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第435回
Dellに打ち勝ち、躍進を続けるHPのPC製品戦略



 ファッションデザイナーのヴィヴィアン・タム氏とコラボレーションしたモデルも用意して話題の「HP Mini 1000」を発表した日本ヒューレット・パッカード(日本HP)。日本ではコンシューマ向けPCのブランドとしてトップクラスには位置していない同社だが、ここ数年はワールドワイドでコンシューマPCナンバーワンの座を確たるものにしている。

 数年前、DellがPC業界の圧倒的な王者として君臨し他を圧倒していた頃、HPはPC事業を再生させることを決め、大胆な事業改革に打って出た。その成果はDellを逆転し、企業向け、個人向け双方でナンバーワンのPC企業として君臨するという結果をもたらした。

 実際、HPの製品はコンシューマ向け、エンタープライズ向けともに商品力が確実に上がってきているように思える。ワールドワイドで展開している製品の中には、必ずしも日本市場に向いていない商品もあるが、しかし個々の製品の仕上がりは、品質感、キーボードの打ちやすさなど、さまざまな面で配慮されており、海外メーカーのPCにありがちな大味さがない。

 HPの何が変化して、この好結果を生み出しているのか。米HP本社グローバル・マーケティング担当上席副社長でパーソナルシステムグループのグローバル・マーケティング業務を統括しているSatjiv Chahil(サティーブ・チャヒール)氏に話を訊いた。

●PCを再びパーソナルな製品に

Satjiv Chahil氏

 Chahil氏がHPに加わったのは2005年。同氏はIBMとゼロックスでエンタープライズ向けコンピュータの事業に携わった後、AppleでMac OSとMacintoshのマルチメディア対応を推進。その後、ソニーに移籍してVAIOシリーズの事業立ち上げを日本の開発・マーケティングチームとともに行ない、ソニー退社後はPalm SouceのCEOを努めた。

 2005年はPC業界にとって厳しい年だったという。2004年12月にIBMがレノボにPC事業を譲渡。ダイレクトマーケティングの旗手であるDellがPC市場を席巻し、古くからの流通とも手を切ることができない古い企業はコスト競争力の違いなどもあり、スペック志向の顧客に対しての訴求点を失いつつあった。

 「2005年、HPは新しい経営陣に生まれ変わりましたが、PC事業に関してとても苦しんでいました。PC事業を生み出した巨人IBMがPCビジネスから撤退し、アナリストは『PCはすでに日常品になった。自社で開発するのではなく、OEM調達で事業継続するのが最適で新たな投資をするのは間違っている』といった考えを公言していた時期です。私に声がかかったのは、そうした状況下でHPもPC事業から撤退すべきだという声が上がっていた時でした」(Chahil氏)。

 しかしChahil氏は異なる考え方を持っていた。「PC業界そのもののあり方について考え直そうとしました。業界を一歩下がって見直したとき、顧客の姿を見直すことができたのです。それまでのPCは無機質で、単にスペックを競争しているだけでした。顧客が購入し、手にした時、使用した時の感触などは二の次だったんです。これならば、PCというカテゴリの製品を通じて、もっと高い付加価値を提供できるのではないかと思いました。

 HP自身、PCをコモディティビジネスだと考えていたため、価格とスペックだけで勝負していましたが、顧客にとってスペックは単なる数字の羅列に過ぎません。そこで顧客が製品を使う中で、どんな体験をするのかといった、経験重視の商品開発へと大きくシフトさせました。加えてモバイルコンピューティングのライフスタイルを改善するこことで、パーソナルツールとしてのPCを再度、見直すことにしたのです」。

 HPはその後、“コンピュータがパーソナルに戻ってきた”というメッセージを出していくが、これはコモディティという考えから脱却し、180度違う方向に転換したことを示すものだったという。「コンピュータはパーソナルな製品である。これこそがHPがPC事業を行なう理由だと再定義したんです」(Chahil氏)。

●品質感や操作性を大切にしながら、値頃感のある価格に

 光沢感のあるキズが付きにくい素材の中に、自由なテクスチャを表現できるImprintという技術をHPが採用したのも、高い質感やデザイン性を求めることで個人の所有欲に対して応えようとしたからだ。加えてキーボードのタッチ、剛性、ディスプレイの見やすさや色再現性、内蔵カメラの質といった、個々のディテールにもこだわった。個々の技術要素を組み替え、設計やラインナップ構成も完全に見直した。

 「コンセプトは一言で言えば“WOW”です。“おっ!”と思ってもらえる要素を、いかにたくさん詰め込めるか。Imprintによる精緻なデザインテクスチャや表面の質感、素材そのものの良さ、頑丈で打ち応えある高級感のあるキーボード。どれも手にとって見て、おっ! これイイじゃない! と思ってもらえる。そこが大切なんですよ」とChahil氏。

「HP 2133 Mini-Note PC」

 それと同時に広告戦略も大きく変化させている。

 「Intel CPUが入っているとか、クロックのスピードがいくつだとか、そうした要素は広告には不要です。現在のPCは十分に高性能になってきていますから、快適な速度で動くのは当たり前のことで、それは訴求要因になりません。我々がフォーカスしているのはユーザーの使い方であり、ユーザーがPCを通じて感じるとであり、また環境やセキュリティへの配慮です。ですから、訴求点を変えてPCのスペックではなく、デザインや使いやすさ、安全性などについて訴えるべきと考えたのです」。

 しかし、品質感や高級感に力を入れても、誰も買えないような高額な品では意味がない。欲しいと思えば誰もが手を出せる。でも高級という品物であることが重要だとChahil氏は指摘する。近年のノート型Pavilionを見ると、なるほど低価格で質感も良い。

 が、もっとも典型的な例は「HP 2133 Mini-Note PC」ではないだろうか。確かにCPUは低速かもしれないが、十分なメモリ容量と高い解像度のディスプレイを備え、何より驚くほど質感が高くキーボードが打ちやすく、剛性も高い。“WOW”と声を挙げそうな高級感と低価格が混在している製品と言えるだろう。

●HP Mini 1000はネットブックではない

 製品の変化はマーケティング手法の変化にもつながっている。たとえば業界のカレンダー(業界内の大きな展示会のスケジュールなど)に合わせて製品を発表するのではなく、訴求したいエンドユーザーの集まる場所をターゲットに発表のタイミングを合わせている。

「HP Mini 1000 Vivienne Tam Edition」

 具体例として、ヴィヴィアン・タムデザインのモデルを擁したHP Mini 1000を含む、パーソナルシステムグループの製品発表は、ワークステーションも含めてすべてニューヨークファッションウィークに発表した。

 「自分が手にしてパーソナルなツールとして持ち歩くものなのだから、デザインや質感にもこだわりたいという人は多くいるはずです。たとえば時計や鞄などです。PCも同じようにデザインに拘る人に選んでもらえるようにしました。とはいえ、キーボードの剛性や打ちやすさは犠牲にしていません。文字の読みやすさにも配慮しました。PCとしての性能や使いやすさは維持し、値頃感のある価格で提供したのです」。

 さて、そのHP Mini 1000を多くの人はHPのネットブックだと見ている。確かに製品としてのプロフィール、スペックはネットブックそのものだ。価格も一般的なネットブックと競合する。この点をChahil氏はどう考えているのだろうか。

 「一般に使われているPCのコンパニオンデバイスとしてHP Mini 1000を設計しました。たとえばスマートフォンなどもPCのコンパニオンデバイスですよね。それと同じような考え方です。この考え方は、一般的なネットブック、UMPCも同じかもしれません。しかし、我々の製品はよりリッチな設計にしました。UMPCに関するユーザーリサーチを実施しましたが、決して満足度は高くありませんでした。むしろスマートフォンの方が満足度が高かったんです。なので、UMPC、ネットブックといったカテゴリではなく、小型のノートPCという位置づけで、信頼性や安定性に優れ、質感が高くてキーボードがフルサイズで使いやすく、しかもオシャレという製品にしたのです」。

 HP 2133 Mini-Note PCと共通のキーボードは、確かにとても打ちやすい。Imprintによる仕上げも美しいとは思うが、それだけで消費者はHP Mini 1000と一般的なネットブックを区別してくれるだろうか。

 「ネットブックの定義は、そもそも企画当初に比べてかなり広くなっています。我々は、そこら辺に溢れている雑貨のような製品は作りたくありません。せっかく発売しても、すぐに飽きられてデザインを変える必要が出てくるような製品なら作らない方がいい。将来性があり、その上で丈夫で長持ちする製品でなければならないと思います。結論として、我々が作ろうとしているのは、ネットブックと呼ばれているものとはスタート地点から大きく違っています」。

●ビジネス向けノートPCでも高い品質感を

 一方、今年HPが発表したEliteBookのラインは、ビジネス向けでありながらアルミヘアラインの硬化皮膜仕上げで高級感のあるデザインを採用。プレミアムな外観と質感を持つ企業向けノートPCという提案を行なっている。HP 2133 Mini-Note PCの外観デザインのコンセプトをラインナップ全体に広げたものとも言えるだろう。

 日本企業が導入するノートPCは価格優先主義が徹底されており、満足にアプリケーションが動かないのではと思えるほどメモリ構成を犠牲にしてでも低価格にというユーザーが多い。海外ではもっと製品の性能や品質を重視してはいるが、果たしてEliteBookのコンセプトは受け入れられるだろうか。

 「確かにビジネス向けのノートPCを、一般的な人が自分で買うことはないでしょう。従って会社任せです。海外では製品の導入サイクルの期間中、ビジネス効率を下げないようパフォーマンスを重視した選択をしますが、これは国によって違うかもしれません。しかし、あなた(取材している筆者)のように自分で仕事をしている人や、マーケティングでPCをビジネスツールとして活用している人、経営者など、ビジネス向けと言ってもいろいろな人と使い方があります。それらの特性を考えつつ、デザインの要素、カラーサイエンスの要素、ワークステーションの要素などを集めてEliteBookのシリーズを構築しました。

 ビジネス向けノートPCでもパーソナルなものを用意することで、ユーザーエクスペリエンスを上げていくことに意味があると思っています。高い質感を与えているとはいえ、EliteBookは同クラスの他製品に比べ高いということはありません。むしろ、名刺リーダを内蔵させたり、QuickLookというWindowsを起動せずにメールや連絡先などの情報を閲覧する機能など、有益でかつ“使える”機能を盛り込みました。

 確かに高付加価値な製品を普及させるには、今の経済的状況が厳しい面もあります。しかし、現時点の短期的な展望で投資をするのではなく、将来にわたって十分に通用する長期的な使用を考慮した技術を評価して欲しいと思います。

 これはコンシューマ製品の話でも述べましたが、自分が使う道具には良いものを使いたいという気持ちは、誰にでもあるものです。良い時計が欲しいし、良いカメラが欲しい。コモディティでではなく、より良い製品を使いたいという欲求です。すぐに壊れると判っている時計を買って腕に巻きますか? もちろん、コモディティも必要でしょう。ライバルの中には、どちらの方向に行くのか迷っている企業もありますが、HPは決してコモディティの方には向かいません。

 最後に1つ。競合もさまざまな戦略を練っていますし、競合がヒット商品を作ることもあります。しかし、だからといってライバルのマネをすることはありません。ライバルが採用し成功した技術が大切なのではなく、何のためにやっているかが重要です。つまり、最終的なエンドユーザーがどう感じているのか。エンドユーザーが感じている何かを理解し、彼らを満足させることがHPの製品を開発する上でもっとも優先されることなのです」。

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バックナンバー

(2008年12月3日)

[Text by 本田雅一]


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