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平野 龍一
ひらの・りゅういち
・刑法学
・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E9%87%8E%E9%BE%8D%E4%B8%80
◇1963a 「人格責任と行為責任」 日本刑法学会 (編) [1963:1-17]→1966平野[1966:31-50]
◇1963b 「意思の自由と刑事責任」 尾高朝雄教授追悼論文集編集委員会 (編) [1963:231-256]→1966 平野[1966:3-30]
◇1963c 「エンギッシュ『現代の刑法哲学における自由意思論』」 『法学協会雑誌』80-5→1966 「エンギッシュの自由意思論」, 平野[1966:51-60]
平野 龍一 編 1965 『現代法と刑罰』 (岩波講座 現代法11) 岩波書店
◇1965a 「刑事責任について――批判に答えて」 『法学協会雑誌』82-3→1966 平野[1966:61-83]
◇1965b 「現代における刑法の機能」 平野 (編) [1965:3-31]→1966 平野[1966:91-128]
◇1966 『刑法の基礎』 東京大学出版会
◇1972/75 『刑法――総論』 有斐閣
◇1977 『刑法概説』 東京大学出版会
◇1982 「刑法における出生と死亡」 『犯罪論の諸問題 下』,有斐閣
◇他 編 198204 『風俗・軽犯罪編』 青林書院新社,注解特別刑法 第7巻,1冊 6800
◇他 編 198303 『医事・薬事編』 青林書院新社,注解特別刑法 第5巻,1冊 9800
◇他 編 198801 『風俗・軽犯罪編 第2版』 青林書院,注解特別刑法 第7巻,1冊 6800
※は生存学資料室にあり
■引用
◆平野 龍一 1966
「……第五のカテゴリーとして、いわゆる「不任意の安楽死」がある。これまで述べた安楽死の場合には、患者の方も死にたいと希望する場合があるけれども、そうでなく、希望しないものを殺してしまうという行為が、場合によっては不当にも安楽死という名前で呼ばれることがある。ナチスの時代に行なわれた「安楽死」がそれである。北杜夫氏の「夜と霧の隅で」などにも描かれているが、戦時中ドイツでだんだん食糧も少なくなるし、国民はすべて戦争に動員しなければならないというので、一九四一年にヒットラーが命令を出して、ブラントという医者に対して、その指定した医者はかなりひろい範囲で、もはや生きる価値がないと思われる精神病者などに対して、「情けの死」を与えることを許したのである。その結果、精神病者や不具者など約二七万五〇〇〇人が殺されたといわれている。これはさすがにその当時ドイツでも反対が強かったので、まもなくヒットラー自身が、この命令を撤回したのであるが、戦後、人道に対する罪として処罰され、あるいは殺人罪として処罰された。
しかしこの不任意の安楽死という考え方はナチス以前から、すなわち一九二〇年ごろ、すでにドイツで主張されていたことに注意しなければならない。一九二〇年というと、第一次世界大戦の社会的な困窮の時代であったわけであるが、この時代にもまったく生きる価値のない生命まで、貴重な物資をつかって養う必要があるかという疑問があったのであろう。有名の刑法学者のビンディングと精神医学者のホッヘなどによって、生きる価値のない人に対して「情けの死」を与えてもいいという意見が述べられたのである。この考え方がナチスの時代に政府によってとり上げられ、政府によってとり上げられ、大規模に行なわれたということになるであろう。そしてそれがさらに拡がって、精神異常者や不具者のような者だけではなく、ドイツ民族以外の者とくにユダヤ人は生きる価値がないとされてしまったのではないかと思われる。」(平野[1966→1997:50])
平野 龍一 1966 「生命と刑法――とくに安楽死について」,『刑法の基礎』,東京大学出版会:155-182→町野朔他編[1997:046-051](抄)