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『先端医療――診断・治療の最前線』
上林茂暢 19891120 講談社,227p.
■上林茂暢 19891120 『先端医療――診断・治療の最前線』,講談社,227p. ISBN-10: 4061489747 ISBN-13: 978-4061489745 [amazon]/[kinokuniya]
内容(「BOOK」データベースより)
CT,エコー,MRIなど、新しい診断技術の登場。切らずになおせる治療法の開発。重症患者に“福音”をもたらすICUから、人工臓器や体外授精まで、生と死のコントロールに挑む、現代医療の最新情報をわかりやすく解説。
■著者紹介(*「奥付」より)
上林茂暢 かんばやし・しげのぶ
一九四二年、東京に生まれる。
一九六七年、東京医科歯科大学医学部卒業。医師。
現在、みさと健和(けんわ)病院(埼玉県)内科勤務。
地域病院での診療に従事するかたわら、医療技術のあり方・現代医療技術史の研究を続けている。
著書に、『医療システム化の将来』―勁草書房、
『病院自動化――その現状と将来』―勁草書房、
共著書に、『臨床医の注射と処法』―医歯薬出版、
『今日の外来診療』(近刊)―医学書院―などがある。
■目次
はじめに――いま、なぜ、先端医療か……3
1―飛躍的な診断面の進歩……11
1―血液検査でどこまでわかるか……12
2―多様な画像検査の出現……31
3―内視鏡の技術革新……58
4―心電計・眼底検査・尿検査の進歩……67
5―診断の自動化は可能か……79
2―治療面での前進……89
1―蘇生技術の進歩とシステム化……90
2―手術の発展を支えた条件……107
3―切らずになおせる治療法……116
4―心筋梗塞への挑戦……127
5―人工臓器の実用化と改良……134
6―ガンの放射線治療……156
7―体外授精をめぐる難問……162
3―予防・福祉・セルフケアの分野……167
1―成人病予防の健診システム……168
2―ハイテク医療と福祉……170
3―セルフケアの拡大……179
4―医療自動化の光と影……183
1―技術革新への道……184
2―その成果と限界……192
3―変貌する医療システム……196
5―先端医療のゆくえ……205
1―医療の機械化と人間疎外の進行……206
2―バイオの登場と生命観の転換……217
あとがき……226
■引用
4―医療自動化の光と影
(pp184-186)
表4には、一九四〇年前後の東大病院での検査の状況が示されている。それによれば肺結核(X線検査と血沈)、梅毒(ワッセルマン反応)、腸チフス(ヴィダール反応)が主な検査で、それも医師の診療の合い間に行なわれていた。日常的には、検尿、検便(寄生虫卵)が最も多く、次いで、血算(白血球の数、種類、貧血の程度)、痰の検査がこれに次いでいたといわれる。狭心症、心筋梗塞、不整脈の診断の際にいまでは開業医や診療所でもごく普通に行なう心電図検査も、当時は循環器研究班が外国から輸入した機械を珍重している状況だった。血糖検査も測定法が煩雑で、診療を終えた医師が自ら夜を徹して行なわねばならなかったという。このような状況では、検査といっても、患者の症状によって臨床的に診断のついた病気の確認の意味あいが強かった。
治療の面では、解熱鎮痛剤などの対症療法や看護が中心だった。対症療法で苦痛をやわらげ、安静にして、栄養をとらせ、その人にそなわった"自然治癒力"にゆだねざるをえなかった。もちろん手術は行なわれた。例えば、虫垂炎の手術は一九一〇年代から普及し、脳外科の手術も行なわれている。しかし、安全性に乏しく、命がけだったといえる。在宅医療などで最近再び評価されはじめた"往診"が、戦前では、重要な技術だったのも、以上のような事情を反映している。
戦後の第一次医療技術革新
戦前、戦中のこのような状況を打破したのは〈抗生剤〉、〈抗結核剤〉をはじめとする新薬の開発である。すでに、その萌芽は戦前に準備されてきた。
(pp188-190)
以後、五〇年代にかけて抗生剤、抗結核剤があいついで登場してくる。その製造も、醸造工業から化学工業の段階に移り、半合成、合成、量産化がすすめられた。
対症療法の段階では、患者の苦痛をやわらげて体力の消耗をへらすことで間接的に感染症と闘っていたのに対し、サルファ剤は一歩踏み込み、病原体である細菌そのものの増殖を抑えられるようになった。さらに、抗生剤では細菌を死滅させることも可能になり、"不治の病"として恐れられてきた肺炎、敗血症、産褥熱、結核などの感染症がようやく克服され、薬物療法のイメージは一変した。
また、五〇年‐六〇年代前半には、薬理学、製薬工業の進歩と、生理学、生化学的研究の蓄積とがあいまって、降圧剤、利尿剤、インスリン(糖尿病)、副腎皮質ステロイド(リウマチなど)、向精神病薬なども登場。成人病時代の基本的な武器が準備されていった。
外科手術の分野でも、すでに戦前に麻酔、防腐法、無菌法、-輸血技術の開発などにより、近代化の基礎は準備されていたが、安全性を欠いていた。しかし抗生剤の登場で、感染の防止、気管内麻酔(わが国では一九五〇年に導入、五二年から普及)、血液銀行(一九五一年から全国に普及)により、患者の苦痛を解消し、出血に対しても手が打てるようになった。その結果、長時間の手術も可能で、メスを全身に、しかも安全に入れられるようになった。手術中の血液を体外で循環させる人工心肺を用い、鬼門とされていた心臓の手術も始められるようになった。
内科系、外科系のこのような進歩は、それまでの対症療法中心の医療技術とは質的に異なるため、「第一次医療技術革新」とよばれる。
成人病時代の到来と新たな課題
敗戦後の荒廃のなかで、猖獗をきわめた急性伝染病や肺炎、結核なども、これらの技術革新と、DDT散布と世界に例をみない強制予防接種を推進したGHQの強力な防疫対策によって終息をみた。また、看護や、給食をはじめとする近代的な病院管理の導入がはかられ、病院は科学的な治療の場へと一変した。
また、患者や国民にとって、このような技術の成果にたいする期待は大きく、「ニーズの増大につながった。新憲法二五条に代表される戦後の民主化のなかで、社会保障の拡充がはかられ、"国民皆保険"(一九六〇年)への道がとられた。しかも、これらの技術を導入するにあたって、医療機関の側は、新規の大がかりな設備投資をしなくてもよかった。薬はもちろん手術にしてもいままでの医療システムを前提に、その効果を発揮できた。これらの要因がいっしょになって、「第一次医療技術革新」の成果は急速に普及していった。
その結果、"人生五十年"といわれてきた平均寿命の延長と同時に、疾病構造の変貌をもたらした。一九四七年、死因の上位三つを占めていた結核、肺炎・気管支炎、胃腸炎は大幅に減り、かわりに、脳卒中、ガン、心臓病が徐々に増えてきた。
(pp190-192)
コンピュータ主導の医療へ第二次医療技術革新
これらの課題に対して、もはや新機軸を画するような薬の開発はみられなくなった。成人病の薬にしても、戦後早期に登場した薬の改良が進んで使いやすくなったり、作用の異なる薬の出現によって持ち駒は増えてきたものの、質的な飛躍をもたらすほどではなかった。逆に、薬については、この時期には、日本医療の薬偏重の体質とあいまって、世界的にも類をみない薬害(薬ではサリドマイド児、スモン、注射による大腿四頭筋拘縮症など)の集団発生をみている。
かわって医学・医療技術は、物理学、化学、工学の成果や原理を全面的に導入することにより、新たな展開をとげるにいたった。この動きは、部分的には、すでに、心臓の電気的現象を波形としてえがく心電図の開発、真空管からトランジスタ化された医療機器の小型化の進展とともに精度の向上、写真現像から熱ペン記録方式への切り替え、装置の改良・実用化といった形で、五〇年代にすでに準備されてきた。また、色や光の変化を電気量におきかえる光電比色計の開発(五〇年代)も、血糖をはじめ種々の血液化学検査を日常診療レベルで可能にし、戦後の臨床検査の確立、発展に大きく役だっている。
これらの蓄積のうえに、医学(M)と工学あるいはエレクトロニクス(E)の結合した学襟領域としてME(今日ではマイクロ・エレクトロニクスの略号として有名だが)が誕生した。その後のコンピュータ化・自動化の発達のなかで、一章から三章で紹介したような診断・治療機器が次々と登場してきた。
また、コンピュータ化・自動化は医療機器だけにとどまらず、ホスピタルオートメーション、救急医療、離島・僻地医療の情報システムなど、技術システムにも及んできた。いままで、人海戦術でないと無理だと考えられてきた医療に、他産業で成功をおさめたコンピュータ化・自動化を全面的に導入しようとする医療システム化の動きは、八〇年代に入り、通信技術との結合により"ニューメディア医療"として脚光をあびている。
このようにして、コンピュータ化・自動化を基礎に、医療技術の進歩は第二のピークを迎えたが(第二次医療技術革新)、そこには、薬や手術を中心とした第一次技術革新期とは異なる技術的・経済的特性がみられる。
(pp194-195)
したがって、先端医療の治療面での成果は、「第一次医療技術革新」の成果である手術や薬を極限まで使い、相当のところまで挑戦が可能になった点にあるといってよい。反面、その過程で、少数ながら植物人間をうみだし、その対処が今日の課題となっている。先端医療における治療機器の代表としてあげられる人工臓器も、臓器の基本的な機能を代行し人体の予備能力のあるかぎり延命をはかる点で、共通している。
さらに、根本的治療は無理としても、苦痛を軽減するのに有力な技術もある。人工関節で関節痛がとれ外出が可能になったり、手術の無理な進行ガンも放射線照射により小さくなり一定期間にせよ社会生活が送れる場合も少なくない。この他、在宅での酸素療法、リハビリ・福祉機器なども、患者の安楽性、行動範囲の拡大による生活の質の向上にもつながってくる。
ただ、人工透析や持続腹膜灌流で尿毒症による死を回避できるようになったが、その苦痛、社会復帰の困難さなどを考えると、患者にとっては、できることなら腎炎が薬や注射程度の治療で治るのが望ましいのはいうまでもない。その点では、先端医療によって高度なことが可能になったとはいえ、抗生剤や抗結核剤のような本質的な治療の"決め手"の出現が求められているといえよう。
(pp198-199)
したがって、このような高額機器の対象となる患者を集めるには、少なくとも、三百床規模以上の病院でないとむずかしい。「第一次医療技術革新」のときの技術は、導入するのに医療機関の規模は問題にならなかった。薬は、大病院であろうと診療所であろうと共通に使える。手術にしても、当時は、手術室をもっているところなら手技を習得しさえすれば可能だった。
薬を中心にした「第一次医療技術革新」の技術では、医療機関の規模の差は単に量的なものにすぎないが、先端医療の段階になると、規模の違いは技術格差につながってくる。先端医療機器は、病院の大型化を要求し、医療システムの再編成(中小病院のスクラップと大病院のビルド)を進めていくことになる。
検査センターの場合でも同様で、各種の自動化機器をフルに装備した巨大センターが残り、中小のセンターが縮小に追い込まれている。その検査処理能力は、日本全体で"東西、二ヵ所あれば十分"と厚生官僚がいうくらいである。
ただ、腎臓病の経過をみていあに不可欠な尿の検査のうち、蛋白を調べるのは試験紙による簡易テストで行なえるが、尿の中の赤血球や白血球を見るには遠心分離し、その沈渣を顕微鏡をのぞいて数えなくてはならない。このような機械化が困難な生物学的検査は、検体を広域から集中するわけにはいかない以上、検査システムとしてその体制もあわせ考えておかなければならない。
(pp199-200)
医用機器産業の参入と市場拡大
「第二次医療技術革新」により、医療の現場における医用機器の比重がたかまるにつれ、これを供給する医薬品産業に加えて、あらたに医用機器産業が台頭してきた。(略)
自動車産業などに比べればその規模は小さいにしても、鉄鋼、造船、繊維のみならず産業界全体が低成長下に入ってきただけに、未来産業、恒久的市場として各企業の熱い眼差しがよせられている。これまで医療とはおよそ縁のないと思われた異業種から技術の転用をばかり進出している例も目だっている。また国際化時代を反映して多国籍企業の参入も見られる。
一方、"国民皆保険"以降、高成長、高蓄積を続けてきた医薬品産業も、医用機器産業の参入により、医療費のなかでのシェアに限度がある以上、寡占を強めていかざるをえない。もともと医薬品産業の場合、多品種少量生産を反映して、大手十数社を含め、企業数は二〇〇〇をこえるといわれる。企業別集中度では、大手四社をあわせても二六パーセント程度だが、薬効別集中度になると、主要医薬品は、関連大手三社で七〇パーセント以上にのぼっている。また、医用機器産業の分野への進出も見られるのは、同様である。
七〇年代後半から八〇年代にかけて、自動化機器の普及とともにテイクオフを開始、医用機器産業は医薬品産業とならんで医療産業の二大部門となった。もはや医療産業の動向と切り離しては、現代の医療を考えられなくなってきたのである。
5―先端医療のゆくえ
(p206)
コンピュータ主導の医療の特徴は、これまでの医者(医療従事者)と患者の関係を、医者(医療従事者)・機械・患者の関係におきかえた点にあるといってよい。それもかつての直接X線撮影装置や心電計の段階とちがって、両者の距離を遠く隔ててしまった。そのことが、診断・治療面でめざましい進歩をとげながらも、患者ばかりか、ときには医療従事者の人間疎外もひきおこすにいたった。薬が中心の「第一次医療技術革新」期にはみられなかった事態であろう。
患者の自覚症や医師の五感による診察(視診、打聴診、触診)では、精度や客観性の点で限界があるのはいうまでもない。そのことが原動力になり、これまでみてきたようなさまざまな検査技術が発達し、診断に欠くことができなくなってきた。しかし、そのなかで、"どうせ検査しないとわからない。わざわざ問診なんてまどろこしいことを"という、検査至上主義、問診軽視の風潮が生まれてきた。
(p213)
医療の機械化が人間疎外の進行につながる代表例をみてきたが、それはとりもなおさず、医療技術の本質がどこにあるかを物語っていよう。医療機器や薬といった有形の技術は、診断や治療を前進させる有力な手段だが、問診や看護に代表される無形の技術、対人サービスと結合してはじめて機能を発揮しうる。今日、"ハイテク"に対して"ハイタッチ"が強調されているが、問題はこれをモラルの次元にとどめず、技術そのものと考え、人的体制を作っていけるかどうかであろう。技術料の評価が有形の技術に偏重してきたわが国の医療の体質と、医療機器の高額化があいまって、対人サービスにしわよせをもたらした結果にほかならないからである。
(pp214-217)
人間疎外は患者だけにとどまらず、医療従事者にも起こってくる。(略)
一般に機械化、管理化が進み、医療・福祉こそ人間的で新しい時代の職業だと世間では思われている。しかし、現場のコメディカル・スタッフが生きがいを感じられなくなっているところに、医療における人間疎外の根深さをみないわけにはいかない。
(pp217-218)
自動化・コンピュータ化を軸とした「第二次医療技術革新」は、現在、X線CTからMRI(核磁気共鳴画像診断装置)、ポジトロンCTの開発に見られるように、今後の可瀧性を秘めながらもほぼ一巡したといってもよい。六〇年代後半から八〇年代にかけてあいついで実用化をみたテンポが落ちてきたことからも、そのことはうかがわれる。これに対して、分子生物学、遺伝学など生物学的な手法により医療技術革新の展開をはかろうとしているのが〈バイオテクノロジー〉で、先端医療のもう一つの分野を形成している。
細胞融合で、ある抗原にのみ反応する抗体(モノクローナル抗体)を用いた検査法などの実用化は進んでいるが、なんといっても「第二次医療技術革新」が診断中心だったこともあって、医薬品の開発に大きな期待がよせられている。
(pp219-220)
バイオによる医薬品、検査用物質の開発は、本格的な研究によって成果が期待される。また、バイオにともなう環境汚染なども、その扱いさえ慎重にすれば、問題は少ないだろう。その点では、第一次技術革新の成果に似ているといえよう。
これらをバイオの一群とすれば、もう一つの群として、臓器移植、体外授精、胎児診断(羊水診断)、遺伝子診断、遺伝子治療などがあげられる。が、この第二の群は、新たな問題をつきつけているといってよい。
〈臓器移植〉は、人工臓器がどんなに精巧になっても機械の限界を超えることができない点で、非常な関心がよせられている。(略)
その際、移植の成績を上げるには、新鮮な臓器が必要になる。そこで、死の判定をめぐり、心臓死から脳死への転換が起こってきた。しかも、長期に患った病死者の臓器では機能も思わしくなく、交通事故者が最大の供給源となる。救命のため移植をさかんにするには、一方で、"車社会"における交通事故をあてにしなくてはならないという原理的矛盾が残される。
(p224)
もし、死が避けられないとすれば、高齢者の終末期医療はいかにあるべきか。機械的延命と批判を浴びている医療技術を、つぎこめるだけ投入する現状が果たしていいのかどうか。だが、それが安楽死につながらない道は何なのか。
生と死のコントロールの可能性をもったこと、"人生八十年時代"を迎えたことの二つのアウトプットは、戦争のなかったこと、公衆衛生の進歩、医療保障の充実、生活水準の向上などの支えがあったとしても、直接的には医療技術の進歩の成果にほかならない。そして、その結果、人類は生と死について、市民社会誕生以来の価値観の変更・選択を迫られているといえよう。ちょうど原子力がエネルギーの開放の可能性をもったと同時に、核戦争の危険、原子力発電問題を引き起こしているのと同じである。
*作成:植村 要