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存在するとは別の仕方であるいは存在することの彼方へ 単行本 – 1990/7/1


登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 朝日出版社 (1990/7/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1990/7/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 480ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4255900310
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4255900315

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エマニュエル・レヴィナス
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上位レビュー、対象国: 日本

  • 2017年11月14日に日本でレビュー済み
    『全体性と無限』とともに、レヴィナスの代表作といわれている著作である。
    レヴィナスの思想は著作は当然のことながら、入門書や解説書を読んでも中々その内容理解に到達する
    のは難しい。
    レヴィナスは20世紀後半に大きく開花した「フランス現代思想」に入るが、どれも難解である「フランス現代
    思想」の中でも、ラカンと並んで特に難解な思想の部類に入ると思う。
     
    「フランス現代思想」といえば、フロイト=ラカンの「精神分析」と、ソシュールの「一般言語学講義」がその
    根底にあるのが普通だが、レヴィナスは「精神分析」も「ソシュール」も自分の思想には関係がないと言って
    いて、あくまでも「倫理学」を自分自身の第一哲学として「フッサールの現象学」と「ハイデガーの存在論」を
    ベースにして、「レヴィナス独自の倫理学」が語られていく。
    そうはいってもここが難しいところで、だからといって「現象学」と「存在論」に寄せてレヴィナスを理解しようと
    すると、読者は路頭に迷うことになる。
    「現象学」と「存在論」というのは、私達の外にある「自然世界」をどう理解するかという、「置き換えの方法」な
    のだが、レヴィナスの思想は「新たな価値観」の「産出」ということが主目的であり、これが『存在の彼方へ』を丸々
    一冊貫くことになる「テーマ」でもあるのだ。
    もっと極端な表現をすれば、本書におけるレヴィナスの目的は「真理の探求」ではなく、「今を生き、明日を迎
    える」ための「考え方の産出」であって、それは年齢を重ねることによって、若い時は沈黙してきた「ホロコースト」
    の問題と、ホロコーストを生き延びた人間として、いかにして「心の折り合い」をつけて「前進」するのかという
    切実な人生の問題が「倫理学」の体裁をとって語られているいく。
     
    本書の邦訳者である合田正人氏はレヴィナスの存命中に会って、長時間の対話をしている人物だが、合田氏はその時の
    レヴィナスの様子を「レヴィナスは私に思いっきり不自然なくらいに顔を接近させて何時間も話し込んだ」というように、
    レヴィナス自身にある種の「精神疾患」のような様子が伺われたことを、「現代思想・特集レヴィナス」においても語っ
    ている。
    もっといえば、レヴィナスには「乖離」の症状があり、それが「精神疾患」からなのか、「発達障害」からなのかは明
    らかでは無いが、間違いなく「症状」として確認されている。
    だからそういう症状をみせるレヴィナスは「駄目だ」という意味では全く無い、むしろ普通の人よりも「自分と世界」
    との間の距離が広かったために、それを穴埋めしようとレヴィナス自身が努力していた結果が、彼独自の思想として
    結実していると、私は勝手に解釈している。
     
    レヴィナスはユダヤ教徒だが、彼のタルムード解釈はタルムードに忠実というよりは、明らかにタルムードを超えた
    視点を提出しようとしている(レヴィナスの「タルムード講話」関連の著作を参照)。
    最後に色々な箇所から引用したい文章があったが、本書冒頭の全3頁に書かれた「前書き」から引用することにする。
     
     「登攀(とうはん)に伴う幾多の困難、その挫折と再開は本書のエクリチュールにも刻印されている。
      本書のエクリチュールはまた、探求者の息切れをも証示しているはずだ。」(本書・9頁)
     
    レヴィナスの本書執筆後における、極めて正直な感想が書かれていると思う。
    レヴィナス自身もかなりの努力をしたが、それでもどうしても「書ききれなかった」ことを吐露している。
    それが理解できれば、本書はかなり読みやすくなるように私には思えたのだが。
     
    翻訳の問題点は当然あると思うが、そもそも本書は原書で読んでも難解なのは変わらない。
    評価は、あくまでも本書の存在意義という観点から評価させていただきました。
    38人のお客様がこれが役に立ったと考えています
    レポート
  • 2024年1月31日に日本でレビュー済み
    存在(~である)から当為(~すべき)を導けるか否かについては山ほど議論があるが、導けないというのがどうやら定説のようだ。レヴィナスもそう考える。それでも人は倫理について語る。なぜ人を殺してはいけないか?レヴィナスの答はこうだ。なぜだかはわからない。だが殺すなという命令が聞こえる。その命令に否応もなしに(強迫されて)従がってしまうのが人間というものだ。以上。これだけを言うためにこんな分厚い本を書かないといけないのかと言いたくもなるが、レヴィナスの主張はほぼこれに尽きる。

    もちろん立ちどころに疑問が湧く。命令?誰が?何のために?俺にはそんな命令聞こえないけど....それに対する明確な答は本書にはない。じっと胸に手を当てれば聞こえる筈だと言わんばかりだ。だがレヴィナスはヒントを出す。想像してみよ、今まさに殺されようとする人の顔をお前は凝視できるか?その眼差しを正視して平気で銃を撃てるか?何やらご宣託のようだが異様な説得力がある。殺してはいけない理由などない、ただ私には殺せない。

    レヴィナスは倫理の基礎づけをあくまで拒否する。基礎づけとは概念による整除であり、人間とは斯々然々であるところのものであるという存在論を起点に倫理を導こうとする。だが人間を概念で覆い尽くすことはできない。概念による同一化から絶えずズレゆく差異を孕む無限なるもの、それが人間であり「他者」である。自己と隔絶した知解不能の「他」なるものだ(※)。しかし概念、つまり言葉とは元々「他者」に向けて発せられたものだ。ならばそこに立ち戻り「他者」に身を晒すこと、そして究極的には「他者」の「身代わり」となる責任を負うことが倫理であり、人間が言葉(意味)を持つことの意味、つまり「意味の意味」なのだ。

    と断定的に書いたが、これは拒否した筈の「人間とは斯々然々である」という存在論の語り口そのものではないか。前著『全体性と無限』に対してデリダはまさにこの点を突いた。本書は明らかにデリダの批判を意識している。レヴィナスが本書でとった方法は、概念への批判も概念でやる他ないという矛盾は避けられないが、同じことを繰り返し「語りなおす」(「前言撤回」という訳語もあるようだ)ことで、その極限に言いたいこと「X=(存在の彼方)」を指し示すというものだ。大著であるのはそのためだ。であればこそ紙面を灼き切る炎のような言葉が執拗なまでに幾重にも叩きつけられる。その文体は尋常な哲学書にはない力がある。哲学というより文学だ。本書の最大の魅力もそこにある。

    (※)ちなみに他者との相互理解どころか知解不能性をコミュニケーションの成立条件とするレヴィナスの考え方は特異だが、一面の真理を鋭く突いている。ミードの「シンボリック相互行為」やそれに着目したハーバーマスの「討議倫理」、また和辻哲郎の「間人主義」やブーバーの「我と汝」などが想定する予定調和的な世界を始めから断念している。レヴィナスの発想は盟友ブランショの「明かし得ぬ共同体」に通じるが、土地に根差す共同体から排除された異邦人としてのユダヤ性からくるのかも知れない(ブーバーもユダヤ人ではあるが....)。さらには倫理と理論理性を切り離したカントに共感しつつも、内なる格率に従う自律性に自由を見出したカントとは違い、レヴィナスが倫理の徹底した他律性に拘わるのもユダヤの神と不可分だろう。
    6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
    レポート
  • 2011年2月25日に日本でレビュー済み
    レヴィナスの哲学のことは、難しいので、意味はぜんぜん、わからないのですが、嵐のような、飲み込まれるような、文体が、とても、かっこいいです。死ぬまでに、何回も読むと思います。
    14人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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  • 2003年12月28日に日本でレビュー済み
    コミュニケーションの重要性と厳しさとがこの本から伝わってくる。安易に対話という言葉が用いられる今日において、大変意味深いものである。そもそも他者と関わることとは、人間が生きていくうえで避けられないことであり、またごくありふれたことでもある。しかし他者と関わるということは、決して生易しいことではなく、大変な覚悟が必要である。人と人との間には必ず暴力の生まれる可能性があるからである。相手にコンタクトをとることは、自らを危険に晒すことであるともいえる。人はこの暴力性と攻撃誘発性とを自覚しなければなるまい。相手に語りかけることの真摯さと難しさが伝わってくる。主体が他者によって形成されるといった議論もまた、示唆に富んでいる。
    確かに訳はよくない。拙い語学力で原書も読んでみたが、やはり困難であった。数ページ日本語にしてみたが、こなれない。そう意図された本なのだろう。しかし読んで欲しい。生きるとは他者とのかかわりの中で意味を成す(当たり前だね)と考えている私にとって、もっとも推したい本である。
    42人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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  • 2009年5月24日に日本でレビュー済み
    この書は超難解である。
    ある意味非常に哲学書らしい哲学書といえるだろう。
    本書において、他者に対する受動性が、繰り返し語られる。
    「内存在性の我執を超脱する」「みずからの口からパンを奪い、みずからの皮膚を贈与する」「他人のために身代わりになる一者」等の言葉により、倫理の根底を示そうともがいているようにみえる。ヒトは自分や身内を他人よりも大事にするのが当たり前のように感じられるが、実はそうではなく、私は他者や隣人の「身代わり」「人質」「従僕の臣従」であり、しかもそれは同情などではなく、さらに能作ですらなく、その「手前」にあるのだ。一読してみて、著者は難解な文章の隙間から読者にそのようなことを感じとらせようとしているのではないかと感じた。
    15人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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  • 2016年10月15日に日本でレビュー済み
    原書では、1頁に段落が一つしかなかったり、まったく段落がない頁もザラである。
    それを不便と思ってか、段落が勝手に作られているが、それはそれで原書とあわせて読むときに不便である。
    訳は、内容を読者に理解させるためにかなり補って書いてある。
    原書では、êtreという動詞(英語でいうbe動詞みたいなもの)が抜けた文章などがあるから、補足して訳してもらうことで一つの文として読むことができる。
    親切でありがたいことだが、訳者が挿入した箇所は〔〕などでくくって原書と区別してくれるとさらに親切だ。
    レヴィナスの著作のなかでもとりわけ難解とされる本書を、それも初期の段階で訳したことは評価されることだと思う。
    でもそろそろ改訂版出してほしいです。
    9人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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