血友病者本人もしくは彼らに深い関わりを持つ人々の視点から、日本における血友病者とその家族の患者運動の歴史を記述し、そこに立ち現れる諸問題を考察した。その結果、血友病者やその家族にとって、1960年代後半から1970年代が発展的で楽観的な時代だったことが明らかになった。血友病者とその家族が1970年代に経験した根本的な変化として、以下の点が指摘できる。第一に、“ホーム・インフュージョン”(家庭輸注/自己注射)の獲得に象徴される血友病医療とそれを支える公費負担は、血友病者の社会参加を容易にした。第二に、当時は古い血友病の表象が一般的であったので、社会参加を目指した血友病者は繰り返し抗議を行ない、周囲の認識を正しく改めさせた。その過程で、血友病者は患者会/コミュニティ外部との軋轢だけでなく、内部においても様々な葛藤を経験した。1970年代から1980年代初頭に血友病者とその家族を取り巻いた“ホーム・インフュージョン”を歓迎する空気を鑑みると、HBV/HIV/HCVの単独感染あるいは重複感染は、医療が常に内包する不確実性の帰結と言える(北村 2007a)。
血友病者は、現在も血液製剤(1)を日常的に使いながら生きている。血液製剤は、産業社会の象徴といっても過言ではない。血液製剤は人体利用の先駆であり、科学化や工業化の時流に沿った製品であり、自然との境界を曖昧にさせた一端を担っている。血液製剤は様々な文脈で理解することが可能な多面性を持つ。進藤雄三は、ウルリヒ・ベックのリスク社会論(Beck 1986=1998)を背景に、血液製剤を治療法における「遺伝学のインパクト」と正確に捉え、医療の「個人化」の例として挙げた(進藤 2004)。
本稿の目的は、リスク社会論を背景として、日本の血友病者と血友病医療の置かれた社会的位置を確認することである。特に血友病の遺伝(2)と血液製剤の歴史的経緯に注目して論点を析出し、血友病者の置かれてきた現実を明示する。
本稿では、血友病者を基点にして遺伝から世界経済までを論じる。血友病の出生と遺伝に関わる事例として、「神聖な義務」問題を取り上げて論点を整理する(北村 2007b)。遺伝子組換え製剤と世界経済に関わる事例として、ごく最近の注射用ノボセブン不採算品再算定を取り上げた中央社会保険医療協議会総会の議事録の確認を行なう。両者はそれぞれ独立した問題であるが、血友病者の身体と血液製剤を媒介にして通底する。そこにあるのは「痛み」への眼差しである。血友病の出血時の激痛を念頭に置くと、両者は別々でありながら簡単には割り切れない。各論点のつながりを示すのが、本稿の意図である。
血友病の遺伝形式を確認しておきたい。血友病は伴性劣性遺伝の先天性疾患である。ヒトの染色体は常染色体22対の44本と性染色体2本の計46本からなり、血友病に関わる第VIII凝固因子、第IX凝固因子を伝達する遺伝子は性染色体のX染色体に存在する。男性はX染色体とY染色体の組み合わせでX染色体を一つしか持っていないため、X染色体に異常があると血友病者となる。女性はX染色体を二つ持っているので、一つに異常があってももう一つが正常であれば発病せず、次世代以降に血友病を伝える可能性のある保因者になる(Bolton-Meggs and Pasi 2003)。血友病は、イギリスのビクトリア女王の王女を通じて、プロシア、スペイン、ロシア各王室に伝わったことから、宮廷病(Royal Disease)と呼ばれ、その遺伝的側面が有名になった(Potts, D. M. and Potts, W. T. W. 1995)。しかし現在では、血友病者の3割以上は家族歴がない突然変異であることが明らかになっている(Bolton-Meggs and Pasi 2003, Erik[eds] 2005)。
出血してから止血するまで激痛を伴うのが、血友病の最大の苦しみである。血液製剤は血友病者を出血時の激痛から解放し、大袈裟に言えば人生観の変化にも影響を与えた。1976年8月31日から9月4日にかけて、世界血友病学会議(国際血液学会議およびWorld Federation of Hemophilia[以下、WFH]会議)が日本で開かれることが決まった(17)。そのため、全友の全国大会は拡大理事会をもってあてることにした。全国大会が開催されないことが分かると、YHCは「青年の集い」を自主開催することを決定した。世界血友病学会議に先立つ8月7日から8日の1泊2日の日程で、第3回「青年の集い」が行われた。このときは、主として“ホーム・インフュージョン”について議論と意見交換がなされた。若手血友病者たちは“ホーム・インフュージョン”に対する不安を抱いていた。しかし、「医療との適当な距離」を保つ方法として、当時の若手血友病者は“ホーム・インフュージョン” の実施と普及に期待したのである。第3回「青年の集い」の最後に、“ホーム・インフュージョン”の実施に関する大会決議を採択した(18)。
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