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科学的発見のパターン (講談社学術文庫 744) 文庫 – 1986/6/1


本書は、物理理論が形成される際の推論の動き、物理学における法則命題の機能などを中心に、ニュートン・ケプラー・ガリレイなどの理論発見の史実を跡づけ、新たな科学理論が創成されるパターンを解明しようとするものである。物理学・科学史を土台として、それらの個別的知識にとどまらず、哲学的綜合を目ざした著者は、本書の全般にわたって仮説をいかに発見するかを分かりやすく検証する。新鮮な視覚で科学哲学の地平を拓いた名著。

商品の説明

著者について

【N・R・ハンソン】
1924年生まれ。アメリカの科学哲学者。カーティス音楽院出身の音楽家ながら第2次世界大戦中は戦闘機乗りとして活躍。戦後、シカゴ、コロンビア、オックスフォード各大学で哲学と物理学を学んだ。1957年以降、インディアナ大学哲学教授を務めたが、1967年没。
【村上陽一郎】
1936年東京生まれ。東京大学教養学部教養学科卒業。東京大学教授を経て、現在、国際基督教大学教授。学術文庫に『近代科学を超えて』『科学史の逆遠近法』『宇宙像の変遷』がある。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 講談社 (1986/6/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1986/6/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 417ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4061587447
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4061587441

著者について

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ノ−ウッド・R.ハンソン
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上位レビュー、対象国: 日本

  • 2019年3月4日に日本でレビュー済み
    Amazonで購入
    かつてRichard Feynmanが科学の哲学を評してこう言いました。
    “Philosophy of science is as useful to scientists as ornithology is to birds”.
    「科学哲学は鳥類学が鳥に役立つ程度にしか科学者に役立たない」(私訳)

    哲学者の科学論は科学を体験しない素人の思い込みにすぎない。そう感じる人は少なくないと思います。なるほど、素人の目にはそう映るのか。その程度の感想しかないと思います。せいぜい科学を知らない人文学者に科学的方法を説明する材料にしか使えない。権威者の言葉なら独力で科学とは何かを理解できない人文学者も納得するだろう。その程度にしか思われていなかったと思います。割と近いことを言っているけど、やはりピントを外しているな、と。

    しかし、この本は違います。知っていると思っていた科学の方法について気付かなかったことに気付かせてくれます。哲学者に反論する一方で科学者に反省を促します。日々の研究の中で当たり前だと思っていたことに違った角度から光を当てています。著者は"theory‐leadenness" という言葉で科学哲学の世界に新風を吹き込みました。科学者が観測する事実はその科学者がよって立つ理論の影響を受ける。地動説を唱えたKeplerが見る太陽は天動説を信奉する師のTycho Braheの見るものと同じでない。二人の網膜には同じ像が映り、二人がスケッチすれば同じ絵を描く。しかし二人の見るものは違う。Hansonは様々な例をあげてこのことを詳しく論じます。それがtheory‐leadennessです。

    哲学者たちの論ずる美しく理想化された科学の営みとは違う、現実の科学者たちが実際に行なう科学という行為をHansonは描き出します。鳥たちに役立つ鳥類学の誕生です。Karl Popperの反証主義は単純明快でわかりやすい。大まかにはそうでしょう。一律にそう言いきれるか。彼が否定した論理実証主義の旗手の一人のHans Reichenbachの本のほうが現実に近い。Popperに対抗すると科学哲学者たちがいうThomas KuhnのParadigm理論はそもそもParadigmとは何かが理解しにくい。Hansonを読んで初めて納得できる科学哲学者に出会ったと個人的に感じました。
    6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
    レポート
  • 2019年9月3日に日本でレビュー済み
    Amazonで購入
    理論負荷的事実に関する発想者だけに面白い内容である。
    3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
    レポート
  • 2008年3月23日に日本でレビュー済み
    過去の科学的発見を分析しながら、科学の本質的部分に迫る。
    その本質がどこにあるかは、「われわれの関心は、物理的な説明をどう与えるか、ではなく、それをどう見つけるかにあった」(p322)に集約されているだろう。

    ガリレオ、ケプラー、ニュートン、量子論などの発見の歴史が細かく書かれていて、読み物としても面白い。

    ガリレオは、これまでの固定観念、空間的数値ですべてが決まる、を脱して、落下速度は通過した距離ではなく、落下時間に比例することに気づいた。
    これは、最後まで空間にこだわったデカルトとの対比で書かれている。

    ケプラーは、ティコのデータから、一焦点軌道という固定観念を捨てて、楕円軌道に至った。
    間の卵型軌道の話はなかなか面白い。
    確かに二焦点軌道というのは直感に反するものだ。

    ケプラーの法則をより本質的な法則にまとめたのがニュートンだ。

    量子論は、粒子と波とが二項対立であるという固定観念が捨てられたときに導かれた。

    しかして、科学的発見で重要なのは、無数のデータや式から、うまい式や法則を導くことだ。
    特にケプラーやニュートンはそうだ。

    認識や事実、法則の位置づけなどの話もあって面白い。
    科学哲学だと、ポパー→ラカトシュとクーン→ファイヤアーベントの流れが主で、ハンソンはどうも取り残されているけど、結構いいこと書いていると思う。
    もっと注目されるべき。

    ひとつだけ問題点が
    「円の面積は、同じ長さの閉曲線によって囲まれる面積のなかで最大となる、ということは、それ以上説明を要しない。それは円の本質上そうなのである」(P199)とあるが、これは誤りである。
    同一の長さの閉曲線で囲まれる面積最大の図形が円であることは数学的に証明できる。
    面積最大の図形の存在を仮定すれば、高校数学程度でも証明は可能である。
    ここだけ玉にキズ。
    9人のお客様がこれが役に立ったと考えています
    レポート
  • 2006年12月2日に日本でレビュー済み
    本書は科学論の有名な古典だが、実在論対反実在論とか、相対主義と合理性という類の問題設定と無関係に読めるところがいい。著者は認識における感覚与件のような純粋に受動的な成分を否定した人として知られているが、より積極的に言って「行為」という能動的観点で貫徹している所が本書の特徴であり、優れた点だと思う。例えば「観察」というのは観察者の知識・経験・能力に支えられた行為だし、仮説の探求と発見とか「因果的説明」も同様の意味で行為である。そういった観点は「演繹や帰納で論理的に関係付けられた命題群」という科学像の対極にある。

    著者は、(極端に言うと)科学法則の論理的身分とか信頼性の根拠とか、そのような話は無視し、ケプラーやガリレオやニュートンや量子力学研究者たちが実際何を求め、何をしようとしていたかに注目する。彼らが行った探求とは、不可解な現象の中に理解可能なパターンを見出そうとする探索行為であり、科学の諸概念や法則はそういったパターンを顕在化するものである。(こうして新しく得た視界の中に次の課題が徐々に現れてくる、というのが科学の仕組みである)

    科学者はどういう根拠で諸法則を受け入れ信頼するのか。それは、現象を秩序付け記述する技術・道具としての切れ味が圧倒的にすばらしいから。それ以上にどんな理由が必要だろうか。ーーという著者の主張に共感した。そういうのは仮説発見と受容の心理学であり哲学ではないといわれればそうかもしれない。しかし「科学法則が本当に正しい保証」というような典型的な外側からの視点の限界を、本書を読んで強く感じた。

    なお、本書は基本的に個人中心の科学論であり、科学の社会的側面への関心に応えるものではない。
    15人のお客様がこれが役に立ったと考えています
    レポート