7th
『大言海』の「サンタクロオス」
0 はじめに
『大言海』(昭和7年~12年)の「サンタクロオス」の項を以下に引用する。
サンタ-クロオス (名) 〔英語、Santa Claus.〕歐米ノ俗説ニ、耶蘇降誕祭ノ前夜、煙突ヨリ下リ來タリテ、兒女ノ沓、又ハ沓下ノ中ニ、種種ノ贈物ヲ入レテ去ルト云フ、不思議ナル老人ノ稱。
本項の記述での、「不思議ナル」といふ評価的な形容は、おそらく現行の国語辞書にはみられないたぐひのものだらう(事実、のちに大槻茂雄により改修された『新言海』(昭和34年)においては削られてゐる)。
この「サンタクロオス」は、『言海』では立項されてをらず、『大言海』への改編にあたつて増補されたものであり、このやうな記述も大槻文彦他の改編者によつてなされたものと、ひとまづは考へられるところであるが、たとへば、一関市博物館蔵の「大言海底稿」といふ「メモ的な原稿」には「興味を持った言葉が掲載されている新聞の切り抜きが貼り込まれて」ゐることがあり、「レシピが書かれた「ライスカレエ」の記事はその好例で、出版成った『大言海』では、そのレシピが解説の多くを占めている」といふ(http://www.museum.city.ichinoseki.iwate.jp/icm/02collection/det37.html)。同様のことが、本項の場合にもありうるのではないだらうか(『大言海』への改編における外来語については、ほかに、犬飼守薫「『日本辞書言海』から『大言海』へ(十一) : 増訂言海の初期作成原稿に見られる外来語項目の記述」〔椙山女学園大学研究論集第30号(人文科学篇)1999〕があるが、増補の材原についてはふれるところがない。また、山田忠雄述『近代国語辞書の歩み : その摸倣と創意と 上』〔三省堂、1981〕には、増補にあたつて『大日本国語辞典』を利用したことが推測されてゐるが、『大日本国語辞典』には「サンタクロース」は立項されてゐない)。
本稿では、新語辞典類を調査することにより、この点を確認することをこころみた。
1 調査
1.1 対象
松井栄一・曾根博義・大屋幸世編『近代用語の辞典集成』(全41巻、大空社)に収録する新語辞典類の「サンタクロース」の項を悉皆調査する。
1.2 結果
上記のやうな調査をおこなつたところ、「サンタクロース」は以下の23種の辞典に立項されていた。刊行年代順に列挙する。
①『文学新語小辞典』(大正2年10月、集成〔以下略〕26巻)
サンタ・クローズ 兒童を愛する不思議の老翁でクリスマスの前夜兒童の睡つてゐる中に土産物を持來ると云ふ。Santa Claus,(英)
②『外来語辞典』(大正3年2月、25巻)
サンタ・クローズ (Santa Claus)[英] 歐米の俗説に兒童を愛護する不可思議の老爺クリマスの前夜窓より入り來りて兒童の靴又は靴下の中に種々の贈物を入れ置くを稱せらる。
③『新文学辞典』(大正7年3月、27巻)
サンタ・クローズ〔Santa claus〕 歐・米の俗説に、兒童を愛護すといふ不思議の老翁。クリスマスの前夜、兒童、靴足袋を其家の煙突の附近にかけ置けば、兒童の睡眠中煙突より降下し、土産物を其靴下袋の中に入れ置き、又惡戯する兒童には鞭を贈ることありといふ。
④『現代新語辞典』(大正8年2月、1巻)
サンタ・クロース(Santa claus)
基督教で、クリスマスの前夜子供の睡つてゐる時に土産物を靴下に入れて持つて來ると傳へられてゐる老翁。
⑤『訂正増補新らしい言葉の字引』(大正8年3月、2巻)
【サンタ・クロース】Santa Claus (英) クリスマス(其項參照)の夜煙突から入つて來ると傳へられる老翁。小供らの寢てゐる隙にクリスマス・プレゼント(其項參照)を新しい靴下の中に入れておいて呉れると言つて、基督教國の小供等には喜ばれてゐる。米國最近の某雜誌に依れは、昔は翁は煙突から入つて來たが、今は文明になつた爲めエレベーターでやつて來るといふ繪を掲げて讀者を笑はせてゐた。
⑥『大増補改版新しい言葉の字引』(大正14年3月、3巻)
【サンタ・クロース】Santa Claus (英) クリスマス(其項參照)の夜煙突から入つて來ると傳へられる老翁。子供らの寢てゐる隙にクリスマス・プレゼント(其項參照)を新しい靴下の中に入れておいて呉れると言つて、基督教國の子供等には喜ばれてゐる。米國最近の某雜誌に依れば、昔は翁は煙突から入つて來たが、今は文明になつた爲めエレヴェーター(其項參照)でやつて來るといふ繪を掲げて讀者を笑はせてゐた。
⑦『模範新語・通語大辞典』(大正8年5月、4巻)
【サンタクロース】西洋の家庭に於ては、クリスマス(其項參照)の前夜、おとなしく寢んで居ると、其晩の中にサンタクロースのお爺さんが何處からかやつて來て、そつとお土産(クリスマスの贈物)を枕許に置いて行くと云ひ傳ふ。サンタクロースは北歐羅巴の仙人の名なりと。
⑧『現代日用新語辞典』(大正9年2月、5巻)
さんたくろーず〔Santa claus 英〕歐米の俗説に兒童を愛護するといふ老翁であつて、クリスマスの前夜に兒童が靴下を其の家の煙突の附近にかけ置くときは、其の兒童の眠つてゐる中に煙突より降りて來て、靴下の中へ種々の土産物を入れて置き、又、常に惡い事をして居る兒童には鞭を入れて置くといふ。
⑨『秘密辞典』(大正9年6月、38巻)
【さんたくろーず 英Santa-claus】 西洋の俗説にくりすますの前夜兒童の枕頭に贈物するといふ老翁。
⑩『新しき用語の泉』(大正11年12月、6巻)
【サンタ・クローズ】Santa-Claus(英) 歐米の俗説に子供を愛護するといふ不思議なお爺さん。クリスマスの前夜、子供が、靴足袋を其の家の煙突の附近にかけて置くと、子供らの寢てゐる中に煙突から降りて來て、種々の贈物をその靴足袋の中に入れて置くと云ふ。クリスマス及びクリスマス・プレゼントの項參照。
⑪『英語から生れた新しい現代語辞典』(大正14年1月、7巻)
サンタクローズ(Santa Claus) クリスマスの夜煙突から入つて來ると傳へられるお爺さん。子供らの寢てゐる隙にクリスマス・プレゼントを新しい靴下の中に入れておいて呉れると言つて基督教國の小供等には喜ばれてゐる。
⑫『最新現代用語辞典』(大正14年5月、8巻)
サンタ・クロース(英)Santa Claus クリスマスの夜煙突から入つて來て寢て居る子供等の枕許に種々の土産を持つてくると傳へられてゐる老翁。
⑬『音引正解近代新用語辞典』(昭和3年1月、9巻)
サンタ、クロース(Santa claus 英) 「クリスマス」(その項參照)の前夜家の煙突から入つて來て子供の寢てゐる間に靴下の中に「クリスマス。プレゼント」(その項參照)を入れて置いてくれると云ふ老翁を云ふ。「クリスマス」の項參照。
⑭『新しい時代語の字引』(昭和3年6月、10巻)
サンタクロース 英語の Santa claus. 耶蘇降誕祭の夜に、煙突から入つて來て、子供等の寢てゐる隙に、クリスマス・プレゼント(贈物)を新しい靴下の中に入れておいてゆくお爺さん。(勿論これは父親が夜そっとするのだが)但し一年中兩親のいふことを聞かずにあばれる虚言兒には、美しい贈物の代りに、お爺さんは「白樺の鞭」を持つて懲しに來ると、西洋では子供等に傳へ話としてゐる。「プレゼント」を見よ。
⑮『文芸大辞典』(昭和3年6月、29巻)
サンタ・クロオズ (英 Santa Claus)
子供を愛する老人。傳説中の假想的人物。クリスマスの前夜、子供達が靴下を煙突の近くに置くと、寢てゐる間に煙突から降りて來て、子供達のために土産を置いて行くと考へられてゐる。
⑯『時勢に後れぬ新時代用語辞典』(昭和5年7月、11巻)
【サンタクロース】 Santa Claus (英) クリスマスの夜、煙突からこつそり家の中へ入つて來て、子供等の寢てゐる間に、クリスマス・プレゼント(クリスマスの祝ひの贈りもの)を新しいストッキング(靴下)の中に入れて行く、袋を背負つた白髮のお爺さんである。
⑰『アルス新語辞典』(昭和5年12月、14巻)
サンタ・クロース(英 Santa Claus) クリスマスの夜子供達へ贈物をもたらすために煙突から入つて來ると傳へられてゐる老翁。
⑱『現代新語辞典』(昭和6年1月、15巻)
【サンタ・クロース】(Santa Claus) 聖誕祭の夜、煙突から入つて來て、子供らの寢てゐる隙に、クリスマスの贈物を新しい靴下の中に入れておいてくれるのがこの老翁、平生兩親や教師の言ひつけを守る子供には贈物を澤山持つて來るが、嘘つきや怠け者には、白樺の鞭を持つて來るといふ傳説がある。この老翁の姿は昔ローマの聖者として知られたセント・ニコラスの面影そのまゝを寫したものである。
⑲『これ一つで何でも分る現代新語集成』(昭和6年1月、17巻)
サンタクロース (英 Santa Claus)【宗】 子供を愛する白ひげのお爺さん。雪の降るクリスマスの前夜窓や煙突からそつとはいつて種々のものをストツキングに入れてくれると言ふ歐米の傳説あり。
⑳『分類式モダン新用語辞典』(昭和6年11月、20巻)
サンタクロース〔Santa Claus〕(英) クリスマスの夜、煙突からこつそり家の中へ入つて來て、子供等の寢てゐる間に、クリスマス・プレゼント(クリスマスの祝ひの贈物)を新しいストツキング(靴下)の中へ入れて行く、袋を背負つた白髮のお爺さんである。
㉑『最新百科社会語辞典』(昭和7年4月、34巻)
サンタクロース (英 Santa Claus) クリスマスの前夜、煙突からこつそり家の中へ入つて來て、子供等の寢てゐる間に、クリスマスの祝ひ日の贈りものを新しい靴下の中へ入れて行く袋を背負つた白髮のお爺さんである。
㉒『新文芸辞典』(昭和7年9月、28巻)
サンタ・クロース (英 Santa Claus) 傳説中の人物で――クリスマスの前夜、煙突から屋内に入つて來て子供に贈物をすると云ふ、愛すべき老人である。
㉓『常用モダン語辞典』(昭和8年3月、23巻)
【サンタ・クローズ】Santa Claus (英) クリスマスの前夜屋根の煙突から入つて來て寢てゐる子供等の枕許に種々の土産を持つてくると傳へられてゐる老爺さん子供達に大好かれのもの。
2 分析
一見して、親亀子亀式に記述が踏襲されてゆく様子がわかり、その継承関係を整理したうへでの分析がのぞましくはあるが、前述の「不思議ナル」といふ形容に注目してみたときに、おなじく「不思議」といふ語をつかつてゐるのは、①③⑩であつて、さしあたり『大言海』の出典かと考へられるのはこの3種だが、このうち、①には「煙突」の要素がかけてをり、③⑩では「靴足袋」のみがあげられてゐて、『大言海』の「沓、又ハ沓下」とは若干相違する(この点では②と共通する。②では「不思議」ではないが「不可思議」の語がもちゐられてゐる。②と『大言海』とでは、「兒童の睡眠」の要素がない点でも共通するが、ただし、進入経路が「煙突」か「窓」かという点でちがひがある)。また、③に存する白樺の「鞭」の記述も『大言海』にはない。あるいは、これらをパッチワーク的につないだものかもしれない(たとへば、石山茂利夫『国語辞書事件簿』〔草思社、2004〕は、『辞苑』が、『広辞林』『言泉』『大日本国語辞典』の3種の辞書のパッチワークであることをあきらかにしてゐる)。
以上のやうに、直接の材原とたしかに認定できるものはないが、かうした流れのなかに『大言海』の記述も位置づけられることは一往確認されたと言へるだらう。
3 をはりに
『大言海』の増補にあたつて、なんらかの新語辞典類を利用したのはほぼ確実であらう。その材源をヨリたしかなものとするためには、対象をふやして(石山前掲書では「ブラ~フランネル」を「外来語区間」としてゐる)調査することが必要である。