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『アイデンティティ/他者性(思考のフロンティア)』
細見 和之 19991022 岩波書店,121p.
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last update:20160519
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■細見 和之 19991022 『アイデンティティ/他者性(思考のフロンティア)』,岩波書店,121p. ISBN-10:4000264214 ISBN-13:978-4000264211 1400+税
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※ mc
■内容
抽象的思考ではアイデンティティ/他者性という問題の核心には到達しえない。肝心なのは個々の「私」におけるその在り方である。 プリーモ・レーヴィ、パウル・ツェラン、金時鐘という具体的な表現者に即して、この問いを考える。
■目次
はじめに
I アイデンティティの諸相
II 記憶という他者、言語という他者
第1章 引き裂かれたアイデンティティ――ブリーモ・レーヴィをめぐって
1 悪い知らせを届けるカラス
2 レーヴィのアウシュヴィッツ体験
3 ダンテの『神曲』と「シェマー・イスラエル」
第2章 投壜通信のゆくえ――パウル・ツェランとプリーモ・レーヴィ
第3章 他者の言語を生きるということ――金時鐘をめぐって
1 クレメンタインの歌
2 金時鐘の表現=文体にそくして
3 抒情の他者と他なる抒情
III 基本文献案内
あとがき
■引用
身体という受動性
言うまでもなく、人間は一個の身体として、あるいは生命体として存在している。 アイデンティティを他者性との関係で捉えるとき、この身体という次元を無視することはできないだろう。 あたりまえの話だが、ぼくらは自己の外部から酸素や水分、栄養などを絶えず摂取しなければ生きられない存在である。 身体ないし生命としての>004>「私」を維持するために、いつも外部から「他者」を取り込まなければならない、という逆説。 だが、そのように他者を取り込むということは、同時に自己が絶えず他者化されることでもある。 毒ガスや毒物という致命的な「他者」を摂取して、文字どおり身体が破壊されてしまうのは、そのような他者化の極端な例である (宗教的に厳格な人々がその戒律に則ってある種の食材を忌避する際にも、自らがまさしく肉体レベルで「他者化」されることへの恐怖があるに違いない)。 ぼくらはひとつの身体的存在として、そのような他者の同化および他者への同化という一見奇妙な事態を、日々生きているのだ。 あるいは、ぼくらはそういう身体的存在として、自らの内部を未知の不確定な「外部」へとつねにすでに開いてしまっているのである。
さらに、身体ないし生命という契機が「アイデンティティ/他者性」という問題にとって重要だと思えるのは、 それがぼくらの存在につきまとう、ある「受動性」を特徴的に示していると思えるからである。(pp.3-4)
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■書評・紹介
■言及
◆
北村 健太郎
20140930
『日本の血友病者の歴史――他者歓待・社会参加・抗議運動』
,生活書院,304p. ISBN-10: 4865000305 ISBN-13: 978-4-86500-030-6 3000+税
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*作成:
樋口 也寸志
*増補:
北村 健太郎
UP:20111026 REV:20160519
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