カスタマーレビュー

  • 2016年5月18日に日本でレビュー済み
    セックスとは詰まるところなんなのか。
    それが知りたかった。

    二回読んで思ったのは、やっぱり「オジさんとオバさんの雑談(セックスあるある)」感が非常に強いと言うこと。
    世代の差もあるからか、素直に読めない部分が多かった。当てはまる部分が皆無では無いが、違うと思う部分がヤケに多い。
    全共闘世代とか戦後民主主義の申し子みたいな事を言われてもピンとこない。世代の事だから仕方ないのだろうけど。

    別に彼らのセックス観が間違ってるとは言わないが、各種考証が雑過ぎると思う。
    二村ヒトシは割と冷静にやれてるし、話を上手くコントロールしてる。僕は二村ヒトシの発言には肯定的だ。
    でもカルチャーを牽引してると言う湯山玲子が脱線させ過ぎ。そうじゃない、って思うんだよ。

    まず日本の家父長制とキリスト教圏の差の認識が微妙。
    ゴリゴリのバイブルベルトは、彼らが想定している日本の家父長制が課している役割とほぼ同質では無いか?
    そこから「日本のイエ制度は」と言う批判はやや的外れな気がする。例えばトランプの支持層ってそうなんじゃね?
    (まぁこのインタビュー時点ではトランプがここまでの勢力じゃ無かったけど。

    それに宗教をベースとして「性を楽しむ」のなんて立川教くらいじゃねぇの?世界では宗教が課する義務は女の性を楽にしてるの?
    とてもそうは思えないね。のっけから話がフワフワしてんだよな。
    それにどの時代でも不倫は家庭を崩壊させる理由になりえると思うが、いまの時代の風潮の所為にするのは違うだろ。

    それに俺はリビドーの鉾先が他のコンテンツである、と言う事をさして問題視してない。彼らにしてみりゃ不思議なのかな。
    恋愛やセックスの価値の低下ってのは、言ってしまえば恋愛至上主義のバブルが弾けただけだと思う。
    しかもそれって都会を主とした視点だよな。地方に於けるコンテンツの少なさ、ってあると思うんだけど。
    あと近年ロリコン系犯罪が多いってのも、露呈してるケースが多いってだけだろ。

    それにミソジニーを醸造してるのはメディアが出すアイドルやモデルのカルチャーが原因なんじゃないすかねー。
    世の男性(いわゆる「まなざし」)が悪い、みたいなのはスゲー納得いかない。
    でもまぁ、そのクソみてぇな日本でミソジニストになると、キモい非モテから言い寄られるかヤリチンにヤり捨てされるかの二択になると。
    男は男で競争のトップ集団にいない奴は同じくミソジニストになってる訳で、それまた同じような状況に置かれるわな。
    それは分かりたくねーけど、よーく分かる気がする。

    ただ、数を稼ぐ事を目標としているヤリチンってのは分からない。
    数と言うより、その行為によってしか自分の男性性を確認できない哀れな人間なら知ってるが、それは数の競争とは少し違うと思うんだよな。
    セックス出来ない他者と言う存在がいて初めて「セックス出来てる自分はまだマシだ」と言う理論(に見える存在が近くにいた)
    だから、数と言うよりはその相手の属性(巨乳か、女子高生かとか)がメインである気がする。
    数と言うより、支配出来る(または受け入れて貰える)対象の広さ、なんじゃねぇか?数じゃなくて、どんな女であったか、って話だと思う。

    セックスが共犯関係に近い行為、と言うのは面白いけど、どちらかの責任では無いって割と当然だよな。
    それともどうしたって責任取りたくねーのかな。
    俺は俺が今までしてきたセックスは共犯的行為であったと信じたいが……。
    ま、浮気とかだと裏切り行為であるその共犯関係そのものが一方的に裏切られる事もあるし、そうなると期待と言う事をしなくなるよな。
    それでも共犯は共犯なんだけど。

    テレキャノは見なきゃならないっぽい。
    一人で見ようと思う。

    本題。女を軽蔑する事が欲情のトリガーであるか?
    また、ヤル相手の女性のモノ化がエスカレートする、と言うのはホモソーシャル界隈で認められる為か。
    これに関しては棲息する文化圏の違いなんじゃない?としか思えない。少なくとも、俺はそこに棲息しないし、したくもない。
    春情そのものが支配欲だとされると、なんつーかもうどうして良いか分からない。
    「あなたの谷間に顔を埋めたい」がワガママであり、そのワガママを押し通す事が出来たなら、それは支配であろう。(バキかよ!
    でも、共犯行為であるなら、それは支配では無いんじゃないか?
    支配ってのは相手の意思を尊重していない行為なのであって、対等な共犯をも支配と呼ぶのだろうか?

    男がセックスをする動機(女性がセックスさせる動機)、と言う分類の仕方は、つまり長い間セックスが共犯行為では無いって事だし、それは「女たちの平和」の頃から「させてあげてる」ものなんだな。支配させてやっている、と。つまり共犯行為になり得てない、と。

    更にその女が馬鹿である事に欲情する、と言うのが分からない。
    マジで。
    馬鹿でない人の馬鹿な瞬間をキッカケに相手に興味は持つが、それで支配ポイントを見つけたとは思わないし、
    相手がその支配ポイントを起点としても、俺はその取り引きには応じられないし、応じたくない。
    支配、被支配の関係性が物語として有効なのか?それでいいの?マジで?そんなのばっかりなの?と言う疑念ばかりで分からないんだよなぁ。
    搾取する側される側、その二つでいいの?その物語すら嘘なんじゃねーの?物語は必要?

    承認欲求セックス。
    確かに、童貞処女の状態だと承認欲求セックス!ってのは分かる。それで救われた奴もいたろう。
    俺もそうだった。
    ただ童貞処女で無い状態でそれ、ってのは頭脳がマヌケ過ぎるんじゃねーの?いわゆる「精神が童貞(処女)」ってやつなのか。

    支配や暴力がセックスに必要だと言うのでは無く、「自分の存在意義、価値」が勃起に直結していると言う二村ヒトシの話は頷ける。
    でも彼らが語る欲情システムがあまり当て嵌らない気がして、何かモヤるんだよなぁ。

    マッドマックスの話が出てくるが、
    「確証のない夢の為にあの時代にあのハイレベルの安定を捨てて逃げた挙句に仲間の妊婦を死なせてしまったフュリオサ」が
    「マトモで勇気がある」と言う湯山玲子の判断はそれこそ正気だとは思えない。
    ただ二村ヒトシの「マックスがインポ説(侮辱や支配からの解脱)」は凄まじく説得力がある。

    AVの鑑賞に於いて、確かに男優の声は邪魔なんだけど、それでも「俺がその女優とヤってる感覚」を得る為に見てるわけじゃねぇからなぁ。
    そりゃ男優のタマキンが揺れる絵なんざ見たくねぇ。
    とは言え排除しまくったところで、実際に写り込んでいようといなかろうと、見ているのは他人のセックスな訳だし、その事実はどうやったって変えられない。

    AVがファンタジーである、と言う大前提があってこそ、その画面の中にある仮初めの支配被支配が楽しめるのであって、それを現実に持ち込もうとは思わないし、それを実行したいとも思わない。
    プレイとしての共犯行為でならアリだろうけど。あとファンタジーに於ける支配被支配を見る目的で見ているのに、レズ物みたいな支配被支配から逸脱した(まぁ絡んでる本人らの間には多少あるんだろうが)フェアなセックス、と言うのはあまり楽しくねぇんだよ。
    でもAV女優にペニバンつけてシゴかせたらハイになった、って話は割と好きだな。
    ただ、僕はAV女優たちのレズ絡みにペニバン出されてもシンクロ出来ないし、シンクロするポイントが乳首ぐらいしか無いんだよね。だからあまり面白く見られないんだ。

    確かに、男性は、少なくとも僕は「女としての物語を生きたい」とは思ってないんだと思う。
    それはガキの頃から「女の物語」に慣らされてないからだよな。それはそうだと思う。
    そう言う意味ではアナ雪(見てない)は革新的だったのか。ベルばら(ちゃんと読んでない)や、ウテナ(同)もそうだし。
    スレイヤーズ、レイアース、セーラームーン、まどまぎとかがあると思うが、
    じゃあそれらに接したところで「女の物語」を生きたいと思ってないよな。泣くのは「頑張る彼女ら」を見て泣くのであって、同調している訳じゃねぇし、どこまでいっても彼女らは女性であり俺は男なんだ。

    ただ、「主に泣いてます」はちょっと面白くて、あそこまでいくと「経験してみたさ」と言うのはある。
    それはモテ無双と言う面でもそうだし、彼女の物語はとても興味深いからだ。

    ちなみに、男は相手が女じゃないと興奮出来ないと言うのはウソだよな。
    完全な支配被支配(看守と囚人とか)の関係になった時に、相手が男でも興奮する。それが縦社会の図だしね。
    ただホモソーシャルの子供っぽさ、まぁ女子会も同じだけど、それに無自覚だと思われてんの?マジで?
    そして彼らは盛んに「男は女を人間として見ていない」と言うが、そうなの?すげぇ納得いかねぇ。
    そうでない奴の存在を俺が認識してないのかもな

    僕の中にも当然ながら女性に対する憎しみみたいなのはあるし、それ故に「それ」で支配したいとは思わない。
    むしろ俺自身をそこから解放してやりたい(または解放させて欲しい)し、対等でいられるならそれがベストなんだよ。
    ただ仮に僕がこの米粒ほどの知性を無くしてセックスした時に、
    果たして「支配被支配の関係ではない」と言えるセックスが出来るのだろうか。
    ただ、この過程は実証実験される事がないから無意味な仮定なんだけどさ。

    貨幣や経済は勃起(や射精)出来ない男が女に対抗する為に作ったシステム、ってのは面白かった。
    でもイケメンのインポとブサメンフル勃起のチョイスに於いて後者を選ぶ女は少ないと思うよ。

    比較されるからヤリマンが嫌だ、ってそれは処女厨の事じゃなかろうか。
    ヤリマンが嫌だと言うのは単純に節操がねぇとか、まぁ「ケガレ」の濃度の問題なんじゃないの?ヤリチンでも同じだと思うけどな。
    それにヤリチン、ヤリマンの問題ってのは単純に性欲が旺盛な事じゃなくて、方々で無責任にヤり散らかす事なんじゃないの?
    だから嫌われる。ちゃんと責任持ってヤり散らかして片付けるなら、文句をいう奴は激減すると思うよ。
    それは制度とかよりも、ヒトトシテの美意識の問題だろう。

    メンヘラのセックスがエロいかどうかの話しもしてるけど、ああ言うのって「あぁ、今何かをなぞったな」と思った瞬間にすごく興醒めする。
    こっちは興醒めしてるのを悟られない様にするけども、でもまぁそこら辺の演技はお互い様だよな。
    言いっこナシで、プロレスやろう。それはメンヘラ相手じゃなくてもそうだよな。

    この本の中に良く出てくる「母親との関係」は割と当てはまっていて、
    実際に娘をコントロールしようとして揃ってメンがヘラ気味になったケースを知っていたり、
    僕は僕で最近になって僕に対する母のコントロールや愛(それらも、ごく一般的なレベルだと思うけど)と言うものを気持ち悪がっている節がある。
    また、「馬鹿な美人」に欲情しかける自分がとても嫌だ。
    その根源は同種であると思われる父親に対するヘイトであり、ただそれは父親に対する尊敬の念とは別のものだ。
    努めて、僕はその人の能力や頭脳に勃起したいと思うが、どうもそれでも一般よりは面喰いらしいので、それがまたミソジニーっぽくなる原因なんじゃないかと思う。

    また僕の男性性(この本で言われる支配欲)みたいなものに対する憎しみは、そのまま父親に対する憎悪なので、
    だから僕は必死に支配被支配からの脱出を求めている。支配したくもないし、支配せずに済むならそれが良い。
    支配させないでくれ、だから僕と同程度の人間でないと困るんだ。
    彼らの教育論はどうでもいいが、湯山玲子の言う憎まれ役に自分の父親が(恐らく天然で)なっていた、と言うのは大きいのかも知れない。

    彼らの言う「現代の若者」であるところの僕は、親が生き直しをさせようとしているのかは不明だが、
    父を基本として尊敬出来る部分は学習し、尚且つ自分が楽をしたいのならコピーせず、母親の嫌がるポイントは継承しない、
    と言う手法を取っている。
    間違わない為、と言えばそれまでだが。

    女性に対する憎しみ、を更に考えると「俺が割を喰ってる」「俺がお前らに比べて金銭的社会的に損をしている」とかじゃねぇと思うんだよ。
    自信の無さから出る「相手が何を見ているか分からない」部分、未知に対する畏怖に近いんじゃなかろうか。
    畏怖、疑念、なんかは憎悪に直結しやすいしさ。つまり俺のそれはそう言う事なんだけどね。
    存在そのものが未知であり、恐怖であり、だから憎悪の対象なんだよ。
    そう言う意味では、下手をすると俺は俺以外の人間全てが憎いしね。
    それに実際、こちらは「女性が何か怒ってんな」と言うのは分かる。
    こちらの憎悪(恐怖や不信)はそれに対するカウンターでもあるのだろう、とは思う。
    あくまで一方的に憎まれない為の、と言う意味でね。

    ただ、「だからモテる男はセックスで相手を侮辱してコンプを解消し、非モテはネトウヨになる」ってのは飛躍してる気がして納得出来ない。

    感情の話にしても、感情的になった方が良いみたいな事を言うが、もうそうでは無いんじゃね?
    すでに切り捨て御免の時代では無いし、マウンティングマザーファッカーといちいち喧嘩してる暇も余裕もねぇから怒らなくなり、
    泣いたり笑ったりしなくなっていった。一種の生存戦略になった。
    むしろ感情的な人物(すぐ泣く、キレる)は扱い辛く、集団行動に適さないとされている。
    そう訓練された挙げ句の果てに、感情的になった方が良いとは何事だ。
    その感情の露呈がネットになってる、と言う湯山玲子の指摘は間違いじゃないとは思う。現在の炎上なんてのはそれだよな。
    まぁ、それでしか無いから一過性だし、気にしないで良いと言えばそれまでだ。
    その感情の束縛については湯山玲子も指摘しているが、じゃあその場でキレて何か解決するのか?って話なんだよ。
    重要なのは事態の改善であって、「傷つけられました、怒ってます」じゃないと思う。
    つまり、個の意思より集団の生存が重要だから個を殺す訳だろ?グローバルスタンダードがどうかは関係ない。
    そこで個を殺したからって死ぬ奴は何をしたって死ぬ。

    あとは「空気を読む」って言う文化があるじゃない。
    アングロサクソンは本当に空気が読めないのが多いから、個の意思をガンガン出す訳だ。
    比べて日本は、雰囲気で察して何かをするって文化が良くも悪くも尊重されてる。
    相手に気を使わせない、ってのもあるよな。
    そう言う部分で、怒りだとかの感情(ここでは主に怒りが主題とされてる)を仕舞う事が多いんじゃないかな。
    ヨロコビに関しても、だらしなくニヤニヤ喜んでるのは美しくないとされる文化だし、それも良し悪しあるんだからさ。

    性欲のスイッチの話
    「女性も性欲があって当たり前なんだ」が成立すると性は恥でなくなる、と湯山玲子は言っているが、
    それでも男女ともに基本的に性欲はオープンにするものでは無いという感覚で、そんなに間違いじゃないと思うがね。
    当たり前だから露呈して青姦して良い、ってのは違うだろ?当たり前であっても人様に見せないで良いものは見せないで良い。
    何がなんでも隠匿せよ、って話とは違くて、そこに、実に日本臭い「恥」と言う概念があるから面白いんじゃないのかね。

    だから中吊り広告なんてのは単なる下品な存在でしかない訳じゃん。
    性欲はあって当たり前だが、それでも何となく恥じらうもの、
    と言う捉え方を何でこうも「オープンに!欧米は!」みたいな言い方しか出来ないんだ湯山玲子!!

    精神的ロックの解除方法については、何にしても喋ってて馬鹿でない事が確認できたら勃起するよね。
    俺が気を使わずに俺と普通に喋れたら、俺はお前に勃起するよ。
    あと湯山玲子は、海外は集団で酔ってその中でヤっちゃうのは良くて日本だとダメみたいな事を言ってるのでムカつくんですよ。
    欧米は欧米はって。海外コンプ強すぎるんだよ。相手が日本人だからダメとか馬鹿なんじゃねぇの?

    恐れ多くも、俺はお前(湯山玲子じゃない、美しい君だ)で勃起するが、例え恋人関係にあっても勃起してんのは何となく恥ずかしいぞ。
    それを何だ、「性欲ウェーイ!」ってやれってか。馬鹿を言うんじゃない。
    いまさらカマトトぶりたくもねぇが、そんな馬鹿な真似もできないし、美しくねぇだろ。
    それでインポになって死ぬと言うのなら俺はそっちを選ぶ。死んでやる。
    (見よ、この実に日本武道ブンガク青年らしい怒りを!湘南の海辺なら5秒と保たずに死ぬぞ!行った事ないけど!)

    俺は侮辱で勃起して、その勃起でセックスしたくないんだよ。
    俺はお前に、お前の肉体や知性に、その存在にきちんと欲情して勃起したいし、その勃起でお前とセックスがしたいんだ。
    俺はお前の欠損のある(単純に完璧でないと言う意味の)肉体や知性に可能性や魅力を感じて、勃起するんだよ。

    セックスの前に話をしよう。まずはそれからだ。僕は支配したくないし、されたくもない。
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