歌川国直
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歌川 国直(うたがわ くになお、寛政7年〈1795年〉[1] - 嘉永7年6月28日〈1854年7月22日〉[1])は、江戸時代後期の浮世絵師。本姓は吉川(きっかわ)[1]、俗称は鯛蔵[1]、後に四郎兵衛[1]。画号は一鳳斎、一楊斎、浮世庵、独酔舎、柳烟楼、後素園、写楽翁、写楽斎、東雲亭など[1]。
来歴
[編集]戯作者の春亭三暁の弟で信濃国の生まれ[1]。文化6年(1809年)頃、初代歌川豊国の門人となる[1]。文化9年(1812年)、式亭三馬『昔語丹前風呂』の挿絵を手がけたのが初筆である[1]。これ以降、式亭三馬の作品を中心として、合巻や滑稽本の挿絵を数多く手がけた[1]。文政期から天保期初期にかけては活動が見られないが、天保4年(1833年)『春色辰巳園』の挿絵を手がけてからは人情本の挿絵を中心に手がけた[1]。嘉永元年(1848年)から死去するまでの6年間は活動しなかった[1]。享年62。墓所は八王子市大横町の極楽寺、法名は高琇琮運居士。
門人に竹斎龍子、歌川直貞、歌川直房、歌川直重らがおり、同門の歌川国芳に影響を与えた。
作品
[編集]版本挿絵
[編集]- 『赤前垂祇園女護』六巻 合巻 ※山東京山作、文化11年(1814年)刊行
- 『伊勢名物通神風』 ※式亭三馬作、文化15年刊行
- 『歌舞妓雑談』 ※百戯園芝翫(三代目中村歌右衛門)作、文化15年刊行
- 『総角結紫総糸』三巻 合巻 ※為永春水作、文政5年(1822年)刊行
錦絵
[編集]- 「新版浮絵 東叡山之春景」 横大判 ボストン美術館所蔵
- 「新版浮絵 金龍山仁王門之図」 横大判 ボストン美術館所蔵
- 「新版浮絵 東都両国橋河開夜景之図」 横大判 ボストン美術館所蔵
- 「夏」 大判 ※文化8年頃
- 「冬」 大判 ※文化8年頃
- 「あづま橋より浅草くわんおんヲ横ニ見図」 横中判
- 「日本橋より一石橋を見る図」 横中判
- 「坂東三津五郎と岩井半四郎と松本幸四郎」 大判3枚続
肉筆画
[編集]作品名 | 技法 | 形状・員数 | 寸法(縦x横cm) | 所有者 | 年代 | 落款・印章 | 備考 |
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料理屋梧桐林店頭図 | 絹本着色 | 1幅 | 105.4x31.4 | プライスコレクション | 1825年(文政8年) | 款記「文政乙酉三月於塵外楼 席上応需 歌川国直」/「国」「直」白文連印 | 賛文「六帖園のあるし家居あたらしく 作りて酒肴うるせはしいてゝ いとなみ給ふよしを潮澄ぬしの もとよりきゝて 大江戸の孔雀の茶より 鳳凰の桐のはやしの 酒をのまはや 七代目三升」「客人のよりあひ町は酒の池 肉をもきりのはやししけりぬ 六樹園」 |
二美人図 | 紙本着色 | 双幅 | 右幅:114.9x50.0 左幅:114.6x51.5 |
東京国立博物館 | 天保~嘉永年間 | ||
遊女禿図 | 紙本着色 | 1幅 | 111.7x50.7 | ニューオータニ美術館 | 天保後半~嘉永年間 | 款記「歌川國直画」/「東雲亭」白文方印 | |
立美人図[2] | 紙本著色 | 1幅 | 97.02x46.0 | パリ国立高等美術学校 | 「東雲亭国直画筆」/白文方印 | エマニュエル・トロンコワ旧蔵 |
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻) 大修館書店、1982年
- 吉田漱 『浮世絵の見方事典』 北辰堂、1987年