たまたま大学のレポート課題で仮名遣いについて調べていたところ、この本に出合いました。
以前は「歴史的仮名遣い」こそが正しい日本の仮名遣いなんだろうと漠然と思っていたのですが、この本を読んでいくうちに、あくまでコミュニケーションの媒体としての仮名遣い、そして言葉遣いの重要性に気づかされました。長い間疑問に思っていた日本語の「発音」の問題に言及されており、文字が伝来する前に失われた発音、拗音、促音、「ん」の表記(「案内」は通常「あない」と読まれていたとされ、時代劇や時代小説などでは「アナイいたせ」と読まれていますが、実際には「ん」の仮名がなかったために割愛されているだけで「あんない」という発音で読まれていたのではないかなど)についてなど、今まで胸の内にあった疑問などがストン、ストンと解消されていきました。
また、学校などで習った国語の文法論の限界、定家仮名遣い、契沖仮名遣い、本居宣長などの歴史的功績、歴史的仮名遣いとは本当に正しい日本の仮名遣いであるのか、などに関しても言及されており、学校文法で凝り固まった私にとっては、まさに「目からうろこ」の内容ばかりでした。
この本を読んで、さらに日本人でよかった、日本語ってすごい、日本って素晴らしい国なんだなと自分が日本人であることにさらに誇りを持てました。
良い本に出合えて本当によかったです。著者の白石先生に感謝ですw
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かなづかい入門: 歴史的仮名遣VS現代仮名遣 (平凡社新書 426) 新書 – 2008/6/1
白石 良夫
(著)
- ISBN-104582854265
- ISBN-13978-4582854268
- 出版社平凡社
- 発売日2008/6/1
- 言語日本語
- 本の長さ238ページ
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登録情報
- 出版社 : 平凡社 (2008/6/1)
- 発売日 : 2008/6/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 238ページ
- ISBN-10 : 4582854265
- ISBN-13 : 978-4582854268
- Amazon 売れ筋ランキング: - 360,918位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 167位日本語の語源・歴史・方言
- - 338位平凡社新書
- - 1,602位日本語研究
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- 2012年4月29日に日本でレビュー済みAmazonで購入
- 2011年2月18日に日本でレビュー済みAmazonで購入元・文科省国語教科書検定官らしい「かなづかい」の解説本。
読み終わって、感じたのは太陽暦がいいのか、長年日本で遣ってきた太陽太陰暦の方がいいのか、という議論に似ている気がしました。もちろん、日常生活を送る上では太陽暦の方が便利に決まっている。でも生活感覚という点では旧暦にも分がある。でも、その旧暦も実は最後の改暦があった天保年間のもの。その後にシステムとして修正がないので、致命的な矛盾がもうすぐ顕在化してしまう。っていうような話。
上代特殊仮名遣の話から、定家仮名遣、契沖仮名遣と変遷を遂げてきた歴史を振り返る辺りは面目躍如。
文は本人が読むためのものであり、その時点での音韻を反映して表記されるのが一番自然という論理は理解できます。
閲覧とか、校訂という意識は、日本の国文学の上では、藤原定家の出現を待つしかなかった。しかもその作品が書かれた時点の音韻に立ち返って行う――筆者のいう「地動説」を知った人間の世界観、ということになるのですが。個人の仮名遣いと、遍く一般的に通用することを求められる「規範仮名遣」は性格が異なるものである、という説明はすこぶる理解できる。
ただ、後半になって戦後の新仮名遣いの辺りになると、結構、威圧的な感じの説明が増えてきます。
例えば丸谷才一。彼の文章は基本は旧仮名遣い。ただ漢字の音に関しては基本は新仮名。外来語の促音は小さく表記、とか自分のルールを明示していますが、その方が都合がいいようにも見えます。これらの考えを一切、簡単に表記できる、ということで片付けるのは如何かな、と思います。印刷物がかくも当たり前になり、それがWeb上でも通用するようになったのは、長い仮名遣いの歴史の中でもつい最近のことですから。
もし、入門的にこの方面の知見を広げたいと思うなら、中公新書の同筆者による「古語の謎」の方がデキがいいと思います。余り説教臭くないですから。
- 2020年9月21日に日本でレビュー済みAmazonで購入沖縄の言葉をどのように表記したらよいかを研究しているが、その参考書として使っています。
- 2010年10月11日に日本でレビュー済みAmazonで購入「かなづかい入門」となっているがかなづかいに関する最高水準の議論が展開されている。
世間には歴史的な仮名遣いに対する信奉者が多く、昭和21年に制定された現代仮名遣いに対する様々な非難ーいわく学問的に正当性がないとか、歴史と伝統を破壊する等という非難が行われている。これに対して著者は仮名遣いの変遷を説明する中で、多くの非難に根拠がないことを明らかにしていく。明治になって導入された歴史的仮名遣いは千年以上前に使われなくなった発音の区別を日常の文章を書くときに区別することを強要するという意味で時代錯誤な表記法であったと述べている。
芭蕉の奥の細道を記述するのには歴史的仮名遣いより現代仮名遣いの方が正しく記述できると言う事実などを指摘してあり、話は公平で説得力がある。
日本語に関心のある人にお勧めの一冊である。
- 2012年6月23日に日本でレビュー済み現役の文部科学賞の主任教科書調査官として許されざる書物だと
断定できる。
国語問題に関心があるむきは、「はじめに」を一読すれば良いだろう。
歴史的仮名遣いを守ったひとたちのうち、歴史的仮名遣の優秀性を
確信しているタイプでなければ、「習慣を変える労力を惜しんでい
るか、新しいことに飛び込んでいく勇気がない」と断定する。要するに
現代仮名遣いを推進する政府の現役官僚としてのポジショントークなの
だ。こういうタイプは「早晩、絶滅することになり、事実、すでに絶滅
したであろう」ともいう。
もう一つの「旧仮名遣に憧憬や郷愁をもつグループも、おおくは歴史的
仮名遣の優秀性がその動機になっているらしい」という。歴史的仮名遣が
優れていると論じる人々の思いは「憧憬や郷愁」に過ぎなく、それも「らしい」
という表現で侮蔑する。この著者は、歴史的仮名遣いを愛するひとびとを
意識的に嘲笑しているはずだし、もしその自覚がないとすれば能力を疑う。
また「言葉に自覚的な若者ほど、その(「一部の国語国文学者や一部の文化
人たち」の)権威に調伏されやすいから、実際に運用するかどうかは別に
して、歴史的仮名遣信仰者はあとを絶たない」といいきる。なぜここに
「調伏」や、歴史的仮名遣「信仰者」という挑発的表現を用いるのか?
一研究者であればなにもいわない。しかし、現役の官僚、教科書調査官
として、歴史的仮名遣を用いるものを一方的に嘲笑するというのは何事か?
現在の文部科学省は、一省員にこのような暴走を許し、放置するほど弛緩している
のか?弛緩していないとすれば、これ自体が文部科学省の意志なのか??
最後にもう一つ長いが引用する。
「ここであらかじめ断っておきたいことがある。それは本書でのわたしの
立場である。わたしは、歴史的仮名遣と現代仮名遣のどちらかに肩入れしよう
とするつもりは、ない。できるかぎり公平な立場でいたいと考える。
そして、公平な目で両者の優劣論争を見ていると、学問的根拠が武器として
もちだされたとき、マスコミや教育現場においては、現代仮名遣はいささか旗幟が
悪くなる、という思い込みがわたしにはある。」
意味不明である。公平な立場にたちたいが、現代仮名遣いが不当に扱われてる
「思い込み」が「わたしにはある」そうだ。著者の国語能力まで疑わしい。
ともかく、こういう本は引退してから書くべきだ。わが国は国民をゆとり
教育するだけでなく、行政自体がゆとりに陥っているのか。
この著者は、「文化人」「マスコミ」一般を思い込みで罵倒する。
第八章の題名は「伝統を捏造するな−文化人たちのノスタルジー」である。
こんな決めつけが現役官僚にゆるされてよいのか?文化人は真剣に対応を考える
べきである。
国語のありようは「国語審議会」が決めてゆく。おもてむきは「審議会」は
有識者の中立的な議論を行うようにしたてられているが、そのメンバーを構成するのは
事務方である官僚である。よって、官僚が特定のイデオロギーを持っている場合、
審議会の構成が中立になることはありえない。本来の官僚は、自分のそういう
イデオロギーを明らかにせず、内密にことを運ぶのであるが、文科省は、
教科書主任調査官にも関わらず、文化人、マスコミという抽象的なことばで罵倒するような
イデオロギッシュな官僚にこのような書物を書かせている(書いてもみのがしている)
のである。ゆとり教育の寺脇研もそうであったが、文科省には綱紀は
ないのか?
- 2008年9月3日に日本でレビュー済み「かなづかい」を考える入門書として、珠玉の出来だと思います!
言語の持つ宿命である「変化」(特に音韻変化)と「表記」との着地点を模索してきた歴史の概観は分かりやすく、とても勉強になりました。コペルニクス以後の考え方やものさしを、コペルニクス以前に用いないというアプローチで、定家仮名遣を読み解くあたりは圧巻です。
定家も契沖も宣長も、そして「現代かなづかい」&「現代仮名遣い」を整理した20世紀の国語学者たちも、永遠にすっきりとは線引きされることはないであろう、音韻「変化」と「表記」との着地点を悩み苦労して模索したのだと思うと、先人の知恵と努力に感謝です。おかげさまで、いまストレス少なく、日本語を表記しています。そして、そのことを教えてくれた筆者にも感謝です。
言語の変化を楽しんで分析したいと常日頃思っている私にとって、本当に楽しい1冊でした。
- 2013年3月27日に日本でレビュー済みAmazonで購入福田恒存著と読み比べて、仮名づかいを学んでいるところです。
現代仮名づかい、歴史的仮名遣いの長所、短所を考え合わせて、どちらも欠点があることがよくわかりました。まだ、研究中です。
文語といっても、中古と近世とは違うので、どのように処理すべきか迷います。
例えば、出る、の文語は「出づる」ですが、芭蕉には「出て(でて)」と使っている例があります。
俳句作家として考えてしまいます。誰か教えてください。