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数量化革命 単行本 – 2003/10/29


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ヨーロッパ帝国主義が成功をおさめたのはなぜか?理由の一つは、中世・ルネサンス期に、人びとの世界の捉え方や思考様式が、宗教的なものから普遍的・効率的なものへと変化していたことだと著書は言う。暦法、機械時計、地図、記数法、絵画の遠近法、楽譜、複式簿記……広範な分野で並行して起こった、数量化・視覚化という革命が跡づけてゆく西欧精神史。

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対象商品: 数量化革命
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商品の説明

内容(「MARC」データベースより)

数字、暦、機械時計、地図、貨幣、楽譜、遠近法、複式簿記…。ヨーロッパ帝国主義を成功に導いた、数量化・視覚化という世界観の革命。その変化を跡づけてゆく西欧精神史。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 紀伊国屋書店 (2003/10/29)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2003/10/29
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 352ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4314009500
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4314009508

カスタマーレビュー

星5つ中4.1つ
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心の考古学
星5つ中5つ
心の考古学
歴史学者の手による本だが、歴史学という呼び名には収まらない。西ヨーロッパ人が数量化・視覚化という手段を手にするまでの経緯を示した「認識史」とでも呼ぶべきものである。「心の考古学」と言ってもいい。具体的には、時間、空間、絵画、音楽、数学、会計が取り上げられている。これらの領域では、程度や様式の差異こそあれ、底流する認識的基盤そのものは歴史的に見て比較的静的なものに思えるだろう。しかし中世ヨーロッパの人々にとっては、現実世界は時と場所と立場によって差異のある不均質なものであり、数は単に量を表すものではなくそれ自身がある種の特殊性を持つものであった。時間も重さも何もかも正確に測られることはなかったし、その必要もなかったらしい。そうした世界観が、どのようにしてルネサンスや科学革命をもたらすにまで飛躍したのか。著者はそれを、信仰上・商業上の必要性と、神学におけるプラトンの再発見に求めている。中世は暗黒時代とよく言われるが、実際には行商人や両替商や神学者が、技術と数学の発達を伴いながら後の飛躍のための準備を着々と進めていた時代だったようだ。浅学ながら、複式簿記の発明者パチョーリは初めて知ったが、実践上の認識を発達させたという意味で、理念上の哲人であったアクィナスと並び称されていいのではないかと個人的に思う。今日、われわれが「西洋的」と称するものの見方は近代西ヨーロッパのそれであって、それ以前は東洋のそれと比べてもそう変わるものではなかったようだ。数百年後・数千年後に同種の本が著される時、未来人の目に現代人の認識はどのような面で奇妙に映るのだろうか。いずれにせよ、人間の認識の歴史的・文化的側面を知る上で貴重な資料である。
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上位レビュー、対象国: 日本

  • 2019年1月14日に日本でレビュー済み
    Amazonで購入
    本体3,200円
    目次
    第1部 数量化という革命ーー汎測量術(パンメトリー)の誕生
     第1章 数量化するということ 第2章 「敬うべきモデル」ーー旧来の世界像 第3章 「数量化」の加速 第4章 時間ーー機械時計と暦 第5章 空間ーー地図・海図と天文学 第6章 数学
    第2部 視覚化ーー革命の十分条件
     第7章 視覚化するということ 第8章 音楽 第9章 絵画 第10章 簿記
    第3部 エピローグ
     第11章 「新しいモデル」
    4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
    レポート
  • 2020年9月8日に日本でレビュー済み
    Amazonで購入
    時間・音・空間などの「見えないモノ・測れないモノ」を、人類がどのように「見えるモノ・測れるモノ」にし、「自分たちで管理できるモノ」にしていったかを丁寧に記した良書。
    「数量化」という視点で全世界に影響を与えた社会変化を知ることで、過去と現在の世界の捉え方の違いも知ることができる。
    4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
    レポート
  • 2014年9月4日に日本でレビュー済み
    Amazonで購入
    中世の西ヨーロッパで起こった「事象を数量化、視覚化する」という流れについて、さまざまなジャンルから解説している。時計の出現、遠近法と幾何学、音楽と比率、複式簿記の誕生など。今の「当たり前」が生まれる前から産声を上げてよちよち歩きをするまで多くの文献や資料をもとに書かれている。「数量化」という軸を見つけた著者がすごい。
    7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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  • 2016年9月3日に日本でレビュー済み
    なぜヨーロッパが近代化にいち早く成功したのか、というのは歴史家たちがいろいろと考えてきた難問だが、筆者はその一つの答えとして「数量化」を挙げる。
    それまでの定性的で言葉による議論が、定量的で数値化された議論へと移行するのが1250年から1350年の100年間だったと筆者は言う。
    この時期に時計(時間の数量化)と大砲(空間の数量化が背景にある)が作られ、海図や遠近法、簿記といった「状態の精密な可視化」が行われていく。
    音楽といった一見定量化と関係なさそうな領域においても、倍音のような理論や記譜法が出現するアルス・ノヴァの時代が訪れる。
    本書は、そういった時代に何が起きたのかをさまざまな記録を紐解きながら見ていく。

    数量化以前は、物の性質は「熱い/冷たい」「硬い/やわらかい」のような相反する性質のバランスとして理解されていた。
    数学は現実の記述というよりも理想的な存在(「太さのない線」など地球上には存在しない!)であり、また「7は完全な数」「40は生命を表す」のように数字は単なる量の指標ではなくそれ自体が神秘的な意味を持つものと認識されていた。
    こうした状況が覆されていくのは、旧来の聖書的世界観と、イスラム経由でヨーロッパに逆輸入されたアリストテレスの体系との不整合により、世界の確固たる理解を与える足場が揺るがされたことによる。
    この時期に大学が作られ、スコラ学者は知識収集と整理を行い(アルファベット順配列もこのとき作られた)、哲学的洞察も深めた。
    この時点では数量化はまだなされていなかったが、数量化の萌芽となり、また金銀の裏打ちのない貨幣経済への意向は計算への関心を促した。

    時間は、脱進機の発明によりとめどなく流れていくものから離散的な刻み幅へと転換された。
    空間は、地図が概念的な産物ではなく航海の基準となることにより、正確さを企図した測量や可視化法(メルカトル図法など)が作られていった。
    数字の記法も重要で、大きな数を書くには適さないローマ数字と貧弱な算盤は、アラビア数字へととってかわった。

    それと併せて重要な変化は、諸々の情報を視覚情報に置きなおす、というものであった。
    インクの普及以前は書く作業は非常に骨が折れるものであり、また単語同士の間に空白がなかったため読む作業も容易ではなかった。そしてそれらは朗読・音読を前提とするものであり、黙読の文化はこの時期に作られた。
    また、音楽における定量的楽譜や、絵画における遠近法、経済状況を記録する複式簿記の発明もまたその流れに位置付けられる。

    現在の視点から見るとあまりにも当たり前で、むしろ「数量化以前」を想像するのが難しいぐらいだが、それは逆に言えば、そこで経験した事実の革新性を物語っているだろう。
    事実館の横のつながりの記述はやや弱く、またヨーロッパ以外の議論がないので「中国にもこういうのってあったような・・・」などと思う個所はあるが、全体としては非常に興味深い情報を盛り込んでいる。
    「数値化」という当たり前の行為の源泉を見せてくれる良書である。
    6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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  • 2009年5月6日に日本でレビュー済み
    Amazonで購入
    歴史学者の手による本だが、歴史学という呼び名には収まらない。西ヨーロッパ人が数量化・視覚化という手段を手にするまでの経緯を示した「認識史」とでも呼ぶべきものである。「心の考古学」と言ってもいい。具体的には、時間、空間、絵画、音楽、数学、会計が取り上げられている。これらの領域では、程度や様式の差異こそあれ、底流する認識的基盤そのものは歴史的に見て比較的静的なものに思えるだろう。しかし中世ヨーロッパの人々にとっては、現実世界は時と場所と立場によって差異のある不均質なものであり、数は単に量を表すものではなくそれ自身がある種の特殊性を持つものであった。時間も重さも何もかも正確に測られることはなかったし、その必要もなかったらしい。

    そうした世界観が、どのようにしてルネサンスや科学革命をもたらすにまで飛躍したのか。著者はそれを、信仰上・商業上の必要性と、神学におけるプラトンの再発見に求めている。中世は暗黒時代とよく言われるが、実際には行商人や両替商や神学者が、技術と数学の発達を伴いながら後の飛躍のための準備を着々と進めていた時代だったようだ。浅学ながら、複式簿記の発明者パチョーリは初めて知ったが、実践上の認識を発達させたという意味で、理念上の哲人であったアクィナスと並び称されていいのではないかと個人的に思う。

    今日、われわれが「西洋的」と称するものの見方は近代西ヨーロッパのそれであって、それ以前は東洋のそれと比べてもそう変わるものではなかったようだ。数百年後・数千年後に同種の本が著される時、未来人の目に現代人の認識はどのような面で奇妙に映るのだろうか。いずれにせよ、人間の認識の歴史的・文化的側面を知る上で貴重な資料である。
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    5つ星のうち5.0 心の考古学
    2009年5月6日に日本でレビュー済み
    歴史学者の手による本だが、歴史学という呼び名には収まらない。西ヨーロッパ人が数量化・視覚化という手段を手にするまでの経緯を示した「認識史」とでも呼ぶべきものである。「心の考古学」と言ってもいい。具体的には、時間、空間、絵画、音楽、数学、会計が取り上げられている。これらの領域では、程度や様式の差異こそあれ、底流する認識的基盤そのものは歴史的に見て比較的静的なものに思えるだろう。しかし中世ヨーロッパの人々にとっては、現実世界は時と場所と立場によって差異のある不均質なものであり、数は単に量を表すものではなくそれ自身がある種の特殊性を持つものであった。時間も重さも何もかも正確に測られることはなかったし、その必要もなかったらしい。

    そうした世界観が、どのようにしてルネサンスや科学革命をもたらすにまで飛躍したのか。著者はそれを、信仰上・商業上の必要性と、神学におけるプラトンの再発見に求めている。中世は暗黒時代とよく言われるが、実際には行商人や両替商や神学者が、技術と数学の発達を伴いながら後の飛躍のための準備を着々と進めていた時代だったようだ。浅学ながら、複式簿記の発明者パチョーリは初めて知ったが、実践上の認識を発達させたという意味で、理念上の哲人であったアクィナスと並び称されていいのではないかと個人的に思う。

    今日、われわれが「西洋的」と称するものの見方は近代西ヨーロッパのそれであって、それ以前は東洋のそれと比べてもそう変わるものではなかったようだ。数百年後・数千年後に同種の本が著される時、未来人の目に現代人の認識はどのような面で奇妙に映るのだろうか。いずれにせよ、人間の認識の歴史的・文化的側面を知る上で貴重な資料である。
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    18人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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  • 2015年6月11日に日本でレビュー済み
     原著は1997年。著者は、歴史学者であり、翻訳当時(2003年)はすでに引退しており、大西洋の沖合いの島で暮らしていたとのことである。
     曰く・・・
     13世紀ごろは、宇宙の巨大さも人間の心を麻痺させるほどのスケールとはみなされていなかった。当時の西ヨーロッパの学者たちは、宇宙の大きさは人間の歩行という尺度で表現できる(程度)と考えていた。
     中世およびルネサンス期の西ヨーロッパ人は、プトレマイオスとアルキメデスを高く評価していたが、数量を正確に表現しようとする彼らの姿勢は受け継いでいない。ガラスや聖餐杯の作り方を示した説明書には数字はほとんど記載されておらず、やや多めに、とか、中くらいのサイズという表現で事足れりとされている。
     中世ヨーロッパ人は、数を書き記すときにはローマ数字を用いたが、計算するときにはこの記数法を使わず、計算盤(アバクス)を使っている。
     15世紀のあるフランス人は、ぬいぐるみ人形がワシになりたがるように、cifra(ゼロのこと)はきどって数のふりをしている、と書いている。ゼロを含めたインド・アラビア記数法をすみやかに採用したのは占星術師たち。西ヨーロッパ人は何世代にもわたってさまざまな記数法を併用し、インド・アラビア記数法になかなか全面降伏しなかった。英国大蔵省の会計簿からローマ数字が完全に消えたのは17世紀半ば。もっとも単純な演算記号+、-は、インド・アラビア数字よりもはるかに遅れてヨーロッパの算術に導入された。
     中世初期まで、単語と単語はほとんど、あるいは、まったく区切られていない。書き手は読みやすさなどおかまいなしに都合のよいところでスペースを空けていた。文章と文章、段落と段落も区切られておらず、句読法はないも同然。書くという行為はページ上で語ることにほかならなかった。知識人たちは通常は音読したり、文章を読み上げながら書いた。ぶつぶつ呟きながら書き、声高らかに朗読するのが常だった。修道院の写字室や図書館は騒々しいくらいだった。
     14世紀になると、新しい筆記体の書体が生み出され、単語の区切り記載や句読法が考案され、黙読という新しい読書様式が一般化した。
     みたいな話。
    3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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  • 2019年9月16日に日本でレビュー済み
    博覧強記になりたい人にとっては、必読書になると思います。という事で、キンドル本化リクエストボタンを沢山押してキンドル本にしてもらいましょう。
    4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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  • 2010年9月8日に日本でレビュー済み
     近代科学はなぜヨーロッパだけに生まれ、またなぜヨーロッパ帝国主義だけがグローバルな成功を収めたのかは、その覇権がいまだに世界的現実であり、オルタナティヴもしかと見出されていない以上、依然大きな問題です。
     本書はその答えを与える試みです。定性的・目的論的世界観から定量的・自然主義的世界観へのシフトが鍵で、それを駆動したのが数量化と視覚化だと。つまりは代数と幾何であって、数学の覇権の物語なのでした。数学そのものというより、技術と結びついた数理科学ですね。話題は豊富、筆致にはエスプリがあって、読ませます。日本の歴史家はどうしてこの種の本が書けないのでしょう。その左翼的な姿勢において山本義隆の16世紀文化革命論に共通するものがあるけれど、クロスビーのサーヴィス精神はずっと旺盛です。
     翻訳は流暢で、改めてこの訳者の力量には感心しますが、「セヴィリャ」とか「ディセグノ」といった誤記が玉に瑕です(「セビリャ」、「ディセーニョ」が正解)。
    3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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