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街場の文体論 単行本(ソフトカバー) – 2012/7/14
購入オプションとあわせ買い
言語にとって愛とは何か?
全国民に捧げる、「届く言葉」の届け方。
30年におよぶ教師生活の最後の半年、著者が「これだけはわかっておいてほしい」と思うことを全身全霊傾け語った「クリエイティブ・ライティング」14講。
「アナグラム」「エクリチュール」「リーダビリティ」「宛て先」・・・・・・こうしたトピックを有機的に連関づけながら、「生きた言語とは何か」を探る。
「この本がたぶん文学と言語について、まとまったものを書く最後の機会になると思います。そういう気持ちもあって、「言いたいこと」を全部詰め込みました」(あとがきより)
「街場シリーズ」最高傑作、誕生!
- 本の長さ304ページ
- 言語日本語
- 出版社ミシマ社
- 発売日2012/7/14
- 寸法2 x 12.8 x 18.8 cm
- ISBN-104903908364
- ISBN-13978-4903908366
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商品の説明
著者について
著書に、『街場の現代思想』『街場のアメリカ論』(以上、文春文庫)、『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書・第6回小林秀雄賞受賞)、『日本辺境論』(新潮新書・2010年新書大賞受賞)、『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』(以上、ミシマ社)など多数。
第3回伊丹十三賞受賞。現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。
登録情報
- 出版社 : ミシマ社 (2012/7/14)
- 発売日 : 2012/7/14
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 304ページ
- ISBN-10 : 4903908364
- ISBN-13 : 978-4903908366
- 寸法 : 2 x 12.8 x 18.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 49,925位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 14,830位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
1950(昭和25)年東京都生まれ。東京大学文学部仏文科卒。現在、神戸女学院大学文学部総合文化学科教授。専門はフランス現代思想。ブログ「内田樹の研究室」を拠点に武道(合気道六段)、ユダヤ、教育、アメリカ、中国、メディアなど幅広いテーマを縦横無尽に論じて多くの読者を得ている。『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)で第六回小林秀雄賞受賞、『日本辺境論』(新潮新書)で第三回新書大賞を受賞。二〇一〇年七月より大阪市特別顧問に就任。近著に『沈む日本を愛せますか?』(高橋源一郎との共著、ロッキング・オン)、『もういちど村上春樹にご用心』(アルテスパブリッシング)、『武道的思考』(筑摩選書)、『街場のマンガ論』(小学館)、『おせっかい教育論』(鷲田清一他との共著、140B)、『街場のメディア論』(光文社新書)、『若者よ、マルクスを読もう』(石川康宏との共著、かもがわ出版)などがある。
カスタマーレビュー
お客様のご意見
お客様はこの小説について、以下のような評価をしています: 生活感あふれる身体性の有る世界観を蘇らせてくれます。比喩が巧みでメッセージが直に届き、響く体験ができると好評です。また、平明な語り口ながらも聴き応え抜群だと評価されています。 内容については、文学と言葉・思想について総括した類まれなる良書であり、著者の最高傑作であると評価されています。 文章についても、真剣に伝わるように書くこと、平明な語り口ながら聴き応え抜群であることなど、多くの読者が満足しています。
お客様の投稿に基づきAIで生成されたものです。カスタマーレビューは、お客様自身による感想や意見であり、Amazon.co.jpの見解を示すものではありません。
お客様はこの書籍について、生活感あふれる身体性の有る世界観を蘇らせてくれると評価しています。比喩が巧みでメッセージが直に届き、響く体験ができると好評です。また、内田樹の哲学や文体、そして優しい頼もしさを高く評価しています。一方で、ライブの政治話題になると突然全共闘が浮かび上がるという指摘もあります。
"...精神論になりがちですが、そのようなことは無く地に足が着いた身体に根差した講義で、それが余りに卓越していて、かなり遠くまで導いてくれています。比喩も巧みでメッセージが直に届きますし響く体験をすることが出来ると思います。" もっと読む
"内田樹は不思議な思想家である。哲学を語り文体を語る氏は優しく頼もしく映る。しかし、ライブの政治話題になると突然全共闘が浮かび上がってくる。そんな全共闘に憑りつかれた内田樹は見たくもないが、本書の内田樹は優しく頼もしい。なので本書は必読の書だと思う。" もっと読む
"生活感あふれる身体性の有る世界観を蘇らせてくれます。 読み易く、分かり易いので、是非娘(30歳2子)にもと購入しました。 早速他の「街場」シリーズに当たっています。" もっと読む
"...人は、自分と自分を見つめ、愛し関心を抱いているもう一人の自分の存在を意識しながら生きるとき、広く深く自分を生きることができ、また人を活かすことができることを気づかせてくれます。" もっと読む
お客様はこの書籍について、文学と言葉・思想を総括した類まれなる良書だと評価しています。著者の最高傑作として挙げられています。
"著者の大学での講義を一冊にまとめる「街場の」シリーズの完結編?として、評価の高い一冊。 今回の講義のテーマは、「クリエイティブ・ライティング」。メディア論と違って、いわば内田センセイの専門分野。 退官前最後の授業をまとめたということで、かなり専門的なトピックに彩られている。..." もっと読む
"文学と言葉・思想について、大学の最終講義で総括した類まれなる良書..." もっと読む
"必読の書です..." もっと読む
"常軌を逸した面白さ。著者の最高傑作!..." もっと読む
お客様はこの本の文章について、真剣に伝わるように書くことを高く評価しています。平明な語り口ながら聴き応えがあり、学生にもわかりやすく本を書くことができると好評です。また、言語の檻からの独創性や、考えさせる文章で大学生や高校生に適していると評価されています。
"...以下、印象に残った内容になります。 読み手を想像して、真剣に伝わるように書くこと。 読み切ってもらいたい。という思い。 自分の考え、思いの由来を説明できるように。 推敲、見直しは読み手を想像すること。 ・..." もっと読む
"生活感あふれる身体性の有る世界観を蘇らせてくれます。 読み易く、分かり易いので、是非娘(30歳2子)にもと購入しました。 早速他の「街場」シリーズに当たっています。" もっと読む
"...国語や社会の教員は結構授業などで使っている方が多いようです。 内田樹は、ご自身が教鞭を執ってこられたこともあって、学生にもわかりやすく本をお書きになります。また、常に読者に答えを与えるのではなく、考えさせる文章なので、大学生や高校生には、とても良いと思います。..." もっと読む
"...や表現とは何であり、特にそれによって他人に何かを伝えることとはいかなることか、その本質について理論的にも実践的にも懇切丁寧に語ってくれており、平明な語り口ながらも、聴き/読み応えは抜群である。..." もっと読む
お客様はこの小説について、エキサイティングで知的興奮の連続と楽しんで読んでいます。常軌を逸した面白さがあり、楽しく読めると評価しています。著者の最高傑作として高く評価されており、人生に広く深く自分を生きることができることを気づかせてくれると感じています。
"...最初に衷心から警告しておきたい。 それほどの常軌を逸した面白さ。スリリング。エキサイティング。知的興奮の連続……。 神戸女学院大学に21年間在職した名教授・内田樹氏の、最後の講義「クリエイティブ・ライティング」(全14講)をもとに書かれたのが、本書である。..." もっと読む
"予想よりきれいで痛みもなく、楽しんで読んでいます。内田さんの本と三島社に最近興味を持っています。" もっと読む
"...自分と自分を見つめ、愛し関心を抱いているもう一人の自分の存在を意識しながら生きるとき、広く深く自分を生きることができ、また人を活かすことができることを気づかせてくれます。" もっと読む
上位レビュー、対象国: 日本
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- 2018年3月11日に日本でレビュー済みAmazonで購入内田樹氏自身が後書で、文学と言葉・思想に関する最後の総まとめと述べていらっしゃいますが、「生成的な言葉・届く言葉とは何か」というテーマに対し、日本最高峰の文学者(夏目漱石・三島由紀夫・村上春樹)や思想家(吉本隆明)から、ロラン・バルトなどフランスの傑出した思想家たちに至るまで、幅広い切り口でその深淵まで文学と言葉や思想を語った神戸女学院での最終14講義を纏めた傑作です。
最後の解説で内田氏を深く知悉する編集者が、70冊以上ある氏の本の中で自身にとって特別な一冊である周りの少なくない方が意見を同じくすると述懐されていますが、『文学と言葉・思想』を情理を尽くして語った内田氏の言葉とその熱(愛)に深い感銘を受けました。
各講義から特に印象に残る言葉を以下にご紹介します。多くの方(特に文学者や芸術家)に読んで頂きたい、類まれなる優れた本です。
第1講 言葉にとって愛とは何か?
・「書く」ということの本質は「読み手に対する敬意(と愛)」に帰着する。それは実践的に言うと、「情理を尽くして語る(という態度は創造性の実質)」ということになります。
第2講 「言葉の檻」から「鉱脈」へ
・「大人になることの苦しみ」を癒し、支援するために、太古から人類は「アドレッセンス(少年期)の喪失の物語」を(人類学的な仕掛けとして)くりかえし語ってきた。1913年『ル・グラン・モース(アラン・フルニエ)』、1925年『ザ・グレート・ギャッツビー(スコット・フィッツジェラルド)』、1953年『ザ・ロング・グッドバイ(レイモンド・チャンドラー)』、1982年『羊をめぐる冒険(村上春樹)』
第3講 電子書籍と少女マンガリテラシー
・「愛されている本」というか、人々の輿望を担って、満を持して書店に並んでいる本には、何かにじみでるような力がある。僕らはみんな本との宿命的な出会いを求めていて、宿命的に出会う為には偶然の出会いである必要がある。
第4講 ソシュールとアナグラム
・アナグラム(文字を置き換えると別の意味が表出する)というのは、別の主体が、僕たちの知らない言語生成プロセスの深層で行っている営みの表出である、僕はそんなふうに思います。「縁の下のこびとさん」による言語の「下ごしらえ」です。
第5講 ストカスティックなプロセス
・「未来のある時点で、すでに仕事を終えている自分」という前未来的な幻想に同化しないと、「今なすべき仕事」ができない。人間の身体って、そういうふうに出来ているんです。針の穴に糸を通すのも、バイクでコーナリングするのも、どちらも「ストカスティック(=目的志向的に物事が生起すること)なプロセス」です。
第6講 世界性と翻訳について
・吉本隆明や江藤淳は、上の世代にも下の世代にも共有されることのない、彼らに固有の「(大東亜戦争の)トラウマ的体験」を、そのような文脈のうちに置けばその思想的意味を共通の資源にできるのか、という切迫した問いに答えようとしました。僕は、この主題は普遍性を持つチャンスがあったと思います。でも、なかった。それは吉本隆明の側の責任ではありません。本質的には世界的な思想だったけれど、世界各国の地域性がそれを受け容れるだけの成熟に達していなかった。そういう形で「翻訳されない」ということもあるんです。
第7講 エクリチュールと文化資本
・日本では、知的な階層差をつくりたくないという社会的な要請が「レベルの高い学術情報を摂取したい」という要求と同じくらいつよい。知的に非階層的な社会であって欲しいと願っている人が少なからず存在する。これはフランスでは感じられない傾向だと僕は思います。
第8講 エクリチュールと自由
・語法のあり方は社会状況のあり方とぴったり同期しているんです。フランスにおいては、「語法の檻」はただしく「社会の檻」として機能している。バルトにしてもブルデューにしても、そのような階層再生産のシステムを鮮やかに分析していながら、その分析を語る語法は「エリート限定」なんです。たぶん日本人だけだと思います、「むずかしすぎりよこれ」って文句を言うのは。これを本当に読まななければいけない読者にこれじゃ届かないじゃないか、って。いったい誰に宛てて書いているのか。これは非常に重要な問題だと思います。
第9講 「宛て先」について
・「メッセージの解釈の仕方を指示するメッセージ」であるメタ・メッセージのもっとも本質的な様態はそれが宛て先を持っているということです。聖書の創世記、主はアブラハムにメタ・メッセージを送ったのです。アブラハムは(息子を殺して生贄にしろという)主の言葉を理解したのではありません。主の言葉が彼には「届いた」のです。コンテンツは理解できないけど、(自分に宛てたメッセージとして)届いた。それがメタ・メッセージというものの本性だからです。
第10講 「生き延びるためのリテラシー」とテキスト
・移行期的混乱の中で君たちはこれから結婚して家庭をつくっていくことになるわけですけど、これからは「本当に新しいもの」をつくってゆかないと間に合わない。古い制度はもう賞味期限が切れていると思うんです。
第11講 鏡像と共―身体形成
・千里眼とか未来予知とか空中浮揚とか壁抜けとか、僕はそういうことができる人がいることを信じますけれど、ほとんどの人は信じない。でも、「信じられる」というのは、けっこうすごい能力じゃないかと僕は思うんです。ふつうの人は知識では説明できない出来事について聞くと、とりあえずは、「そんなことはありえない」という反応をする。それってちょっとつまらないと思いませんか。まずは「信じる」ところから入っちゃダメですかね。自分には思いがけない潜在能力があるかも知れないと思っていた方が潜在能力がブレークスルーを起こすチャンスが多いと思いませんか?
第12講 意味と身体
・外国語の学習というのは、本来、自分の種族には理解できない概念や、存在しない感情、知らない世界の見方を、他の言語集団から学ぶことなんです。本来、外国語というのは、自己表現のために学ぶものではないんです。自己を豊かにするために学ぶものなんです。自分を外部におしつけるためではなく、外部を自分のうちに取り込むために学ぶものなんです。言語は道具ではありません。金をかき集めたり、自分の地位や威信を押し上げたり、文化資本で身を飾ったりするための手段ではありません。そのような欲望の主体そのものを解体する、力動的で生成的な営みなんです。
第13講 クリシェと転がる檻
・母語の古典を浴びるように読む。それが自分の肉体に食い込んでくるまで読む。そうして身体化した定型は強い。母語の正則的な統辞法や修辞法や韻律の美しさや論理の鮮やかさを深く十分に内面化できた人にはどのような破格も許されるからです。破格や逸脱というのは、規則を熟知している人間にしかできない。悪魔は神学的には天使が堕落したものとされています。神とまったく関係のないところに悪魔が孤立的に生まれることはできません。というのは、神の定めたすべてのルールを完全に内面化していないと、あらゆる場合に神の意思の実現を妨げるという悪魔の仕事が果たせないからです。
・言語の冒涜は定型を十分に内面化できた人間だけに許される。その人がどんな言葉の組み合わせをしても、どんな新語をひねり出しても、どんな文法的破格を試みても、許される。だって「わかる」から。何が言いたいのか、わかる。そのような言葉の使い手になること、それがおそらく生成的な言葉と出会う唯一のチャンスではないか。僕にはそのように思われるのです。
第14講 リーダビリティと地下室
・明治の知識人たちの超人的な知的活動を駆動していたのは、競争優位に立って、「いい思い」をすることではありません。国を救わなければならないという切羽つまった義務感です。夏目漱石は英語、森鴎外はドイツ語、中江兆民はフランス語を短期的に習得して、信じられないくらいのレベルに達しました。でも、彼らはその言語能力を海外の制度文物の消化吸収と翻訳のために、ほとんどそれだけのために活用した。
・夏目漱石という人は東京帝国大学の英文学の教師でしたが、大学で英文学を講じていただけでは「もう間に合わない」と思い切ると、学校を辞めて、朝日新聞の社員になり、『虞美人草』を描き始めます。明治の青年に向かって、「人はいかに生きるべきか」を物語的な迂回を通じてですが、縷々説き聞かせた。『虞美人草』というんは通俗小説のように見えますけれど、驚くほど教訓的な物語です。漱石は『虞美人草』から始めたんだと僕は思います。若い日本人に向かって、君たちが教育を受けたのは、「託された仕事」があるからである。就学機会は贈与されたものなのだから、君たちには反対給付義務がある。それを社会に還元しなければならない。漱石はそう語ったのです。
・メタ・メッセージというのは、頭で作文するものではありません。どこから来るかというと、僕たちの深いところから来るものです。言語の表層ではなく、言語の魂(soul)から来る。「届く言葉」とは言葉にするとすごく簡単なのですが、「魂から出る言葉」「生身から出る言葉」ということです。そのような言葉だけが他者に届く。当たり前じゃないかと言われるかもしれませんが、「魂」というのは辞書的な定義とは随分違うものです。もっと力動的で、もっと生々しい生物的なものだと思います。見知らぬ他者の、死者たちの記憶が皆さんのなかでざわめいている。死者たちの記憶は消えない。ある種の波動のような形で残っていて、それが僕たちの「ソウル」をかたちづくり、そこから他者に届く言葉が不断に生成している。そういうことではないと思うのであります。
- 2014年6月13日に日本でレビュー済みAmazonで購入著者の大学での講義を一冊にまとめる「街場の」シリーズの完結編?として、評価の高い一冊。
今回の講義のテーマは、「クリエイティブ・ライティング」。メディア論と違って、いわば内田センセイの専門分野。
退官前最後の授業をまとめたということで、かなり専門的なトピックに彩られている。一言でまとめられるような中身ではないし、そもそも、一言でまとめられるような発言をすること自体を否定するのが、この本の趣旨でもあったりする。
この国の「文系エリート」の考えていることの一端が、明らかになる、という感じだろうか。
気になる点としては、まず、少女マンガ・宮崎駿・ディズニー映画など引用しながら、音楽や映像を「表現」する、プロではない若者たちに対する言及がないという点。
そして、ことばこそが人であるという呪縛。もう少し広い視点で捉えられないものだろうか。
ひょっとして、文章と言葉のプロとしての内田氏の経験と誇りが、特に「クリエイティブ」という価値を重んじるがゆえに、議論を、難しく、わかりにくく、してしまっていないか。
けして内田氏を非難するわけではない。力の入った専門分野であるがゆえに、「内田氏の広い教養が、現場に風穴をあける」という、他の著書のような「気持ちいい展開」にできなかったのであろう、と、私には思われるのである。
- 2016年4月29日に日本でレビュー済みAmazonで購入おそらく大学で、色々なことを講義されてきたと思うのですが、
その根幹となる内容が本書には、まとまっているように思われました。
以下、印象に残った内容になります。
読み手を想像して、真剣に伝わるように書くこと。
読み切ってもらいたい。という思い。
自分の考え、思いの由来を説明できるように。
推敲、見直しは読み手を想像すること。
・自分の中に色々なタイプの読者像を持っていること
それが読み易さに繋がる
・「他者に伝わる言葉」というのは、
要は「自分のなかにいる他者」に伝わる言葉のこと
・評価の檻
「何をしたらいいんですか?」と「何をしておいたらいいんですか?」の違い
平均超えれば、どうにかなれば。でやっていると、
どんどん能力は落ちていく。平均値は共犯的に落ちてく構造。
合格最低点。できるだけ頑張っていないことをアピールするのは、
学生のうちだけ。
・リーダブルでありながら、前代未聞のことを語る。
その意識が、文章の質を決める。
新しい事を書かないと、文章を書く意味はない。
ということを意識しながら、最後まで読ませることを意識する。
・自己限定して作品を作る。←読者の想定は絶対に必要な条件。
自分を遠くまで行かせる手段として、「書く」こと。
書いて読んで書いて…繰り返すことで、遠くまで。
オリジナルかどうかを問題にして、本当の意味で、
利益を得る人なんて、いない。
読者の側だと、パクリだと思うよりは、思わない方が、
作品から得られるものは増えるし、
作者の側も、たとえパクられていたとしても、
自分の考えを流通してくれる人がいる。って所で、
有り難く思っておけばいい。というわけで、
オリジナリティをどうこう言うのはあまり得策ではないはず。
- 2017年6月26日に日本でレビュー済み身につけたすべてを世のため人のために使う (p. 278)
文化の「架橋」者、すなわち啓蒙者には文化の輸入業者という蔑称がまとわりつくが、内田教授にかかると、およそ知識人たるものすべからく輸入業者たれ、ということになる。教授によれば日本文化は「外来のハイブロウな文化」と「土着の生活実感」の二重構造になっていて、 「象牙の塔」と日常生活を「架橋する」ことを「それなりに評価する文化的な文脈が日本にはある」 。[ハイブロウな文化は] しかし「平たく言えば」というパラフレーズをしないと、日本ではついに「机上の空論」で終わってしまう (p138)。ここに「架橋」者の出番がある。教授のことばを引こう。「できあいの「製品」だけ持ってきて、ぽんと置いただけなら、すぐに枯死してしまう。日本の文化的風土に根を下ろして、土着の文化と「ケミストリー」を起して、新しいものを生み出すということにならないと生き延びられない。輸入の作物が着床して、地場の作物と交配して、日本固有種が生まれるまで、面倒を見るという仕事を誰かがしないといけない」そして「こういう「ブリッジ」仕事って、日本という「辺境」の知的風土に固有のものじゃないか」いかにも諭吉・兆民の系譜を引くと密かに自負する啓蒙家内田教授に相応しい。文化の翻訳者たらんと一向にしないフランス語で学会発表する若手に対する教授の反感も宜なるかな。
- 2019年11月14日に日本でレビュー済みAmazonで購入今まで数多く出版された文章読本の中でも新しいタイプで文章の真髄を突いている一冊となっております。上から教授しているつもりが自分の手の内を明かし、自分自身の力量が露呈されるので、裸にされるようで作家の自己紹介のようで大変な講義だと思われますが、感動するほどの逸品ですのでただただ感謝です。精神論になりがちですが、そのようなことは無く地に足が着いた身体に根差した講義で、それが余りに卓越していて、かなり遠くまで導いてくれています。比喩も巧みでメッセージが直に届きますし響く体験をすることが出来ると思います。
- 2018年12月22日に日本でレビュー済みAmazonで購入内田樹は不思議な思想家である。哲学を語り文体を語る氏は優しく頼もしく映る。しかし、ライブの政治話題になると突然全共闘が浮かび上がってくる。そんな全共闘に憑りつかれた内田樹は見たくもないが、本書の内田樹は優しく頼もしい。なので本書は必読の書だと思う。
- 2017年7月24日に日本でレビュー済みAmazonで購入内田氏自身の意見はよく物事を洞察していて尊敬しますが
ほとんどのページでご自身の意見とは違う方々の悪口があちこちに書いてあって
読んでいるとどことなく苦しくなってしまい、最後まで読めませんでした。