2004.05.27
誤字等No.076
Google検索結果 2004/05/27 責任追求:3,550件
日本人は、「責任追及」にこだわります。
何か不祥事が起きるたびに、マスメディアも、「識者」とやらも、「責任者」を探して追いつめることに夢中になります。
誰かに「責任」をかぶせることさえできれば、第一の目的は達成です。
マスメディアは「責任者」を攻撃し続け、自らの「正義感」を満たします。
結局、「責任者」は「辞任」などの形で「責任を取る」ことを余儀なくされます。
その時点で、問題は「解決した」ことにされてしまいます。
「真の原因」は省みられることなく、そのまま忘れ去られます。
そして当然のごとく、やがて問題は再発します。
こんな日本社会の歪みを象徴する誤字等とも言えるのが、「責任追求」です。
「追求」とは、文字通り「追い求める」こと。
「責任追求」を逐字解釈すれば、その意味は「責任者を探す」ことに他なりません。
本来、責任とは「追及」するもの。
手を緩めることなく、どこまでも問い詰めるものです。
しかし、それ以前にまず「攻撃をぶつけるべき対象」が見つからないことには、議論が始まらない。
だから、「追及」の前に、まず「追求」がある。
そして「責任者」さえ見つかれば、もう問題は解決したも同じ。
そんな考え方が、この言葉の中に如実に現れてしまっているような気がします。
忘れてはならないのは、「責任を明らかにする」ことと「原因を明らかにする」ことが、全くの別物であるということです。
「追求」よりも重要であり、真に求められるべきものは、「深く考え、明らかにする」という意味の「追究」です。
「原因追究」と「責任追及」を取り違えている限り、再発防止など望むことはできません。
「責任者」が代わるだけで、結局は同じ不祥事を繰り返すことになります。
マスメディアが「責任者の追求」を続けるのは、情報の受け手である一般人に、それを求める思想があるからとも考えられます。
だとすると、報道に際して「責任」に言及することは、むしろ「有害」となります。
「真の原因」から人々の目を遠ざけることで、火種をくすぶらせ続けることになるからです。
もしも、マスメディアが真の意味で自らの「存在価値」を手に入れたいのなら。
「誰が」という質問をあえて封印し、「何故」に徹することが、その手段となるのではないでしょうか。
…と、なにやら偉そうな主張を並べてしまいましたが、無論、「責任追求」は単なる誤変換です。
書いている本人の多くが、「責任追求」と「責任追及」という「表記の違い」に気づいてさえいないことでしょう。
単に、同音異義語の存在が認識されていないだけ、とも言えます。
「責任追求」という誤字自体に、深い意味などありません。
しかし、「言い得て妙」と感じたことも、あながち的外れではないと思いませんか?
日本人とは、かくも「誤変換」に弱いのでしょうか。
このような「誤変換」が原因と思われる誤字等の品種を、「誤変科(ごへんか)」と命名しました。
責任追究:111件
原因追求:6,880件
真理の追及:41件
理想の追及:18件