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インターナショナル・コンペティション

審査員
黒木和雄


- ●ひとつの場所ひとつの時代(審査員の言葉)

 この7月のはじめ炎天下の西浅草は雷門近くの寺に喪服の初老の男たちが集まった。その中に「青の会」のメンバーもいる。新宿歌舞伎町の酒場ナルシスのおかみの葬儀である。88歳の大往生であった。私たちがその店に出入りするようになったのは半世紀近い前のことだ。はじまりは助監督だった土本典昭がキャメラマンの瀬川順一に連れられて入った。それからあとはいもづる式で私と東陽一、鈴木達夫、大津幸四郎、岩佐壽弥、小川紳介と続いた。神保町で仕事が終わると連日のように夜はこの酒場にたむろした。美貌で勝気のおかみは戦後すぐの焼跡に店をひらいた。若き日の野間宏、井上光晴、埴谷雄高といった文学者のたまり場で知られていた。私たち映画人は狭い店内の片隅で気炎をあげる新参者だった。思えば貧乏な映画青年たちがよく飲めたものだ。これもひとえに商売抜きの寛大なおかみの慈悲心なくしては考えられない。葬儀の後の話題もゲルピンで飲めた不可思議についてだった。岩波映画退社後もこの酒場を拠点にして「青の会」は続けられた。そして日によっては貸し切りで昼から会議をひらいた。宮島義勇が、亀井文夫が、そして松川八洲雄、松本俊夫たちもときに顔をみせた。このナルシスから『とべない沈黙』、『圧殺の森』、そして水俣のシリーズが生まれたといってもけっして過言ではない。

 50年から60年代にかけてドキュメンタリー作家たちの群像はこの店でクロスオーバーしている。いまの若い作家たちはどこにたむろしてみずからの野心を磨いているのか。そんなことを思いながらひさしぶりに再会した旧友たちは浅草の夏の雑踏のなかに消えていった。仲間だった小川紳介と藤江孝はすでにいない。


黒木和雄

1930年三重県松坂市生まれ。1954年より岩波映画製作所演出部で助監督を務め、1957年監督デビュー、『わが愛北海道』(1993年本映画祭で上映)などを発表し、1962年にフリーに。1965年に『とべない沈黙』で劇映画デビュー。1970年代のATGを代表する監督のひとりとして『竜馬暗殺』(1974)、『祭りの準備』(1975)などで高い評価を受ける。1990年『浪人街』を発表後、2000年に10年ぶりの新作『スリ』が絶賛を浴びる。新作『KIRISHIMA 1945』を準備中。


キューバの恋人

A Cuban Lover
- 日本、キューバ/1969/日本語、スペイン語/モノクロ/35mm/101分

監督・編集:黒木和雄
脚本:長谷川四郎、阿部博久、加藤一郎、黒木和雄
撮影:鈴木達夫
録音:加藤一郎
音楽:松村禎三
製作:土本典昭、浅野龍麿、オルランド・デラウェルタ
出演:津川雅彦、ジュリー・プラセンシア
製作:黒木プロダクション、キューバ国立映画芸術協会

60年代後半、カストロ革命政権下のキューバで、キューバと日本の人民の連帯を呼び掛けて製作された作品。津川雅彦演じる日本人青年とキューバ人女性の民族を超えた恋愛を通して、映画は当時のキューバをドキュメンタリー的に発見していく。黒木の独創的な劇映画作家としての出発点になった作品と言えよう。



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