aruto250の日記: 山本弘『アリスへの決別』
読んだんだが、これは買って失敗だった。そもそも元ネタが、「非実在青少年」とか「アポロ計画陰謀論」とか…いやまあ、題材をそういう所から持ってくるのはまだ我慢できるとしても、作者が嫌う人たちに対する考察が薄っぺら過ぎて読むのが苦痛だ。「七歩跳んだ男」はひとひねりしてあるので「おっ」と思ったが、ひねっている分余計にひどかった。「『アポロ計画陰謀論』を信じるような奴はバカ」と言っているのかと思ったらさにあらず。作者の言いたいのは「『アポロ計画陰謀論』を信じるような奴はバカで、しかも文系で、そのうえ実の娘に性的暴行を働くような屑。まったくこれだから文系は」だった。そしてそんな屑に対し、少女を痛めつけたことの報いを与えるために、良心の呵責に耐えながらも殺人を犯す、美形で理系な才気溢れる若者。涙なしには読めないね!
どうして作者が嫌う人々を、人間的にも低劣で嫌悪すべき人としか表現できないのか。どうして、作者にとって許せない行動を取る人たちの、その動機を、悪意とか愚かさ(ただし哀愁を含まない「愚か」)に帰着させてしまうのか。「なぜ」という考察をすることは、理系(個人的にはこういうくくりは馬鹿馬鹿しいと感じるが)のアイデンティティだと思うのだが、どうしてその考察が、人間に対してだけは働かないのかね。
この作者の、「自分と同じ意見の人しか集まらない場所(SF界隈)で演説をぶち、聴衆と盛り上がって一体感を覚え、ますます自分の意見に酔い痴れていく」という行動パターンが、まるでその昔あったという学生運動の演説みたいだ。言ってみれば、文理対立における小林よしのりと言ったところか。
ただ、こういう行動は、対立の無いところでもよく見られるものではあるよね。明らかにファン以外の鑑賞に堪えないような感傷や賛美に満ち溢れた紹介記事やら動画やら。ほとんどとっくに熟知している人々の間でしか消費されないにも関わらず、入門用とか紹介用とかの体裁を取っているっていう。
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