らが、農業生活に必要な勇気と思慮と強健さとを有するかたわら、想像力に乏しく、 大胆な冒険心を欠いていて、農夫として生きるのがちょうど適当した人間だったためである。 ことに彼ら無名の農夫の先祖は土地に熱烈な愛着を寄せていた開拓者で、彼らはヨーロッパの国々の名もなき兵士、牢固たる鉄骨として国の守りとなり骨組みとなっていたので、 やはり優秀な性質をそなえていたとすべきであるが、しかもなおその心身の構成において、土地を攻略し、 あらゆる侵入者に対してそれを防衛した中世紀の領主に比べると劣っていたとしなければならない。 つまり彼らは農奴として生まれつき、後者は王者として生まれついていたのである。 ことに今日では、社会的階級がだんだんにいっそう多く生物学的階級となって行くのが必然の勢いである。 すべての人間は、肉体と精神の特質が決定する水準にまで昇ったり降ったりしなければならない。優良な体質と精神をもっている者の上昇を助け容易にすることこそ必要である。 各人はその適所を占むべきである。現代の各国民は、自国内の強者を発達せしめることによってのみ救わるべく、弱者を助けることによっては救われるものではない。
七
精鋭部隊を作り出すこと
優秀者を一代のみに終らせぬためには、優生運動が必要である。いったい、一つの人種なり民族なりが、その優良な分子を再現させねばならないことはもちろんである。 この明白な理法にかかわらず、今日もっとも文明の進んだ国々で、一般に生殖が減じ、生まれる子供にも劣質の者が多くなりつつある。 それには、婦人が酒を飲み、煙草を嗜んで自ら体質をこわしていることを挙げねばならない。 彼女らはまた、いわゆるすらりとした容姿をつくる目的から危険な性質の食事法をしている上に、子供を産むのを避けている。 彼女らのこうした間違った態度は、今日の教育、女権運動、曲解された一種の個人主義に根をおいている。 また、経済上の事情や、結婚生活の不安定や、神経の病弱性や、子供の虚弱さや、不良化からくる重荷の故でもある。 ごく古い、由緒ある家柄の婦人たちは、良き子供を産み、またそれを適当に賢く養育し得る可能性をもっていたはずであるのに、どうしたのか大概みな不妊症である。 子だくさんなのは、こんな遺伝上の良質をもっていない渡り者とか、ヨーロッパの後進国の農民や労働者の女たちである。 彼らの子供にはとうてい、北アメリカの最初の移民の子供のような能力を見出すわけにはいかない。 国民中のもっとも優越した人々の間の出産率を高めることは、まず生活や思想の習慣に深い変革がおこり、地平線上に一つの新しい理想の太陽が昇ってからでないと期待できない。
優生運動はたしかに、文明民族の運命に一つの大きな影響を与え得る。 もとより、われわれは人間の生殖を動物のように調節し得ないが、狂人や精神低劣者のそれを防止することはでき得るようになろう。 恐らくまた、新兵とか、ホテルやデパートなどで人を採用する時なされているように、結婚しようとしている者たちには医療検診を行なうことが必要であろう。 しかし現在のような医療検診には十分の確実性を期することができない。 ときどき裁判所で専門家の鑑定報告が実際と反対の内容を示す場合があるのを見ても、あまり信をおくわけにいかないのである。 それゆえ、優生運動が効力を発揮するためには、それが自発的になされねばならないようである。 適切な教育によって若い男女に、梅毒やガンや結核や神経症や精神症や、または精神低劣のある家と婚姻関係を結ぶことが、 自分をどんな不幸にさらすこととなるかを了解させることができよう。 彼らはこんな家が縁組みの相手として、少なくとも極貧な家くらいに好ましくないものと見るようになるべきである。 実をいうと、こんな家は強盗や殺人犯の家よりもいっそう危険である。 どんな犯罪者も、他家へ精神病の素質を持ちこむほどの不幸を与え得るものでない。
自発的の優生運動
自発的優生運動は実現性のないものでない。疑いもなく、恋愛は風と同じほど気まかせに吹きあるく。 しかし、恋愛がそうした、他のいっさいを顧みない性質のものであるという見解は、青年のうちに、富家の娘でなくては恋せず、 若い女たちでも富家の子息を選ぶ者の少なくないという事実によってゆるがされる。 恋愛が黄金に耳を傾けるものであるなら、黄金と同様の実際的重要性のある健康について顧慮しないはずはなさそうである。 まことに、何人たりとも、遺伝性の悪素質をもっている者と結婚すべきではない。正常な生活には、健全な肉体と精神とが欠くべからざるものである。 人間の不幸のほとんどすべては、肉体と精神の構造と特質からくるのであって、広い意味でいえばその遺伝素質からくるのである。 したがって、精神病や精神低劣や、またはガンのような、あまりにも重い遺伝性の悪傾向をたくわえている者どもは、けっして結婚すべきでない。 他人へ惨苦の生涯を押しつける権利は何人にもないはずである。いわんや、不幸な運命を背負わされたような子供を産む権利は全然あり得ない。 実際、優生運動は多くの個人に犠牲になることを要求する。この犠牲の必要は、われわれが今になって初めて直面したものではなく、一つの自然の法則である。 自然は時々刻々に、非常に多くの生物の犠牲を他のもののために要求する。犠牲が社会的にも個人的にも、いかに重大な必要事であるかはわれわれの熟知しているところである。 すべての大国民は有史以来つねに、自分の生命を祖国への犠牲にした者に対して、他の何者よりも以上に尊崇してきたのである。 犠牲の観念、およびそれが絶対的な社会的必要であることが、現代人の頭脳へしっかり植えつけられねばならない。
かくて優生運動は、優秀者の減少を防ぎ得るのであるが、彼らに無限の進歩をとげしめるには十分なものでない。 いくら優良な系統であっても、ある一定の水準以上に優れたものは出てこないものである。 そして一方には、競馬用の馬の場合と同じように、人間でも時々、意外な血統から例外的な優秀者が出ることがある。 われわれはまだ、天才がどんな風にして生ずるかを全然知っていないし、どうしたなら生殖細胞の核質の中へ漸進的な発達をおこさせ得るか、 どうすれば、適当の「突然変異」によって、優秀者の産出を来たさしめ得るかを知っていない。 そこでわれわれは、教育や、特別な経済的補助というような間接の方法を通じて、民族の優良な男女が自由に容易に結婚し得るようにするだけで満足すべきである。 優者・強者として生まれついた者の進歩発展は、その発育の条件や、両親が自分の生存中に得た良質をどの程度に伝え得るかということにかかわっている。 それゆえ、現代の社会はすべからく、すべての者、ことに優秀者が、一つの安固な生活をもち、家庭をという一つの小さい世界を作り、自分の住宅をもち庭園をもち、 親しい友人をもち得るようにしてやるべきである。 そして、子供らは両親によって育てられ、彼らの精神を反映しているものの中で成長せねばならない。 子供の相手としてのグループは人数のかなり少ないものであるべく、家庭は十分長続きするものであり、家族同士の間柄がしっくりと引き締まっていて、 両親の人格がいつもそこに感じとられるようになっているべきである。 今日では、小作人や職人や美術家や教師や学者が、経済上の行きづまりから、一転して手か頭を唯一の稼ぎ道具にする無産者に零落するためしが続々と出てくるが、 こんな転落を防止することは絶対的な緊急事で、かような無産階層の存在は科学的文明にとってはこの上ない汚辱というべきで、これを放任しておくなら、 社会単位としての家庭が破壊されて行き、ひいて理知と道徳心との絶滅を来たし、まだしも残っている文化と美との残遺物を絶やし、人類それ自身を低下させることになる。 個人と家庭がもっともよく発達し得るためには、一種の安定が絶対に必要である。結婚生活が一時的の同棲であるという悪風を絶滅すべき必要はあまりにも明白である。 男女の結合は、高等類人猿の間に見られるように、少なくとも子供らが親の庇護を要しなくなる頃まで存続しなければならない。 教育、ことに女子教育と、結婚と離婚とに関する法律は、次代の利福を図るものとして改変されなければならない。 女子が高等の教育を受くべき理由は、女医や弁護士や教師になるためでなく、自分の子供らを優良な性質をもった人間に仕上げ得るようになるためである。
遺伝的の貴族主義
自発的の優生運動は、いっそう強い優れた個人を生ぜしめることだけでなく、強健さと聡明と勇気を遺伝するような家族を作り出すであろう。 このような家族は一種の貴族主義を形成するもので、その中からは優秀な人物が生まれるであろう。 現代の社会はすべからく、あらゆる手段をつくして人類の改善をはかるべく、 賢明な結婚をすることによって天才的な子供を産み得るような人々に対してはいかなる経済的ないし社会的利便を与えてもよく、 どんな高い名誉的待遇を与えても与え過ぎにはならない。 われわれの文明は複雑をきわめており、何人もその多種多様な機構を究めつくしていない。しかしそれにもかかわらず、これらの内部構造は、知悉され、操縦されねばならない。 この仕事を完成するには、尋常以上の知能的ないし道徳的器量をもった人物を造り上げねばならない。優生運動によって生理的・遺伝的貴族主義を建設することこそは、 現在の大きな諸問題を解決する上での重要な階程となるに違いなかろう。(p285-292)
*作成:
北村 健太郎
UP:20051110 REV:201620160529
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優生学・優生思想(eugenics)
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産・生
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医療と社会
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