コイ釣りの仕掛けを準備する男性。中国人女性との結婚に失敗し、「時々心細くなる」=岡山県瀬戸内市、仙波理撮影
中高年専門の結婚情報センター「太陽の会」が主催した婚活パーティー。「やはり相性が大事」といった言葉が飛び交う=東京都新宿区、仙波理撮影
雲を突くような銀色の摩天楼、101階建ての「上海環球金融中心」がかすんで見える。目的のホテルは、高層ビル群から離れた裏通りにあった。生鮮市場や小売店が雑然と並び、不用品を集めるリヤカーが、ベルを鳴らして通り過ぎていく。
今年還暦を迎えた岡山市の男性は2年前の11月、上海に来た。かび臭い廊下の奥まった一室に、現地で集められた女性を次々に招じ入れた。
今度こそ。男性は強く念じていた。今度こそ妻を――。
婚活を本格化させたのは50代半ばから。若いころ心に決めた相手がいたが、思いを打ち明けられずに終わった。今も写真を大切にしている。その後、父から継いだすし屋の借金返済に追われ、同居の母親が他界したときには、未婚のまま50歳を過ぎていた。
結婚紹介業にはいくつ登録したかわからない。登録料を納めたのにそれきり、ということもあった。
中国人を妻に、と考え始めたのは4年前のこと。
「あなたの年では日本人は難しい」。岡山市内のホテルで、ある業者からファイルを見せられた。中国人女性の写真とプロフィルで50人分はある。ニーハオぐらいしか知らないが、他に選択肢はない。
最初に紹介されたのは、日本在住の「チョウ」という39歳の女性。日本人男性と離婚していた。初めて会った日に食事をして、もう一度会った後に婚姻届を提出した。念願の夫婦になるのに要したのは、わずか2日間。
だが、業者に150万、女性に30万円支払って得た結婚生活は、すぐ破綻(はたん)した。婚姻届を出したその日に大阪で働くと出て行った。1カ月後に帰ってきたが、結局、生活を共にしたのは5日ほどだ。
どんなに手を尽くしても、日本人でなくても、伴侶が見つからない。家業の手伝いや後継ぎを望むわけではない。老いゆく自分の世話をし、みとってくれる相手が欲しいだけなのに。
伴侶を求めて国の外へ目を向ける男たち。外国籍の女性を選ぶ日本人男性は年間3万人前後。そのうち、中国人が約1万2千人と最も多い。
上海のホテルで、男性は2日間で約20人と「見合い」し、「リュウ」という38歳の女性を選んだ。決め手になったのは、仲人役として同行した在日中国人女性の言葉だった。「服が派手じゃない。あの人はまじめよ」
だが、その女性も来日後20日間で姿を消した。生活費として5万円を渡した2日後。2度の「結婚」に費やした金はおよそ450万円。蓄えのほとんどをはきだした。
自分は孤独死するかもしれないと覚悟している。死後に備えるノートを買った。親類の連絡先や保険証書類の保管場所を記し、遺影用の写真をはさむ。遺体は献体するように書き留めてある。
20年ほど前からコイ釣りにのめり込み、暇な日はぽつんと糸を垂れる。孤独には慣れた。が、寂しくないといえばうそになる。(井上恵一朗)
■赤い糸、今日も見つからなかった
午後3時過ぎのファミリーレストランで、千葉県市川市の39歳の男性は、その日初めての食事だという中華定食をゆっくりと口に運んだ。温かいものを期待して頼んだが、出てきたのは冷たい料理。「おかしいなあ」。独りごちて、スープをおかわりした。
最後の仕事を辞めて1年10カ月がたつ。専門学校を卒業後、非正規も含めて10近い仕事を経験し、いずれも短期間で辞めた。自宅アパートにはテレビもない。空の冷蔵庫、電気ポット、カセットコンロ、ちゃぶ台の上のパソコン、それがすべてだ。
「普段の生活すらみすぼらしいのに、婚活なんて無理。収入のない自分は、そもそも勝負のラインから外れちゃってます」
結婚相手探しをする前に、諦める。自ら、線を引いて。そんな男性が増えている。
この男性が人とのつながりの大切さを痛感し始めたのは最近だ。20代半ばまではゲームセンターに通うお金があればそれでよかった。気軽に食事に行くような友達もいないのは、「自己責任」かもしれない。でも、もう戻れない。
時々、出会いを期待してインターネットのオフ会に顔を出すが、女性が出てくることはほとんどない。姉と妹は、20代で出産した。「あの時、気づいていれば」。仕事や子どものことがつづられた同年代のブログを見て、ため息をつく日々だという。
5年たっても10年たっても、自分が結婚できる状況にあるとは、とても思えない。「どう考えても、まともな人生にはもう返ることができないんです」
◇
年末のある日。貸し切りになった新宿駅近くのレストランに、50代から70代の男女が集まり始めた。女性の服装はそれぞれに趣味が感じられる着こなしだが、男性はほぼ一様にスーツとネクタイだ。
午後1時半、店を貸し切った中高年限定の婚活パーティーが始まると、一人の男性があいさつに立った。「ここに来るようになってだいぶたちますが、赤い糸はどこかにいってしまって見つかりません。来年こそいい年に」
そう、婚活という言葉ができる前から伴侶さがしを続け、20年以上になる。川崎市に住む原泰浩さん(76)が妻を胃がんで亡くしたのは、38歳のときだった。
「おなかに固いしこりがあるの」と打ち明けられ、触ってみると卵大の塊が。診察を受けると「余命半年」と宣告された。娘が小学生、息子は2歳半でおしめも取れていなかった。それからの人生、子育てと仕事の両立で、白刃の上を歩いているようだった。
子どもが大きくなってから、中高年専門の結婚紹介団体の先駆け、「太陽の会」に登録した。月に1度の会に出席し、20人以上の女性と会話をする。200回以上は出席しただろうか。会で次々とカップルが誕生しても、自分の赤い糸は見つからなかった。
「太陽の会」は、住民票と戸籍謄本を会に提出しなければならないなど、厳格な運営方針で知られる。最近、後発業者が急増しており、「高齢婚活希望者は、年2割は増えている感触」と坂本達児・東京本部代表は言う。
だが、ブームといっても意識には男女差がある、と原さんは感じる。女性は生活の支えを求める人が多いが、男性は寂しさが理由では、と。
仲のいいカップルを見ると自分が惨めに思えて、観光地への足も遠のいた。次第に日が短くなってきた人生の残り時間、70代後半を迎えて欲しているのはただ、優しさだ。
会話が盛り上がるのを横目に原さんはこの日、パーティーを早めに切り上げた。今年春から飼い始めた雌のシバイヌの不妊手術のために。
今日も、これは、という人は現れなかった。死ぬ間際に「おまえがそばにいてくれて幸せだった」と言えるような人が欲しいだけなんだが。
「やはり、孤独死かなあ」
◇
北上山地の中腹に広がる岩手県住田町は人口6千人余、面積の多くを山林が占める山村だ。この町役場に、担当者しか全容を知らない、という極秘のファイルがある。
町が始めた結婚支援事業に登録をする町民のリストだ。
この事業の目標は「5年で結婚10組」だったが、これまでの成婚例はゼロ件。最大の誤算は、登録した十数人が全員、男性だったことだ。
登録者たちはみな、自分がリストに載っていることが周囲に知られることを恐れている。そのため、町役場は、保秘にかなりの気を使う。
町の人口は30年前と比べて約3割減った。高齢化率は、今年10月現在で38.6%と、県内で3番目に高い。町内の未婚者を対象にした調査では、3人に2人が「結婚を希望しているが、出会いや紹介を待っている」と答えた。
「年間2組ぐらいだったら簡単だと思っていたけれど、甘かった」。相談員の佐々木忍さん(65)は失敗を認める。出会いの場を設けて男女を引き合わせても、先に進むことがほとんどない。
町内で、独身男性はすぐに見つかる。町立スポーツセンターの管理人を務める吉田次男さん(60)も、そうだ。
町を離れていた30代のころには結婚を考えた女性もいたが、相手が岩手に住むことを嫌がった。病気だった母の面倒をみるために仕事を辞め、故郷に帰ってきて20年。下の世代に、同じ境遇の男性がどんどん増えている。
町議の高橋靖さん(55)も独身だ。過疎化の方向性に一石を投じたいと町議選に立候補し、初当選したのは2001年。10年近くこの問題に取り組んで、一つだけわかったことがある。特効薬はない、ということだ。(仲村和代、真鍋弘樹、中井大助)
■未婚でも不安感じない社会に
孤独死と隣り合わせの時代。寂しい最期を迎えたくないと、婚活に励む男性たちがこれほど多いことに驚く。結婚年齢の上限は、もはや無くなったようだ。
未婚、晩婚化が進んでいても、人々の結婚願望が衰えたわけではないと感じる。かつて地域や職場の世話焼きが男女の仲を取り持ち、親が決める見合い結婚も多かった。それがいまや、結婚相手探しは恋愛市場での自由競争が原則となった。
経済力や容姿、性格……。様々な条件が合致しなければ、なかなかゴールにまで至らない。不安定雇用と低収入のために二の足を踏む若者や中年男性が多いのも無理はない。「おれも孤独死かな」。20代でそんな言葉をもらす若者さえいる。
出会いの場を広げることはもちろん大切だ。男女のすき間を埋めるように「婚活ビジネス」が広がる。
それでも単身化は進むだろう。未婚で生涯を送る「孤族」たちが不安を抱えずに生きていける、そんな社会であってほしい。(井上恵一朗)
単身世帯の急増と同時に、日本は超高齢化と多死の時代を迎えます。「孤族」の迷宮から抜け出す道を、読者の皆さんと一緒に考えていきたいと思います。
取材班がツイッター(http://twitter.com/asahi_kozoku)でつぶやいています。メール()でご意見や体験談もお寄せください。