17th
どうも周知徹底が不足しているようなので再度のお願いとなりますが、C死ね。
- 確かにCでしか書けない類のプログラムは存在する(例を挙げるならKernel)が、それはCの存在を赦す理由にはならない。
- 確かにCに輪をかけてさらにダメな類のプログラミング言語は存在する(例を挙げるならC++)が、それはCの存在を赦す理由にはならない。
- 確かにCでしか書けないダメプログラマは存在する(例を挙げてほしければここにおまえの名前を入れろ)が、それはCの存在を赦す理由にはならない。
結論:C死ね。
そもそも計算機にできて算盤にできないことなど存在しない。存在しないんだぞ。なのに何故人はプログラムを書くのか。それはオートメーションのためなのであり、奴隷的使役から人類の尊厳を開放して、この地上に楽園を築くためである。まあそこまで大上段に振りかぶって普段から書いてる輩はいないにせよ、プログラミングとは楽をするため、豊かな人生を実現するため、誰かの幸福のために行うものだ。違うか?じゃあなぜプログラムを書くんだ?
翻ってCでのプログラムはどうかといえば、これは不幸でしかない。Cの不幸はあげればキリがないから、構文がいかれてるとか、型システムが狂ってるとか、静的・動的セーフティー機構をほとんど全く欠如するとか、あるいは「Cしか書けないプログラマ」が一定数いてこれが老害になっているとか、まあその程度を列挙しておくに留めるが、ともかく様々な原因により、Cで書くことを選ぶとバグが出た際メンテナンスがとても困難になる。もちろんバグのないプログラムなど(少なくともCを使う以上)ありえず、たとえシステムがユーザーの負担を減らしたとしても、そのぶんプログラマが背負ってるだけに過ぎない場合が多々見受けられる。それは要するに搾取対象が移動しただけなわけで、全体の幸福の総和が上昇しないようなものの存在を、我々はけっして赦してはならないのだ。
すでにCで書いてある既存のプログラムを今すぐ根絶やしにするのは難しかろう。過去にそれらが果たしてきた歴史的役割まで否定するつもりもない。しかし今、この瞬間にも意味もなくCで書かれ続けているプログラム。なぜCで書く必要がある?ないはずだ。ないはずなんだよ。ちゃんと調査すればJavaとかC#とか、ひょっとしたらOcamlやScalaででも用は足りる場合がほとんどなんだ。Cは捨てろ。これ以上Cの業火を背負うな。未来に禍根を残すな。少なくともCのプログラムを人間が手で書く時代は、我々の世代で最後にするべきだ。体罰の伝統じゃないんだから。我等の子孫にCのない明るい未来を。そう願ってやまない。C死ね。