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「生存学」という知的実践――障老病異と共に暮らす世界の創造
くまさんの本の森19
好井 裕明
2011/**/**
『そよ風のように街に出よう』
81号.**-**
last update:20110502
※以下、好井裕明氏ならびにそよ風のように街に出よう編集部のご厚意によりホームページへの掲載を了解してしていただいています。
いま、「生存学」という知的実践が精力的に進められている。これは立命館大学大学院先端総合学術研究科の研究者と院生、研究員が中心となって創造されてきた新しい知的実践であり、いまは文科省グローバルCOEプログラム「「生存学」創成拠点―障老病異と共に暮らす世界の創造」として、積極的な活動が展開し、研究書、雑誌、論文報告集などが量産されてきている。
多くの成果があるが、ここでは
『生存学』
(生活書院)という雑誌と最近編者の天田城介さんからいただいた分厚い編著を紹介しておこう。『生存学』は、まさに新たな知的実践につけられたタイトルそれ自体であり、この学は何をめざし、何を明らかにしようとするのかが、毎号、座談やロングインタビューで語られ、個別論文が詰まっている。
第一号(二〇〇九年二月)
は、生存の臨界をめぐり立岩真也さん、大谷いづみさん、天田城介さん、小泉義之さん、堀田義太郎さんが座談をし、その後、特集1「生存の臨界」では、安楽死を択ぶ自由と差別、高齢者医療と終末期医療の経済分析、自死遺族がいかに死者の動機付与を逡巡するのかをめぐる「政治」等、特集2「臨界からの生存」では、イギリス、レスリー・バーク裁判から生命・医療倫理原則を再検討し、独居ALS患者の在宅移行支援の報告、その課題や要因、解決方策の分析、特集3「九〇−〇〇年代の変動」では、介護の社会化と公共性の周辺化、ケア倫理批判、医療保険制度、「寝たきり老人」と/のリハビリテーション、アスペルガー症候群の医療化、障害者自立支援法の倫理学的考察、侵入者、<ウィルス>をめぐる考察など、数多くの論考が並んでいる。
第二号(二〇一〇年三月)
では、特集1「労働、その思想地図と行動地図」として、天田城介さんの他、小林勇人さん、斎藤拓さん、橋口昌治さん、村上潔さん、山本崇記さんという若手研究者が「生産/労働/分配/差別について」座談をし、「若者の労働運動」の歴史的位置づけ、女性労働と生活の桎梏にあえてむきあった「主婦性」は切り捨てられないという論考、同和行政が提起する差別是正の政策的条件という論考が続く。特集2「QOLの諸相―生存の質と量」では、終末期医療とQOLの臨界、新生児医療におけるQOLと「子どもの最善の利益」、「エンハンスメント」言説における「障害者」の生の位置、QOL再考という論考が続き、特集3「市民社会が知らない別の生きざま」では、日比間でトランスナショナルなフィリピン人たちをめぐる論考、現代モンゴルの地方社会における牧畜経営、「日系人」という生き方、顧みられない熱帯病・ブルーリ潰瘍問題における医療NGOの展開、韓国重度障害者運動によるパラダイムの変換、ALS患者会組織の国際的展開、「日系人」という法的地位、在日とは何か、と論考が続いている。
第三号(二〇一一年三月)
では、障害と社会、その彼我の現代史・1として、生存の技法、生存学の技法をめぐり、立岩真也さんに天田城介さんがロング・インタビューを行っており、後半は第四号に続いている。特集「精神」では、自閉者の手記にみる病名診断の隘路、ネオ・リベラリズム時代の自閉文化論、「医療化」された自殺対策をめぐる論考、テレビドラマにみる精神障害者像、わが国の精神医療改革運動前夜、心神喪失者等医療観察法とソーシャルワークとの親和性について、乱立するセルフヘルプグループの定義をめぐって、精神障害当事者が参画する社会福祉専門教育など、の論考が並んでいる。
すべての論考や報告を列挙したわけではないが、こうした論考や座談のタイトルを見るだけでも、生存学の幅と奥行きの深さと到達せんとする目標の高さ(あるいは遠さ)が実感できるかもしれない。社会福祉学、福祉社会学、医療社会学、看護学、社会運動論、差別問題論、社会政策論などがこれまで個別に生きづらさ、生き難さを抱えた人々に対する調査研究を進め、実践的施策について考察を重ねてきた。しかし、まだまだ考えるべき問題や領域が放置されてきたという。「障老病異」とまとめて表記されているが、多様な違いをもつ人間がどのように生存できるのか、その臨界をめぐり歴史的に、実践的に考察を重ねていく。またこのプログラムには、違いをもっている当事者たちも集まり、調査研究し、生存学の知的実践を形作っているという。この点は、とてもユニークだろう。当事者性が反映された迫力ある研究もまた芽を出し始めているからだ。
天田城介・北村健太郎・堀田義太郎編
『老いを治める―老いをめぐる政策と歴史』
(生活書院、二〇一一年)。腹帯のコメントには「高齢者が「少数者の中の多数派」「マイナーの中のメジャー」となっていく歴史的ダイナミズムを跡付ける」とある。生存学という広大な実践のなかで、老いを主題とした日本の政策と歴史をめぐる一つのまとまった成果といえよう。在宅介護福祉労働は、一九五〇年代後半から一九八〇年代の家庭奉仕員によっていかに担われてきたのか。一九八〇年代以降の高齢者に対する税制改正を伴った医療制度改革の現在はどのようなものであるのか。老いをめぐる政策と歴史、戦後日本社会における医療国家の経済学。日本のリハビリテーション学における「QOL」の検討、人工腎臓で生きる人々の運動と結実、一九七〇年代の血友病者たちの患者運動と制度展開、介護の社会化論とリベラリズムなどの論考が続き、「老いを治める」という主題については、「静寂な生」の統治、家族と高齢者の「折り重なる悲鳴」、世代間の争いを引き受け<ジェネレーション>を思想化すること、老年社会学は取り組むべき「日付と場所を刻印する社会を思考する」という課題、<老い衰えてゆく>当事者をめぐるいかに今一人の当事者である私は研究できるのか、あるいはすべきなのかという問い、など天田さんの優れた論考がおさめられている。分厚い論集だ。論集の序には、この成果がどのような研究会から始まり、学会報告など、院生たちの知的努力の積み重ねの結果、うみだされたことがまとめられている。先の『生存学』でも同じだが、この知的実践というか知的運動の中心的な主体は、当事者性も含みこんだ、若き院生たちであるようだ。「若き」というのは、学的実践のキャリアという点という意味であり、彼らにはすでに、自らの生存学を考える上で、多様な、そして奥深い経験を生きてきているはずだ。だからこそ、彼らの論考を読み、生硬な印象を受ける一方で、その生硬さを内側からぶち破っていき、自らの言葉や論理が紡ぎだされるとき、そこから放たれる迫力やエネルギーへのひそかな期待を感じてしまうのだ。
いま、「生存学」という拠点から、膨大な質と量の言説が生み出されつつある。そこには概念の生硬さ、論理の濃淡、表現や言い回しの難解さなど、まさに玉石混交の論考が生み出されつつある。この学がどのように洗練され、どこへ向かうのか。立岩真也さんは「生存学は動いている」と語る。障老病異の生存の臨界を追求し、そこから「普通の人」の生存の臨界を考えるという主題、この主題を徹底して追求する「生存学」の営み。そこから何が今後もあふれでてくるのか。ずっと注視していきたい。
UP: 20110502 REV:20110508
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全文掲載
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好井 裕明
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『生存学』創刊号
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『生存学』Vol.2
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『生存学』Vol.3
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『老いを治める―老いをめぐる政策と歴史』
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