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『世界自殺考』
山名 正太郎 雪華社, 274p
■山名 正太郎 19740920 『世界自殺考』,雪華社,274p. 980 ASIN: B000J9O5VW [amazon] ※ s01.et.
■内容紹介
■目次
原始自殺考
宗教自殺
キリスト教と自殺
心中
自殺の科学
自殺思想史
歴史のなかの人びと
自殺文献目録
世界自殺年表
■紹介・引用
「刑法からみた安楽死
安楽死の問題は古いが、刑法学者がとりあげたのはまだ新しい。先年亡くなった京都大学総長滝川幸辰氏は、安楽死の肯定派といわれたが、その「刑法各論」(一九五一)によると、一般論として最初のものは一九一五年ドイツのマイヤーの「刑法論」で、それには文化の進展は安楽死を許すものとしている。法秩序がこれを認めないと解する規定はなく、医師の行為は正当な利益を保護するものとして、非難を免れるだろうとしている。マイヤーの法律哲学は文化概念をつよく主張しているので、この論旨はうなずけるものがある。
理論刑法の第一人者とせられるドイツの法学者ビンディングは、一九二〇年に五九歳で亡くなったが、死を前に「生存の価値なき生命を絶つことの許容」という論文をかいた。しかし発表は死後ということになったが、それによると「自分の生命のおわりにのぞみ、思いきった意見を公開する」と<121<あり、そして「この問題は、われわれの道徳観と社会観における死点の一致である」と述べた。その翌年にはザバーが「刑法原理」で、安楽死は害よりも多くの益があるという原則から賛成しており、さらに一九二七年にはシュミットの「刑法論」が、狭い範囲では適法であるといい、また一九三〇年ヒッペルの「刑法論」では、死の闘争を節約する上に事務管理として適法であると、新しい表現を用いている。もっとも1931年のメッカーの「刑法論」では、殺人の違法性を除くわけにはいかないと論じている。
滝川氏の意見によると、患者当人に死が確実であり、しかも重病のための苦しみの死であることを条件として、安楽死は純然とした治療行為としている。たとえば死床にある病人に、この上の注射をして苦しませるのを見かねて、家族が注射をやめてくれと医師にたのむばあいが多いが、生命を引延ばすために行う苦痛を除くことも治療であり、法律上の価値は同じだというのである」(pp.121-122)
→優生・ナチス・ドイツ
*作成:櫻井 悟史