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「Le fonds de Gabriel Tarde調査報告およびTarde/Durkheimカンファレンス参加記録」

中倉 智徳 2009/02/25 「国際研究調査報告」 『生存学』1: 409-412



0 はじめに

 二〇〇八年の一月末から三月末まで、パリにあるEcole Normale Supérieur の研修生 (stagiaire) として、一九世紀末の研究者であるガブリエル・タルド (Gabriel Tarde) に関する在外調査を行う機会を与えていただきました。引き受け先となっていただいたFrédéric Worms先生にエコール・ノルマルの構内を案内していただきながら、なにか奇妙な思いにとらわれました。それは、タルドと激しく論争したエミール・デュルケム (Émile Durkheim) 、そしてデュルケム学派の多くがノルマリアンであったことを思い出し、タルドの「論敵」を輩出した場所の只中にいることの不思議さからくるものであったかもしれません。この古い建物からタルドの「論敵」を取り巻いていた空気を、遠く時代を経て肌で感じ取ることができたのは得がたい感覚でした。このような感覚を得たことは大きな成果でしたが、今回の在外調査の直接的な目的は、大きく二つありました。第一に、Science Po.にあるタルドに関するアーカイブ Le fonds de Gabriel Tarde の調査、第二に、ケンブリッジ大学において行われたTarde/Durkheim Conference への参加です。

1  Le fonds de Gabriel Tarde への調査

 現在タルドに関する資料は、筆者の知る限り二つの場所に集約的に保管されています。 ひとつは、Agenというフランス南西部の町にあるENAP (Ecole Nationale d’Administration Pénitentiaire) のMédiathèque de Gabriel Tardeです。ここには刊行された書籍などの資料が保管されています。二〇〇四年にタルド没後一〇〇周年を記念して、フランス犯罪学会の国際学会大会がこのENAPにて開催されましたが、筆者もこの大会に参加した際に見学させていただきました。そしてもうひとつが、今回調査を行った、パリにある Science Po. のCentre d’histoire de Science Po. (旧 Centre d’histoire de l’Europe du Vingtième Sièle: CHEVS)に収められているLe fonds de Gabriel Tardeです。ここには、タルドの手稿や日記、タルド宛の手紙、当時発表されたタルドに関する文章などが、ほぼ一〇〇近い箱に蔵されています。 これらの資料は、タルドの生まれ育った場所であり、燕が飛び交う断崖に沿った小さな美しい村、 La Roque Gajac にあるタルド邸に残されていたものです。近年まではガブリエル・タルドの孫にあたるPaul-Henri Bergeret夫人によって保管されていました。そしてScience Po.の当該センターの管理者の一人であるDominique Parcolletと、若手研究者のLouise Salmonが整理したうえで、二〇〇四年以後、Le fonds de Gabriel Tarde として公開されているのです(タルドに関する資料については、ENAPにある資料も含め、池田祥英 2005 「タルド没後一〇〇年を迎えて」『日仏社会学会年報』15: 147-157も参照のこと) 。
 一九七〇年に刊行されたJean MiletのGabriel Tarde et la philosophie de l’histoire (1970, Vrin)以来、タルドの未公刊資料を利用した研究も少なからず行われてきました。近年では、Laurent MuccielliやMassimo Borlandiらによって、社会学史や犯罪学史に寄与する書簡や草稿の一部が公開されています(例えばRevue de l’histoire des sciences humaines誌のvol. 3およびvol. 13を参照) 。なかでも、デュルケム『自殺論』の模倣説批判に対するタルドの反論は、その当時は発表されないままになっていましたが、近年になって公開され、タルド‐デュルケム論争における重要資料として注目を集めました (Tarde, Gabriel 2000 “Critique contre Durkheim”, Borlandi, M. & Cherkaui, M. [éd] Le suicide un siècle après Dukrheim, P.U.F所収。これはオンラインで読むことができます。詳しくは筆者のウェブサイト http://www. ritsumei.ac.jp/~so029997/ を参照のこと) 。このようにいくつかの重要な資料が公開されつつあるとはいえ、いまだタルドに関する資料の多くは、精査されるべきものとして残されています。
 筆者がはじめてタルド直筆の資料と対面したときは、嬉しさと同時に、その読みがたさに不安がこみ上げましたが、毎日通う中でじきに慣れ、読むことができるようになりました。今回の調査では、国際社会学協会に関する人脈の調査当時の経済学者との交流、そしてタルドの経済学に関する読書ノートなどに関して一定の成果をあげることができました。国際社会学協会(L’Institut international de sociologie)とは、一八九三年に発足した初期の社会学会であり、その機関誌『国際社会学評論』は、初めて「社会学」の名を冠して公表された雑誌として知られています。タルドは実質的な協会の指揮をとったRené Worms とともに、設立の中心メンバーでした。ほかにも当時の高等教育に関する運動のひとつを担っていたDick Mayとのやり取りも数十通残されていました。これらは、学問領域として成立しようとしつつあった時期の社会学を知ることのできる非常に興味深いものでした。また、Léon Walrasをはじめとした経済学者とのやりとりを知ることができたのも、タルドの『経済心理学』を理解するうえで重要でした。タルドに師事しその社会学を日本に伝えた米田庄太郎は、タルド『経済心理学』を、古典派経済学を対象としており、「新派」経済学がでた現在では物足りないと述べていました。しかし、例えばタルドは『経済心理学』において限界効用学説に対しすでに一定の評価を下していました(中倉 2007 「ガブリエル・タルド『経済心理学』における労働概念について」『コア・エシックス』 4: 227-236参照) 。さらに今回の調査で Walras とも直接に交流があったことがわかったのは、大きな発見でした。
 ただしこのアーカイブの資料の利用には制限があり、午前中に限られ、タルドに関する未刊行資料の複写および撮影は不可、PCあるいはノートへの模写が許可されるのみであったため、今回の調査ではそのごく一部のみを垣間見たに過ぎません。その全容を調査し終えるためには相当の時間を要するように思われました。発表にも制限があるため調査の詳細を記載することはできませんが、今後も調査を続けていく必要があるでしょう。

2  Tarde/Durkheim Conference : Trajectories of the Social への参加報告

 次に、カンファレンス 「タルド/デュルケム─社会的なものの軌跡 Tarde/Durkheim Trajectories of the Social 」への参加についてみておこうと思います。このカンファレンスは、ケンブリッジ大学のCentre for Reserch in the Arts, Social Sciences and Humanities(CRASSH)が主催し、同大のSt. Catherine’s Collegeの一室において三月一四〜一五日を通じて行われました(主催者によるカンファレンス報告などは、CRASSHのサイト http://www.crassh.cam.ac.uk を参照のこと)。若き社会人類学者 Matei Candea が議長を務めたこのカンファレンスでは、英仏をはじめとして、南米や北欧の研究者を含め約二〇名の報告者を中心に、一〇〇名以上の参加者が活発な議論を交わしました。日本からの参加者は筆者一人でした。報告者のなかには、現在の「タルド・ルネッサンス」の推進役の一人である著名な人類学者 Bruno Latour や、二〇〇七年に刊行されたEconomy and Society誌でのタルド『経済心理学』 特集号の中心的人物であり、近年の英国でのタルド再評価の中心人物でもある Andrew Barry 、そして「モナド論と社会学」のポルトガル語版の訳者であるEduardo Viana Vargas などが参加していたほか、デュルケム『宗教生活の原初形態』の英訳者であるKaren E. Fields も参加していました。
 カンファレンスの報告内容について簡単にふれておきましょう。カンファレンスは大きく四つのパネルに分かれていましたが、その区分に拘泥することなく、模倣論、間心理学論、個人と社会の関係性、催眠論、犯罪論、社会学史、タルドの議論の応用など、タルドに関するさまざまな議論が繰り広げられていました。とりわけ、心理とそれが個人間において伝播していく過程を分析可能であるというタルドの理論特性を生かした、ドラッグの受容と使用の伝播について論じた報告などの応用を試みた研究や、タルドの間心理学を論じるために、個人を範囲 range として論じた理論研究など、新たな可能性を示す興味深いものも多数ありました。
 また今回のカンファレンスでは、パネルにおける議論だけではなく、ある催しが行われました。一日目の夜に行われたBruno LatourとBruno Karsenti によるタルドとデュルケムの公開討論の再現です(ちなみに二〇〇四年のENAPでのフランス犯罪学会においても、「タルド氏の悪夢」という劇が近くの小劇場で上演され、池田氏とともに鑑賞しました)。今回再現されたのは、タルドの死の前年である一九〇三年に社会高等研究院(Ecole des Hautes Etudes Sociales)において行われた、一度だけの直接対面した公開討論です。この公開討論の記録は、抜粋が『国際社会学評論 Revue internationale de sociologie』およびデュルケムのTextsに納められています。(邦訳として、村澤真保呂 2007 「社会学と社会科学─タルドとの対決(『国際社会学雑誌』 12号) 」『竜谷大学社会学部紀要』 31: 71-76 参照)。ですが、討論全体にわたる正確な記録は残されておらず、今回の催しのために、タルドおよびデュルケムのさまざまな著作から台本が作成されたようです(この台本作成の協力者にLuise Salmonの名も挙げられていました。なお当日は台本の英語版が配布され、現在CRASSHのサイトで読むことができます。)。この「台本」に基づいて、三名の登場人物によってタルドとデュルケムの討論が再現されました。 舞台左手にタルド役のBruno Latour、真ん中に当時の論争の立会人であった学部長(Dean)Alfred Croiset役を務めたSimon Scheferを挟んで、右手にデュルケム役のBruno Karsenti が座り、台本に沿って仏語で白熱した討論を再現しました。翌日のカンファレンスでLatourは報告を行ったのですが、その際「タルドのシャーマン」と呼ばれていたのも印象に残りました。実際Latourは報告でも、タルドの引用を次々と呼び出し、自らの主張へと組み込んでいました。
 一〇〇名以上の参加者が活発に議論し、交流がなされたこと、討論の再現がなされたことなど、今回のカンファレンスは意義のあるものでした。しかし同時に、今回のカンファレンスには、大きな欠落もあったように思われます。 Latour 自身が参加していたにもかかわらず、アクターネットワーク理論とタルドの議論との関係性をめぐる議論はほとんどなされなかったのです。Economy and Society 誌でのタルド『経済心理学』特集の中心的人物であった Andrew Barry が出席していたにもかかわらず、『経済心理学』に関する議論もあまりなかったのです。近年のタルド研究におけるひとつの達成であるMaurizio LazzaratoのPuissance de l’invention: La psychologie économique de Gabriel Tarde contre économie politique (2003 Les Empêcheurs de penser en rond.)に関する議論についても、あまり触れられることがありませんでした。これらの研究動向は、近年のタルド再評価を方向付けた研究であり、その当事者がいたにもかかわらず、これらを争点として議論が深まらなかったのは非常に残念なことでした。カンファレンスに先立って、Latourがタルドに関する講演を行い、二〇〇五年にもAndrew Barryらを中心にワークショップが行われたと聞いています。これらの一連の出来事が、二〇世紀初頭以来の本格的なタルド再導入の端緒となり、タルド研究の水準の向上の契機となることを願っています。
 最後に、今回の在外調査は立命館大学大学院博士課程後期課程国際的研究活動促進研究費を得ることによって実現しました。記して感謝致します。


・エコール・ノルマル
エコール・ノルマル

・Tarde/Durkheim カンファレンスのポスター
Tarde/Durkheim カンファレンスのポスター

・Tarde/Durkheim カンファレンス会場内
Tarde/Durkheim カンファレンス会場内


・Tarde/Durkheim カンファレンス会場のSt. Catherine’s College
Tarde/Durkheim カンファレンス会場のSt. Catherine’s College


・Tarde/Durkheim カンファレンスでのティー・ブレイクの風景
Tarde/Durkheim カンファレンスでのティー・ブレイクの風景



*作成:野崎 泰伸
UP:20091111 
全文掲載  ◇『生存学』1  ◇中倉 智徳
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