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- 作者: 小飼弾
- 出版社/メーカー: サンガ
- 発売日: 2009/11/26
- メディア: 単行本
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こないだこのブログの読者の人にAmazonのほしい物リストからこの本を送って貰ったんですが(ありがとうございます)、せっかくなので読んで思ったことを書いてみようと思います。
(関連エントリ: 404 Blog Not Found:紹介 - 発売開始 - 働かざるもの、飢えるべからず。)
社会は人のためにあるのであり、人が社会のためにあるのではない。
この本は第一部と第二部に分かれていて、第一部は弾さんの考える理想の社会システムについて論じられ、第二部には弾さんとスマナサーラ長老(テーラワーダ仏教の本を日本でたくさん出している人)との対談が収められています。ここでは主に第一部について書いていきたい。
第一部で論じられるトピックは多岐に渡っているのだけど、その中核となるのは「社会相続(=相続税100%)」を財源とした「ベーシック・インカム(働いている人も働いてない人にもみんなある程度のお金を政府が渡して最低限の生活は保証するという制度)」の実装というアイデアだ。それを中心として他のさまざまなアイデアが繰り広げられる。
扱われる議題はいろいろあるけれど、その奥には一貫してひとつのはっきりとした思想が感じられる。それは「社会は人のためにあるのであり、人が社会のためにあるのではない。」というものだ。
「働かざるもの食うべからず」という考えは「社会のために人がいる」という発想なのだが、弾さんはそれをはっきりと否定して、「働かざるもの飢えるべからず」と言い切ってしまう。カッコイイ。
ベーシック・インカムいいんじゃないですか
そして「働かざるもの飢えるべからず」という思想の実装として「ベーシック・インカム」が提案される。
ベーシック・インカムってつまり、社会から極端に貧乏な人がいなくなるという制度で、それは理想的なことだと思うんだけど、なんで反対する人が多いんだろう。この世から飢えたり苦しんだりする人ができるだけ少なくなるっていいことなんじゃないんだろうか。もう21世紀だし日本はこんなに豊かなんだからそれくらい実現してもいいんじゃないか。
ベーシック・インカムに対するよくある批判が「働かざるもの、食うべからず」というもので、ベーシック・インカムなんて導入されたらみんなナマケモノになってしまって日本が破滅する、とか言われたりする。
弾さんは「そんなことない、働かなくても最低限食えるようになっても、ほとんどの人はそれなりに仕事をするだろう」って言うんだけど、僕もそんな感じがする。結局みんな、わりと仕事とか人と関わることが好きだし、最低限の生活以上のお金はみんな欲しいし、働いてないとすることがない人とか、働いてないと落ち着かない人ってかなり多いと思うので、働かなくていいからってそんなにナマケモノにならないと思うなー。
このへんの思想はオープンソースで長年活躍してきた弾さんらしいと思った。
「働かざるもの食うべからず」の嘘
そもそも僕は「働かざるもの食うべからず」という言葉が物凄く嫌いだ。僕は定職につかずにふらふらしているのでときどき「働かざるもの食うべからず」って説教されたりするんだけど(このブログのコメント欄でもよくある)、「働いている・頑張っている」と「食える・収入がある」の相関関係ってそんなにないよね、と思ってる。
大体お金持ちほど「一生懸命働くこととお金を得られるかどうかの関係はそんなにない、自分がお金持ってるのは与えられた境遇やたまたま運がよかったためだ」って思ってて、そんなにお金ないけど嫌々仕事をやってる人ほど「働かざるもの食うべからず、ニート死ね」って思ってるような気がする。しかし貧乏人が「働かざるもの食うべからず」とか言うのって、自分たちの首を絞めて社会を息苦しくしてるだけだと思うので、早くそういう考え方は滅亡してほしいですね。労働者がそういうモラルを持つことで喜ぶのって経営者だけだし。
お金を持ってるかどうかって、本人の努力とか勤勉さとは関係なく、生まれ育った環境だとか健康状態とか働き始めたときの景気だとか、その他いろいろの状況や運によって決まる部分が圧倒的に多いと思う。そもそも日本が経済的に発展したのだって別に日本人が勤勉だったからじゃなくて、たまたまアメリカの庇護の下でのんびり経済成長できたとかそういう状況的な要素によるものだし。努力と成功を結びつけるのに意味はないと思います。むしろ無駄に人間を追い詰めるという意味で害悪だと思う。
金銭的に成功しても失敗しても、その人自身に完全に責任があるのではなかったら、お金がある人はある程度適当にお金をばらまくべきだし、お金がない人も最低限の生活は保証されるべきだと思う。だからベーシック・インカムはいいんじゃないかと思います。もちろんある程度金銭的な格差や競争は必要だと思うけど。
働かなくても生きていけたら別にいいじゃん
別に働かなくても生きていけたらそれでいいだろうって思う。しんどいことをせずに生きられるならそれに越したことはないだろう。僕は昔からずーっと、できるだけ働かずに一生ふらふらして生きていきたいって思っていて、どうやったらそれが実現するか必死で考えてきたし、いま若干それを実現している。死ぬまでこの調子でいきたい。
無職に対して「金を稼がない奴(税金を納めない奴)は生きてる価値がない」って言うような人は、自分の100倍収入があって100倍税金を納めてる金持ちに「お前は俺の100分の1しか生きる価値がない」って言われてもいいんだろうか。そんなんじゃなくて、みんな生きてるだけでその生命は尊重されるべきだと僕は思う。昔の偉い人は「生きてるだけで丸儲け」と言いましたが、人間は生きてるだけでそれだけで十分すばらしいことなんじゃないかと思う。
でもまあ、働かずに生きていくには家の資産だとか技術だとか愛嬌だとか美貌だとか運だとか、いろいろ他の要素が必要だとは思うけど。だから場合によっては普通に働くのが一番楽かもしれない。それでもしんどい労働をせずになんとかなるならそれに越したことはないし、楽をしてる人を叩くのはただの足の引っ張り合いにすぎないと思う。
ニートも社会の一員
それに、働かない人もある程度社会の中で気楽に暮らせる社会のほうが、働く人にとっても生きやすいと思うんですよね。働いている人だっていつ病気や事故で働けなくなるかわからないし、仕事がうまくいかなけりゃ半年くらい休んだりできたほうが楽だし。
そもそもニート以外にも子供とか老人とか障害者の人とか働けない人っているし、そういう人だって認められて生きられる社会のほうが豊かだと思う。子供とか老人とか障害者と違ってニートは働けるんだから働けって言う人がいるけど、そういう人は子供とか老人とか障害者を一段下に見ている気がする。「働けないけど大目に見てやる」的な。「働けないけど大目に見てやる」じゃなくて「働く働かないとか関係なくみんな生きていていいよ」というほうが理想的じゃないだろうか。
そもそも昔から一定数働いてない人っているものだ。一人の人間の中にも働くのが好きな部分と怠けたい部分が両方あるように、社会全体のなかでも無職の人がある程度出るのは普通だと思うし、それはことさら否定するものじゃないと思う。
あと、一定数(生活に困ってない)無職がいることは社会の精神的な豊かさに繋がると思うんだよね。
- 全員が働かなきゃいけないって強迫観念にかられてる社会は息苦しい
- ぶらぶらしてることで周りの人に気を使ったりする余裕ができる
- ぶらぶらしてることで余裕を持って働いている人と違う視点で物を見れる →社会の多様性
などの理由で。だから余裕を持った無職がいることで社会全体が豊かになると思う。
ただしそれは生活に困ってない余裕を持った無職の話しで、生活に困ってる無職が増えるとそれは犯罪率が増加したりして殺伐としてしまうので、そのためにベーシック・インカムが必要なのですが。
あと、ニートが働く気になって働いたところでそれは誰かの職を奪ってニートを一人増やすだけで、失業率が変わるわけでもないし、別に日本全体にとって何かプラスになるわけじゃないですよね。
人は公共財で集合知
この本の弾さんの意見を読んでると、あー、これはネットに親しんでる人の発想だよなー、って思って同意するところがたくさんある。たとえばどんどん情報や価値が複製可能になっていくというモデルとか。あと、集合知をすごく肯定しているところとか。
弾さんがベーシック・インカムを薦めるのは集合知を信じてるからっていうのもあるんだよな。つまり政府の賢い人が税金の使い方を決めるのでなく、お金をみんなにばらまいてみんな自身に使い方を決めてもらうという形。それが最善になると信じている。
そして、ベーシック・インカムを配ることで、お金にある程度余裕があっていろんなことを考えたり好きなものを追求したりすることができる人が社会に大勢増えれば、社会全体からより素晴らしいものや面白いものがもっともっと生まれてくる、という確信を弾さんは持っている。そういう集合知への肯定はとてもネットの人っぽいし、ネットの素晴らしい面を捉えていると思う。
インターネットすばらしい
僕は無職は社会と切り離されているとは全く思っていない。大自然の中で一人で生きるとかでない限り人間は必ず他の人間と関わって生きているし、別に働いてなくても、自分と関わりのある周りの人を大事にしていれば人間としてはそれでいいんじゃないかと思ってる。
僕は今ろくに働いてないしお金もあんまりないけど、周りの人との繋がりがあればなんでもなんとかなると思っているので全く不安にはならない。そしてネットがあればお金を絡ませずにいくらでも人間の繋がりは作れるので、僕はネットが大好きだし、ネットさえあればそれだけでいくらでも生きていけると思ってる。ご飯もお金も仕事も家も服も友達も全部ネットから出てくる。
インターネットすばらしい!
そもそも僕がこうやってブログを書いているのも人と関わるためだし、もし人と関わること全てを仕事だっていうのなら、僕は働かないことを仕事にしたいなー。僕は、そう主張していかないと自分がこの社会で生きづらいから、「別に働かなくてものんびり生きていったらいいよー」っていうのを多くの人に伝えていきたいと思ってるし、その言葉を聞いて楽になる人っていうのも社会には結構いると思う。
そして「別に働かなくても楽しく生きてていい」ということを伝えるためには、僕自身がいい年して毎日ぶらぶらしていてロクに働いてないけどそれでも何とかなるしすごく楽しそうに生きられるっていうことを自らの身を持って実証する必要があると思っているので、これからも頑張って毎日ぶらぶらしていきたいです。頑張ってできるだけ働かないでいたい。だるいし。つい長文書いてしまって疲れた。寝ます。
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