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たったひとりのクレオール: 聴覚障害児教育における言語論と障害認識 単行本 – 2003/10/20


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決してきちんとは「聞こえない」にもかかわらず、「聞こえているはず」という視線の中で、生きていかざるを得ない子どもたちの苦しみを私たちは本気で考えたことがあったのだろうか。(本書より)

約10年にわたる論考の数々によって聴覚障害児教育に潜む諸問題を分析し、読者をさらなる思考へと誘う。

著者自身による詳細な注が、本書の特徴です。

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商品の説明

内容(「MARC」データベースより)

「聞こえない」子どもたちを巡る状況から、新たなる言語観、障害観を提起する。10年にわたる論考によって聴覚障害児教育に潜む諸問題を分析し読者をさらなる思考へと誘う。

著者について

1954年生まれ。早稲田大学卒業後、聞こえない子どもの個人指導(学習・言語指導)に17年間携わる。この間に、聴覚障害児を持つ母親を対象に「難聴児学習問題研究会」を主宰。トータルコミュニケーション研究会運営委員、「ろう教育を考える全国討論集会」共同研究者を務めるほか、近年は、障害認識論とリテラシー論についての講演多数。1999年より九州保健福祉大学言語聴覚療法学科専任講師。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ スタジオポット (2003/10/20)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2003/10/20
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 505ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4939015556
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4939015557

著者について

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上農 正剛
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上位レビュー、対象国: 日本

  • 2010年10月16日に日本でレビュー済み
    Amazonで購入
    聴覚障害者教育に長年直接関わってきた著者、上農正剛氏は、本書において、健常者にはなかなか理解できない、聴覚障害者教育の問題点を、分かりやすく記述している。
    講演記録を中心に作成されているため初心者にも理解しやすい。

    共通言語を持たない複数の集団(移民等)が出会い、接触言語としての不完全な言葉(ヒジン)によって意思疎通を行う環境にあっても、それを母語として受け継いだ子供達は、言葉(ヒジン)を整備、統合することで、より完全な言語してゆくという。このような変化をクレオールという。

    著者は健常者の母と聴覚障害の子供の関係においても、同様のことが起こるという。多くの聴覚障害者は音声言語が使えても、発音が不明瞭等の理由で健常者にはなかなか理解されない。しかし母親には音声言語で話すことが可能という例がある。他人の言葉は理解できなくても母親の音声言語だけは理解でき、また子供の拙い音声言語も母親は理解する。

    しかしこれは、この2人だけに閉じた世界であり、母親がいなくなってしまえば、聴覚障害の子供が作り上げた音声言語世界は全く意味をもたなくなる。

    母親は自分の音声言語で出来る限り障害者の子供を理解しようとた結果であり、その背景を考えると切ない。

    健常者の親は聴覚障害がある子供が、そのハンディキャップをまるで無いがごとく乗り越えることに価値を置く傾向がある。(学校において障害者クラスではなく健常者クラスを選ぶとか)

    著者は、聴覚障害者を健常者と同一価値で見ることではなく、障害という違いを認識することから全ては始まるという。
    12人のお客様がこれが役に立ったと考えています
    レポート
  • 2016年3月14日に日本でレビュー済み
    Amazonで購入
    自分は難聴学級を6年間やり、子供たちの声なき声を聞いただろうか、と振り返りました。
    読みやすく勉強になりました。
    1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
    レポート
  • 2006年5月8日に日本でレビュー済み
    従来の聴覚口話法はその結果(良い面、悪い面双方)が出ている一方、バイリンガル教育の結果は現時点で必ずしも明らかにされていない。

    従来の聴覚口話法により不満足な言語力・学力、阻害といった問題が生じているという上農氏の問題提起はおそらく正しい(たとえ上農氏の主張に誇張が多いとしても)。
     しかしながら、いろいろな家庭環境があり、聴覚障害児本人の資質も異なる中で、「全ての」高度難聴児にとってバイリンガル教育が最適か、それによりほとんどの高度難聴児が言語力(書記日本語力)を身につけることができるのか、まずはその検証が出発点でなければならない。そこがあやふやなため、無責任な批判に終わってしまっているのみならず、「全ての」聴覚障害児に聴覚口話法の教育しか用意されていなかった誤りと同質の誤りを犯してしまっている。聴覚障害児の親たちを高圧的に批判する前に、まずバイリンガル教育できちんと書記日本語力を身につけることができていることの立証責任を果たすこと(さらには、一定の書記日本語力を身につけられた子とつけられなかった子の割合を隠さず示すこと)が専門家としての誠実さではなかろうか。
     そもそもいろいろな環境要素がある中で、その一要素であるコミュニケーション手段だけが聴覚障害児の健全な発達に際立って大きな要素であるという主張には無理があるのではないか。

     この本が出て3年が経過した。そろそろバイリンガル教育の実績を精緻に検証できる時期に来つつあるのではないか。その検証に立って、「本質主義」ではない冷静な観点からの分析が望まれる。(おそらく近い将来、バイリンガル教育を選択させられた子の書記日本語力獲得状況の惨状が隠し通せなくなり、こと書記日本語力に関する限り、著者の主張の破綻は誰の目にも明らかになろう。)
     この書物にある程度の主張が聾教育の一部で良識的な主張として通用している現状はいささか寂しいといわざるを得ない。
    19人のお客様がこれが役に立ったと考えています
    レポート
  • 2005年3月21日に日本でレビュー済み
    聴覚口話か対応手話か・はたまた日本手話かという教育手法にかかわる論争が混迷を極める昨今、ろう児にとって最も必要な力は日本語(とりわけ書記日本語)の力であるとする著者の出発点に共感を覚えます。もと哲学の学徒らしい緻密な論理展開で、なぜ聾児に日本語が大切かを説得力ある論法で説いています。
     障害認識のあり方と絡んで、現在ろう教育のパラダイムは揺らいでいますが、向かうべき方向に大きな変化はないのだと納得させられます。ただし、ろう児に対する日本語教育の現状は「危機的」であると著者は断じます。言葉は教えて育つものではないとする自然主義教育派や、聾児が真っ先に獲得すべき言語は手話であるとする手話一辺倒派に対しては厳しい評価を下しています。
     聾児が、社会的文化的経済的な資本としての日本語を十分なレベルまで習得していくためには、地道で息の長い学習活動が必要不可欠であること。また、それは学ぶ側と教える側の双方の継続的な意欲によって支えられること等が、厳しい現状に対する憂いとともに語られています。
     
     聾時・難聴児にかかわるすべての人にお勧めの本です。
    13人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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  • 2005年1月17日に日本でレビュー済み
    聴覚障害教育の問題点を辛口の論調で展開しているが、「だから、どうしたいのか」具体性に欠けていることがすごく残念である。著者は聞こえる人であり、ろう者の母国語である日本手話に精通しているわけではない。ろう者にとって日本手話は最も自然なコミュニケーション言語であるが、では日本語教育をどうするのか、明快な答えと実績を出していないから、無責任な批判書に終わっている。
    11人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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