[go: up one dir, main page]
More Web Proxy on the site http://driver.im/
HOME > BOOK >

『わらじ医者の来た道――民主的医療現代史』

早川 一光・立岩 真也・西沢 いづみ 20150910 青土社,250p.

Tweet
last update:20200523

このHP経由で購入すると寄付されます


早川 一光立岩 真也西沢 いづみ 20150910 『わらじ医者の来た道――民主的医療現代史』,青土社,250p. ISBN-10: 4791768795 ISBN-13: 978-4791768790 1850+ [amazon][kinokuniya] ※

『わらじ医者の来た道――民主的医療現代史』表紙  ■広告
 ■目次
 ■文献表
 ■紹介・言及(著者によるもの含む)
 ■あとがき
 □[English]  □[Korean]


■広告・関連情報

◆NHK番組 映像ファイル「あの人に会いたい」【早川一光】 [外部リンク]
[放映時間]
NHK総合 2020/05/30, 05:40 - 05:50
NHK教育[Eテレ] 2020/06/05 13:50 - 14:00


◆立岩 真也 2017/04/01 「『わらじ医者の来た道』あとがき・1――「身体の現代」計画補足・337」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1867190576881254

◆テレビ・ラジオで長年に渡り活躍の早川一光先生、待望の新刊! !

人をみつめ、地域をみつめ、
つねに弱い者の傍らに寄り添ってきた「わらじ医者」が、
齢90を超え、辿り着いた医の境地とは?
生い立ちから終戦直後の大学自治運動、京都西陣における地域医療、
認知症の老人と家族の支援、そして人間学へ……。
エッセイとインタビュー、歴史研究で迫る、これからの医療のための道しるべ。

内容(「BOOK」データベースより)
白衣を脱ぎ、薬を捨て、わらじまで脱いで、最後に残ったのは聴診器と血圧計しかなかった…。人をみつめ、地域をみつめ、つねに弱い者の傍らに寄り添ってきた「わらじ医者」が、齢90を超え、辿り着いた医の境地とは?生い立ちから終戦直後の大学自治運動、京都西陣における地域医療、認知症の人と家族の支援、そして総合人間学へ。エッセイとインタビュー、歴史研究で迫る、これからの医療のための道しるべ。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
早川/一光
1924年、奉天(瀋陽)生まれ、愛知県知多郡横須賀町(東海市)育ち。京都府立医科大学卒業。1950年、京都西陣に住民出資により白峯診療所を創設。のちに堀川病院となり、院長・理事長を歴任。1997年から2003年まで、京都府美山町の美山診療所の公設民営化に従事し、所長を務める。1998年、京都衣笠に「幸・総合人間研究所」設立。2002年、同じく衣笠に「わらじ医者よろず診療所」を開設。1987年から、ラジオ番組のパーソナリティー(KBS京都「早川一光のばんざい人間」)も務める

立岩/真也
1960年、佐渡島生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程修了。立命館大学大学院先端総合学術研究科教授

西沢/いづみ
1957年、京都市生まれ。新潟大学理学部生物学科(免疫学)卒業。京都中央看護保健大学校・京都府医師会看護専門学校生物学・生命倫理学講師。立命館大学大学院先端総合学術研究科一貫博士課程(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

http://www.hanmoto.com/jpokinkan/bd/9784791768790.html

 
>TOP

■目次

 ※詳細目次近日掲載予定

わらじ医者の来た道  目次

第1章 たどり来し道  早川一光
 出前町医者誕生
 志望は外科医
 戦時下の教育
 住民の中へ
 自治会活動
 仲人は“運動”
 スクラム
 伝染病との闘い
 往診医療
 市会議員へ
 市会の思い出
 貧乏世帯
 路地から路地へ
 病院建設
 土着の医療
 思い出の人々
 両親のこと@
 両親のことA
 両親のことB
 両親のことC
 両親のことD
 両親のことE
 二人三脚
  初出:『京都新聞』1995-2-1〜28夕刊1面

第2章 わらじ医者はわらじも脱ぎ捨て――「民主的医療」現代史 早川一光/立岩真也(聞き手)
 「早川一光」という人間
 学生自治と先達との触れ合い
 民主的医療の実践 (「的」に傍点)
 「呆け」という「風」
 「革新」の臨界
 生きることとしての尊厳死
 仕掛け+人の継承

第3章 早川一光インタビューの後で  立岩真也
 1 あった(らしい)こと・補遺
  ・十全会病院/堀川病院
  ・終戦後・前
  ・太田典礼/松田道雄
  ・党との距離に関わる事情
  ・だが大きな分岐にはならない
  ・変化は後で起こる
  ・早川
 2 何を継げるか
  ・成功と苦難とは同じところから発している
  ・基本的な仕組み
  ・支払う制度の方向について
  ・支払う制度の決め方について
  ・組織において
  ・人について
  ・介入の自由を認めること
  ・結語――仁医をあきらめ、同時に、可能にする

第4章 早川一光の臨床実践と住民の医療運動――一九五〇年一九七〇年代の西陣における地域医療の取り組みを手がかりに  西沢いづみ
 1 先駆的発想の背景 終戦から白峯診療所設立まで(一九四五〜一九五〇年)
  父親の影響と学生自治運動
  第二次世界大戦前後の学内民主化運動
  学生の自治と住民の自治
 2 地域医療の出発点 住民の中への精神(一九五〇年〜一九六〇年)
  住民出資による自立と共生
  住民の中へ、住民とと共に
  助成会の住民本意の運営
 3 医療実践を通した住民の運動(一九六〇年〜一九七〇年)
  臨床医としての公衆衛生運動
  間歇入院システムと居宅療養体制――一九七〇年代
  医療実践にみる医療者の育成
 おわりに

あとがき  立岩真也

さいごに わらじの緒を締め直して  早川一光

参考文献一覧

 
>TOP

■言及

◆2015/10/02 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/649921834612232193
 「立岩真也?@ShinyaTateiwa →@amano0774 早川一光・立岩真也・西沢いづみ『わらじ医者の来た道――民主的医療現代史』がこの9月に出ましたhttp://www.arsvi.com/b2010/1509hk.htm …第1章「たどり来し道」早川一光。出前町医者誕生/志望は外科医/戦時下の教育/住民の中へ/自治会活動/仲人は“運動”/…」

◆2015/09/17 https://twitter.com/amano0774/status/644705066687922176
 「amano?@amano0774 今日、近所の開業医の病院に行ったら、受付カウンターの壁に、いのちを守る医療人は戦争法案に反対する 意見ポスターが貼ってあった。早川一光氏など京都の医療関係者が呼びかけ人になって取り組んだアピール署名のようだ。」

◆2015/09/05 https://twitter.com/josukeamada/status/640169779832053760
 「天田城介?@josukeamada 【情報掲載】『わらじ医者の来た道――民主的医療現代史』に関連する企画として以下などをやりました。立命館大学生存学研究センター - 老い研究会 http://www.ritsumei-arsvi.org/themes/read/id/175 …」

◆2015/09/05 https://twitter.com/josukeamada/status/640177343269502978
 「天田城介?@josukeamada 【関連情報】西沢いづみ「西陣地域における賃織労働者の住民運動――労働環境と医療保障をめぐって」ほか、天田城介・山本崇記・村上潔編『差異の繋争点――現代の差別を読み解く』に収められています。http://www.amazon.co.jp/dp/4863390343 http://www.arsvi.com/b2010/1203aj.htm …」

◆2015/09/05 https://twitter.com/josukeamada/status/640173100370300929
 「天田城介?@josukeamada 【情報掲載】早川一光・立岩真也・西沢いづみ『わらじ医者の来た道――民主的医療現代史』に関連する企画を2015年3月24日に開催した後、2015年5月25日に早川先生にインタビューを実施。その後、聞くべき人たちへのインタビューの機会に恵まれていないが、いま聞いておかなければと思う。」

◆2015/09/05 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/640168806623539200
 「立岩真也?@ShinyaTateiwa 『早川一光のばんざい人間』、KBS京都。明日早起きできれば→本日(09/05)まにあいました。本9冊販売http://www.arsvi.com/b2010/1509hk.htm …「そこは早起きの、年とった人たちででいっぱいで、横の席にいてすこし話した人はかつては高槻から自転車で通っていたとのことで驚嘆した。」

◆2015/09/05 https://twitter.com/josukeamada/status/640168188362145792
 「天田城介?@josukeamada 【お礼】早川一光・立岩真也・西沢いづみ『わらじ医者の来た道――民主的医療現代史』(青土社)をご恵贈いただく。京都新聞記事、早川×立岩インタビュー、立岩論文、西沢論文から構成されており、この国の医療の戦後史を彼是考えざるを得ない良書。http://www.amazon.co.jp/dp/4791768795」

◆立岩 真也・根津幸彦 2015/09/05 「『わらじ医者の来た道』について」
 KBS京都放送

◆2015/09/04 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/639809294804738049
 「立岩真也?@ShinyaTateiwa 『早川一光のばんざい人間』、KBS京都。明日早起きできれば→まにあいました。本9販売。http://www.arsvi.com/b2010/1509hk.htm「そこは早起きの、年とった人たちででいっぱいで、横の席にいてすこし話した人はかつては高槻から自転車で通っていたとのことで驚嘆した。」

◆立岩 真也 2015/09/03 「十全会病院/堀川病院(早川一光『わらじ医者の来た道』補記2)――「身体の現代」計画補足・58」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1644093082524339

◆立岩 真也 2015/09/01 「生の現代のために・6――連載 115」
 『現代思想』43-(2015-9):-

「□早川一光『わらじ医者の来た道』補記1
 数日前、『わらじ医者の来た道――民主的医療現代史』(早川・立岩・西沢[2015])が出た。昨年九月号の特集「医師の世界」で早川一光(一九二四〜)にインタビューさせてもらったものを再録し、その月と次の月の連載に書いた「早川一光インタビューの後で」の1と2をかなり書き直したたもの、そして早川の娘でもある西沢いづみの文章他で構成されている。
 次回にもその紹介を挟もうと思っているのだが、今回はまず一つ。この「生の現代のために」のシリーズでも、本人や供給側等複数の関係者が位置づけられるその仕組みによって互いに異なる利害・得失を有することを見ていくのだと述べている。それは現在の保険医療体制のもとで、一方過剰・加害的な供給を許容し他方で必要な供給を抑えてしまう仕組みについて考えてみるということでもある。その時、早川がこの七〇年間様々に行なってきたことから得るもの、引き継げるものがある。そう思って、「後で」という文章を書いた。その趣旨がより明確になるように書き換え書き足してみた。
 そしてそれは、「生の現代のために」に連載が戻る前、「精神医療現代史へ・追記」を十二回に渡って書いたその動機でもあった。そこでは京都十全会病院のことを書いた――それを整理して作る本にさきの「後で」も含めることもいっとき考えていた。その十全会病院は(当時)質のよくないむしろ加害的な行ないをたいへん大規模に行なって、十分(以上)に儲けた。他方で早川らが行なってきたことは種々の困難のもとで行われた。後者をただ立派であったと言うだけでは足りない。どうしてそうなってきたのか、どうするのかを考えたいと思ったし、書いたと思う。読んでもらえればと思うし、このことについては次回にも述べる。ここでは少し別のこと、「後で」の前半に書いたことについて。
 この「生の現代のために」にでも「精神医療現代史へ・追記」にでも、おおむね一九六〇年代以降のことを書いている。奇妙なことにも思えるのだが、「先行研究」は明治期であるとかそれ以前とか、そんな時代についての方があったりするから、それはそちらにまかせて、私としてはむしろわりあい新しい部分を対象にしようというところもある。戦前・戦争直後は、関心はあるけれども、私が調べられる時期ではないと思っている。だから今回の早川へのインタビューは、まったくの素人としてうかがったのでもある。
 ただ、その時期にいた早川の先輩格の医師たちの位置はいくらか気になっていた。それは戦前から戦後にかけての社会改革者、左翼をどう見るかということもある。松田道雄太田典礼といった人たちが京都にいた。太田(一九〇〇〜一九八五)が最初に安楽死について書いたのは『思想の科学』にだった(一九六三)。そして松田(一九〇八〜一九九八)は、有名人としてかつがられたということもあったかと思うのだが、「安楽死法制化を阻止する会」(一九七八発足)の発起人であるとともに、若いころと晩年には、別の見解を表明した(立岩[2012b])。加えると、つい先日なくなった鶴見俊輔(一九二二〜二〇一五)は、これも事務局を担った清水昭美の依頼があってのことだと思うが、そして一度もお会いすることはなかったが、二〇〇五年に新たに発足した「安楽死・尊厳死法制化を阻止する会」の呼びかけ人になってくれた。
 こうした世代、さらに安保ブントの世代の人たちも含め、反体制運動に参与し地域医療の方に行った人たちはたいへん立派であるとともに、その全てを肯定できないところがある。このこととについて、またそこからの変位について考えてみるというのも『造反有理』(立岩[2013])を書いた一つのきっかけだった。
 基本的には自らが行なうこと、そして自らがそれを行なうことに肯定的であるということ。それにも、既に肯定されており安定している場合と、なかなか認めてもらえずそれで肯定的であろうとする場合と、様々に異なることがある。精神医療そのものがどこまで有効かといったこととは別に、既に医師という職は確立されており、その人たちは安定した地位にいる。その人たちは自らの信じる医療を進める。ただ、確立されているその立場の人は、同時に反省できる人たち、反省できるだけの余裕のある人たちでもある。そうして反省してみせたのが七〇年前後の、拙著の言い方では「造反派」の人たちだ。とくに医療が怨嗟の対象である人たちにとっては、そうした中途半端さ、二枚舌がなおのこと気にいらないのだろうが、それでもいったんは記しておこうと思い、本を書いた。
 それに比べたとき、専門性やら社会的地位をこれから獲得をしたい、すくなくともそれを世間に認めさせたい人たちはそんなことをしている暇はない。確立し、認知させること、看護・看護学はずっとそんなことをしてきた。さらにその上で、精神医療・精神病院の場合、看護者たちは、当初無資格の人たちが多く、その人たちは看護師という資格を得ること自体にずいぶん難儀したのでもあった。そうした人々の動きはまた違っている。自己批判などは贅沢なことだ。阿部あかねがその辺を記している(阿部[2015])。
 そんな中で、早川は、医師の地位だとかそんなことを気にしないでやってきたと思う。そしてそれがよかったのだと思う。そして、偏見かもしれないが、そう素直ではない京都の街中の人々とつきあってきたので、そう偉そうにもなれず、話芸ほか芸を磨く方に行ったのかもしれない。ただその早川であっても、これまでやはり診る側の人ではあってきた。その早川が、これは新聞などでも語っていることだが、いま癌の療養中で、九〇歳を超えてようやく本格的な患者になった。それで初めて死ぬ怖さを知ったと述べている(「わらじ医者、がんと闘う 死の怖さ、最期まで聞いて」※、『京都新聞』二〇一五年四月二六日)。そういうものかもしれないと思う。」

 ※http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20150426000088

◆立岩 真也 2015/08/29 「早川一光『わらじ医者の来た道』補記1――「身体の現代」計画補足・57」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1642545222679125

◆立岩 真也 2014/10/01 「早川一光インタビューの後で・2――連載 104」『現代思想』41-14(2014-10):8-19

◆立岩 真也 2014/09/01 「早川一光インタビューの後で・1――連載 103」『現代思想』41-(2014-9):-

◆立岩 真也 2014/09/01 「わらじ医者はわらじも脱ぎ捨て――「民主的医療」現代史」(早川一光氏へのインタビュー),『現代思想』41-13(2014-9):-

 
>TOP

■あとがき

 ※実際に収録されているものと少し異なります。近日中になおします。

 そのインタビューは二〇一四年八月一日、京都の夏はいつもとても暑いのだが、やはり暑いその日の午後、早川先生の自宅のすぐ近く、先生が主催されている「幸・総合人間研究所」という名の付いている一件屋で行なわれた。(そこはまた、私の勤め先である立命館大学・衣笠キャンパスのすぐ近くで、うかがうまでそんなに近くに住んでいることを知らなかった。)
 メールを探してみると、その年の六月一五日、青土社の編集者、『現代思想』編集部の栗原一樹さんからその関係の第一信が届いている。九月号で「医者の世界」という特集(もう一つ仮題もあったが、そのうちこの題、「医者の世界――新しい医療との向き合い方」に決まった)をするけれども、誰かにインタビューをするはどうかという提案だった。これまで私はこの雑誌で幾人かにインタビューをさせてもらっているのだが(→171頁・註02)、一度インタビューしたことのある山田真さんともう一度もあり、といったことも含め、何人かの名前をあげていただいた。どうしたものかとしばらく考えていて、同月の二六日に早川先生ではどうかという返信をした。
 それがどんな経緯だったか。思いついて栗原さんに送った六月二六日のメールには、私が大学院でやっている授業にもぐりで来ている萩原三義さん(「生存学研究センター」の客員研究員でもある)を見かけて、というようなことが書いてある。萩原さんは本業の鍼灸の仕事以外にほうぼう手広△227 い活動をしている人で、先生とは懇意とのことで、彼から先生の話も聞いていた。そしてその頃私は第3章に記したように京都の十全会病院事件のことをすこし調べていて、その地の数十年前のことに関心があった。おおいに儲けたその病院と、それと対照的な実践と距離との関係にも関心があった。
 栗原さんから同日あった返信は、ちょうど市田・石井[2010]を読んでいて堀川病院への言及のあたりに差し掛かったところだった、早川先生に、がよいと思うとのことだった。それで萩原さんに打診してもらい、実現の運びになった。
 私は、たくさんある早川本を買い込み、にわかの予習をした。務めている大学院で研究している先生の次女・西沢いづみさん(→第4章)の論文にもあらためて目を通した。そしてインタビュー当日になった。栗原さんと萩原さんが同席した。その時のインタビューが第一章。
 私はインタビューでは(でも)失礼な人間だと思う。根ほり葉ほり聞き出そうとして叱られることがある(→180頁・註23)。今回もそんな気持ちでいながら、ときどきためらったように思う。私はそもそも、音声のない静止画のようなものががいくつかあるきりで、何も覚えていない人間だ。文字になるのは、なにかに記録しときどき呼び起こされることでかたちが定まったブロックのようなものだけだ。
 もちろん、たいがいの人がもっとものごとをよく覚えていることは知っている。そして私を叱った横田弘(→182頁)のような人は基本一直線でやってきた、というか、ある時からそうすることに決めた人だから、言うことは定まっている。早川先生はいろいろを渡ってきた人だ。幾度も幾度も語り、問われ語り、それが島のようになっている部分がある一方、事情あって表に出さないところはあるだろう。そうやって時間が経つと、そうした部分が消えていくということもあるように思う。どこまでしつこくしたらよいか、私はときどきためらうことがあったように思う(→116頁)。
 その翌日、八月二日は、KBS京都の『早川一光のばんざい人間』という番組に私たちは招待された。なんとその番組は、毎週土曜、朝六時一五分から始まる生番組であって、先生は休まずその番組に出ており、その日はその一四〇〇回めということなのだった。私は少し遅れて着いたのだが、そこは早起きの、年とった人たちででいっぱいで、横の席にいてすこし話した人はかつては高槻から自転車で通っていたとのことで驚嘆した。私もなにか二言三言しゃべらされたのだが、たぶん意味のあることは言っていない。栗原さんは、私が着く前に――ぼけ防止の、だろうか――歌の指揮を先生から命ぜられ、指揮したとのことだった。
 そうしてインタビューはすぐさま文字化され、そして八月の末発売された九月号、特集「医者の世界――新しい医療との向き合い方」に掲載された。それは評判がよくて、小熊英二さんが論壇委員が選ぶ今月の三点に選んだくれたりした(『朝日新聞』九月二五日)。
 その後、先生はいっとき体調を崩したと聞いたが、翌二〇一五年三月二四日、天田城介さんが生存学研究センター・老い研究会の企画「ローカルな歴史を知っておくこと」が先生と桐島世津子さん(えいむ訪問看護ステーション看護師)を招いたときには大学に来て話をしてくれた――私は別の抜けられない仕事があって、その時は挨拶だけしかできなかったのだが。
 この年、『造反有理』の続きとして書いていた部分がいったん終わったので、六月、それを本にする支度をすこし始めてみた。当初は、本書第▼章になった部分、そして願わくば早川インタビューも収録させていただくことを考えていた。その本のことでやりとりを始めた。その中で六月十七日に早川インタビュー別立て案もありとの連絡があり、返信。七月三日、インタビューと私が書いたものと西沢さんの文章とで一冊をという栗原決定(後で『京都新聞』での先生の連載も収録することになった)。「なるはや」、原稿一五日までにというなかなかのスケジュールで、となった。当初私の分は基本雑誌掲載時のまま、だからたいした仕事ではないと思っていたのだが、見直していくと、単著の一部としてなら辛うじて許してもらえるかとは思ったが、今回の企画の一部としてはとてもだめであることがわかった。それでかなりのなおし、加筆をすることになった。
 と、刊行に至る経緯だけを記した――こんなことも、こうして過去のメールをいちいち調べないとわからなくなくなるということもある。中身は読んでいただきたい。既に読んでくださった方は、私は私ですこしやってみたわけだが、先生の辿り来て辿り行く道のどのような引き継ぎ方があるのか、考えてもらえたらと思う。

二〇一五年七月一五日 立岩真也

 
>TOP

■文献表(著者名50音順)

 ※を付したものはウェブ上で読める

◆青木純一 2011 「患者運動の存立基盤を探る――戦中から戦後にいたる日本患者同盟の動きを中心に」、『専修大学社会科学年報』45:3-14
◆青木信雄 1976 「病院における長期在院患者問題との取り組み――間歇入院制と居宅療養へ」、西尾編[1976:180-189]
◆青木信雄・早川一光 1978 「老人医療とディ・ケア――京都・堀川病院の活動を中心として」、『公衆衛生』42-9:564-572
◆青木信雄 他 1994 「右京区内在宅要介護者の実態調査(平成4年度)」、『京都医学会雑誌』 41-1:121-126(京都府医学会)
◆新井光吉 2003 「高齢社会における地域医療の持つ可能性」、『経済学研究』5-6(69):65-103
◆朝日新聞社 編 1973a 『立ちあがった群像』,朝日新聞社,朝日市民教室・日本の医療6,250p. ASIN: B000J9NNZ6 [amazon] ※ [102]
◆―――― 1973b 『どう医療をよくするか』、朝日新聞社、朝日市民教室・日本の医療7
◆朝日新聞 1976 「卒中の仲間で半歩でもの会」、一九七六年二月一八日京都版朝刊一三面
◆―――― 1979 「長期入院患者の在宅看護」、一九七九年三月二五日大阪版朝刊
◆天田城介・村上潔・山本崇記編 2012 『差異の繋争点――現代の差別を読み解く』、ハーベスト社
◆東昂 1951 「哺乳類大腦並に小腦の皮質表面積に関する比較解剖斈的研究」、京都府立医科大学博士論文
◆有吉玲子 2013 『腎臓病と人工透析の現代史――「選択」を強いられる患者たち』、生活書院
◆池田光穂 2007- 「中川米造」 
◆石川達三・戸川エマ・小林提樹・水上勉・仁木悦子 1963 「誌上裁判 奇形児は殺されるべきか」、『婦人公論』48-2:124-13〔→立岩編[2015]e
◆市田良彦・石井暎禧 2010 『聞書き〈ブント〉一代――政治と医療で時代をかけ抜ける』、世界書院
◆石井暎禧・小松美彦(聞き手) 2014 「医療批判としての地域医療――新自由主義的医療政策の時代に」、『現代思想』42-13(2014-9):68-89
◆稲場雅紀・山田真・立岩真也 2008 『流儀――アフリカと世界に向い我が邦の来し方を振り返り今後を考える二つの対話』、生活書院
◆井上俊 1973 『死にがいの喪失』、筑摩書房
◆医療と社会復刻版刊行委員会 編 1990 『医療と社会 復刻版』、機関誌共同出版
◆岩井会 編 2001 『岩井弼次――七十五年の足跡』、創生社
◆上野千鶴子 2015 『セクシュアリティをことばにする――上野千鶴子対談集』、青土社
◆上野千鶴子・立岩真也 2009 「労働としてのケア」(対談)、『現代思想』37-2(2008-2):38-77→2015 「ケアの値段はなぜ安いか」、上野[2015]
◆上野千鶴子・大熊由紀子・大沢真理・神野直彦・副田義也 編 2008a 『ケアという思想』、岩波書店、ケア その思想と実践1
大熊一夫 2009 『精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本』、岩波書店
太田典礼 1963 「安楽死の新しい解釈とその立法化」、『思想の科学』
◆―――― 1969 「老人の孤独」、『思想の科学』85:42-47
◆―――― 1980 『反骨医師の人生』、現代評論社
大谷いづみ 2005 「太田典礼小論――安楽死思想の彼岸と此岸」、『死生学研究』5:99-122 http://devita-etmorte.com/archives/oi05a.html
◆岡本康 2008 「府立医大放校事件のこと」、京都の医療を語る会『京都の医療を語る』70-73
◆―――― 2008 『革新京都の先駆者たち――治安維持法犠牲者の群像』、つむぎ出版
◆岡本正・高橋晄正・毛利子来・大熊由紀子(司会) 1973 「日本医師会のタテマエとホンネ」、朝日新聞社編[1973a:161-217]
◆長宏 1978 『患者運動』、勁草書房
◆加来耕三 1984 「父子鷹――早川一光(京都)」、志村編[1984:175-214]
◆笠原嘉・東昂 1969 「自殺の病態心理」、『実地医家のための現代臨床講座』2-7(医学研究社)
勝村久司 2001 『ぼくの「星の王子さま」へ――医療裁判10年の記録』、メディアワークス、発売:角川書店
◆―――― 2002 『レセプト開示で不正医療を見破ろう!――医療費3割負担時代の自己防衛術』、小学館文庫
◆角田豊・奈倉道隆 編 1978 『高齢化社会と社会保障』、法律文化社
鎌田實 1999 「住民が主人公」、『月刊総合ケア』9(8):34-45
◆―――― 2001 『命があぶない医療があぶない』、医歯薬出版
◆上京民主商工会 編 1987 『第30会総会記念三十回への歩み』、上京民主商工会
川島孝一郎 2008 「こんなになってまで生きることの意味」、上野他編[2008a:211-226]
◆―――― 2014 「統合された全体としての在宅医療」、『現代思想』42-13(2014-9):146-156
◆関西医療民主化同盟 1948 「医療民主化全国会議を提唱す」、『医療と社会』→1990 医療と社会復刻版刊行委員会編[1990:303-304]
◆北出真紀恵 2003 「"コミュニティ"としてのラジオスタジオ――京都放送『早川一光のばんざい人間』を事例として」、『大阪大学年表人間科学』(大阪人間科学)24-2:269-287 
◆京都私立病院協会20年史編纂委員会編 1987 『京都私立病院協会20年史』
◆京都府医師会 1968 『京都府医師会20年史』
◆京都府保険医協会20年史編集企画委員会 1970 『目でみる20年史』、京都府保険医協会
◆京都府立医科大学全学共闘会議 1969 「京都府立医科大学・研修医反対闘争―研究棟設置問題」、日本評論社編集部編[1969:89-271]
◆京都府立医科大学百年史編集委員会 1974 『京都府立医科大学百年史――1872年−1972年』
◆京都民医連30周年記念実行委員会 1984 『京都民医連30周年記念誌』
◆黒岩卓夫 2008 「在宅医療の場と理念」、佐藤智編[2008:26-47]
◆小林宗之・谷村ひとみ編 2013 『戦後日本の老いを問い返す』、生存学研究センター報告1 
◆櫻井浩子・堀田義太郎 編 20091 『出生をめぐる倫理――「生存」への選択』、立命館大学生存学研究センター、生存学研究センター報告10 
◆佐藤智 編 2008 『在宅医療の諸相と方法』(明日の在宅医療・2)、中央法規
◆佐藤進 1989 「地域における保健・医療と福祉との連帯をめぐって」、『社会福祉』30:1-10
◆志村有弘編 1984 『日本仁医物語 近畿篇』、国書刊行会
◆青医連中央書記局編 1969 『日本の大学革命6 青医連運動』、日本評論社
◆全商連史編纂委員会 1991 『民商・全商連の40年』、全国商工団体連合会
◆孫治斌 1998 「住民運動としての地域医療――京都「西陣健康会」の50年」、『実験社会心理学研究』38-2:215-225
高橋晄正 1969 『社会の中の医学』、東京大学出版会、UP選書
◆―――― 1970 『現代医学 医療革命への指針』、筑摩書房
◆高橋晄正・中川米造・大熊由紀子 1973 「医療の質をどうよくするか」、朝日新聞社編[1973b:133-188]
◆高草木光一編 2013 『思想としての「医学概論」――いま「いのち」とどう向き合うか』、岩波書店
◆見国生・天田城介 2015 「認知症の時代の家族の会」、『現代思想』43-6(2015-3):74-95
高杉晋吾 1972 『差別構造の解体へ――保安処分とファシズム「医」思想』、三一書房
◆竹澤徳敬・谷口政春 1977 「地域病院における老人医療」、『病院』36-2:18-22
◆竹澤徳敬先生を偲ぶ編集委員会編 1984 『誇らしくまた美しく 竹澤徳敬先生を偲ぶ』
◆立岩真也 1996 「書評:村上陽一郎『医療――高齢社会へ向かって』」、『週刊読書人』2160:8
◆―――― 1997 『私的所有論』、勁草書房
◆―――― 2000 『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術』、青土社
◆―――― 2001 「国家と国境について・1〜3」、『環――歴史・環境・文明』5:153-164, 6:283-291, 7:286-295→立岩・アフリカ日本協議会編[2007]
◆―――― 2006 『希望について』、青土社
◆―――― 2007 「解説」、横塚[2007:391-428→2010:427-461]
◆―――― 2008a 『良い死』、筑摩書房
◆―――― 2008b 「在宅ケアを支える、つもりがあるならば」(講演)、NPO在宅ケアを支える診療所・市民全国ネットワーク”全国の集い”in 京都、於:同志社大学
◆―――― 2008c 「争いと争いの研究について」、山本・北村編[2008:163-177]
◆―――― 2009a 『唯の生』、筑摩書房
◆―――― 2009b 「軸を速く直す――分配のために税を使う」、立岩・橋口・村上[2009:11-218]
◆―――― 2012a 「差異とのつきあい方」、立岩・堀田[2012:15-93]
◆―――― 2012b 「「ブックガイド・医療と社会」より」、立岩・有馬[2012:173-230]
◆―――― 2013a 『私的所有論 第2版』、生活書院・文庫版
◆―――― 2013b 『造反有理――精神医療現代史へ』、青土社
◆―――― 2014 『自閉症連続体の時代』、みすず書房
◆―――― 2014- 「生の現代に・1〜」、『現代思想』42-6(2014-4):8-19、42-6(2014-4):8-19, 43-10(2015-6):8-19〜
◆―――― 2015a 「再刊にあたって 解説」、横田[2015:223-249]
◆―――― 2015b 『(題名未定)』(近刊)、青土社
◆立岩真也・有馬斉 2012 『生死の語り行い・1――尊厳死法・抵抗・生命倫理学』、生活書院
◆立岩真也・堀田義太郎 2012 『差異と平等――――障害とケア/有償と無償』、青土社
◆立岩真也・村上慎司・橋口昌治 2009 『税を直す』、青土社
◆立岩真也 編 2014 『身体の現代・記録(準)――試作版:被差別統一戦線〜被差別共闘/楠敏雄』、Kyoto Books
◆―――― 2015 『与えられる生死:1960年代――『しののめ』安楽死特集/あざらしっ子/重度心身障害児/「拝啓池田総理大学殿」他』、Kyoto Books
◆立岩真也・アフリカ日本協議会 編 2007 『運動・国境――2005年前後のエイズ/南アフリカ+国家と越境を巡る覚書 第2版』、Kyoto Books
◆谷口政春 1976 「保健活動は地域の人々とともに」、『保健婦雑誌』32-4:28-34
◆―――― 1988 「在宅ケアへの歩み」、谷口・石井編[1988:53-73]

 ※いつのまにかここで切れてしまっていました。近日中になおします。


UP:2015 REV:.. 20170401, 20200523
早川 一光  ◇西沢 いづみ  ◇立岩 真也  ◇病者障害者運動史研究  ◇WHO 
TOP HOME (http://www.arsvi.com)